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2012年 07月 28日
「多数の民意」を正当性の根拠にする事への懸念・・・Twitter M.J. 6月21日〜25日 まとめ
一ヶ月前のツイートを読み返していると、アレッこれで良かったのかなとか、一ヶ月の間に変わってしまったなあとか、気づく事があります。まがりなりにも公開している以上、書いたものは気になって読み返します。一般に公開しない日記は子ども頃、正月から数日〜数週間と、夏休みの宿題ぐらいしか書いていませんし、恥ずかしくて読み返すこともありません。いくら読者が少なくても、自分にとって公開することの意味は大きいと思っています。

6月21日〜25日の間、官邸前の抗議行動は人数が増え、そのパワーを感じるとともに、シングル・イッシューに集約する事に疑問もわいてきました。参加してはいないので、どれだけ把握できているかわかりませんが、IWJで編集なしの中継映像が見られますので、ある程度の事は判ります。その後、このブログに官邸前抗議行動について、私の見方を書きました。


6月29日、官邸前抗議行動について・・・あるツイートをめぐって考える  6月30日 2012年

何かが違う?官邸前抗議行動/紅衛兵を思い返す  7月8日 2012年

東京人のメンタリティー・・官邸前抗議行動に見る  7月21日 2012年  

7月27日は、官邸前行動の主催者が29日に国会包囲行動を提唱しているため、金曜日の行動は行わない発表されていました。他のグループがいくつか名乗りをあげ、また主催者が誰であろうと自分の声を上げたいという市民が、一桁少ない人数ですが集まったようです。有名人や政治家のアピールは山本太郎氏や福島瑞穂氏以外ほとんどなく、様々な活動団体や一般参加者が何ヶ所かで語りかけていました。

様々なアピールを映像で聞いていると、やはり「再稼働反対」のワンフレーズに押し込めることの無理を感じます。同時に、大人数を誇る上昇機運の運動の側に流れる人達の気持ちに疑問を感じます。多様性を排除し、シングル・イッシューに集約する運動は危うい。石原都知事による尖閣諸島購入運動も、小泉郵政選挙も、古くは「一億総火の玉」もその類いではないでしょうか。「多数の民意」を正当性の根拠にかかげるなら、全体の流れを見る力が弱まり、裏に秘められた謀略や挑発を検証できず、「少数者への差別意識」にも抗えなくなりそうです。

Twitter MaystormJournal 6月21日〜25日 まとめ

6月21日
琉球新報6月16日「オスプレイ、安全面で法抵触 民間機なら不可」http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-192675-storytopic-53.htmlヘリコプターはエンジンが停止してもオートローテーション(プロペラの自動回転)で着陸する性能が日米民間機には法的義務。停止時に滑空でしか着陸出来ないオスプレー、市街地では危険。

虫の眼・鳥の眼両方を持とうとよく言われる。細部の小さな変化を見逃さず、同時に全体像・俯瞰図を描く。民主党を離党した平智之議員に岩上安身さんがインタビューhttp://iwj.co.jp/wj/open/archives/20491 自分の眼を再検証するために人の話を聞く。40年先の年金よりベーシックインカムの一言。

6月22日
税金を上げる傍ら軽減措置や救済措置。貧困をつくる傍ら福祉や保護。この仕組みでは官僚役人・末端公務員が増え、権限が果てしなく強化されて行く。ベーシック・インカム(BI)を絵空事とせず、現在のシステムに要する費用・人件費・効果に対する所得税の累進税率アップとBIの収支を比較検討すべき

子供手当は民主党の腰砕けと自民党の反対でつぶされた。しかし何よりも一般国民を装うマスコミの「金持ちにまでなぜ?」というキャンペーンが強かった。以前のように所得税等の累進税率を上げれば、金持ちからは3分の2を回収出来る。国民は国民である事で生きる権利を保障される具体的な措置に共感。

どれだけの困窮者が役所の窓口で追い返され死んで行ったのだろうか。困窮度、貧困度を他人に説明するだけでもつらい。それを査定され選別される。公平にとすれば、ふだんの生活も監視下に置かれる。何が大切で、何がなくても我慢出来るか、一人一人違う。生きられる保障が個性を生み出し社会力を生む。

