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2016年 09月 22日
G7交通大臣会合の軽井沢誘致は誰のため

d0164519_14245943.jpg前線が列島から少し南下して、大陸から高気圧が移動してきたせいでしょうか。気温が12度台まで下がるようになり、連日の雨が重なって9月としては寒い日が続いています。お盆あけからほとんど残暑と言うほどの暑さはなく、例年より活発な秋雨前線が張り付いています。今年の秋は暑いと気象庁が発表し、地球温暖化を言いたいテレビのお天気おねえさんはそのとおりにおしゃべりしているようです。今年は面倒になり、朝顔の種は苗床で作らず、去年のこぼれ種が発芽するのにまかせていました。春に芽生えたものは成長できず、梅雨に入って発芽したものが、細々と今ごろ地際で小さな花をつけています。


今朝は明け方まで降っていた雨が1時間だけやんで、6時から町内の清掃。べたべたの濡れ落葉を掃いても、さほどきれいにはならず、これから落葉期に向って、無駄な苦労です。週末にG7交通大臣会議があるので、きれいにしておきたいのは分かりますが、こんな町外れまで会議に集まった人が来るとも思われません。町ぐるみで歓迎という格好にしたいのでしょうが、役場周辺の一部の人以外は関心もありません。会場はタクシーも不要な駅隣のプリンスホテルですから、旧軽井沢にさえ人が流れることはないでしょう。まして、人口の多い中軽井沢周辺、南側の農業地帯やJRで2駅離れた追分地区など、何の恩恵もなく、交通規制・交通渋滞で迷惑するだけ。誘致のために町の予算を使い、町民、役場職員や警察官の労力を供出し、利益はホテルとせいぜいその手前に広がる同じグループのショッピングモールに落ちるだけ。町民はちらっとテレビに映る我が町に、ちょっぴり自尊心をくすぐられるかもしれません。町長は内外のお偉方に歓迎の挨拶かなんか述べて、自分も偉くなった気分になれるかもしれません。今時、5月のサミット本番の結果を振り返るまでもなく、G7が世界の平和や人々の幸福に貢献する会合だと思っている人はあまりいないでしょう。軽井沢は昔から西武資本・プリンスホテルの企業城下町です。新幹線軽井沢駅に接する南側の広大な土地を一つのグループ企業が所有しています。今回もお殿様に貴重な町税と労役を吸い上げらることに。


西武グループの中核でプリンスホテルを保有するコクド(国土計画)は1920年の操業以来、一度も法人税を払った事がないと言われています。


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by maystorm-j | 2016-09-22 14:32 | 社会 | Comments(0)
2016年 09月 19日
アベノミクスに人はなぜ騙されるのか/経済の土俵で闘う事が必要 その12
軽井沢に住んで38年あまりになります。当時は、都市部を除く信州の町に都会の人間が移住して、仕事と子育てをすると言うのはまだまだ珍しい出来事。ペンションブームが起きる最初の時期にあたっていたので、軽井沢で2番めと3番めのペンション起業者家族2組と私が、軽井沢への最初の移住家族と役場で言われました。もちろん、地元銀行など大きな会社や官庁の出先機関などの転勤組家族は以前からいたでしょう。都会に出ていた人がUターンしたケースもたくさんあったと思われます。そのような関係性を背景に持たない移住は珍しかったという事だったようです。子どもの小学校や保育園に行くと、特殊な存在だという事が実感できました。

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軽井沢のように、有史以前から交通の要衝であり、大動脈中山道の大きな宿場3ヶ所、鉄道の時代になってからも信越本線3駅と言うのは、当時の人口1万人あまりの小さな「町」としては別格。外の社会との交流が活発な地域である事を象徴しています。にもかかわらず、あるいはそれ故かもしれませんが、軽井沢に来て感じた事に、街場の家々が小さい。寒い地方にもかかわらず、簡素な作りで小規模な家が道路沿いに立ち並んでいます。東隣の上州群馬では、背の高い屋敷林に囲まれた大きな家が多く見られます。信州でも、他の地域には向井潤吉の絵に見られるような、(さすがにかやぶきは当時も少なくなっていましたが)、貧しくとも人々を大きく包み込むような家、代々受け継がれ家族の歴史を感じる家があります。軽井沢の家はどこか東京で見るマッチ箱のような家、別荘建築も旧軽井沢の一部に見られる旧華族、大政治家や財界人の別荘を除くと、周辺部ではやはり一代限りの夏だけの家という作りでした。旧軽井沢銀座通り以外には、間口が狭く奥行きが裏の通りまで続く伝統的な商家は見られず、表通りに面した壁だけがりっぱで、横も裏もぺかぺか、裏には不要品の山が積まれている安っぽい商店街の造りです。

