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2014年 09月 30日
自然保護運動の移り変わりと背景
いつも、冒頭に写真を入れていますが、今回はちょっと殺風景です。青い文字でリンクさせている過去の記事には、動画など画像がいろいろありますので、お楽しみいただければと思います。


私の住む軽井沢では今年、夏が短く9月中旬には早朝3度まで下がり、既に紅葉が進んでいます。森は豊かな実りの季節を迎えますが、ドングリやヤマグリの豊凶が野生動物に影響する季節でもあります。ちょっと古い記事ですが、サルの群れが別荘地に植えられたハマナスの実に群がる様子が動画で見られますので、ご紹介します。

ハマナスの生け垣はけっして多くは見られませんが、市街地周辺部にはイチイやヤマボウシ、サクラなど多くの実をつける木が植えられていて、サルやクマを誘っています。開けた住宅地や農地でも、連続した森から200mぐらいの範囲は、大型野生動物の行動圏と思われます。前の記事「野生動物に餌をやる事について」では動物愛護の問題点を書きました。餌付けの問題は、個人的に家庭や別荘で行われる小規模なものから、ハクチョウやツルに見られるような、時には行政や地域社会ぐるみの大規模なものまで、いろいろありました。都会から地方へ組織的に餌やりに訪れる団体もありますし、ドングリを植える運動などもあります。(「クマとドングリ 11月5日 2010年」

組織的な餌やりの中には、観光客の誘致を狙ったものもありますが、多くの場合は「善意」で始められ、そのために自分の行動を検証することなく、批判に対して感情的な対応が見られ、議論にならないケースは多々あります。歴史的に見ると、1960年代前後の高度成長・乱開発による環境の悪化に対する、自然保護運動の流れが背景にあると感じます。明治から昭和の敗戦まで、富国強兵策の陰で大型野生動物は大量に狩られ、中にはいくつかの種が絶滅します。地方の山間部で起きたことで、都会の人々や政治は無関心でしたが、戦後の高度成長にともない、公害の発生など都会の人にも環境問題という形で意識されるようになります。生活に余裕ができた都会の人々は、旅行や登山、リゾートなどに目を向け始めます。高校卒業間近の頃に出版された「沈黙の春」は衝撃的でした。

環境庁ができ、尾瀬の保護運動などいくつかの自然保護運動が成功していくのが70年代。野鳥の会に象徴される自然愛護団体が全国的にさかんになります。しかし、海の埋立てなど、干潟の生態系破壊が進み、反対運動が活発になる中、いくつかの大きな組織はそれに背を向けて、小さな愛護運動へと転換していきます。地元で干拓事業に反対していた人達の多くは、野鳥の会本部に失望し、独立した運動を展開し始めました。大きな組織の裏に、XX不動産のような大規模開発業者がついている事に気づく人もいました。

例えば、野鳥の会では当時、「バード・サンクチュアリ」が提唱されます。大規模開発で破壊されるうちの一部を「聖域」として残そうという運動です。生態系の保全を考えると、多様な生物の関係性が維持されるために、それなりの広域が保全される必要がありますが、視点を小さな鳥に絞っていますので、愛好家が都合よく楽しめる程度の問題にすり替えられてしまいます。地域総体の環境問題ではなく、好ましい小さなひな形として残す自然です。都会の人が訪れて一日楽しむのには、それでいいのかも知れません。

さらにその後、野鳥の会は「窓あけ」運動を展開します。「窓をあけたらキミがいる」という本を大量に普及させ、「ミニサンクチュアリ」の提唱です。大規模開発の免罪符としてのサンクチュアリさえも出来ずに、家庭で小さな庭やベランダにエサ台や水浴び場を作って、窓から野鳥を楽しみましょうという運動です。大きな自然、力強い野生を捨て去り、環境から切りとった小さな好みの動物を愛玩するだけの運動になってしまいます。