数年前に車で川に転落カメラをダメにした。そろそろ欲しいと選考中に「問われる表現の自由~ニコンサロン写真展中止事件」http://www.ourplanet-tv.org/?q=node/1382 経営者の言動からキャノンの選択はない。歴史捏造問題と社会の自主規制、ネットで表現を圧迫する力。後者は逆の立場からも考える必要。

http://iwj.co.jp/channels/main/channel.php?CN=5首相官邸前抗議行動実況中継。官邸から延々と続く人並み。野田は読み間違えたのではないか。再稼働を決定すればしぼむと。野田には味方がいない。政権内はあわよくば取って代わりたい面々。自民党も政権に戻りたいだけ。官僚にとって操り人形はどれでもいい。

http://iwj.co.jp/channels/main/channel.php?CN=5 官邸から延々と抗議の人並み。これが銀座・新宿・渋谷へとつながる事があるだろうか。日が長い季節、仕事帰りに集まれる。大阪でも名古屋でも、地方の隅々まで人が出てきた時に何か変わるのだろう。地方にこそ集まって言葉を発し意思を表示する場所が必要だ。

野田政権自体は、鳩山・菅に較べて強い理由はなさそうだ。党内の支持基盤はガタガタ。官僚もアメリカも、操れればどんな人形でもいい。御用学者はいくらでも変節する。財界は儲かればいい。本当の味方はいない。王様は裸かもしれない。原発を停めること、放射能から子供を守ることに集中しよう。

6月23日
朝おきてパソコン開いたら、まだ昨日の抗議活動が続いている・・と思ったら再放送だ@iwakamiyasumi @nuu919 はーい。 RT @nuu919: @iwakamiyasumi いわかみさーん、そろそろ寝ましょ~。私も寝まーす。( _ _ ).。o○

高校時代に部活でナトリウム(Na)を扱った。石油から塊を取り出し少量をナイフで切り取り,空中で燃やしたりかけらを水に入れて爆発させた。なんと自由な学校だった事か、今なら教師の首が飛ぶ。おかげで食塩の素材とは別の、金属Naの性質を理解した。Naを水の替わりに冷却剤とする文殊の危険。

もんじゅ(高速増殖炉)は冷却剤としてナトリウムを大量に使用。Naは空気中で火をつけなくても燃える。水をかければ爆発する。事故時に打つ手が限られる。そしてもんじゅは原爆の優秀な材料になる高純度プルトニウムを生み出す。原子力基本法に「我が国の安全保障に資する」と改正条項。原爆への道。

国はもんじゅの運転をあきらめず、修復作業に取りかかる。原子力基本法に新しく、「我が国の安全保障に資する」という改正が入った。原発事故を見れば、原発の存在そのものが「安全保障に反する」ことは明らか。原発の秘めたる目的「原爆保持」が次第にあからさまになる。隣国の韓国では懸念を報道。

昨日の官邸前行動の映像を見直し、主催者側の「シングル・イッシュー」で集まる事の強さを確認。立場や主義の小異を越えて「反原発」の大同に結集する事は効果的だ。だが頭の片隅で、戦前から公安警察が多くの運動に人を潜らせ一つの先鋭的方向だけに向わせて叩いた手法を忘れまい。戦後CIAも同様。

シングル・イッシュー(政治的論点を一つに絞る)を効果的に使った小泉首相の危険を忘れまい。反原発の一点に絞れば集まりやすく盛り上がる。声を出しドラムが鳴りカラフルな表現。一方であまりにも正しい統一論点の前で、自己検証も運動内外の議論も減る。多様性の中で時間をかける根気が民主主義に。

RT 放射能を考える佐久地区連絡会 ‏@STRKOO
原子炉立地審査指針 中部電力、大地震、津波を想定し、防潮堤を作った段階で、原子炉そのものが違法となる。そのような想定を しなければいけないところに、原発は作ってはいけない。

