2015年 12月 05日
前の記事に年表と4つの一神教比較を載せました。軽井沢史友会では準備不足、理解不足、発表時間不足であまりにもお粗末なお話になりましたので、ゆっくり文章化してまとめたいと思います。 一神教と言えば通常、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の3つを指します。ゾロアスター教を最初に取り上げた理由は、自然崇拝や先祖崇拝などの多神教的世界観と善悪二元論に基づく一神教的世界観の関わりを考えてみたいという所にあります。 一神教は砂漠気候など苛酷な自然と対峙する人間の世界観、多神教は多様性豊かな自然に育まれる人々の世界観というような分け方がよくなされます。人の気持ちや考え方が自然環境に影響されることは明らかですが、はたして宗教心と自然がストレートに対応するものかと言うと、同じ環境の中においても、時代によって宗教の構造が変化していくことが見られます。私たちが一番身近に知る日本の神道でも、その起源であろう縄文時代のアニミズム、周辺の民族が到来して伝えた稲作文化、地方豪族権力が王権に集約される過程、封建国家から中央集権官僚制の成立と東北日本の統合過程などなど、様々な社会的変動を通じて、神道信仰の内容は変化してきたと思われます。 さらに、自然環境も不変ではなく、気候変動もあれば人為による変化もあります。今は砂漠や荒野、はげ山になっている所も、数千年前には森林や緑野だったこともあります。羊の過放牧で砂漠化したり、燃料需要で森林が過伐採されて岩山になった所など、いたる所で見られます。 ゾロアスター教について、かなり古い時代に出来上がった一神教であるということ以外に、事前に知識があったわけではありません。昔々、高校で「拝火教」と教わり、石造りの神殿で、人々が燃えさかる火を拝んでいるという印象だけが残っていました。古代、インドからイランにかけてのアーリア人達がもっていた自然崇拝から変化した信仰と言われています。起源は多神教であり、火の他にも水や空気、土なども神聖視する所などはヘレニズム的でもあるようです。自然を崇拝する気持ちの中で、豊穣の恵みをもたらす太陽・光・火を一番重要に感じるのは、とうぜんの心性と思われます。 太陽=光を象徴するものとして火を拝みます。太陽神信仰は世界で広く見られ、天照大神もその一つでしょう。その反対に闇は嫌われ、善悪二元論的世界観にいたります。神々の中で最高の「善」である太陽神の側にいたい、太陽神に保護されたいという心性は自然にわき起こるでしょうが、社会が発達して大きな権力が生じると、最高神を権力の守護神とします。王権は神から授けられたという神話が生まれます。 紀元前1,000年以前にアフガニスタン北部で、ゾロアスター(ザラスシュトラ、ツァラストラ)によってその宗教構造が作られたと言われています。ペルシャに王朝が成立し、紀元前6世紀にはアケメネス朝時代には王国の中枢で信仰されます。さらに、紀元前3世紀、アルサケス朝では、国教化し最高神アフラ・マズダーによる王権神授神話が確立したようです。 ゾロアスター教の歴史観、世界の創造から終末にいたる過程は、「創造」「混合」「分離」の3期に分かれます。完璧な世界であった「創造の時代」から、現世は善神と悪神と闘争を経て、最後は善が勝ちます。人は現世での「三徳」(善思、善語、善行)によって死後に裁かれ、天国か地獄に送られるとされ、この考え方は明らかにその後の中東の一神教に引き継がれていきます。 では、なぜゾロアスター教が世界宗教にならず、現在インドなどに10万人程度の信者がいる小さな宗教になったのでしょうか。一つの理由として、国教化=王権神授論がもつ限定性があるでしょう。王国が拡大すれば信仰も広がりますが、衰退すれば周囲から異教として迫害されます。王権と密着する宗教の限界です。信者の間に、迫害に耐えることを良しとする心性を作らないと、神の正当性が疑われます。性善説をとる善悪二元論の弱みと言えそうです。迫害の歴史を神話に組み込む必要があります。紀元前6世紀ごろ、バビロニア捕囚の時期、ゾロアスター教に接したと思われる古代ヘブル人たちは、巧みに一神教の善悪二元論と創造・審判・終末論を取り入れながら、自然信仰より祖先信仰の色彩を強めて、迫害の歴史を組み入れたヘブライ語聖書(旧約聖書)の神話を紡ぎだしたと考えています。 #
