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2016年 10月 21日
虫が少ないと思うと、虫にばかり目がいきます。

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この数年、虫が少ないと言い続け、今年もますます少ないと書いてきました。そうなると、どうしても目は虫を追いかけてしまいます。鳥も少なく感じますが、鳥の写真は仕事の片手間でとれるほど甘くはありません。虫は多くが花にやってきますので、見つけやすいこともあります。ノコンギクやシオンはまだ花が残っていますが、もう花粉や蜜はなさそうです。春から咲き続けるコスモスに虫がやってきます。コアオハナムグリが身動きする事もなく花に頭を突っ込んでいるところへ、蝶?蛾?がやってきて横から蜜を吸い始め、反撃されないのをいいことに、上に乗ったり、すっかり被さったりのやりたい放題。ハナムグリの方は我関せずの体。昔、「蝶と蛾を区別するのは日本人だけ」と聞いた事がありますが、それにしては蛾にはmothと言う英語名があります。モスラのもとになった名前でしょう。これだけはっきりした模様なので、調べればすぐに名前が判るだろうと思って、図鑑を見ても該当なし。ネットで何百という画像を見ましたが、それらしきものは見当たりません。バタフライかモスかも判らないようでは、ギブアップです。


それにしても昆虫は種類が多い。人間が死に絶えた後の地球を支配するのは昆虫だと言う人もいます。人間の後で地球は「猿の惑星」になると考えている生物学者はあまりいません。未来の事は判りませんが、現在の地球を支配しているつもりの人間たるや、1種しかいないという情けないありさま。数と力を過信しているようですが、繁栄している動物というならそれはもう昆虫でしょう。他に繁栄を共有する仲間のいない人間は生物の多様性から考えると、いかにも頼りない存在です。人類600万年の歴史の間に、多くの仲間の種が絶滅してきました。ほんの3万年ぐらい前まで、ネアンデルタール人という仲間がいて、種は違っても交雑する可能性がありましたし、現代の我々はネアンデルタール人由来の遺伝子を数%持っていると言われています。そんな貴重な仲間を滅ぼしてしまうなんて、なんともったいないことをしたのでしょう。さまざまな特徴と能力を持つ仲間が多いほど、環境の変化に対応できたかもしれません。それに、競い合う仲間が多いからこそ能力を磨いて、俺が一番と威張れるのです。較べる相手もいないとは、なんてつまらないことをやってしまったものでしょう。単独行は、うっかり方向を間違えると、とんでもないところに行ってしまうことがあります。



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by maystorm-j | 2016-10-21 04:54 | 自然 | Comments(0)
2016年 10月 16日
アベノミクスに人はなぜ騙されるのか/経済の土俵で闘う事が必要 その16
昨朝は0.5度まで下がり、中秋と言うより初冬の寒さで、町内でも霜。今年は春以来、変動の大きい気候が続いてきました。先日、町のトレーニング施設で2世代下の歯科技工士と仕事の話になりました。最近は義歯を作る際、柔らかくて硬い?樹脂で歯茎をぎゅーぎゅーと包む型取りをしないそうです。口内の立体映像を撮って(CTのような?)、3Dプリンターのような機器で型を作ったりや、自動的に切削する機械で義歯を作るそうです。そのためのCADとよばれるコンピューターソフトだけでも、300万円もするという話です。CADと言えば、以前から建築設計で使うソフトとしては知っていました。4〜50万円するソフトで、それでも高いと感じていました。設計士だけではなく在来工法の木造建築施工業者(大きな大工さん)にとっても必須のようです。35年前に家を建てた時、設計図をにらみながら柱や梁の材木に墨つけし、鋸とノミでほぞ・ほぞ穴をあけ、軸組の時は寸法が合っているかハラハラドキドキでした。今は建築屋さんの作業場で、自動的に機械がプレカット(切り彫り)するようです。
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ムシ歯が原因ではないのに、義歯が5本ある私は、時代によって製法が替わるのを見てきました。30年以上前の差し歯は一度もトラブルがないまま、今も現役。20年前に作った部分入れ歯は金合金のワイヤで両側の歯に引っ掛けるタイプで、1mm程の細い金属ですが、特殊な焼きを入れてあるのか、バネの力が緩む事なく、最後は樹脂製の歯の部分がすり減って使えなくなりました。作り替えるときに、そのワイヤを扱える技工士はもういないといわれ、今のものは銀色の鋳造品です、横の歯にはぴったり合いますが、締め付けるバネ力はなく、良くはずれるので、折れないかヒヤヒヤしながらペンチで内側に少し曲げたりしています。残念ながら古い時代のものほど、機能的にすぐれ、長持ちもするようです。自分が鍛金の仕事をしているせいかもしれませんが、金属加工の方法としては鋳金や彫金より、鍛造技法がさまざまな金属の特性を活かす加工方法だと思っています。延性や展性などは中学で習います。復元力、熱処理(焼きしめ、焼き鈍し)、加工硬化(鎚ちしめ)などなど、金属の性質変化を利用して加工しますが、鋳造や彫造では均質で変化の少ない物質として金属素材を扱います。