都会の高度成長経済、めまぐるしいスクラップアンドビルドが、信州の小さな町に持ち込まれた結果、家というものの意味が変わってしまった。多くの人が集い、安息と同時に生業の場として作業し、長く使い続けるものではなく、活発だが入れ替わりの激しい商業や、交通、建築などの外部の仕事に出かける個人労働者と学校に通う年齢の子どもが夜を過ごすという、都会の家と同じ機能になっていた。家庭にとっては最大の富といえる家が、耐久財でも、高機能でもなく、一時的で単機能の消費材になっていた。別荘と同じで、代替わりや家族が移動するたびに、一世代の少ない貯金とローンで建て替えられる消費材としての家。

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富がどうすれば蓄積し、暮しが豊かになるのかを、これまで個人の消費行動が主導する生産という視点を中心に考えてきましたが、ここで個人から小さな集団の消費に視点を移して考える事も出来ます。家という富を集団で共有する事で、家の高品質・高機能・高耐久性が得られるのではないか。集団内の個人や小家族のプライバシーを守りながら、全体としては使い勝手が良く、少しずつ構成員が入れ替わっても長期間維持される家は、最初に充分高度な設計、信頼できてメンテナンスも任せられるオーダー施工、共同管理体制など、小さな集団の公共意識と共助能力につながるでしょう。既存の家の貸借シェアリングは既にかなり見られ、資金を分担する共有も試みられています。都会では車や自転車のシェアもあります。高価格消費材の場合は、共有する事で得られるメリットが大きいかもしれません。

地方財政は逼迫していますし、国レベルでも借金財政から均衡財政へとはたしてソフトランディングできるのか、クラッシュが起きるのか判らない状態ではないでしょうか。暮しを守るためには、民間に高品質で持続性の高い富を蓄積しておく必要がありそうです。官に頼らず、民の間で富の生産、販売、消費、蓄積の流れを作ること。個人、小家族だけではなく、小集団でその富みを共有する方向も有効ではないかと考えてみました。

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by maystorm-j | 2016-09-19 07:39 | 社会 | Comments(0)
2016年 07月 22日
上田 暁子 個展  酢重ギャラリー 7月20日〜8月8日
夕方から夜半の雨。昼間も霧雨で寒い夏です。梅雨前線もはっきりせず、梅雨が明けると言うより、梅雨が消えて周期的に不安定な天候がそのまま続くのかもしれません。現在、旧軽井沢ロータリーの酢重ギャラリーで開催中、小諸市在住の若い画家さんです。
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by maystorm-j | 2016-07-22 20:27 | 遊び | Comments(0)
2016年 06月 16日
旧軽井沢 酢重ギャラリー恒例の「佐々木卓也展」 6/11−26
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この時期になると軽井沢のど真ん中に登場します、佐々木卓也さんの絵と立体。大胆な構図とシンプルな色づかいでグイグイと引きつける力があります。もちろん観覧は無料ですが、見れば身近におきたくなる魅力を感じる事でしょう。
(DMの写真はもう少し渋い色合いです。色相を調整しましたが、やはり本物の方が良さそうです)



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by maystorm-j | 2016-06-16 05:00 | 遊び | Comments(0)
2015年 09月 13日
「9月19日 安保法制反対 軽井沢アクション」を紹介します。
先週に続いて「安保法制反対 軽井沢アクション」第2弾。前回は軽井沢町では意外なほどの方々が集まり、戦争への道を止めようとする意欲の強さを感じました。今回、私は残念ながら仕事で東京。ブログとツイッターで紹介するしかありません。

