人気ブログランキング |
タグ:ダーウィニズム ( 3 ) タグの人気記事

2016年 08月 25日
アベノミクスに人はなぜ騙されるのか/経済の土俵で闘う事が必要 その7
先日学習会の折り、「明治以降の近代化の中で自我が芽生え・・・」「それ以前の日本文学には小説がなく、源氏も小説ではなく物語り・・・」という趣旨の発言がありました。森鴎外や夏目漱石にいたって、初めて近代的自我を描くようになったというお話をd0164519_05362161.jpgよく聞きます。さて、自我のない人間ているのでしょうか。それ以前は、中世封建社会的身分にとらわれていて、「個人」という意識がなかったと言うのでしょうか。昔は「自我のない人間」ばかりだった? 女性はみんな、親の定めた見ず知らずの武将と政略結婚させられた? 与謝野晶子が初めて異議を唱え、漱石や鴎外が初めて「悩んだ」??よく言われる話ですが、ちょっと立ち止まって考えれば、そんなはずはないと気づくでしょう。

漱石は確かにおもしろかったが、一緒に悩んで血を吐くなんてあり得ない。高校生時代、当時は亀井勝一郎だの芹沢光治良だのが「良書」として勧められていたが、バカバカしくてやってられないという感じ。「自分とは? 他者とは?」と観察し考えるのはいいが、他人に成り代われないのだから悩む事ではないだろう。むしろ、宇治拾遺物語のように、人間一人一人を意地悪く観察し、笑いのめして明日から少し違う生き方した方がいい。

よく「自分にそっくりな人間が世界には3人いる」と言われたが、逆に言えば、3人以外は何十億人みんな違うということだ。毎日鏡を見ながら、自分の容姿を悩んでいる若者もいれば、ニキビをつぶしている若者もいるだろう。人間の精神というものにはどこか、「普遍的な同調面があるはずだ」とか「社会の進化にともなって精神も進化する」という信念があるらしい。社会は確かにこの2000年、大きくなり、複雑になり、高速化してきたが、進化したかどうかは怪しい。人間の能力のうち、かなりの部分はむしろ退化しているように感じます。一人で、あるいは家族や少数の集団内で問題を解決してきた古代人より、複雑で細分化された社会に問題解決を委ねている現代人の方が、はたして個人の能力が進化しているのでしょうか?

生物学の周辺をうろつきながらも、若い頃からダーウィンの進化論,特に「最適者生存」絶対信仰に疑問を感じていました。簡単に形態を変化させにくい動物と違って、植物は、その環境における「最適者」以外にも、他の環境で繁栄している植物がかなり形態を変化させて侵入しています。生き残れるかどうかは、最適な変異を持っているかより、偶然に支配されているか、化ける(遺伝子的にではなく形態の変化を我慢できる)能力の高さではないかと感じている。自然が最適者ばかりで構成されているなら、強力な外来種に占有された生態系のようなのっぺりした景観ばかりになりそうです。そんな事をある現役の研究者にちょっと話したところ、「中立進化論ですね」とあっさり言われました

ダーウィン進化論の訂正ないし修正として1960年代後半に登場し、70年代にはほぼ確立、その後も遺伝子レベルでの検証が進んでいる新しい進化論。うかつにも、私はそれを知りませんでした。受験生物学・大学一般教養の生物学を終えた直後に登場したもので、進化に関係する分野を選んでいれば当然知っていたでしょう。あわてて、関係する本を何冊か購入し、ネット動画で最近の受験生向け生物学講義を聞きました。私が昼寝を貪っている間に、進化論は自身の一部を自己否定する形で進化していた。ヒットラーの時代、ダーウィニズムを否定するのは反動側の人達で、最先端の科学者・医者達は喜び勇んで優生学の実践にかかわっていた。現在も、倫理的側面から優生学を否定する事はあっても、生物学の側から明確な乗り越えがなされていない。今や科学はダーウィニズムの検証、修正、新しい進化論の時代になっていると言うのに、ダーウィニズムに依拠したままでその応用実践を批判しなければならないという無理です。とりあえずダーウィニズムも不動の真理ではなくて、「ああ良かった!」

いろんな専門の研究者の話を聞いたり議論する機会があります。最近は、専門外の話をする引退した専門家も増えている。学際をこえた総合的な話はおもしろいのだが、専門領域では引退後も最新の研究に注目していたとしても、まったく別の領域になると、その知識は本人が大学受験した半世紀も前に仕込んだままかもしれません。自分自身が学び直すという気でいないと、カビが生えたものをさも美味しいだろうと配っているようで怖いですね。今日は本題から脱線したままですが、アベノミクスもずいぶんと賞味期限切れの論理を振り回して、余計なおせっかいを焼いているようです




by maystorm-j | 2016-08-25 08:06 | 社会
2014年 11月 17日
「弱肉強食と適者生存」?
d0164519_07034785.jpg
2週間ぶりにブログの更新です。11月に入って、気温は上がったり下がったり。今朝はマイナス4度前後で、夏の名残りの草花は終った感じがします。写真は数日前のものです。ミニトマトの花は、株全体がほとんど枯れて実る可能性は無くても、先端の方で何とか咲き続けていました。コスモスも、周囲の大きな株はみんな枯れて種をつけていますが、根本ので遅れた小さな株が、やっと2cmもない花を咲かせていました。色づいたカラマツ林に立つ枯れ木は、たぶん雷が落ちたのでしょう。隣にはその影響か、下枝が枯れ上がりてっぺんだけになったカラマツが生き残っています。左の木の方がちょっと高くて、雷の直撃を受けたのでしょう。大きく育って損してしまいました。

