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2016年 02月 28日
二つの思い・・・「だれの子どもも殺させない」と「愛する人を守りたい」
国会の議論を聞いていると、野党側からの質問に対して安倍首相の答弁がかみ合っていない事にイライラしている人が多いだろうと思われます。d0164519_05245244.jpgかみ合っていないばかりでなく、質問の内容について答弁を拒否したり、時には質問する事自体をも批難することがあります。国民に直接選ばれた議員によって構成される「国権の最高機関」である国会より、「行政の長たる首相」の方が上位にあると錯覚しているように思われます。国会の機能を停止し、内閣に立法権を与える「緊急事態条項」を先取りした振る舞いと言えるでしょう。

軽井沢9条の会のウェブサイト投稿したものを転載します。SEALDsやママの会に象徴される、昨夏以来都会で活発にアピール行動で展開された新鮮な表現方法・・・「祭り」を提起する若い人からの投稿に、応えたものです。
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2月19日、このブログに「・・・娘からのメール」(会員投稿)がありました。

若い方がご自分の言葉で綴られた率直なご指摘には、私たちが考えなければならないいくつかの課題が含まれていて、とても参考になります。ありがとうございます。


地元での地道な活動、地味なアプローチでは、「祭り」の爆発的なエネルギーを持ち得ないで来た事は、ご指摘のとおりです。集まればいつも同じ顔ぶれでうなづき合っています。表に出ても暗いジジババスタイルでぞろぞろ。「とりあえず参加しちゃお」という誘引力が感じられない事は確かです。もう半世紀近く前になりますが、20歳の頃の私も上の世代、とくに「左翼」と言われる人達に対して同じように感じていました。若い世代で集まって「祭り」を創り出し、それなりの盛り上がりを経験しました。そして厳しい「祭りの後」をも、それは一人一人が日常の暮らしの中で引き受けなければなりませんでした。30歳で都会を離れ、軽井沢に住んで38年になります。


「祭り」のすばらしさは「思い」をストレートに表現できることですね。一つの「思い」が伝わるというだけではなく、それぞれが自分の「思い」を表現してもいいんだと感じる「空間」に飛び込める事。そこから爆発的なエネルギーが生まれるのでしょう。「だれの子どもも殺させない」という「思い」のほとばしりに、年齢を超えた多くの人が胸を熱くしたと思います。


この半年、仕事に追われる中でなんとか多くの人と直接話をしようと努めてきました。特に、政治に無関心な人、安保法制が必要だと考える人とも話すようにしてきました。安倍首相の政治姿勢を象徴する「日本会議の武道館一万人大会」が昨秋ありました。そこに出席した帰りの高揚した気持ちそのままの人と、じっくり話した時に強く感じたことがあります。日本を取り巻く国際関係や国内の状況を様々な視点から考えて、国の安全を軍事力強化に頼る事の無謀さを説き、その人を論破する事はできます。しかし、論破されても彼はけっして納得してはいません。彼には「愛する人を守りたい」という強固な「思い」が残っています。軍事力では守れないという論理と、攻めてこられたら戦って守るという思いがぶつかるばかりです。


「だれの子どもも殺させない」と「愛する人を守りたい」という二つの思いは、意外に近いものではないでしょうか。一人の人にとっても、平和で安定した世の中であれば前者が強く、殺伐とした不安定な世の中になれば後者に傾くかもしれません。あるいは、1発の銃声、流された一人の血によって、多くの人々の思いは一気に後者に流れて行くかもしれません。歴史を学ぶと、「思い」の不安定さ、とりわけ同調してゆく思いのうねりの怖さを知ります。


私が子供の頃、母か祖母だったか忘れましたが、曾祖父がいつもだいじにしていた言葉を教わりました。

「学而不思則罔、思而不学則殆」 学びて思わざれば則ち罔し(くらし)、思いて学ばざれば則ち殆し(あやうし) 