RT 放射能を考える佐久地区連絡会 ‏@STRKOO
原子炉立地審査指針 原則的立地条件 (1)大きな事故の誘因となるような事象が過去においてなかったことはもちろ んであるが、将来においてもあるとは考えられないこと。また、災害を拡大す るような事象も少ないこと。

自由競争市場のない電力業界のお客様(は神様です)は選択権のない消費者ではなく決定権を持つ国家=官僚なのでしょう。1000億円の防潮堤建設費を支払うのは消費者=国民ですが、防潮堤で再稼働を決定するのは国家=官僚。この構造をひっくり返えそう@kidseearth中電への申し入れ・・・

次々と繰り出される反動に気をとられている内に、原子力基本法改正で「安全保障に資する」と。平和利用の仮面もかなぐり捨てる。野田政権がというよりアメリカに操られる官僚の総力戦ではないのか。石原や橋下等はハーメルンの笛吹き男。当時背後にあったのはローマ教会と各地の王。十字軍遠征への道。

6月24日
武田邦彦氏ブログ「時事寸評:原爆を始める日本・・・民主党・自民党の隠蔽」http://takedanet.com/2012/06/post_1b47.html 政界は消費税で騒ぎ、反原発は再稼働阻止行動に集中。その間に原爆保有へのあらわな策動。大飯原発再稼働阻止のシングル・イッシューにのみ運動を集約させる事は危険ではないか

6月25日
ブログMaystorm Journal更新「森(緑)の防潮堤について/強度の検証と郷土の設計図が見えない」http://maystormj.exblog.jp/16132898/ 「一石二鳥を狙う森の防潮堤計画、その問題点」「防潮堤の高さと体積、瓦礫の量」「被災地では土が不足」「郷土の設計図が見えない」をテーマに

9時からラジオで国会中継。薄ら笑いと拍手の馴れ合い質疑。気持ち悪い大政翼賛政治。途中で歯医者に行って帰って来ても続いている。その間に日本中では10人の人が自殺している計算。増税でさらに増えるだろう。痛みを感じない人達。
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by maystorm-j | 2012-07-28 06:14 | Twitter M.Journal | Comments(0)
2012年 07月 25日
人は一人では生きられない・・・かな?  7月25日 2012年
動物である以上、食物連鎖の中でなにがしかの他の生き物を喰らい、己の命をつないでいく。多くの植物のように、炭酸ガスと水と光で栄養を自作できない。昔々ある時にオスメスができ、それ以来多少なりとも自分と異なる異性とめぐりあって子孫をつくる。自分と違う存在を受け入れたり、違う存在から気に入られなければならないという面倒な事になってしまった。そんな、生物学の目から見れば、「人は一人では生きられない」という言葉は疑いもなく受け入れられそうな気がしてきます。

「みんな違ってみんないい」なんて標語をつぶやいても、まわりと違う人は孤立する。ほんとうに孤立して困るのは、病気や怪我、災害、そしてお金がない時なのですが、「人は一人では生きられない」と言われ続けていると、ふだん普通に生きていても不安になります。ご丁寧に、「人という字は、1人と1人が寄りかかり合っている状態です」なんて解説されると、寄りかかる相手がいない人はますます不安にかられるのではないでしょうか。どこから見ても人間としか見えないのに、人間らしく生きていないかのように思わされてしまいます。「絆がだいじ」なんてメディアで連呼されると、もう大音量で不安狂想曲が頭の中に鳴り響いてきます。

子どもの自殺にたいし、有名人が「君は一人じゃない。何でも話しなさい、ボクがついている」なんてメディアに登場します。そうか、やっぱり一人でいちゃあいけないんだ。それにしては近所のおばあさん達はご亭主が先立った後、のびのびと暮らしている。仕事に失敗したお父さん達の自殺も多いですね。友達がいないと人間は死ぬのでしょうか。だからお前は所詮その程度の人間なのだ、と言われれば沈黙するしかありませんが、これまで親友と呼んだり呼ばれたりする存在をもったことがありません。そんなんじゃあダメだといわれても、とりあえずこの齢まで生きてきてしまいましたし、いまさらジタバタして親友づくりでもないでしょう。老後のひまな暮しには入れそうもありませんしね。