鍛造技法は機械化・量産化しにくく、すでに滅びかけている技術です。熔融・凝固を利用する鋳造は、素材の無駄が少なく、同じものを量産も出来ますが、逆に一つ一つ異なる形状を作るには、一つ一つ型を作らなければなりません。義歯では、型を3Dプリンターで作るのでしょう。映像データから切削する工法は一つ一つ異なる形状に直接対応できますが、機械投資がかなり高そうです。

機械化、自動化は人件費と作業時間を短縮します。製品の精度も高いのでしょうが、逆に素材が不均質で変化するものでは精度が下がりそうです。制作時点では客の状態や希望に忠実な対応が出来そうですが、客の経年変化や環境変化に柔軟に対応するのは難しそうです。CAD/CAMという技術システムはまだ発展途上でしょうから、今すぐに評価を定めることは出来ませんが、すでに長い年月が経つ大量生産品を例に、メリット・デメリットを比較するのも良いでしょう。例えば、量産システムの先駆けである「T型フォード」、70年間基本構造を変えず各国で類似品が生産され続けている「MK-47」(カラシニコフ銃)などの典型例で考えると解ることがありそうです。



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by maystorm-j | 2016-10-16 07:21 | 社会 | Comments(0)
2016年 10月 10日
アベノミクスに人はなぜ騙されるのか/経済の土俵で闘う事が必要 その15
前回は消費の例として「生活家電」と「車」について、かなり最低限に近いイニシアルコストとランニングコストを、私の場合を例に取り上げました。その中でもまだ、多少の選択域があることを見ました。車については私の場合、生活と仕事での使用区分が難しいですが、生活でだけならさらにコストを下げても選択域はけっこうありそう。家電をゼロにはしにくいでしょうが、車はもたないという選択もあります。子どもの頃から、自分の支出について帳面を付けていて、中学生の頃には家の家計簿や確定申告にも少しかかわっていました。といっても、給与の他に多少の収入がある程度の家計で、それほど複雑なものではありません。学生時代から、手内職並みの工芸制作を始めて、確定申告の時期になるとたまった領収書から費目ごとの経費を計算する作業を、これまで40年以上続けてきました。
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子どもの頃は、当時家計に占める食費の割合「エンゲル係数」という数字が貧困の度合いを示すものとして、注目されていました。50%以下にというのが目標で、私の家はちょうどその辺りでしたが、1960年を過ぎたあたりから、食べ盛りにもかかわらず、ぐんぐんエンゲル係数が下がっていくのを実感していました。生活家電が増えていきますが、「三種の神器」とよばれたような新しい製品は、ボーナス時のように特別余裕がある時の買いもので、日常的には教育費や公共料金などの増加が大きかった気がします。教育費と言うのは将来に対する投資。公共料金、税や社会保険費など、暮しが豊かになった実感がない支出も次第に増えます。その時代、車や大きな家電製品、現代的な家をもつのはボーナスの額が大きいサラリーマン家庭で、日銭稼ぎの職人や零細企業、農家などとの間で、富の蓄積に大きな差が見られました。