だんだんと年寄り臭い話になってしまいましたが、事実年寄りですので勘弁して下さい。いろんな人と話す中でも、過去の社会の意識変化を歴史の中でたどっていても、思いだけではあやういなということを強く感じます。地味~な学習や地道~な話し合いと、「思い」の明るく楽しい表出との間を行き来する回路を、軽井沢9条の会で作りたいですね。

・・・・・以上、私が軽井沢9条の会ウェブサイトに投稿したものの転載です。・・・


「だれの子どもも殺させない」という安保法制反対の思いと、「愛する人を守りたい」という安保法制推進の思いは、意外と近いのではないかと述べました。賛否両極から発せられたメッセージが、近いはずはないと思われる方が多いでしょう。状況の変化次第では、人の思いはこの両極の間を揺れ動くのではないかと感じています。思いだけではなく、両側の論理の展開ではどうなるでしょうか。


安保法制推進側は「殺し殺される戦争」を抑止するために、充分な軍事力が必要だと言います。現実に世界のあちらこちらで戦争が起きている状況の中で、多くの国、多くの国民がそのように考えています。集団的自衛権は国外での戦争を想定するものですので、純粋な抑止力論を超えるものですが、安保法制反対側にも、「新9条」論に見られるような憲法上の自衛力公認を求める人々もいます。ファシズムの軍事的侵攻に対し、レジスタンスやパルチザンは武器を取って抵抗しました。最初に立憲主義をとった国、アメリカ合衆国では、個人や州単位での武装が、抵抗権との関係で論議されていいるように思います。日本国憲法には抵抗権の規定はありませんので、国民が考え、議論しなければならないでしょう。


「愛する人を守りたい」から武装すると言うのは、軍人・兵隊側の思いです。守られる側から見ると、自分のために「愛する人」は戦って死ぬことになります。この矛盾は過去から続いて来た「男の論理」そのものかもしれません。安保法制反対側に女性が多いのも頷けます。日本国憲法第9条はぶっきらぼうと言えるほど簡単明快に「戦争放棄」を定めています。どうすれば「愛する人を守る」事が出来るのかを語っていません。その具体的な理念と方向性は「憲法前文」にあるのでしょう。全文の4つの段落のうち、3つは「日本国民は」で始まり、1つは「われらは」で始まります。主語は全て「国民」です。最初の2つの段落が「日本国は」「我が国は」で始まる自民党改憲草案前文とでは、内容もまるで違います。憲法前文を比較検証し、我々はどのようにして人を守るのか、国際関係のなかでどう振る舞うのかが、9条の議論の具体的な内容になるのではないでしょうか。


一見、反対側に立つと見える人々の思いを認めて、それをどうすれば達成できるのか、良い結果を導けるのかという論理を作って行くことが、かみ合う言葉の関係をにいたる道ではないでしょうか。






by maystorm-j | 2016-02-28 08:17 | 社会
2015年 10月 25日
安保法制反対運動を振り返って/改憲の動きをどう見るか
d0164519_15445334.jpg安保法制が国会で成立したことにされてから1ヶ月が経ちました。その間に、共産党からの「選挙協力と連合政府」提案を巡って議論や駆け引きが行われています。その提案があまりにも素早く唐突だったために、集団自衛権の閣議容認から安保法制成立にいたるまでの過程、反対運動の検証と総括が丁寧に語られることなく、次は参院選というムードが広がっています。

