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2016年 02月 28日
二つの思い・・・「だれの子どもも殺させない」と「愛する人を守りたい」
国会の議論を聞いていると、野党側からの質問に対して安倍首相の答弁がかみ合っていない事にイライラしている人が多いだろうと思われます。d0164519_05245244.jpgかみ合っていないばかりでなく、質問の内容について答弁を拒否したり、時には質問する事自体をも批難することがあります。国民に直接選ばれた議員によって構成される「国権の最高機関」である国会より、「行政の長たる首相」の方が上位にあると錯覚しているように思われます。国会の機能を停止し、内閣に立法権を与える「緊急事態条項」を先取りした振る舞いと言えるでしょう。

軽井沢9条の会のウェブサイト投稿したものを転載します。SEALDsやママの会に象徴される、昨夏以来都会で活発にアピール行動で展開された新鮮な表現方法・・・「祭り」を提起する若い人からの投稿に、応えたものです。
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2月19日、このブログに「・・・娘からのメール」(会員投稿)がありました。

若い方がご自分の言葉で綴られた率直なご指摘には、私たちが考えなければならないいくつかの課題が含まれていて、とても参考になります。ありがとうございます。


地元での地道な活動、地味なアプローチでは、「祭り」の爆発的なエネルギーを持ち得ないで来た事は、ご指摘のとおりです。集まればいつも同じ顔ぶれでうなづき合っています。表に出ても暗いジジババスタイルでぞろぞろ。「とりあえず参加しちゃお」という誘引力が感じられない事は確かです。もう半世紀近く前になりますが、20歳の頃の私も上の世代、とくに「左翼」と言われる人達に対して同じように感じていました。若い世代で集まって「祭り」を創り出し、それなりの盛り上がりを経験しました。そして厳しい「祭りの後」をも、それは一人一人が日常の暮らしの中で引き受けなければなりませんでした。30歳で都会を離れ、軽井沢に住んで38年になります。


「祭り」のすばらしさは「思い」をストレートに表現できることですね。一つの「思い」が伝わるというだけではなく、それぞれが自分の「思い」を表現してもいいんだと感じる「空間」に飛び込める事。そこから爆発的なエネルギーが生まれるのでしょう。「だれの子どもも殺させない」という「思い」のほとばしりに、年齢を超えた多くの人が胸を熱くしたと思います。


この半年、仕事に追われる中でなんとか多くの人と直接話をしようと努めてきました。特に、政治に無関心な人、安保法制が必要だと考える人とも話すようにしてきました。安倍首相の政治姿勢を象徴する「日本会議の武道館一万人大会」が昨秋ありました。そこに出席した帰りの高揚した気持ちそのままの人と、じっくり話した時に強く感じたことがあります。日本を取り巻く国際関係や国内の状況を様々な視点から考えて、国の安全を軍事力強化に頼る事の無謀さを説き、その人を論破する事はできます。しかし、論破されても彼はけっして納得してはいません。彼には「愛する人を守りたい」という強固な「思い」が残っています。軍事力では守れないという論理と、攻めてこられたら戦って守るという思いがぶつかるばかりです。


「だれの子どもも殺させない」と「愛する人を守りたい」という二つの思いは、意外に近いものではないでしょうか。一人の人にとっても、平和で安定した世の中であれば前者が強く、殺伐とした不安定な世の中になれば後者に傾くかもしれません。あるいは、1発の銃声、流された一人の血によって、多くの人々の思いは一気に後者に流れて行くかもしれません。歴史を学ぶと、「思い」の不安定さ、とりわけ同調してゆく思いのうねりの怖さを知ります。


私が子供の頃、母か祖母だったか忘れましたが、曾祖父がいつもだいじにしていた言葉を教わりました。

「学而不思則罔、思而不学則殆」 学びて思わざれば則ち罔し(くらし)、思いて学ばざれば則ち殆し(あやうし) 

だんだんと年寄り臭い話になってしまいましたが、事実年寄りですので勘弁して下さい。いろんな人と話す中でも、過去の社会の意識変化を歴史の中でたどっていても、思いだけではあやういなということを強く感じます。地味~な学習や地道~な話し合いと、「思い」の明るく楽しい表出との間を行き来する回路を、軽井沢9条の会で作りたいですね。

・・・・・以上、私が軽井沢9条の会ウェブサイトに投稿したものの転載です。・・・


「だれの子どもも殺させない」という安保法制反対の思いと、「愛する人を守りたい」という安保法制推進の思いは、意外と近いのではないかと述べました。賛否両極から発せられたメッセージが、近いはずはないと思われる方が多いでしょう。状況の変化次第では、人の思いはこの両極の間を揺れ動くのではないかと感じています。思いだけではなく、両側の論理の展開ではどうなるでしょうか。