自然を愛する心を養う教育効果を謳いますが、愛玩という姿勢からは自然の仕組み、無数の生き物の関係で作られる生態系への理解は進みません。このような方向に進んだ一方で、政治、行政、経済活動による自然破壊に目を向ける運動もいくつかあり、グリーンピースは別格としても、日本自然保護協会やWWF JAPAN のように、大きな視点をもつ団体もあります。辺野古基地建設問題や上関原発建設問題に自然保護の側からかかわっています。時には「お上」と対決しなければならない運動は、「心優しい善意」の人達からは敬遠されますが、自然のありようや自然と人間の関係を考えるなら、避けて通ることは出来ないと考えます。




by maystorm-j | 2014-09-30 06:12 | 自然
2014年 09月 22日
野生動物に餌をやる事について
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今年は秋が早く、サクラもカエデもナナカマドも色づき始めています。初夏に白い花を咲かせたヤマボウシの実が、周囲を見る限り豊作です。ほのかな甘みがありますが、野鳥にはそれほど人気がないのかもしれません。ヒヨドリが騒いでいる様子も、ムクドリが群がっている光景も見かけません。サルは好んで食べますが、キツネやタヌキはどうでしょうか。お腹が一杯になるわりには、栄養が少ないかもしれません.夜の間に食べていると、気づかないだけという事もあります。

花の時期が長い事や、木の姿が程よいことなどから街路樹に仕立てられる事が多く、個人的には近縁のアメリカハナミズキを植えるよりもいいと思っています。しかし、ナナカマドなどもそうですが、野生動物が好んで食べる木をたくさん植栽すると、動物達の行動が変わります。もともと、このあたりに自然に生えていたものなら、大きく生態系を混乱させる事もないでしょうが、場合によっては野生動物を市街地に誘導する事もあり、思わぬ被害が起きる可能性があります。

もう30年も前の事ですが、北海道をめぐる旅行中にウトナイ湖に行った事があります。ちょうど、渡りの途中のハクチョウがたくさんいて、岸辺に近づくと2〜30羽が鳴き声をあげながら走りよってきます。腹を空かした豚の群れに囲まれたような状態です。冬の間、日本各地で餌をもらい続けていた習性の延長なのでしょう。当時は越冬するハクチョウの餌付けが盛んに行われていて、餌やりの苦労や楽しさが「いいお話」として新聞やテレビに登場していました。

ハクチョウやツルに対する給餌は、その後いろいろな論議を呼びます。一ヶ所に集めてしまう事で、伝染病による大量死が起きる可能性が指摘されたり、動物本来の習性を変えてしまう懸念が言われました。人間が好む特定の種類を増やすことになれば、多種多様な生物のバランスで成り立つ生態系を壊す可能性もあります。野生動物が人間を警戒しなくなることが、その動物の生存にとって好ましいのだろうかという疑問も提出されました。餌付けされたハクチョウやカモは、シベリアに戻ってからも人に寄ってくるので、簡単に捕らえられるという話もあります。日本でせっせと太らせてシベリアで食べるという笑えないお話です。エサ場に誘導される動物の中には、狩猟の対象として認められているものも多くいます。

軽井沢に住んでいると、今も野生動物に餌をやる人をたくさん見かけます。野生動物をペットと勘違いしているのでしょうか、やってくるリスやタヌキやヤマガラに名前までつけて、「楽しんで」います。エサ台には自然ではありつけないような豪勢なご馳走がならび、季節の変化に関係なく栄養の高いものが与えられます。餌事情の厳しい厳冬期も、そこに来ればなんの苦労もせずに餌にありつけます。しかも、家の中から優しい人間が見張っていて、エサ台に集まる「かわいい」動物を襲うカラスや猫を追い払ってくれます。近くの窓ガラスには、ぶつからないように鷹の姿に切り抜いた張り紙があったりもします。

このような行為はまったくの「善意」で行われ、行為者自身がその結果や影響を検証する事はほとんどありません。「自然を愛する私」は「素敵な私」と決められています。エサ台にサルの群れが集まろうものなら、餌を置いた行為は「善」で、サルが市街地に出る事が「悪」となります。夜、知らない間にクマが食べているかもしれませんが、自分が好きな動物にしか目が行きません。にっこり笑ってお目目パチパチ、かわいい動物大好きディズニー・アニメの世界です。