8月末から9月にかけて、軽井沢でも珍しく集会とデモが3度行われ、町議会でも決議がなされました。その中心となった9条の会の例会が2週間ほど前にあり、私も初めて参加しました。参加者は十数人で、集会の最大参加人数150人と較べると、いささか寂しい感じです。このような集まりに共通する話題の構成ですが、権力側の「悪」と自分たちの「正」を、参加者がそれぞれ様々な具体性をとおして語り合います。そこでお互いに確認し合うことがらに特段の異議はないのですが、はたしてそれだけでいいのか。5年前も10年前も、さらにほとんどが60歳以上のメンバーがまだ若い青年だった半世紀前も、ずっと同じ文脈の確認がなされてきたのではないでしょうか。正しい事を確認し合うだけでは、なぜ正しい事を実現できなかったのか、その仕組みと反省、未来の展望は生まれません。今回の運動では特に若い世代を含む広範な盛り上がりがあった、国民の過半数が反対していたのに政権が無理矢理押し通したという意見が多く語られました。それならなぜ国会終了後に政権の支持率が上がっているのかを問いかけましたが、その答えどころか支持率上昇という事実にさえ気づかない人が多かったようです。

話の中で、「ガンジーやキング牧師の無抵抗主義」についての発言があり、他の参加者からは何も反応がありません。あれっ?という気がして、無抵抗ではなく「非暴力不服従」ではないか発言してみました。彼らは徹底して抵抗し抜いたのではないかと振ってみましたが、「非暴力不服従」という言葉さえ、多くの人は初めて聞いたという印象でした。私も、ガンジーやキングに詳しいわけではありませんので、知識のなさをどうこう言うつもりはありません。問題は「9条の会」の運動で、憲法前文と9条の意味する「平和主義」「不戦」の本質的論議を避けてきたから半世紀も前の「無抵抗主義」という言葉が今も生きているのではないか。平和憲法と9条があったから70年間戦争をしないで来られたという過去の現象肯定しか語られなかったのではないかということです。

安保法制国会審議の前半、反対運動は憲法学者の違憲論で盛り上がりました。そのきっかけになったのは、改憲側にもともと位置する憲法学者達による集団自衛権違憲論でした。幅広い反対運動を作る上で、彼らと連帯することにまったく異議はありませんが、それに狂躁するあまり、護憲側のしっかりした論理が構築されなかったと思います。風呂屋政談、町で一般の人々や若者と話すと、戦争やテロの脅威に対して国民を守れないなら憲法を変えればいいじゃないかという反応が返ってきます。「違憲だから安保法制はダメ」というだけでは説得力を持ちません。これまで9条改憲を狙ってきた勢力への批判をあっても、9条そのものの論議、あるいは70年のあいだ直接戦争に参加しないでこられた歴史の検証、9条を堅持しながら何が出来るのか、未来のシミュレーションなど、考えなければいけないことをたくさん棚上げしてきたのではないでしょうか。

SEALDsの集会に参加する機会はありませんでしたが、ネット動画でその主張はかなり知ることができました。中心的な男子学生達は、集まる人が増えるにつれて、かえって言葉が貧弱になってきたような気がします。「こんなに多くの若者が、強制されることなくそれぞれの思いであつまったこのデモこそが民主主義だ」という点に集約されて行ったと思います。確かに、自由に集まり自由に表現できることは民主主義にとって不可欠の条件でしょう。その一方で、多数の人の結集が運動の正当性を証明するという考え方や、「自分たちは先に目覚め、それに刺激されて何も言わなかった同世代が動き出した」という主張に、しっくり来ない感覚、むしろいくぶん怖ささえ感じます。

対称的に若い女性達は思い思いに、安保法制によって静かで平和な今の生活が壊れて行く怖さ、戦争で殺し殺される恐怖、健全な保守の感覚をストレートに表現していました。その言葉の具体性から、聞く人の心を打つものがあったことは確かですが、自己の肯定、現状の肯定からは、その現状が何によって支えられているのか、沖縄やアジアから見た日本の戦争と戦後の評価がすっぽり抜け落ちてはいないでしょうか。たぶん、沖縄やアジアについて、その戦争被害は知識として知っているでしょう。しかし、「30年後にも戦後100年を祝いたい」という言葉には、どれだけ「加害の歴史」が深い意識となっているのでしょうか。