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by maystorm-j | 2015-09-13 20:52 | 社会 | Comments(0)
2015年 08月 31日
8月30日、安保法案に反対する軽井沢での行動と9月5日の案内
昨日8月30日、全国で安保法案に反対する行動が行われました。仕事が詰まっていて、国会前に行く余裕がないことは早くから判っていました。それでも、1時間ぐらいは何とかどこかで参加できないものかと、地域一帯の平和運動を比較的広く紹介している「ピースアクション佐久」のサイトを覗くと、何と軽井沢での行動も掲載されています。それも4時から5時まで役場前国道でと、希望どおり。雨も霧雨程度になった中、3〜40人のグループに参加してきました。

「軽井沢9条の会」や旧知の人も何人か、例によって年輩者中心で、都市部で話題になっている元気な学生さんは見かけません。ドラムや派手なアクションもなく、ジミ〜!な表現でしたが、そこは私も「芸なし」。手渡されたプラカードを掲げるだけでした。今回、大きく宣伝することもなく集まった行動のようですが、来週は9月5日は、美しいチラシを大量に配って、気合い充分です。呼びかけ人や賛同人に意外な顔ぶれが多く入っています。

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by maystorm-j | 2015-08-31 05:43 | 社会 | Comments(0)
2015年 08月 30日
旧軽井沢 酢重ギャラリー 「山中 現 作品展」 "YAMANAKA GEN " Exhibition in Suju-Gallery, Karuizawa .
酢重ギャラリーが取り上げる絵画には、「遊び」を楽しむものが多い。年輩の作家も若い人も、気取らず、力まず、どこか飄々としている。作品そのままの生き方をしている人もいれば、日常と作品は異なる人もいるでしょう。工芸家の場合は、「作家の生き様」が作品に凝縮されていると思うお客様が多いような気がしますが、それでは作家自ら「ドツボにはまりに行く」ようなものだと、私は思う。作家という特別な生き方、暮らし方があるわけでもなく、お客様が様々なように作家も様々。ギャラリーで、出来れば身近において、表出された幻を楽しんで、遊んでいただければと感じます。

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by maystorm-j | 2015-08-30 05:21 | 遊び | Comments(0)
2014年 12月 19日
福沢諭吉とアレクサンダー・クロフト・ショウの関係
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この冬、12月にしては雪が多い。北海道、日本海側と西日本に集中しているようです。典型的な冬型の気圧配置では、手前の山脈に雪を落して寒い空っ風が吹く軽井沢でも、おつきあい程度の降雪があります。今回は30〜40cm。連日の気温がマイナス5〜9度ですから、このまま根雪になるでしょう。久しぶりに冬らしい空と陽射しがありましたので、雪かきの合間に写真を撮りました。露出補正が下手で、後から調整してあります。

今年2月の1mを越える大雪は別格として、屋根の雪が落ちて埋まるほどの危険を感じる事はありません。むしろ恐いのは氷とつららの落下です。体育館の屋根から2m以上のつららが落ちてくることがあります。道の雪かきは早朝、雪がさらさらの間に片付けます。日が昇ると気温が低くても、粘着力が増してきます。軒からはみ出して垂れ下がった雪が落ちてくると、やはり危険です。雪の重さで折れそうな松の枝からも、早めに落しておきます。雪も氷柱も霜も水の変化ですが、その変化の多様性とそれに伴う温度の収支によって、地球環境が急激な変化を避けて、生物の生息環境が保たれている事を感じます。

14日、信州宮本塾講演会の日も雪が積もりました。京都からわざわざ佐久まで講演と総会にきていただいた宮本憲一先生を車で宿にお送りする時に、先生はヘイトスピーチのひどさに触れられました。私はそれに対し、尖閣で何かあれば一気に世論が動いてしまいそうですねと言うような事を応えました。報道でもネットでも東京のことが多く登場しますが、関西では橋下維新以来ヘイトスピーチは激しく、また長い差別の歴史を考えると、大阪や京都では根の深い問題と言えるでしょう。ヘイトスピーチの表現のひどさに目が向きますが、その広がり、むしろ目に見える言葉になっていない社会的な広がりこそ、注目しなければならないと思います。