野生動物にとって、生きにくい環境や季節があります。環境があまりにも人為で壊されているのなら、その事を改善すべきです。逆に環境の変化で野生動物が市街地や農地に誘導されて被害が出るようなら、環境をコントロールする必要があります。種によってはそれでも被害が拡大し、野生動物の個体数を管理せざるを得ない状況も生まれています。厳しい季節があるのが自然で、その中で多種多様な動植物のバランスが維持され、弱い形質が淘汰されて種の健全さが保たれます。人は豊かな自然をそっと、謙虚に見せてもらう姿勢で接するのがいいのではないでしょうか。ペットとして「猫かわいがり」する事は、座敷猫にとどめておいて、野生動物に対しては適切な距離を保って欲しいと思います。





by maystorm-j | 2014-09-22 06:07 | 自然
2014年 09月 20日
スコットランドの独立を問う投票を見て考える
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スコットランドの独立を問う投票の結果が報道されています。住民自身の選択が示されたわけですので、それについて私が何か言う事はありません。アジアにおける大英帝国数百年の歴史には多少の関心があるものの、スコットランドについては特段の関心を持つ事なくきた人間です。気になった事といえば、整然と投票によって独立するかどうかの選択が出来るという仕組みです。はたして、日本でそのような選択が可能なのでしょうか。

大英帝国の歴史には到底およびませんが、大日本帝国も過去にいくつかの植民地を有していました。それらの植民地の住民が投票で日本に帰属すると選択したという事はありませんし、独立を決めたという投票もありませんでした。植民地化と独立までの間に、大日本帝国がその国にどんな行為を働いたかは、自国の歴史として深く考えなければならないでしょう。ヨーロッパは二つの大戦を経て、何かが変わったのです。

明治維新に際して、蝦夷地(北海道)の独立が宣言されたことがありました。蝦夷地の住民に支えられた運動ではなかったこともあり、あっけなく敗北し、その指導者の一部は明治政府で出世していきます。その一方で、独立国であった琉球国は450年続いた王朝が明治政府によって廃され、琉球藩とされます。戦後のアメリカ支配からの脱却も含めて、住民自身の選択によって帰属や独立が決められた事は、長い日本の歴史では一度もなかったと言えるでしょう。ヤマト朝廷が各地の王国を制覇・併合していくやりかたが、そのまま現在まで続いて来たのです。

一昨年の暮れに、ある集まりで「沖縄の独立」が話題になった事があります。日本政府にやり方を見ていると、沖縄は日本を離れた方がいいのではないかと考えるのが良心的な人には自然なことです。私はあえて、我々本土の人間ががそれを言う事に対する懸念を言いましたが、独立論に反対と思われたようでした。沖縄の製造業の弱さから、独立は経済的に簡単な事ではないという意見も出ました。観光立国や香港のようなあり方の可能性も言われました。確かに、独立国としての困難さも可能性もあります。しかし、それは沖縄住民の選択することです。

私が懸念した事は、本土にいる者としてどれほどの覚悟があって、沖縄独立を言うのかという問題です。日本には併合や分離を規定した法律がありません。憲法には地方自治についての記述はありますが、独立に関しては想定外のようです。もちろん侵略や併合の仕方が規定されているなんて事はありませんが、分離や独立、連邦制などの可能性も考えていないということでしょう。合法的に独立できないとなると、場合によっては血みどろの独立戦争を想像する事になります。もちろんスマートな方法があるかもしれませんが、現在の国体=国のありようはそれを想定していないと言うことになります。

安倍政権が出来たばかりの頃でも感じた懸念は、その後の急速な変化でますます強まっています。辺野古への基地建設をめぐって、沖縄住民の意思を踏みにじり、海上保安庁を全国から大動員して反対運動を弾圧しているこの国の姿を見る限り、独立ともなればどれだけの血が流されるか想像がつきます。その時に、われわれ本土の人間が身を挺してその暴虐を阻止する覚悟があるのか。覚悟があっても、現在の急激に進んでいるファシズム化の中で、どれだけの実効性のある運動が展開できるのか。本土の人間だからこそ、軽々に沖縄は独立した方が良いと、口に出来ないではないでしょうか。

スコットランドは独立反対が多数という結果となりました。ヨーロッパでは他にもいくつかの地域が独立を考えています。その背景には、EU というヨーロッパを包括する仕組みがあり、小さな国にも独立してやっていける可能性が示されています。東アジア地域の「共同性」が作られない限り、地域はパワーポリティックスに翻弄されるでしょう。




by maystorm-j | 2014-09-20 08:10 | 社会
2014年 09月 19日
信州宮本塾「じゅく通信 60号」発行のお知らせ
信州宮本塾は、発売されたばかりの「戦後日本公害史論」について、著者 宮本憲一先生ご自身の講演会を開催。このたび、「じゅく通信」に講演内容と質疑応答をまとめました。全12ページの、読み応えあるものです。下に導入部の2ページのみ掲載しますので、是非全文を「信州宮本塾」のサイトでご覧下さい。