大工業地帯で大量生産が進み、大都市に人口が集中するにつれて、それまで地方とあまり違わない「職住接近」が崩れ、通勤ラッシュが起き公共交通機関の役割が増大します。暮しと仕事は切り離され、仕事の世界では労使ともに数字で成長(進化?)が表され、暮し(支出)の部分では水光熱、教育、医療、社会保障、多くの部分を公共が担い、お金を払っているにもかかわらず、消費者としての自覚と考慮・選択がなくなっていきます。この部分は好みが反影せず、住居費を含めて、強いられた支出です。消費者としての主体性がなくなっていき、考えない市民が作られていく過程に、巧妙なテレビコマーシャルが浸透し、XXブームとよばれた爆発的なヒット商品が登場します。インスタントラーメンを筆頭に、誰でも買える価格のものが巷にあふれ、同じものを食べ、同じ服を着て、同じ遊びをする国民性が作られていきます。

1950年代後半、爆発的に受け入れられた商品、例えば電気洗濯機、冷蔵庫、炊飯器は、煩雑で長時間の家事から解放を目指すものでした。紙媒体で知るこれらの新製品は、購入を決意するまでに考える時間がたっぷりありました。コストパーフォーマンスを熟慮しなければ買えない価格です。テレビ時代に入ると、欲望の多様性を許さず、流行があらかじめ作られて(ファッション業界では2年先の流行色を決めると言われた)、欲望は統一純化されて考える間もなく即断即行。お客様は神様、消費者は王様から、生産側とテレビに支配される奴隷の身に転落です。大量生産・大量消費市場は消費者の主体性や多様性のみならず、消費願望の偶然性やゆらぎを嫌います。来年のファッションは黄色と決めてあるのに、たまたまアイドルが着た赤い服がテレビで人気をさらい、皆が赤い服に殺到するなんて事になると莫大な投資が無駄になります。

公告業界のガリバーで、マスメディアを牛耳っている電通の「鬼十則」 「戦略十訓」をご存知の方も多いでしょう。消費者を奴隷化する意思と戦術が、明確かつ公然と宣言されています。消費者の復権とは、すなわち奴隷解放運動だということです。

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by maystorm-j | 2016-10-10 19:29 | 社会 | Comments(0)
2016年 10月 07日
アベノミクスに人はなぜ騙されるのか/経済の土俵で闘う事が必要 その14
今月16日に信州宮本塾で行う学習会にむけて同塾のメンバー達と調整を行う中で、これまでもたびたび具体的な意見交換をしてきたお一人から、次のようなコメントをいただきました。『大量生産・大量消費モデルではない生産様式への反省・提案と受け止めていますが、生活家電と車は例外のようですね』d0164519_07542984.jpg

このコメントから出発する議論は学習会当日の展開を楽しみにしています。生活家電と車の「生産」について私は詳しくないのですが、ここでは私個人の消費行動についてのみ、この問題を考える上での一つの例として、データをまとめてみたいと思います。

60代後半の暮しぶりとしては、現役で仕事を続けていること、職住が同じ場所で、睡眠時間を除く一日あたり18時間の内訳を年間でならすと、約10時間は仕事関連、2時間の生活家事、2時間の社会活動、3時間の読書運動等、その他1時間という感じですので、かなり偏った生き方と言えるでしょうか。趣味・娯楽・外食・交際にあまり時間を使っていません。その中で、使用している家電製品をリストアップしてみます。(もっぱら仕事で使用しているものは除きます)


冷凍冷蔵庫 130L    おおよその価格 ¥30,000  使用年数 15年以上
洗濯機                  ¥25,000       15年以上
ステレオラジオ              ¥30,000       15年以上
CDラジオ                ¥15,000        10年
電子レンジ                ¥10,000        15年以上
オーブントースター            ¥ 3,000        3年
灯油ファンヒーター 2台      合計 ¥20,000        15年以上
電気ヒーター 2台         合計 ¥ 4,000        10/4年
加湿器                  ¥ 5,000        4年
掃除機 2台            合計 ¥15,000        8/2年
アイロン                 ¥ 3,000        15年以上
湯沸かしポット              ¥ 3,000        8年
電気コンロ                ¥ 3,000        8年
扇風機                  ¥ 3,000        10/6年
電気スタンド 3台         合計 ¥ 3,000        15〜5年
  その他、室内照明、風呂釜、換気扇は借家備えつけ
     総計                  ¥172,000
平均耐用年数10年として、備え付け品を含めても一年当たりのイニシャルコスト¥20,000 程度でしょう。