先月末に神戸のデパートへ本業の展示会に出かけました。すぐ向いに中国人街があるような場所で、外国人も多いところです。3回目の展示で、店員さん達とも打ち解けて話をしてきましたが、話題が韓国・中国との関係におよんだ時に、従軍慰安婦問題に関する両国の態度がひどい、尖閣問題で中国は恐いという話になりました。日本はたくさん金を払ったのに、まだ反日行動が続いているという認識です。これまでの経緯を話して、日本は被害者に公式の賠償をしていないこと、安倍政権が歴史認識をねじ曲げようとしている事などを伝えましたが、テレビの影響力が強いのでしょう。論破は出来ても納得してもらえたとは思えませんでした。

昨日は、所属している軽井沢の歴史愛好会の集まりがあって、参加者15人ほどが順番に、現在の興味や来年の抱負などを語りました。私は、「リゾート地軽井沢の救世主かのごとくに語られているアレクサンダー・クロフト・ショウ」について、密接な関係があった福沢諭吉との関わりから、彼の来日目的を考え直してみているという話をしました。

中山道が寂れて行く明治初期、旧軽井沢に別荘を開き、現在の軽井沢の繁栄の基をを作ったと評価されているイギリス国教会の宣教師です。まだ外国人が自由に日本国内を旅行出来なかった時代に、「たまたま新潟への旅行で立ち寄った軽井沢が、故郷の景色に似ていたので」軽井沢に別荘を持ったという話が、軽井沢では定説になっています。明治10年代後半、朝鮮半島侵略をめぐって、日本とロシアがしのぎを削っていた時期の事です。日本海側への鉄道が急がれ、碓氷峠の難所を何としてでも克服して、一日で東京から日本海へ兵員を輸送したいと、明治政府は急いでいました。その少し前にあった秩父困民党の蜂起に対して、軍は峠を越えて大砲の輸送に難渋しています。その後、新国道と鉄道の開設を急ぎます。

イギリス国教会の海外宣教と植民地経営が密接に関係している事は、他の国でも明らかです。ショウは日本に派遣されてすぐに福沢諭吉家の家庭教師になります。福沢諭吉は維新の折りに上野の山での戦を、ちょっと屋根に上って見ただけで塾を続けていたというエピソードが語られ、「天は人の上に人を作らず・・・」という言葉から、平等主義のノンポリと見られがちですが、「天は・・・」の言葉の最後は「・・・といえり」(と言われている)で終わり、アメリカの独立宣言から引いたと思われるこの考え方をその後に否定しているようです。「強兵富国」思想(富国強兵ではなく)を唱え、朝鮮中国侵略のイデオローグというだけではなく、朝鮮王朝に対するクーデターでは、資金・武器・人員を送り込んだり、日清戦争に多額の戦費を提供しています。けっして「学問の人」ではなく、明治政府の外から対外政策をすすめるフィクサーでした。

ショウが福沢とつながった時期、福沢は強烈な反キリスト教活動をしている一方で、イギリス国教会やハリストス正教会、アメリカの新教など、多くの宣教師と交流しています。ひじょうに矛盾した関係ですが、政治的な意図からのつながりと考えると理解できます。イギリス国教会は当初、学者や医師を宣教師として派遣する予定でしたが、実際に派遣された二人の宣教師はそのどちらでもありませんでした。維新直後に弾圧された日本人教徒を救う話など、福沢とキリスト教の矛盾した関わりはイギリス国内でも知られていて、新政府や維新後の社会に対する福沢の影響力など、イギリスは的確に把握していたようです。