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by maystorm-j | 2014-09-19 07:20 | 社会
2014年 09月 16日
李香蘭と従軍慰安婦


1955年7才の時に、父親の仕事の都合で3年間離れていた東京に戻りました。その頃の記憶は、あまりいい思い出ではなかったらしく、ほとんど何も憶えていません。記憶が確かになるのは10歳当たりからです。幼稚園の先生が初恋の相手、なんて話には全く縁がありません。当時、流行っていたのがテネシーワルツで、歌手の記憶はありませんが歌だけは憶えています。もう一つ、その後も強烈に残るのが「支那の夜」。テネシーワルツを知っている人は多いでしょうが、李香蘭の「支那の夜」を憶えている人は少ないでしょう。李香蘭=山口淑子さん、90を過ぎて先日亡くなられたと言う。

東京に戻って、祖父母のところに身を寄せたとき、きっと私は「支那の夜」を歌っていたのでしょう。教育上よろしくないろ「石部金吉」の祖父は心配したのか、すさまじい音痴で軍歌を次々一緒に歌わされたようです。ラジオで聞く「月光仮面」や「少年探偵団」「笛ふき童子」の主題歌なども憶えてはいます。今でも、とても人様にお聞かせできるような音程ではないのですが、軍歌の10ぐらいは出てきます。とんでもない教育効果です。

李香蘭が中国大陸で映画に出て、歌っていたのは日中戦争の頃。中国人と思われていたようです。紆余曲折の多いその軌跡は、ウィキペディアなどでご参照ください。簡単にレッテルを貼れるものではなく、その評価は私の手に余ります。凄まじい存在感ですが、戦線で殺戮を繰り返していた日本軍の兵士は、その映画を見る事が出来たのでしょうか。戦線をはさんでいる双方の兵士や農民達と、銀幕に登場する男女の違い、その埋めようもない違いをどう感じたのでしょう。やるせないほどにムネキュンな李香蘭の瞳と、慰安所に並ぶ相互の惨めな姿。故郷では見せられない凶暴さに逃げ込んだのでしょうか。

いろいろ想像します。戦時中と言えば国威発揚映画ばかりの無味乾燥とした世界を考えますが、間違いなくこのような文化も存在していました。むしろ、この甘い切なさと前線の殺伐の対比こそが、殺し合いをいっとき忘れさせたり、逆に自棄的に駆り立てていったのでしょうか。中学生ぐらいの淡い憧れなんてレベルの反応には治まらなかったでしょう。この歌の李香蘭は濃密で過剰なアピールですが、他のいくつかの映像からは意思の強さを感じます。状況や国策に流される女とは正反対だったのではとも感じます。それにしても、男は馬鹿に見えます。

この映画から15年も経って、どうして7歳の少年がこの歌を歌ってていたのか、ちょっと謎です。周囲の大人たちには、このような歌を歌いそうな人はいませんでした。YouTubeでいくつかの映像を見ていると、若い李香蘭の顔が初見に思えないのが不思議です。山口淑子として国会に出て来た頃に、若い頃の写真も見ていたのかもしれません。7歳前後の記憶がほとんどないのですから、これからも謎のままになるのでしょう。






by maystorm-j | 2014-09-16 19:43 | 暮らし
2014年 09月 15日
行くたびに変わる東京
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写真はミズヒキソウとツユクサ。ミズヒキソウは赤や白の小さな丸い点々が長期間、連なっている印象ですが、よく見ると白い花が咲いていることがあります。ふだん見ているのは苞なのでしょう。ツユクサというと、中学生時代に顕微鏡で雄蕊を見た人も多いと思いますが、あれはムラサキツユクサで、初夏の花です。こちらのツユクサはムラサキツユクサが終る頃から、秋まで、次第に面積を広げてはびこりながら咲き続けます。

先週火曜日まで一週間、新宿に通いました。軽井沢からは新幹線。大宮から埼京線で新宿まで。帰りはその逆方向ですが、10時半にデパートの会場に着けば良い行きと違って、帰りは通勤ラッシュ。もう何年も前から、車内で新聞を読む人はほとんどいませんでしたが、数年前までは本を読む人はかなりいました。でも、若い人の多くは寝ているか携帯電話をいじっています。