一方、車については仕事と私用の区別はつきません。信州に移住して40年近く、一度だけ子どもが10〜18歳の10年間、新車を購入した事があります。子どもの友達も乗せる関係で責任が伴います。8人乗りのワンボックス4WD、¥1,700,000でした。修理費年間¥30,000として、車両費用が年間¥200,000。それ以外は、ほぼ5年ごとに中古車(いずれも4WDで仕事の関係で積載空間の大きいもの)を、¥200,000〜¥500,000で。中古車の場合は修理費が年¥5〜70,000 かかっていると思いますので、車両費用としては年に¥150,000程度だと思います。同じ程度の車を新車で10年使用した場合の、半分以下です。車の年間コストはその他に車検費用、保険代、税金、燃料費等で、中古の場合は車両費用の1.5〜2倍ぐらいになるでしょう。年間の車代40万円とすると、公共交通機関とタクシーを使った場合より多少高くなりますが、田舎の場合は「時間を買っている」と考えることになります。車は「移動の自由」度が高く、精神的ストレスに大きな差が出ます。生活様式によっては、もう少し費用は下がるでしょう。家電の方はほぼ最低限のコストで、同居人数によってもかなり違っd0164519_07524850.jpgてきます。ちなみに、電気代は仕事使用分を含めて、夏期月額¥7,000、冬期¥13,000です。生活家電ではイニシァルコストよりランニングコストの方が高く、車では新車ならほぼ同額程度でしょうか。

この夏、たまたま縁があって軽井沢に移住してきた「1%」組老夫婦の引っ越しにつきあいました。車なし、駅近くの豪華マンション。生活家電の購入の際、ヤマダ電機に案内して「爆買い」200万円。新居には以前からのものが100〜200万円程。私のイニシャルコストの10倍以上ですが、それでもその夫婦が車を買うとしたらその倍はかかるでしょう。消費者として考えるなら、生活家電は選択の幅が大きい、個性に合わせた選択が可能なジャンルと言えそうです。


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by maystorm-j | 2016-10-07 08:08 | 社会 | Comments(0)
2016年 10月 01日
10月16日(日) 信州宮本塾学習会 「アベノミクス批判の向こう側に、どんな経済社会を構想するのか~ベーシックインカム論を題材に」

これまで13回にわたって書いてきました「アベノミクスに人はなぜ騙されるのか/経済の土俵で闘う事が必要」を、他2名からの話題提供とともに討論のたたき台として、信州宮本塾において学習会を開催します。


10月16日 日曜日 午後 6時半~8時45分ぐらいまで 

佐久平交流センター 第一会議室 (佐久平駅徒歩2分)  参加費 ¥500

テーマ  「アベノミクス批判の向こう側に、どんな経済社会を構想するのか~ベーシックインカム論を題材に」   話題提供 寺山、田中、井上


充実した議論展開となるよう、あらかじめ私からの問題提起をまとめてみました。

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「アベノミクスに人はなぜ騙されるのか/経済の土俵で闘う事が必要」というテーマで、私は自分のブログ(http://maystormj.exblog.jp/) に7月23日から連載してきました。(9/24現在13回まで)


安倍政治の具体的な個々の問題に対して、世論は反対の傾向を示しながらも、選挙の度に安倍政権が勝つ事の原因を、反対勢力が充分にオルタナティブを示せていないという点から考えました。特に、経済の土俵において、広い意味でのアベノミクス=新自由主義経済側は生産から分配までの一貫した流れを呈示し、その中で競争の勝者になる事を呼びかけています。一方、反対する側は分配の不平等を指摘する事に集中し、日本の経済が停滞する中でどのような生産をすれば良いのか、どのように働き、暮らしたら良いのかを示せていません。限定された局面での具体的な生産の試みはいろいろ見られますが、経済全体を見渡すような主張にはまとまっていません。象徴的な表現では鳩山政権が提唱した「コンクリートから人へ」というのがあります。道路も空港も港もはたしてこれ以上の利用は期待できるのか、地方の大規模工業団地は工場の海外移転で機能低下。使用需要の無いインフラ投資は、消費を無視した生産が暴走する経済でしょう。にもかかわらず、アベノミクスはヘリコプターマネー、財政投融資へと進む勢いです。