明治17年、重要な年ですが、ショウはイギリスを往復しています。イギリス公使館付きの宣教師だったショウは、それまで本国に帰る事無く、多くの手紙を送るだけだったようです。イギリス公使を通じて、さらに重要な情報は送られていたのでしょう。その年、福沢はキリスト教排撃をやめて、子息二人をアメリカに留学させています。しかし、福沢が主宰する新聞「時事新報」では、朝鮮・中国に対する差別的・侵略的言辞は変わらず、女性差別、身分差別発言も続きますので、キリスト教に対し精神的な歩み寄りではなく、あくまでも政治的な転換だったことは明らかです。ヘイトスピーチの元祖・本家・家元です。

イギリスから戻ったショウは、その後在日外国人社会で「条約改正運動」の中心人物に変貌します。列強の中国侵略に日本がどう割り込むか、福沢は当初ロシアとの朝鮮分割案を考えていたようですが、イギリスとの協調に変わります。ロシアの南下に対する日英同盟の方向に転換し、その後の明治政府の方針になります。明治17年が大きなターニングポイントで、軽井沢別荘の話はその直後から明治20年ごろにかけてのエピソードです。

このように、時代背景や福沢諭吉との関係を捉えると、ショウが進めた軽井沢別荘の裏の意味も見えてきます。碓氷峠の軍事的重要性、政治家・官僚・軍人・大商人を中心とする別荘社会の交流。多くの事象が、対露日英同盟「工作員」としてのショウの役割を示唆しています。もちろん、状況証拠からの仮説に過ぎません。逆の証拠が出てくるかもしれません。より多くの事象を考え、仮説が多くの歴史的事実に耐えられるのか、謙虚に検証する必要があります。

さきに書いた歴史愛好会で、この話の最後に日本の紙幣に伊藤博文や福沢諭吉を印刷することが、いかに隣国の人々を侮蔑することかと付け加えました。その後に順番がまわった会員から、中国や韓国に対してそれぐらい強く出た方がいいと言われました。京都の朝鮮学校に対する嫌がらせに対して、ヘイトスピーチを執拗に続けた側に賠償責任を認めた最高裁判事に国民審査でXをつければよかったと言う話も出て、周囲の人達もうなづいていました。差別や侵略を懸念する発言はなく、列強の植民地政策に対抗して国を守るためには、朝鮮・中国支配は当然で、いい事もたくさんしてやったという意見が続きました。

忘年会という席で大論争も出来ず、別の話題になりました。今回の選挙では、投票率の低さが安倍政権に味方したという解説が多く見られます。原発再稼働や集団自衛権、改憲など、世論調査では反対が多いにもかかわらず、投票率が低いため固定票や組織票が有利になるという事でしょうか。忘年会参加者の平均年齢は65歳以上。それでも差別と侵略に関しては、安倍首相やテレビと同じ意見が大勢です。若い世代はさらに無関心か、大勢追従か、ヘイト側に偏っています。投票率が上がればもっと安倍政権に票が流れた可能性もあります。ヘイトスピーチデモがあるのは限られた大都市だけでしょうが、週刊誌の見出しや書店に平積みされた嫌中嫌韓本、マスメディアの報道があり、人々の意見を聞いていると、8割ぐらいの人がそれらに同調しているように感じられます。政権側は国民意識の弱点を突破口に突いてきます。ヘイトスピーチに代表される日本人の排外心は、既に危険水域を越えているのではないでしょうか。何かちょっとしたきっかけで、堤防が一気に崩れて洪水になる可能性があります。

五か条のご誓文とは裏腹に、明治新政府は成立以前から征韓論を内包していました。江華島事件に始まり、日清日露戦争、韓国併合、満州建国と日中戦争。一連の歴史の背景には福沢等が作って行った差別と侵略の精神的な基盤がありました。歴史に学び、今その再現をいかにして止めるのか。時間の猶予はあまり無いのではないかと感じています。






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by maystorm-j | 2014-12-19 08:34 | 社会 | Comments(0)
2014年 10月 13日
旧軽井沢 酢重ギャラリーで「佐々木卓也 展」 〜10月23日
今日は台風。軽井沢に最接近するのは夜中になりそうですので、昼間はなんとか行動できそうです。旧軽井沢では恒例の佐々木卓也展。無粋な野蛮人の暮しぶりではありますが、なぜか佐々木さんの絵を持っています。動物を描いたものですが、いわゆる動物画、生物画とは趣が異なります。あくまでも佐々木さんの目と心を通って現れる動物達です。