もちろん、私が彼らの齢だった頃、やはり入り口に立ってとまどい、明確な方向が見えていたわけではありません。いろいろ変わりながら、そして今もそうかもしれません。彼らもこれからどんどん変わっていくでしょう。むしろ、いい齢してたくさんの経験を積んでいるはずの世代が、若者達と真剣に議論をすることなく、ただもてはやしてしまったことに問題があるでしょう。言葉がとても貧困でした。民主主義は人の数ではない。一定の意見が多数派を占めることを目指すものではないと私は考えます。多様な意見、多様な個人や集団の間で、どれだけ豊かな言葉が交わされ、コミュニケーションが成立するかが民主主義そのものだと考えます。

d0164519_15494481.jpg来年の参院選で、安倍政権は明文改憲の是非を問うと言っています。安保法制が違憲かどうかよりも、さらに一歩進んだ地点で争うわけです。そこを争点とすると言う以上は、その前に明文改憲の必要性を国民が感じるような状況が作り出される可能性を考えておくことも必要です。既に安保法制反対運動をたたかった人々の間から、「新9条改憲論」が語られています。政党間で異なる政策を「凍結」する「連合政府」が、はたして幅広い連帯の結集軸になるのでしょうか。暴走する安倍政権によって作られる土俵は、1ヶ月前よりもっと先に進んでいることでしょう。憲法そのものを棚から降ろしてまな板にのせて議論を深めることのないままで、自民党改憲案阻止の大きな連帯が組めるのでしょうか。

南シナ海での対中国緊張関係は、オーストラリアの首相交替やカナダの政権交替でいくらか緩和され、米海軍派遣の規模縮小も見られます。その一方で安倍首相はフィリピンとの軍事同盟を強化する方向で動いています。米軍産複合体と安倍政権がフィリピンを介して謀略的衝突場面をつくる可能性はまだ残っていると考えます。台湾で政権交替が起きた後はどうなるでしょうか。米国が第2列島線まで撤退しようとする動きに対して、日本を含む周辺諸国間で綱引きがすでに起きているとも見えます。中東ではマケインやネタニアフ等の意図とロシア、イランが正面からぶつかる状況で、どう動くのか眼が離せない状況が続くでしょう。日本国民の平和憲法感、9条の評価は、日本がこれからかかわる軍事動向によって大きく変化する可能性があります。今回の安保法制強行によって、国民意識は改憲反対に傾いたという評論が見られましたが、安倍政権の支持率の高さを見ても、それほど楽観できる状態とは思えません。




by maystorm-j | 2015-10-25 16:12 | 社会
2015年 09月 25日
10月2日 信州沖縄塾「DVD学習会」と総会へのお誘い
個展で身動きができない間に、安保法制は国会で成立してしまいました。信州宮本塾での「有志声明」や地元軽井沢での何度かの集会とデモなど、いくつかの運動には参加しましたが、とても充分な活動ができたというものではありません。個人的に何が出来たのか、参加している市民運動ではどうだったのか、全国で展開した運動は何が出来てどこが不十分だったのか? 多層的、多角的に検証して、次の戦略と方針を考えなければなりません。しかし、聞こえてくる声は相変わらず「安倍が悪い」「安保法制は間違い」「アメリカに従属するな」というばかりです。それは最初から解っていたことで、だから反対運動を展開して、その結果として敗北したのです。日本人はどうして自分自身と自分サイドの運動を具体的に検証しないのでしょう?