by maystorm-j
| 2015-12-05 08:28
| 社会
2015年 11月 24日
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by maystorm-j
| 2015-11-24 07:40
| 社会
2015年 11月 08日
40年以上前、子育てが始まった頃から10年あまりの間、福音館書店から毎月送られてくる「母の友」と軽くて丈夫なペーパーバックの数々の童話を読んでいました。子供が童話を必要としなくなった後も、しばらく「母の友」は読み続けていました。最近、再び「母の友」といくつか子供向け月刊誌を定期購読し、急いで読んでから孫達に送っています。 福音館書店のサイトをご覧いただければ解りますが、キリスト教系の歴史を持つ本屋でありながら、宗教色は感じられません。書かれている内容も、上からの説教臭さがまったくありません。しかも、不思議な事に、子供向けの月刊誌の多くが「理系」です。自然、生き物、人間・・・を丁寧に見ることを基点にしているようです。その一方で、単発の童話は、豊かな想像力の世界を作り上げています。感動的な名作より、どこにでもあって、いつまでも親しまれる楽しいお話作りを目指しているようです。 12月号の「母の友」は、特集「これからの平和のために、わたしたちにできること」と題されています。伊藤真、伊勢崎賢治、辛淑玉、中山千夏、堤未果など、リベラル系の雑誌などでおなじみの人も、児童書関係の方々も、子供を持つ世代の視座と言葉で語っています。 多くの市民運動が高齢化を嘆き、若い人を呼び寄せられないものかと模索しています。この夏は安保法制に反対し、都会では若い世代がそれぞれ独自の運動を始めました。しかし社会問題に限らず、田舎では世代間の交流が進んでいるようには見えません。年寄りは、若い人たちを何とか引き寄せ、説明(時には説教)しようとします。福音館の本を読んでいると、みんな子育て世代の方においで、子供の方にいらっしゃいと誘われているような気がしてきます。「年寄りの子ども返り」かもしれませんが、そこで語られる言葉はわかりやすく、リズミカルで心地よく感じます。 4年前、信州宮本塾に参加した頃、放射能の問題を中心に、地元の市民運動には子供連れの親達が多く参加していました。当時、宮本塾の集まりでも、こどもを連れて参加しやすい方策を考えようと提案したことがありました。安保法制で一番に生き方を変えさせられる世代です。もう一度、それを考えてみる時かもしれません。企画内容も、映画上映や子育て世代が関心をもつテーマなどを取り入れて語り合う。外に出て自然や生き物と接するのもいかがでしょうか。年寄りにとっても、意外に心地良い時間になりそうです。時間とお金に余裕がある???世代が変わらなければ、歩み寄らなければと思います。 最後の写真は、異常に実をつけたイチイの枝。原因は知りませんが、パラパラと赤い実を散漫につけるイチイの生け垣の中に、時々このようにちょっと狂ったように実をつけている木を見かけます。ツルウメモドキとムラサキシキブとともに、2週間ほど前に南軽井沢で撮りました。その後なんどか霜が降りて、今はどんな様子でしょうか? ムラサキシキブの実はそのまま焼酎に漬けると、甘い香りがするきれいな琥珀色の酒になります。多少残念な気もしますが、紫色にはなりません。 #
by maystorm-j
| 2015-11-08 06:36
| 暮らし
2015年 11月 02日