安保法制推進側は「殺し殺される戦争」を抑止するために、充分な軍事力が必要だと言います。現実に世界のあちらこちらで戦争が起きている状況の中で、多くの国、多くの国民がそのように考えています。集団的自衛権は国外での戦争を想定するものですので、純粋な抑止力論を超えるものですが、安保法制反対側にも、「新9条」論に見られるような憲法上の自衛力公認を求める人々もいます。ファシズムの軍事的侵攻に対し、レジスタンスやパルチザンは武器を取って抵抗しました。最初に立憲主義をとった国、アメリカ合衆国では、個人や州単位での武装が、抵抗権との関係で論議されていいるように思います。日本国憲法には抵抗権の規定はありませんので、国民が考え、議論しなければならないでしょう。


「愛する人を守りたい」から武装すると言うのは、軍人・兵隊側の思いです。守られる側から見ると、自分のために「愛する人」は戦って死ぬことになります。この矛盾は過去から続いて来た「男の論理」そのものかもしれません。安保法制反対側に女性が多いのも頷けます。日本国憲法第9条はぶっきらぼうと言えるほど簡単明快に「戦争放棄」を定めています。どうすれば「愛する人を守る」事が出来るのかを語っていません。その具体的な理念と方向性は「憲法前文」にあるのでしょう。全文の4つの段落のうち、3つは「日本国民は」で始まり、1つは「われらは」で始まります。主語は全て「国民」です。最初の2つの段落が「日本国は」「我が国は」で始まる自民党改憲草案前文とでは、内容もまるで違います。憲法前文を比較検証し、我々はどのようにして人を守るのか、国際関係のなかでどう振る舞うのかが、9条の議論の具体的な内容になるのではないでしょうか。


一見、反対側に立つと見える人々の思いを認めて、それをどうすれば達成できるのか、良い結果を導けるのかという論理を作って行くことが、かみ合う言葉の関係をにいたる道ではないでしょうか。






by maystorm-j | 2016-02-28 08:17 | 社会
2016年 02月 15日
野党共闘から立憲民主党への流れに転換するのか?
d0164519_04552279.jpg週末は急激な暖かさで、夜の間に屋根を滑り落ちる雪の音で何度も目が覚めました。降ったばかりの雪なら静かに落ちます。ひと月ほど経っているうちに、室温と陽射しで融けては凍る事を繰り返し、軒の部分は厚い氷とつららになっています。日曜日の昼間は屋根の雪がつぎつぎに落下しましたが、軒下に車をとめているとどうなる事でしょう。雪融けの地面には鮮やかな緑の苔が顔を出しました。土はまだ深くまで凍っていますので、雪融け水はしみこまずに水たまりを作ります。シベリヤのツンドラ地帯の春はきっと一面、こんな様子になるのでしょう。

共産党の志位委員長が提案した選挙協力と国民連合政府構想は、沖縄の島ぐるみ会議のようには進まないだろうと、提案が出た当初から批判してきました。提案を受ける形で活動して来た市民連合による野党統一候補の模索も、熊本などの一部を除いて、まだ軌道に乗っていません。市民連合という形の集合の背景には、安保法制反対運動における市民と学生の盛り上がりを継承しようと言う気持ちがあると思います。とりわけSEALDsに対する評価が高く、40年ぶりに若者が立ち上がったという高揚感にとりすがっているように見えます。

年輩世代から大きな拍手で迎えられたSEALDsは、自分たちのデモこそが民主主義だという主張を掲げています。表現方法の新鮮さが目立ちますが、表現内容があまりにも無さ過ぎではないでしょうか。自己正当化、自己礼賛を繰り返すばかりで、安保法制が出てくる背景や、法制が目指すものに対する鋭い解析がありません。戦争に巻き込まれて現在の平和で豊かな暮しが破壊されたくないという感情しか見えません。すでに豊かな暮しを失っている人々に何を訴えているのでしょうか。あまりにも言葉が貧弱です。同世代の若者達にも受け入れられないと思います。