沖縄・辺野古の闘いは長く続いています。現地の皆さん、沖縄県民、本土の支援者、みんなそれぞれに自己検証を繰り返しながら、ここまで続いて来たと思います。もちろん検証の中身はそれぞれ違うでしょうが、多様な立場とつながりが拡大してきたと言えそうです。

信州沖縄塾の総会が10月2日、下記のとおり開催されます。参加したい方、ちょっと覗いてみたい方、どうぞお出かけ下さい。
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by maystorm-j | 2015-09-25 22:09 | 社会
2015年 09月 19日
安保法制成立/声が聞こえない秋の虫
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 朝早いNHKラジオは比較的ましな報道姿勢なのですが、今朝は安保法制の成立を受けて、まったく無批判な報道。決まってしまったあとで、うっかりものを言えば担当者達の首が飛ぶと恐れているのでしょう。今後、反対してきた自治体なども、どう変わっていくでしょうか。1発の銃声、一人の死者が出ることで、一気に国民意識が転換する恐さがあります。今日は、軽井沢アクション第2弾があります。前回、100人以上の参加があり、小さな町では異例のことでした。敗北の後こそ、しっかり皆さんと話しをして、運動の検証と今後について考えたいのですが、今日も新宿で展示会。残念ですが参加できません。安保法制は反対世論が多数であったのに負けた。デモに集まる以外の戦略が弱過ぎました。自分は正しく相手が悪いと言うばかりではなく、なぜ負けたかの反省が必要です。日本の市民運動も左翼も、自己検証をしません。

昨夜、伊勢丹新宿店の展示から軽井沢駅に戻ったのが8時半頃。いくらか霧が巻いている天候でした。連休直前の金曜夜でしたので、新幹線は高崎まで定員の3割増。軽井沢でおりる人も多く、いつもは人通りの絶える時間ですが、道筋もにぎわっています。


人はにぎやかでしたが、草むらからは虫の声がしません。都会で聞かれるアオマツムシのような声量の大きい虫はこちらにはいませんが、例年ならルルルルルと静かに鳴くカンタンが聞かれる季節です。スズムシに較べると細く、緑色の弱々しい印象の虫ですが、飛ぶのが上手で、肉食もする、見かけによらない強さもあります。野外での静かな鳴き声は、俳句などでも好まれるようですが、室内で飼うとかなりうるさいそうです。


通奏低音のように、メロディーのない鳴き声は、意識しないと存在に気づかないほどです。鳴いていなくても気にしない人が多いでしょう。今年は、夏のセミも少なく、チョウやハチもあまり見かけません。サイレント・サマーからサイレント・オウタム。展示会が始まる前に、やっと見つけたハチとバッタの写真です。ハチはたぶん、セイヨウミツバチ。昆虫のことは詳しくないのですが、ニホンミツバチはお腹が黒っぽく見えるそうです。このところミツバチの姿がとても少ないのですが、仕事場周辺という特定の場所で少ない原因は、農薬によるのか、あるいは養蜂業者が近くにいないのか、即断することはできません。


バッタの種類になると、ますます判りません。たぶん、マダラバッタだと思いますが、バッタの仲間は何度も脱皮し、幼生と成虫では姿が異なります。しかも、同じ種で茶色だったり緑色だったり。寒冷地軽井沢では、脱皮回数が少ないまま成虫になることもあるようです。子どもが小学生時代、刈入れ頃の田圃でイナゴをとり、佃煮にしました。周辺の温かい地域に較べると、軽井沢のイナゴは小さく、口にあたる後ろ脚が硬くなく、美味しいという評判でした。スーパーで売られているイナゴは、軽井沢のものより体重が2倍ありそうです。口に入れる前に目が合うと、小海老ではなくいかにも虫です。子供の頃は、トノサマバッタやショウリョウバッタ、オンブバッタなどを捕まえて遊んでいました。軽井沢のバッタはそれらに較べると、小さく目立たず判りにくい気がします。


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by maystorm-j | 2015-09-19 07:24 | 社会
2015年 09月 13日
「9月19日 安保法制反対 軽井沢アクション」を紹介します。
先週に続いて「安保法制反対 軽井沢アクション」第2弾。前回は軽井沢町では意外なほどの方々が集まり、戦争への道を止めようとする意欲の強さを感じました。今回、私は残念ながら仕事で東京。ブログとツイッターで紹介するしかありません。