私が買ったという事はご想像のとおり、けっして高価なものではありません。私がつくる銅鍋と同じ価格帯。よし、一つ余分に作って・・・という気になります。美術館で大家の作品を見るだけ、というのと違い、ひょっとしたら衝動的に欲しくなって、明日は我が家の壁に・・・なんて、ドキドキしながら出かけるのもいいものです。「芸術を理解する私」から一歩、変身できそうな気持ちになります。もちろん、入場は無料ですが。

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by maystorm-j | 2014-10-13 09:48 | 遊び | Comments(0)
2014年 10月 06日
軽井沢サクラソウ会議のシンポジウムで考えた事
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仕事場の向いに立つサクラの紅葉は、きっとこの台風で散る事になるでしょう。台風の先触れで雨が降る昨日、軽井沢中央公民館で「軽井沢サクラソウ会議」によるシンポジウム「しぜん・みらい・かるいざわ」に参加しました。サクラソウ会議は、軽井沢で減っていく半自然草原の生態系を残したいと、十数年活動して来たグループです。私は会員ではありません。

5人の講演と、その後に残った参加者が7〜8人ずつグループに分かれて討論。時間も3時間半の長丁場で、最後まで50人以上が残っていた事を見ると、日頃の活動が充実しているのでしょう。但し、軽井沢の様々な問題に取り組む多くの集まりがそうであるように、昨日も特に最後はほとんどが新住民、別荘民、町外からの参加者と見受けられました。

各講演の時間が限られていたせいもあるでしょうが、理系専門家の講演内容には多少粗雑な感じがしました。一人は以前に地域個体群の保全に関する著作を読んだ事があり、話の背景を知ってはいました。専門書として書かれた著書に較べると、一般にも興味がもたれるように無理に歴史的な変遷や人為との関係などに視野を広げたため、かえって根拠に乏しい論説になってしまったように感じました。

「生物多様性の保全」というテーマが、伏線として全体の講演にあったように思われましたが、これはかなり手強いテーマだと思っています。「自然と人間の共生」というテーマとともに、自然愛好家から専門研究者まで、言わば「錦の御旗」として掲げます。誰も否定はしませんが、「なぜ?」と聞かれて答えられるのでしょうか。人間が生きていく上で必要なことという共通理解があります。しかし、具体的に何をとなると明確ではなく、総体としての多様性に戻ってしまうか、個人の好みの自然の保護にばらけるかになります。地域の多様性をバランスよく保全するという方向は、地域の個性を際立たせる方向と反する事にもなります。

2番目の講演者による「自然と共生する中小都市のまちづくり/世界の事例から軽井沢の将来を考察する」では、地域(町全体)のアイデンティティーを形成し、それを公共性として町作りをするという提起がなされました。街並から自然景観まで、統一的な合意形成を整えるという考え方は、軽井沢では乱開発や商業施設の無秩序に対抗するために取り入れやすい考え方です。その前提には、自然は善いものという価値観があり、軽井沢という町は観光客や別荘民・移住者の町という意識があります。

質問の時間と講演後に、講演者に「町のアイデンティティーを公共性として策定する事は、その中のより小さな地域や個人のアイデンティティーを抑圧する事にならないか」質問しました。講演者は自然=natureとは欧米では本性、本来の、当然あるべき、という考え方から来ていると言います。

地域にかかわる人間の側は多様です。職業も様々ですし、職業の地域的な偏在もあります。職業を持たない新住民も多く、一時的な来訪者も多いのが軽井沢です。自然環境も草木が生えない浅間山山頂から標高800mまで、様々です。そこに公共性として統一的なアイデンティティーを定める事には無理がありますし、むしろ多様性保全に逆行すると思います。