携帯電話をいじっていた人達は、指をびっくりする様な速さで押していたのですが、今年、車内で見る人達は、スマホの画面上で指を滑らせています。ぎゅう詰めの車内で、隣の人のスマホを覗き込むと、派手なフルカラーの画面でゲームをやっているんですね。以前なら、メールのやりとりで、画面には文字が次々と現れ、覗くと嫌な顔されたものですが、ゲームをやっている人達は周囲の他人の視線などおかまいなしです。メールと違い、孤独な作業をモクモクと続けています。仕事で疲れているだろうに、えらいなあ?? 通学時間帯ではなかったので、もっと若い人達の様子はあまり判りませんでしたが、最近は忙しく携帯のボタンを押してメールやチャットに没入していた「親指姫」はいなくなってしまったのでしょうか。

以前は、スーパーのレジで、これも猛烈な速さで数字を打ち込む女性に、呆然と感心していたものです。長年、手仕事をして来た私ですが、私の指はとてもあんなに働いてはくれません。それも最近はバーコードをピッと読み取る道具にかわられてしまいました。客が自分で商品を読み取り器にかけて、合計金額を自分で現金かカードで支払うレジもありますが、客にとってはかえって時間がかかります。レジの女性と一言挨拶する楽しさもありません。

仕事帰りに誘い合わせて飲みにいく事のない居職ですので、メールはもっぱら仕事場のパソコンを使います。PCのメールはどちらかと言うと手紙の電子版です。携帯のメールは電話の延長で、会話の電子版なのでしょう。世間に公開される発言でも、ブログとツイッターの違いに似ています。フェイスブックはセキュリティー上の不安から使っていませんが、そこに展開される発信者と受信者の関係が、友達同士で「いいね」という同調主義的なのが私には合いません。発言に対してむしろ批判がかえってくる事を望んでいますが、FBは「みんな良い子のお仲間作り」に思えます。

組織で働く人や学校では、とかく同調が求められますので、通勤時間は家との切り替え時間で、一人遊び、ゲームに没入する方が自然かもしれません。相手に自分を合わせる必要もありませんし、他人の評価も気になりません。携帯からスマホの変わっていくことで、都会の人間関係も変わる部分がありそうです。









by maystorm-j | 2014-09-15 06:18 | 暮らし
2014年 09月 12日
トマトの虫と激辛ナンバン
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東京のデパートで一週間の展示が終わった翌日、外食続きの野菜不足を補おうと農協の直販所へ。銀行やら仕入れやらを済まして着いたのが開店1時間後でしたが、まだまだ別荘族が多いのか、品物はかなり減っていました。普段はあまり買わないトマトですが、規格外の不揃い品が袋入りで安かったのにつられて、あまり美味しくなかったら加熱調理にでもと買いました。帰ってから、一番熟れているのをざっと洗って、丸ごとがぶりと。二口目をと噛み口を見ると、2〜3cmの白いウジ虫が数匹蠢いています。たぶん最初に噛んだ中にもいた事でしょう。後の祭りです。

栗の実に入っている虫なども時々食べてしまいますが、その場合は火が通っています。虫も最初は小さな卵で、大きくなった体は栗で出来上がったと思えば、あまり気にはなりませんが、生のトマトで蠢いているのを見ると、あまりいい気分ではありません。まあ、これも農薬があまりかかっていない証拠と、ウ〜ン無理矢理納得。残りを農協に持って行って文句をいえば、生産者は判っているでしょうから叱られて、以後バンバン農薬を使うようになってもいい事はありません。今年の初夏、佐久で蝶の幼虫が大発生していた地域があり、そこの農家が「スミチオンを10倍の濃度でかけるとコロコロ落ちる」と話していたのにはびっくり。そんな事していたら、人間もコロコロ・・・と言いたいのをやめておきました。

地元で採れる有機野菜を出来る事なら子供達に優先して提供できればと思いますが、不揃いな仕上がりの上に、注意して虫や病気のものをチェックしなければならいとなると、大量に短時間で処理しなければならない給食には使いにくいかもしれません。給食に虫がとなると、大騒ぎする保護者もいそうです。個人の消費なら、店先で選択し、帰って調理する時にもチェックできます。その上、多少の虫ぐらいは食ってもいいか、という様ないい加減な人間です。まあ、残りのトマトは切って中を見てから食べるようにします。