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by maystorm-j | 2015-09-13 20:52 | 社会
2015年 09月 09日
「安全保障関連法案に反対する信州宮本塾有志の声明」を紹介します。
私も参加しています信州宮本塾から、現在国会審議中の安保法案に反対する声明が発表されました。以下、全文を紹介します。塾会員の賛同者氏名は、信州宮本塾のブログをご覧下さい。
http://miyamotojuku01.blog.fc2.com/

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安全保障関連法案に反対する信州宮本塾有志の声明

私たち信州宮本塾は、今般安倍政権によって提出された「平和安全法制整備法案」(安全保障関連の10の法律の一括改訂)および国際安全保障に関わる「国際平和支援法案」(以下、両者を安全保障関連法案と記す)の廃案を強く求め、ここに声明として発表するものです。

集団的自衛権を容認する閣議決定(2014年7月1日)に基づき、また「新たな日米防衛協力のための指針」(2015年4月27日)と連動して出された安全保障関連法案は、憲法違反であり、その当然の結果として、論理構成はもとより、民主主義的な手続きにおいても破たんを来しています。

そもそも集団的自衛権の行使の本質は、その限定条件がどのようなものであるかに関わらず、自らが攻撃されていないのに他国への攻撃に踏み出す行為に他なりません。この結果、アメリカの軍事行動に日本が参戦することになります。それは国際貢献や抑止力の拡充につながるものではなく、最前線に押し出される自衛隊員の命はもとより、日本の一般市民、国土をも大きな危機にさらすことになります。中国を敵視した抑止力の強化は、軍事費を拡大し、危機に瀕している日本財政を破たんさせる危険があります。

それだけではありません。アメリカの軍事行為は、オバマ大統領自身も認める通り、攻撃先の市民の犠牲を伴うものであり、こうしたアメリカの軍事行為への加担を強いる本法案は、日本を「殺す側」に立たせるものでもあります。本法案がもたらすものは国際社会の平和ではなく、その破壊に他なりません。

私たちのこうした危機感は、決して漠然としたものではありません。2000年の新地方自治法では外交・防衛は国の専管事項だとされました。同時に現在の有事法制では地方公共団体に対し、民間施設の使用等、協力の努力義務を課しています。さらに今回の「新たな日米防衛協力の指針」のもと、国内の民間施設が軍事目的に利用され得ることが外務省によって示されています。私たちのごく身近な場もまた「後方支援」の場と化していくのです。この事態を回避するためにも、自治体やその住民が主導してきた平和外交、平和都市宣言の取り組みを強化するとともに、平和の構築にむけて地方公共団体と国との対等な協議の仕組みをつくる必要があります。

本法案が憲法に反していること、かつ戦争を推進・拡大する性格を持っていることが明白となり、市民の反対の声が6割にせまる高まりを見せていたにもかかわらず、安倍政権は衆議院における採決を強行しました。安倍政権の、平和憲法と立憲主義の根幹を揺るがす一連の行為は、「政府の行為によって再び戦争の惨禍」(日本国憲法前文)がもたらされる事態に他なりません。
私たちは、この安全保障関連法案の強行採決に反対し、本法案を廃案にすることを強く求めます。

2015年9月8 日

注) 信州宮本塾は、1992年に発足した住民学習の任意団体です。財政学、環境経済学を専門とする宮本憲一先生を囲み、読書会、学習会、講演会等を企画すると同時に、医療・福祉のまちづくりの探求等、具体的な提言活動も行っています。

by maystorm-j | 2015-09-09 12:42 | 社会
2015年 09月 06日
実らなかったゴーヤ/「軽井沢アクション」報告
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一週間ほど前12度まで下がり、その後も15度前後。仕事場の玄関横に1mほどの小さな花壇スペースがあります。引っ越してから3年は、そこにミニトマトを植えて、ほったらかしですが時々赤くなると摘んでいました。連作障害でしょうか、昨年は葉がどんどん枯れて汚くなるので、今年は朝顔とゴーヤを植えておきました。緑のカーテンが必要な場所ではないのですが、見た目は涼しげ。花も良く咲いていますが、実は一つもなりません。