本来のあるべき自然という考えは、社会科学系に限らず、理系でも「潜在自然植生」礼賛という自然観に見られます。生態系は変移しながら、最終的には安定した極相にいたると考えるものです。標高の高い森林限界付近や乾燥地などの苛酷な自然条件下では、植生が単純化して安定し、これこそが極相と見られることがあります。しかし、多様な地形条件・気候条件が混在する広い地域(例えば軽井沢町という単位)で見ると、地域全体の極相というものは当然ありません。より小さな地域を考えても、その中には微地形・微気象が混在し、生態系を構成する主要な生物群の他に、僅かなニッチを求めて意外なほどたくさんの生物種が目立たずに生存しています。東山魁夷の森の絵が好きな人もいれば、小さな生き物がやっとこさ生きている事に目を向ける人もいます。

このような運動や集会に集まる新住民の多くは、自然が好きと自認しています。その一方で、旧住民の自然に対する態度に批判的です。家も道も庭もコンクリートで固めたがる。自然の植物ではなく園芸種ばかり植える。コスモスやサルビアだらけ。自然景観に不釣り合いな庭作りや街並。次々批判が出ますが、確かに地元民は自然が嫌いだという感じはあります。時には、軽井沢の自然を憎んでいると感じることもあります。

しかし、その自然観が形成されたのには、理由も原因もないことでしょうか。都会からやって来た新住民が自然を愛すると感じる背景には、それまでの暮しがあまりにも自然から切り離されていたということがあるでしょう。同じように、地元民が自然を憎むに事にも背景や歴史があるでしょう。軽井沢の自然は苛酷で、経済的に裕福ではない人にとって、けっして居心地の良いものでありません。自然の脅威から暮しを守るという姿勢になります。別荘地として発展して来たこの100年の間に、町には森が増えて、過ごしやすいはずの夏の気候も、雨や霧が多い湿度の高い環境に変わりました。居住建築が良くなって、冬も過ごしやすい暮しになりましたが、新住民のように高額な燃料費をかけられる家庭や、手間ひまのかかる薪ストーブを楽しめる家庭ばかりではありません。仕事や子育てに追われる地元民より、年金暮らしの新住民の方が経済的にも時間的にも余裕があります。

別荘の立て替えは激しく、相続のたびに売られて新しい別荘が建ちます。新住民はリタイア後10〜15年で都会に戻るケースも目立つようになって来ました。子どもや孫にあとを継いでもらいたい地元民が、自然景観にそぐわない(自然と敵対する)頑丈な家を建てる事を批判できるのでしょうか。観光やリゾートを町の中心に据えて、「自然との共生」を公共性と捉える事の抑圧的な側面を感じます。

金儲けだけの急激な変化を抑制すると同時に、一部の嗜好に基づく統一的な抑圧をかける事なく、地域全体のリテラシーを高めながら、時間をかけてゆっくり淘汰し、多様な適者生存・混在状態に持って行く時間が欲しいと感じました。グループ討論では、いくつものグループから今やれる事として「外来種対策」が提案されました。それぞれの好みの自然がある、いろんな立場の人がいる中で、「共通の敵」として外来種駆除を行うネットワークを作り、その作業を通してお互いの理解を深めるという、とりあえず妥当な提案です。

地域社会の中で、人それぞれ立ち位置によって自然がどう見えるのか、まるで反対の印象を持つ事があります。サクラソウは美しく、「町の花」に指定され、生態系保全のシンボルとして、誰からも愛されやすく嫌われにくい存在です。半自然草原の生態系は、人為と野生のバランスを考えるでは適当な素材です。サクラソウ会議の活動が充実している背景にはこのような着眼のよさもありそうです。

以前、周囲に畑が散在するところに仕事場を借りていましたが、駐車スペースに生えるタンポポを抜いてくれと隣の農家に言われたことがあります。種が飛んで畑に入るということです。その一方で、花粉症の原因になるオオブタクサを平気で畑の縁に生やしています。春の一時期、空き地一面に密生するセイヨウタンポポの黄色い花を、「わー!きれい」という観光客もいます。セイヨウタンポポに駆逐された在来種のニホンタンポポの保全となると、絶望的です。いくつもの異なる立ち位置からものを見る事が、地域社会の問題では必要だと思います。








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by maystorm-j | 2014-10-06 06:18 | Comments(0)