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2014年 12月 19日
福沢諭吉とアレクサンダー・クロフト・ショウの関係
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この冬、12月にしては雪が多い。北海道、日本海側と西日本に集中しているようです。典型的な冬型の気圧配置では、手前の山脈に雪を落して寒い空っ風が吹く軽井沢でも、おつきあい程度の降雪があります。今回は30〜40cm。連日の気温がマイナス5〜9度ですから、このまま根雪になるでしょう。久しぶりに冬らしい空と陽射しがありましたので、雪かきの合間に写真を撮りました。露出補正が下手で、後から調整してあります。

今年2月の1mを越える大雪は別格として、屋根の雪が落ちて埋まるほどの危険を感じる事はありません。むしろ恐いのは氷とつららの落下です。体育館の屋根から2m以上のつららが落ちてくることがあります。道の雪かきは早朝、雪がさらさらの間に片付けます。日が昇ると気温が低くても、粘着力が増してきます。軒からはみ出して垂れ下がった雪が落ちてくると、やはり危険です。雪の重さで折れそうな松の枝からも、早めに落しておきます。雪も氷柱も霜も水の変化ですが、その変化の多様性とそれに伴う温度の収支によって、地球環境が急激な変化を避けて、生物の生息環境が保たれている事を感じます。

14日、信州宮本塾講演会の日も雪が積もりました。京都からわざわざ佐久まで講演と総会にきていただいた宮本憲一先生を車で宿にお送りする時に、先生はヘイトスピーチのひどさに触れられました。私はそれに対し、尖閣で何かあれば一気に世論が動いてしまいそうですねと言うような事を応えました。報道でもネットでも東京のことが多く登場しますが、関西では橋下維新以来ヘイトスピーチは激しく、また長い差別の歴史を考えると、大阪や京都では根の深い問題と言えるでしょう。ヘイトスピーチの表現のひどさに目が向きますが、その広がり、むしろ目に見える言葉になっていない社会的な広がりこそ、注目しなければならないと思います。

先月末に神戸のデパートへ本業の展示会に出かけました。すぐ向いに中国人街があるような場所で、外国人も多いところです。3回目の展示で、店員さん達とも打ち解けて話をしてきましたが、話題が韓国・中国との関係におよんだ時に、従軍慰安婦問題に関する両国の態度がひどい、尖閣問題で中国は恐いという話になりました。日本はたくさん金を払ったのに、まだ反日行動が続いているという認識です。これまでの経緯を話して、日本は被害者に公式の賠償をしていないこと、安倍政権が歴史認識をねじ曲げようとしている事などを伝えましたが、テレビの影響力が強いのでしょう。論破は出来ても納得してもらえたとは思えませんでした。

昨日は、所属している軽井沢の歴史愛好会の集まりがあって、参加者15人ほどが順番に、現在の興味や来年の抱負などを語りました。私は、「リゾート地軽井沢の救世主かのごとくに語られているアレクサンダー・クロフト・ショウ」について、密接な関係があった福沢諭吉との関わりから、彼の来日目的を考え直してみているという話をしました。

中山道が寂れて行く明治初期、旧軽井沢に別荘を開き、現在の軽井沢の繁栄の基をを作ったと評価されているイギリス国教会の宣教師です。まだ外国人が自由に日本国内を旅行出来なかった時代に、「たまたま新潟への旅行で立ち寄った軽井沢が、故郷の景色に似ていたので」軽井沢に別荘を持ったという話が、軽井沢では定説になっています。明治10年代後半、朝鮮半島侵略をめぐって、日本とロシアがしのぎを削っていた時期の事です。日本海側への鉄道が急がれ、碓氷峠の難所を何としてでも克服して、一日で東京から日本海へ兵員を輸送したいと、明治政府は急いでいました。その少し前にあった秩父困民党の蜂起に対して、軍は峠を越えて大砲の輸送に難渋しています。その後、新国道と鉄道の開設を急ぎます。

イギリス国教会の海外宣教と植民地経営が密接に関係している事は、他の国でも明らかです。ショウは日本に派遣されてすぐに福沢諭吉家の家庭教師になります。福沢諭吉は維新の折りに上野の山での戦を、ちょっと屋根に上って見ただけで塾を続けていたというエピソードが語られ、「天は人の上に人を作らず・・・」という言葉から、平等主義のノンポリと見られがちですが、「天は・・・」の言葉の最後は「・・・といえり」(と言われている)で終わり、アメリカの独立宣言から引いたと思われるこの考え方をその後に否定しているようです。「強兵富国」思想(富国強兵ではなく)を唱え、朝鮮中国侵略のイデオローグというだけではなく、朝鮮王朝に対するクーデターでは、資金・武器・人員を送り込んだり、日清戦争に多額の戦費を提供しています。けっして「学問の人」ではなく、明治政府の外から対外政策をすすめるフィクサーでした。