市民連合が野党統一候補の見本として取り上げている熊本で、2月11日に阿部広美候補と市民連合の協定書調印がありました。協定の内容は、(1)安全保障関連法の廃止(2)立憲主義回復(集団的自衛権行使容認の閣議決定の撤回含む)(3)個人の尊厳を擁護する政治の実現―の3点を公約する市民・野党統一候補を推薦し「全力で支援」することをうたっています。この1と2は市民連合の運動の中で最初から主張されて来たことですが、3番目の「個人の尊厳・・」という項目は、あれっ?という印象です。長野県で主張されているように、「安倍政権による改憲反対」がくるものと思っていました。市民連合やSEALDsの中に根強い「左からの改憲」「新9条改憲」の主張に配慮して、「現在安倍政権が進めようとしている改憲」には反対するという公約にまとめると予測していました。安倍首相がはっきりと改憲を目指すと言って迎える選挙に対する公約としては、「個人の尊厳・・」が明確な対立軸になるのでしょうか? はなはだしい後退と感じます。調印後の記者会見はIWJで全編動画が見られます。
http://iwj.co.jp/wj/member/archives/45263 (有料または会員限定)

翌12日、「オール関西 平和と共生」主催による集会「改憲と戦争を許さない!~市民の総力で参院選に勝利しよう~」が大阪市北区で開かれています。こちらの動画は無料公開です。  http://iwj.co.jp/wj/open/archives/287004
そこでの主張は「民主党に対する決別宣言」と言えそうな内容です。その講演者に小林節氏が参加している事は注目すべきでしょう。辻恵氏、白井聰氏とともに、明確には論及していませんが、「立憲民主党」へと言う路線が暗に提起されているように受取れます。これは、志位委員長提案の路線からの明らかな転換ではないでしょうか。

市民連合とSEALDs の運動には、アベノミクス経済に対する視点がありません。選挙では大きなウェートをしめる労働運動に対する考慮どころか、デモに組合旗を持ち込ませないなど、労働運動敵視が見られました。経済的弱者と共有する感覚も乏しく、派手な学生と安定した老後の市民による運動という印象を受けます。上滑り感の強い運動です。4月に安保法制が施行された後の選挙は、安倍による改憲とアベノミクス崩壊と経済の破綻が、大きな焦点に上がってくるのではないでしょうか。いい加減に、SEALDsの「デモ祭り」の夢から醒めないと、「お祭りマンボ」の歌が聞こえてきそうです。






by maystorm-j | 2016-02-15 06:31 | 社会
2016年 02月 13日
昨年末に感じた、二つの予感は今・・・
d0164519_06330093.jpg広い駐車場では片隅に大きな雪の山が築かれていますが、昨日から気温が上昇し、今朝もかろうじてプラスの気温。軒下の大きなツララが落ち、さらに屋根の雪も雪崩れています。大雪から3週間ほど経っていますので、屋根の雪の下半分は氷になっています。軒下に車を止めておくと・・・足許注意!頭上注意!です。

昨年の暮れですが、宮本塾の懇親会で回りにいた何人かの会員に、二つのことをお話しました。一つは、SEALDsの運動と共産党志位委員長提言は一般の国民に受け入れられないのではないかという問題。この点についてはその後、このブログに安保法制反対運動を検証する記事を2本書きました。

もう1点は、どういう形になるのか私には判らないが、経済の大きな崩壊が起きる予感についてです。私は経済学の原理をきちんと学んだことがありませんし、現状の分析をする力もありません。少しばかり学んだ生態学、生き物の行動を見て来た感覚から、直感的に現在の世界、日本の現状に対して、何か大きな破綻の予感を感じていたにすぎません。

その予感は、仕事の上でも強く感じました。昨年の冬から夏頃まで、デパートの展示会場で感じた明るい空気が、秋以降すっかり縮こまってしまった感じを受けました。デパートの通路を歩く人々の数、表情、売り場での対話に冷え込みを実感しています。デパートの来客はバーゲン期間、ボーナスやカード決済日、クリスマスなどの季節的イベントによって大きく変動しますが、店員さんの表情や応対を見ていると、そのような短期の変動ではなく、中期的に落ち込んでいる感じが判ります。1週間の展示会は、社会の定点観測の場でもあります。

ふだんの田舎住まいと違い、都会の電車やデパートでは女性のファッションにも目がいきます。この冬の印象は、とても渋い感じ。目立ったのは、薄茶色、灰褐色と言う方がぴったりの長めのキルティング・コート。ダウンコートでしょうか。Aラインと言うのかもしれませんが、ウェストは絞り気味で裾はいくらか広がっています。この色の大きいコートには、派手な色柄の服は似合わないようで、ボトムはほとんど黒一色です。ひじょうに没個性的で、後ろ姿ではみんな同じに見えてしまいます。老眼の年輩男性は、自分の奥さんと間違えて他の女性についていってしまいそうです。「保護色」、目立ちたくはありませんというメッセージ、灰褐色の空気を漂わせています。