これまでに宮本塾で財政についてお話を何度かうかがう機会がありました。その後、経済についての学習を続けたいと思いながら、なかなかかなわず今日に至っています。基本的な理解が不十分なままですので、足下の仕事と暮らしを見る「虫の目」に較べて、地域・国・世界の経済を大きく捉える「鳥の目」が弱い事を痛感しています。例えば、国は1,000兆円の借金を抱えている問題も、この先財政の破綻があるのか。おもに国際金融を分析する側と国家財政を分析する側では、180度異なる議論が見られます。「狐の葉っぱ」がどんどんばらまかれて、いつの間にか借金は減っているようなお話も聞かれます。政府に金を貸しているのが国民の側と考えると、国民の財産がいつの間にか葉っぱにすり替わっていくのでしょうか。私には解らないことだらけです。


アベノミクス・新自由主義経済は、生産側が主導する経済と考えますが、いつからそうなったのでしょうか。経済の仕組みは以前、需要が供給を産む、消費の動向に合わせて生産されると考えていました。そのベクトルがあるから消費者運動が存在し、消費者を害する生産者に対して不買運動がありました。いつの間に生産と消費の関係が逆転したのでしょうか。テレビの広告で絶え間なく刷り込まれる意識操作によってでしょうか。低価格の画一的量産品が溢れたためでしょうか。格差が深刻になる以前にそれは起きたと思います。消費が生産を主導する経済へとまずは発想から転換したらいかがでしょうか。それがもともとの姿であるなら、決して無理な転換ではないと考えます。食物連鎖の上位にいる人間は本来消費者であるという事を出発点に考えても良いのではないでしょうか。生産側の都合でものを買わされることから、消費者の都合で生産させる仕組みへの回帰です。


コストダウン、低価格量産量販は商品の差別化をというかけ声とはうらはらに、生産者・消費者双方を画一化させているように思います。もともと消費者の暮らしと意識は多様で個性的ですので、必要とするものも多様です。消費が生産を主導するなら、生産もまた多様で個性的になる可能性があります。しかし現状では、消費者の購買力は低下するばかり。可処分所得は減少し、消費に対する予算制約の縛りはどんどんきつくなっています。福祉のあり方も、今後全人口の1/3~1/2を占める経済弱者、障がい者、高齢者を、多様で個性的な自律した消費者として扱いません。ベーシックインカムがその予算制約に余裕を持たせて、多様で個性的な消費者の復権から、多様で個性的かつ高利潤の生産へとつながらないものかと考えました。


以前、宮本塾で生業についての学習会を2度行いました。木工家のケースでは、生産側に経済的な余裕がないために制作に専念できず、アルバイトに時間を取られていること。力量があるにもかかわらず納得がいく制作が出来ない。野菜農家では、高品質な生産のためには低賃金の労働力と中間マージンの少ない流通が必要な事など、生産者側でも所得の制約が高品質な生産へのハードルになっている事が見られました。生産側にとっても多様で個性的な生産にベーシックインカムは貢献するのではないでしょうか。安い労働力と部品生産を求めて動く大企業に対して、中小零細企業の復権につながるかもしれません。


多様で個性的な消費者が経済の主役となるならば、複数のアイデンティテーが許容されて差別が減少する社会、競争原理による生命の価値の格差=社会的ダーウィニズムからの脱却につながる事も考えられます。逆に、アイデンティティーの純化、生命の格差意識がアベノミクス・新自由主義経済を産み出しているとも言えるでしょう。


以上のような仮説を、仕事や暮らしの様々な視点から考えて書き連ねてきました。消費の復権からミドルクラスの再生と格差・差別の解消をという希望が背景にあります。ベーシックインカムの原理的理解や技術的可能性については何も述べていません。井上さん田中さんに期待するところです。一方向からのみの雑駁な論述で、本来は自分で裏返して検証すべきところ、学習会の叩き台とする問題提起という事でご容赦下さい。多くの批判と議論があるでしょうし、他のお二人の担当者の発表にも出来るだけ時間をとりたいと思いますので、私のブログは事前にざっと目をとおしていただければと思います。ブログという媒体の性質上、新しい記事が一番上に記載されますので、7月23日の「アベ・・・・その1」から順番にさかのぼってご覧ください。参加予定の方でインターネットが出来ない場合は、1週間前までにご住所をお知らせいただければ、プリントして郵送いたします。

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私からはこんな流れで問題提起としたいと思います。話題があちこちの飛び、解りにくい文章で申し訳ありません。塾会員以外の参加も歓迎します。


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by maystorm-j | 2016-10-01 06:19 | 社会 | Comments(0)