一週間あまり経ちましたが10月25日、南軽井沢地域で群馬大学早川由起夫さんの「明るく楽しい勉強会/南軽井沢を歩いて地形と馳走を見学する」という集いに参加しました。18号碓氷バイパスの南側は、南の山地から続く低い尾根2本と平らな地形で構成されています。浅間山の裾野とは間の湯川で断絶していると思われがちですが、23,000年あまり前に起きた黒斑山の崩壊はひじょうに規模が大きく、南軽井沢を埋め尽くしてから、佐久平駅の南まで一気にかけ下ったとされています。 浅間山本体の左にある三角のピークの奥に現在残る黒斑山は、ピークの左側の斜面を右に延長した大きな火山で、推定2800mの高さ、山体は今の浅間山より少し左側にずれていたそうです。軽井沢の平らな地形は崩れた山が谷を埋めて、その後軽石や火山灰が降り積もって、さらに土壌も1~2m発達し、現在の状態になったということなのでしょう。軽井沢には千曲川の支流がありますが、標高1000mで中流域ですので、広大な平地や緩い斜面が扇状地や氾濫原と考えるのは無理がありそうです。もちろん、地層の断面を見れば、専門家にはすぐに解ることです。 最初の写真左は、18号バイパス南、鳥井原地区にある「流山」。火砕流と違い、山体崩壊ではところどころに、こんもりした小さな山が出来ます。小豪族の古墳かなと思う規模ですが、立ち上がりの角度は低く、形も様々です。佐久平駅の南側には流山がたくさん見られ、塚原(つかばら)という地名が残り、黒斑山崩壊の土石流は「塚原土石なだれ」と呼ばれています。左は流山によく見られる「赤岩」。大小いろいろですが、ごろんとした岩が赤いのが特徴です。流山も赤岩も古くから信仰の対象になっていることが多く、社や鳥居が建っているのが見られます。通常の噴火で噴石・軽石や灰が積もるのと違い、数分、十数分で麓に達して、逃げるのは困難。起きる確率は低いが、起きたら被害が大きい現象と言うことでした。予測も難しく、既に崩壊した黒斑山に近い高さにまで達している現在の浅間山(前掛山)が崩壊するのは、1万年後かもしれないし明日かもしれないと、覚悟が要ります。大規模な火砕流と較べると、前兆現象がなくても起きる可能性が高いようです。 さて、火山と共に生きるということの「共生原理」。知識と対策でリスクを減らせる現象もあれば、人智の及ばないこともあります。山体崩壊やカルデラ巨大噴火のリスクは、ある程度の確率で起き、その被害もある程度算定できるでしょう。流星が地表に達してそれで死ぬと言うような、想定すること自体があまり意味を持たない現象(あり得ないということではありません)とは異なります。10万年に一度の災害でも、予知できずにそれで死ぬ人が10万人いれば、想定しシミュレーションを行う意味があります。過去の崩壊跡や地形から判断して、そのような場所に住まないという選択もあります。もっと頻繁に起きる火砕流や中規模噴火に対して、科学的リスク評価と社会的要請との間で、行政はマネージメントを行うことになるのでしょう。その中で、さらに個人的なリスクマネージメントは、人それぞれの状況や価値観で異なるということもあります。 と納得したところで、いきなり食い気の話。とりあえず生きている限り食い気とは無縁でいられません。種類と場所にもよりますが、軽井沢のキノコとイノシシはまだ放射能が高いようです。上記の見学会参加者から、ムキタケとナメコをいただきました。軽井沢につく前に他で採ってきたものです。ムキタケはその形状が猛毒のツキヨタケに似ているので、あまりポピュラーなキノコではありません。短い石突きの部分を含むように襞にそって裂いてみると、断面が全体同じ色であることが判ります(左側中央の二つ)。ツキヨタケではそこに暗色の斑があります。念のために、暗いところで見ましたが、光ることはありませんでした。安心して食べると一段と美味しいものです。 #
by maystorm-j
| 2015-11-02 05:12
| 自然
2015年 10月 28日
様々な企画でお世話になっています小林多津衛民芸館の、一年に一度のメイン行事です。私は、野菜の直販と新そば、おでんを目当てに毎年行きますが、今年は忙しくて時間が取れるかどうか。近くの方、ちょっと遠い方も、是非お出かけ下さい。 #
by maystorm-j
| 2015-10-28 08:05
| 暮らし
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