昨年の今頃は、安倍の政治に対して、経済政策を中心に反対していたと思いますが、その後の一年間は安保法制反対一色になりました。その間に、アベノミクスは破綻が確実に進んでいたにもかかわらず、経済に対する意識が薄れていたように思います。今ここに来て、破綻・崩壊の焦点が定まり、実像が見えて来たようです。大きな組織や政党に属さず、一人で考え行動する習慣が身に付いていますので、失敗の検証や悪い予感には敏感ですが、その反面、運動としても個人としても、どう対応したらよいのかとなると、方針が定まりません。語り合えるたまり場が欲しいと思いますが、どこへ行っても意識のズレを感じています。





by maystorm-j | 2016-02-13 06:42 | 社会
2016年 02月 06日
山下祐介/金井利之 著「地方創生の正体 ーなぜ地域政策は失敗するのか」(ちくま新書)を読んで。
d0164519_05105560.jpg
軒下にツララが下がっています。ツララの元は屋根の雪ですが、それが融けないとツララは出来ません。気温が温かすぎても、ツララにはならずに、水になってそのまま落ちてしまいます。室温や陽射しで融けた屋根の雪が、水になって流れ、軒で氷点下にさらされて、再度結氷する現象です。大小様々に横並び、形体も一つ一つが異なります。一本にまとめれば太く長く伸びて、地面に達するかもしれません。しかし、その途中にきっと風で折れたり、自重に耐えきれず落ちるでしょう。

「地方創生」という言葉が聞かれます。内閣には「地方創生大臣」というのがいるらしい。私の周囲には、良くも悪くも「地方」は現存し、人はそこで生まれ、育ち、暮らし、働き、子どもを育て、病み、一生を終えます。神の「創世神話」は何もないところからこの世と生き物を生み出すお話ですが、「創生」とは何をするのでしょうか。お上から、「お前等のいる地方には何もない」と宣告されたような気がします。昔、「列島改造」と言った首相がいましたが、今回はもっと神懸かりなお話です。「日本創成会議」なるものの座長を務める元総務大臣が、地方消滅を唱え、全国896の自治体を「消滅可能性都市」と宣告したようです。この世の終わりが告げられ、選ばれた地方のみがよみがえる、神話的終末論の臭いがします。「終末」は一つなのに「そうせい」はいろいろな字が使われるところも、なんだか怪しい気がします。

年末の宮本先生講演会で紹介された、山下祐介/金井利之 著「地方創生の正体 なぜ地域政策は失敗するのか」(ちくま新書)を読みました。話し言葉で書かれた対話を中心に、300ページの新書版ですので、すぐに読めると思いきや、意外にも長時間「楽しんで」しまいました。


内容については、ぜひ読んでいただきたいので、ここでは触れません。40代後半の研究者の鋭い感性に溢れた対話です。対談とかパネル・ディスカッションというと、パネリストがそれぞれの主張を滔々と述べて、案外かみ合っていないことがよく見られます。この本は、対談集というよりは、むしろ「問答集」の形をとっています。西洋キリスト教社会より早くに仏教の宗教改革が進んだ日本では、高僧による一方的な講釈講義の他に、弟子や信者との間で交わされた問答や往復書簡を記録・公開し、さらに広く議論を深めてきた伝統があります。文人、俳人などの多くも、諸国を巡り歩いて逗留先で議論を広げ、その内容が記録され伝えられています。


この本はおもに、山下さんの現場に依拠した地域社会学からの問いかけに対して、行政学(政治学)の側から金井さんが応えるという形をとっていますが、議論は往復しスパイラルしながら進んでいきます。問いが発せられた時点で、読者もその問いを受け止め、問いの背景にある具体的事象を考え、自分の周囲に見られる現象と較べることになります。問いに対する応えを読みながら、それが自分の経験にもあてはまるのか、他の視座からはどう応えるのか、いろいろ思いめぐらすことになります。言葉が平易なだけに、ついつい想像があちこちに飛び、考える時間が長くなります。問答の記録というのは、その展開の中に読者も否応なく巻き込まれるものですね。


民主主義を掲げる勢力や市民の間でも、下から議論を積み上げる事なく、組織のトップからの方針転換をそのまま受け入れる現象が見られます。講演会で著名人のお話を聞いて、質疑応答の時間に「私たちはどうすればいいのでしょうか?」と聞く人がいます。議論は広く衆目にさらされながら、間違いを修正され、方向性が練り上げられるからこそ、多様な多数者が集う意味があるのではないでしょうか。






by maystorm-j | 2016-02-06 05:24 | 社会