ショウが福沢とつながった時期、福沢は強烈な反キリスト教活動をしている一方で、イギリス国教会やハリストス正教会、アメリカの新教など、多くの宣教師と交流しています。ひじょうに矛盾した関係ですが、政治的な意図からのつながりと考えると理解できます。イギリス国教会は当初、学者や医師を宣教師として派遣する予定でしたが、実際に派遣された二人の宣教師はそのどちらでもありませんでした。維新直後に弾圧された日本人教徒を救う話など、福沢とキリスト教の矛盾した関わりはイギリス国内でも知られていて、新政府や維新後の社会に対する福沢の影響力など、イギリスは的確に把握していたようです。

明治17年、重要な年ですが、ショウはイギリスを往復しています。イギリス公使館付きの宣教師だったショウは、それまで本国に帰る事無く、多くの手紙を送るだけだったようです。イギリス公使を通じて、さらに重要な情報は送られていたのでしょう。その年、福沢はキリスト教排撃をやめて、子息二人をアメリカに留学させています。しかし、福沢が主宰する新聞「時事新報」では、朝鮮・中国に対する差別的・侵略的言辞は変わらず、女性差別、身分差別発言も続きますので、キリスト教に対し精神的な歩み寄りではなく、あくまでも政治的な転換だったことは明らかです。ヘイトスピーチの元祖・本家・家元です。

イギリスから戻ったショウは、その後在日外国人社会で「条約改正運動」の中心人物に変貌します。列強の中国侵略に日本がどう割り込むか、福沢は当初ロシアとの朝鮮分割案を考えていたようですが、イギリスとの協調に変わります。ロシアの南下に対する日英同盟の方向に転換し、その後の明治政府の方針になります。明治17年が大きなターニングポイントで、軽井沢別荘の話はその直後から明治20年ごろにかけてのエピソードです。

このように、時代背景や福沢諭吉との関係を捉えると、ショウが進めた軽井沢別荘の裏の意味も見えてきます。碓氷峠の軍事的重要性、政治家・官僚・軍人・大商人を中心とする別荘社会の交流。多くの事象が、対露日英同盟「工作員」としてのショウの役割を示唆しています。もちろん、状況証拠からの仮説に過ぎません。逆の証拠が出てくるかもしれません。より多くの事象を考え、仮説が多くの歴史的事実に耐えられるのか、謙虚に検証する必要があります。

さきに書いた歴史愛好会で、この話の最後に日本の紙幣に伊藤博文や福沢諭吉を印刷することが、いかに隣国の人々を侮蔑することかと付け加えました。その後に順番がまわった会員から、中国や韓国に対してそれぐらい強く出た方がいいと言われました。京都の朝鮮学校に対する嫌がらせに対して、ヘイトスピーチを執拗に続けた側に賠償責任を認めた最高裁判事に国民審査でXをつければよかったと言う話も出て、周囲の人達もうなづいていました。差別や侵略を懸念する発言はなく、列強の植民地政策に対抗して国を守るためには、朝鮮・中国支配は当然で、いい事もたくさんしてやったという意見が続きました。

忘年会という席で大論争も出来ず、別の話題になりました。今回の選挙では、投票率の低さが安倍政権に味方したという解説が多く見られます。原発再稼働や集団自衛権、改憲など、世論調査では反対が多いにもかかわらず、投票率が低いため固定票や組織票が有利になるという事でしょうか。忘年会参加者の平均年齢は65歳以上。それでも差別と侵略に関しては、安倍首相やテレビと同じ意見が大勢です。若い世代はさらに無関心か、大勢追従か、ヘイト側に偏っています。投票率が上がればもっと安倍政権に票が流れた可能性もあります。ヘイトスピーチデモがあるのは限られた大都市だけでしょうが、週刊誌の見出しや書店に平積みされた嫌中嫌韓本、マスメディアの報道があり、人々の意見を聞いていると、8割ぐらいの人がそれらに同調しているように感じられます。政権側は国民意識の弱点を突破口に突いてきます。ヘイトスピーチに代表される日本人の排外心は、既に危険水域を越えているのではないでしょうか。何かちょっとしたきっかけで、堤防が一気に崩れて洪水になる可能性があります。

五か条のご誓文とは裏腹に、明治新政府は成立以前から征韓論を内包していました。江華島事件に始まり、日清日露戦争、韓国併合、満州建国と日中戦争。一連の歴史の背景には福沢等が作って行った差別と侵略の精神的な基盤がありました。歴史に学び、今その再現をいかにして止めるのか。時間の猶予はあまり無いのではないかと感じています。







by maystorm-j | 2014-12-19 08:34 | 社会