小さなコスモスはどうしてしぶとく生き残っていたのでしょうか? 上に常緑樹があって、霜を防いでいたから? そのぶん日当りが悪く、成長は遅かったでしょう。成長がゆっくりだった反面、凍結を防ぐ成分濃度が高くなったのでしょうか? あるいは、ほんの少しだけ遺伝形質の差があるのかもしれません。不適当な環境に適応する遺伝子を持っているとすると、「耐寒性のミニコスモス」ができるかも、なんて想像します。

「弱肉強食・適者生存」というダーウィニズムが当たり前のようになっていますが、強者であるはずの大型動物を見ていると、どことなくもろく、はかなさや無常感を感じさせます。生態系内では人間と競うせいかもしれませんが、多くの大型動物が絶滅を危惧されています。生きづらそうに見えます。捕食される側が繁栄していないと、彼らは生き残れません。自分の体重を増やすためには、すくなくともその10倍の餌を食べないと成長できないようです。

その上に食べられる側には、食べられる事によって大きな利益があるようです。植物ならタネが広く散布されたり、動植物ともに弱い形質を持った個体が淘汰されることで種の健全性が保たれることもあります。生態系のバランスが崩れると、捕食されて絶滅する種も出ますが、通常はバランスの揺り戻しが働きます。生物多様性が高いほどバランスをとる働き強く、ぶれの振幅を狭め、早く安定するようです。

寒さに強い小さなコスモスに進化するかどうかは、まああまり期待しないとしても、厳しい環境で生き残っているものの中から、新しい変化が固定されることがあるでしょう。恐竜時代には、地中に隠れ住んでいた哺乳類が環境の変化に耐えて、恐竜の絶滅後に繁栄したおかげで、今日の私たちがいます。目先の利益につながる生き物だけを選別して増やすより、何の役に立つのか判らない、どうしてこんなところで生きていられるの、と不思議に思うような生き物がたくさんいる方が、大きな可能性を秘めていると感じます。





by maystorm-j | 2014-11-17 08:03 | 自然
2014年 07月 02日
下天のうちをくらぶれば、夢幻のごとくなり。
d0164519_7511875.jpg

今年の梅雨は晴れ間が多い。今年の梅雨は雨量が多い。どちらも当たっているようですが、どちらの印象があるかは人それぞれです。だいたい、自分に都合の良い情報を選ぶでしょう。上空に冷気が流れ込んでいて、東京に雹が積もるほど降っても、地球温暖化のせいだという人もいる。ありそうもない架空の想定で、戦争の準備をしている政権と応援団の A・I・A・I 氏達の脳味噌は、きっとアイアイ(オサ〜ルさ〜んだよ〜)よりも貧弱に違いない。夜はたらふく食べて、昼は白昼夢に耽っているようです。

たしかにこの冬の大雪以来、ダイナミックな天候の変化が目立ちますが、統計的に異常な変異なのか、自然変動の範囲内なのか、私には判りません。雪かきでは難儀しましたが、それでもホーッ!こんなこともあるんだ、という感想です。3.11の後では、これぐらいの変動は、「大変だ!天変地異だ!」と騒ぐ気にはなれません。5月12日の記事でアズマシャクナゲの写真を紹介しましたが、今度はハクサンシャクナゲです。その間、50日ほどで、例年よりちょっと間が空いたかなと言う感じがします。でも、この程度は自然変動の範囲内。蟻がせっせと花に通っていました。ムラサキツユクサはアヤメに並んで生えていますが、同じ色でありながら花の時期はずれています。植物には植物なりの都合があるのでしょう。

自然の変動は自由自在な感じがします。多様な役者そろっていれば、状況の変化に応じて登場人物がかわりながら、全体の平衡は保たれて、また次の環境変化に対応していくようです。環境の変化で不利になった種も、微地形・微気象の隙間にしぶとく生き残っています。それを根絶やしにするのは異常に増えた捕食者、特に人間の圧力のようです。人間は、種としての存続に必要なもの以上に欲し、奪い、蓄え、支配力に転化しようとします。人間は自然のバランスを崩し、復元力を損ないます。

動けない植物は環境変化に応じて栄えるものと滅びるものがある、適者生存の貫徹する存在だと思われがちですが、それでも隙間に生き延びるものがいます。ましてなんとか良い環境に移動しようとする動物は、ダーウィニズムを単純に適用する事は出来ません。弱肉強食・適者生存とばかりは言えません。淘汰されて強いものばかりが生き残るわけではないでしょう。むしろ、時間とともに多様化がすすみ、一見弱そうな取り柄のなさそうな種が、特化された環境で生きながらえています。

さらに、家族や群れをつくる動物では、助け合いがあって、弱い個体も生き残るケースがあります。もちろん、そうではない群れもあります。種の存続のためには、弱い個体を犠牲にするケースも多いでしょう。弱い個体を群れで支えるには、何かメリットがあって、例えば知識経験が年老いた個体に蓄積されていることもあるでしょう。群れ内で獲得食物が分配される事で、恊働関係が維持され、環境の変化に適応するフレキシビリティーが大きくなるかもしれません。餌が豊富ではない狩猟動物や厳しい環境で生きる動物は、日常的に淘汰圧が強いので、群れの中でまで競争して淘汰する事は遺伝子の多様性を損なうかもしれません。植物の場合も群落を作る事で環境を有利に変化させて種の存続をはかるケースがあります。種内で優生思想を押し付けて、弱者を切り捨てることは進化・繁栄につながるとは限らないとわかります。

まして実力によって生き残るのではなく、親の資産や地位、学歴や組織・集団の力に依拠して強者の仮面を被っている人間が、平然と弱者を切り捨てたり、これから実力を身につけ仕事をする若い世代に武器を持たせて殺し合いをさせるなどは、生物としては最低の行動と思われます。

by maystorm-j | 2014-07-02 08:31 | 社会