一緒に買った3種類のナンバン類。一つはピーマン。一つは太くて長い黄緑色のナンバンで袋には「中辛」と書いてあり、もう一つは濃緑色で細長く「辛ナンバン」と書いてあります。サンマを焼く時に一緒に網焼きで醤油をかけて・・・細い辛ナンバンはちっとも辛くなく、これでは細長いシシトウだなあと思い、大きい中辛の方を半分パクッと・・・ウン!?・・なんとこちらは激辛。サンマの味は消えて、ぬるい味噌汁もピリピリ熱い。二本目は?やはり激辛。想像するに、苗は正しく表示されていても、虫が違う種類の花粉を運んで苗とは異なる実がなったのでは? ここも農家を信じて、虫のいたずらとあきらめましょう。半分残った激辛は翌朝刻んでサラダに混ぜて、結構いける感じ。袋には5〜6本残っているのでトマトと煮込んでしまいましょうか・・・たぶんトマトの方が負けそうです。

写真手前の小さなトマトは、仕事場に3本だけ苗を植えたミニトマト。ほったらかしの上、低温と長雨で元気はありません。苗の価格程度には食べました。




by maystorm-j | 2014-09-12 08:06 | 暮らし
2014年 09月 01日
9月1日です
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今年の梅雨はちょっとはでに、晴れ間と強烈な雷雨が交互に、時には一日に何度か入れ替わりやってきた。つかの間の夏らしい暑さの後、8月中旬からは早々と秋雨前線が張り付き、梅雨に逆戻りしたような空模様。下旬は連日早朝の気温が15度前後に。それでもちょっと無理して近所の半日山歩きにでかけ、マツムシソウとコオニユリの写真です。住んでいるところが標高1000mですから、車で少しあがれば2000mの亜高山帯に達します。

わが町では最近、「サミット誘致」を言い出しているようです。OOサミットとかいう郷土自慢の全国集会ではなく、世界を我がものと錯覚している列強のお偉いさんが集まる、本物のサミットです。政治家が多数訪れる軽井沢ですから、要人警護には慣れているとはいえ、Oさん一人を寿司屋に連れて行くのとはスケールが違います。さぞ大規模な警備体制が敷かれ、ちょっとでも怪しい風貌の人間は監視されるのかもしれません。まさか昔のように「予防拘禁」と言うことはないかもしれませんが、「戦後レジウムからの脱却」を称えるAさんですから、戦前風にやりかねませんね。

昨日は町のトレーニング施設で、若いインストラクターにちょっとからかい半分で、「たまには違う顔で出てみたくない?」と聞いてみました。なんのことやらわからないという顔していましたので、「たまには違う顔に変身してみたいと思いませんか」と聞き直したが、「自分はどうせ平々凡々ですから、このままでいいです」と返されました。ウーン、人間が出来ているというか、悟っているというか、迷いがないのか、聞く方が馬鹿なのか?もちろん、「青雲の志を持て」などと説教することはありません。せいぜい、青雲てお線香の事ですか?と返される事になるでしょう。

顔は整形でもしないかぎり変えられませんが、名前ならいくつあってもいいかなと思います。以前、ペンネームをつけるとしたら何と名乗ろうかと考えた事がありますが、結局そのまま戸籍上の名前で過ごしています。昔の人はたくさん名前を持っていたようで、幼名や号やら家業の名前やら、いくつも使い分けています。農民は姓もなく、死んだ時にもう一つ名付けられるぐらいと言いますが、それでもお互いに屋号で呼び合っていたということもあります。

千田是也という俳優・演出家がいました。映画やドラマを見る事がなく、生前はほとんど知りませんでしたが、関東大震災の際に、千駄ヶ谷で朝鮮人と間違われて殺されそうになったことからつけた芸名だそうです。大正期というと、教科書的にはデモクラシーの時代のように教わりましたが、後半は重たい空気が張り付いていたのでしょう。なんとなく最近も、そんなざらついた空気を感じます。サミット開催なんて事になると、地域の隅々までその重たい空気が染み込みそうです。住民自らが自警団を作って、なんて方向は願い下げです。




by maystorm-j | 2014-09-01 08:16 | 暮らし