ゴーヤに始めて出会ったのは20歳の頃、水俣で八百屋の店先に見慣れないものを見つけ、名前を尋ねました。レイシという答えで、ニガウリともいい、そこで見たのは熟して裂けた実の中の赤い種が見えている状態でした。40年前、小田原の近くに住んでいた頃は、時々八百屋で買って、「ゴーヤチャンプルー」という料理も知らず、そのまま直火でちょっと焦げるまで焼いて、きざんで鰹節と醤油。ちょっと顔をしかめながらも苦みと遊んでいました。焼いてきざんだ油揚げとも合います。


今回は特に収穫を期待して植えたわけでもなく、寒冷地で日当りもイマイチの場所。農協の直売所へ行けば堂々たるゴーヤが100円で手に入リます。実の色よりも鮮やかな緑の葉と、実の形状とは似合わない可憐な花を楽しんでいるだけです。


昨日5日の夕方、軽井沢町役場駐車場で安保法制に反対する集会と、町内デモがありました。8月30日に続いて2度目の集会。参加者は前回の3倍以上で、およそ100人。呼びかけ人・賛同人に前町長や区長、議員など多彩な顔ぶれがそろったこともありますが、人口2万人足らずの町としては異例の人数。リタイア新住民が多い町ですので、「お勉強型講演会」なら数百人が集まることもありますが、政治的な課題で、しかも集会参加者がほとんどそのままデモに参加したのは意外な感じです。


新住民にとっては中軽井沢商店街をぐるっと回るデモコースは、30分の短距離で、沿道の人も少なく、物足りなかったかもしれません。商店街と言っても、昔の賑わいはなく、37年前に移住してきた当時に較べても、商店の数は半分。しかし、地元民にとっては、その地区の家々ほとんどが知り合い。地元の小学校と町内一つだけの中学校に子ども二人を通わせ、様々なスポーツや文化サークルに参加してきましたので、商店街の人達は半分ぐらい長年の知り合いです。小さな町ですからお互いに名前を知らなくても、間に一人の知人を介すれば、古い軽井沢町民同士は全員がつながると思われます。


新住民には見えないところで、そんな濃密な関係性が残る田舎町の商店街をデモで歩くことは、それなりに覚悟が要る刺激的なことになります。賛同者に名前を連ねた町会議員のお店では、おかみさんが店の奥でひっそり。一軒だけ、店内で何人もが手を振っているお店は、2ヶ月に一度は買いものに訪れています。政治のことは話したことがありませんでしたが、そうだよねという感じで親父さんと握手。ピアノ教室の親子と、一般住宅の窓から手を振る人がいた以外はひっそり。国道を走る車の10台ぐらいが手を振り、一台が中指立てていました。


旧軽井沢やアウトレット街と違い、ふだんからひっそりした町ですので、反応はまあこんなものだろうと言う気がします。それでも国会や官邸周辺の集会・デモと違い、暮しの日常性まっただ中で表現することの意味は、地元常住者にとって大きいものがあります。今回、この顔ぶれの呼びかけ人と賛同人を集めた主催者側の力量に脱帽です。長年、他の場面でのおつきあいがあった方々とはちょっと意外な旧交を温め直し、新しいつながりも多少は出来て、濃密な1時間でした。

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by maystorm-j | 2015-09-06 06:15 | 社会
2015年 08月 04日
風に吹かれて ボブ・ディラン Blowing in the wind - Bob Dylan
若い世代が国会周辺や集会やネットで、それぞれ自分の言葉で疑問や思いを語っているのを見て、なんとなくこの歌を思い出しました。なぜだろうか? いつまで? どれだけの? 齢とっても、今もまだ答えを探しているんですよね。

YouTube 動画から






by maystorm-j | 2015-08-04 16:07 | 遊び