いじめが問題になっていますが、少数者の味方という意識もあまりありません。私自身がたぶん少数者なのでしょう。水と油を混ぜてよく振ると、とりあえずモヤモヤと混ざり合います。その時に乳化剤が入っているとマヨネーズみたいに混ざった状態で安定しますが、そうでなければ静かになるにつれて油は油同士でくっつき、次第に大きな塊になって、最後は水の上にべったり蓋をしたように乗っかって2層に分かれます。水がほんの少しだと、振り回されて油の中を行き来し、そのうちに底で小さな粒になってウロウロしています。だからどうということではなく、少数者ってまあそんなものかな、というだけのことです。

少数者だって、とりあえず生きてりゃいいさ、と。一人では生きられない、なんて言われるのは脅されているようなもの、いや言われても何の足しにもならないかな。孤立することが怖いのは、「個立」していないからじゃないかと負け惜しみをつぶやいた事もあります。孤立して、いじめられているなら、どうせ我が身一つ、逃げりゃあいいとも思う。学校から家から地域から、逃げたっていいに決まっている。卑怯でもなんでもないのだが、今の世の中逃げ場がないのかな。監視カメラだらけの中、みんな背番号つけられてますます逃げにくくなって行きますね。それでも、ありもしないあの世へ逃げる前にどこか逃げ場を見つけられそうです。

子どもの数が少なくなって、一人のこどもに大人の目がフタオヤ・ヨンジジババの6人がかり。小さいときから押し入れに隠れたって見つかってしまう。一日中かまわれてモノを与えられて、一人遊びする間もない。好奇心と想像力に溢れた秘密の隠れ場所をつくれなくなってしまいました。学校は塀に囲われて裏山に逃げられない。ちょっと違う動作をするとお友達の相互監視レーダーに引っかかってしまいます。何たって、小学校に入学するかしないかといううちから、こんな歌を歌わされているんですものね。





子どもの世代の歌で、私が子どもの頃はなかったためか、頭の中ではこの二つの歌がごっちゃに混ざって、一年生になったら友達が百人できて、みんなでクシャミする歌だと思っていました。
友達いない恐怖・・・高校野球の季節。そしてオリンピック。
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by maystorm-j | 2012-07-25 08:11 | 暮らし | Comments(0)
2012年 07月 22日
再稼働と官邸前抗議に注目が集まる Twitter Maystorm Journal 6月16日〜20日 まとめ  2012年 
この時期、参議院で審議していた「東京電力原子力事故により被災した子どもをはじめとする住民等の生活を守り支えるための被災者の生活支援等に関する施策の推進関する法律案(子ども被災者支援法案)」は、その後全会一致で成立しました。この方は「施策の推進」のための法律ですから、今後具体的な実施法や予算措置など、法律を生かす取り組みが必要になります。

この時期から、政府による原発の再稼働の方向が明らかになり、それに対抗して首相官邸前での抗議行動が活発になります。いくつもある抗議行動の中で、毎週金曜日に「再稼働反対」のシングル・イッシューで結集する行動に、回を追うごとに参加者が増え、その後多くの有名人や政治家も顔を見せるようになります。

官邸前の抗議行動が大きなうねりになるにつれて、関心が再稼働問題にしぼられ、そのかたわらで政府や東京都知事、大阪市長などからのいろいろな攻撃に目が届かなくなる心配がありました。その点は今も強く感じています。

Twitter MaystormJournal 6月16日〜20日 まとめ
6月16日
「日本人の魂の植民地化が問題。そこが変わらなければ、原発を停めても日本は変わらない」と安富歩氏。異なる風景を見るまいという心。疑似的な幸福に逃げ込みたい、変わる事が怖い。強大な権力に押しつぶされているというより、魂の自縄自縛。一方で、原発が無くなった時の風景が自縛を解く可能性も。

ブログMaystorm Journal 更新「小諸市の民間処分場で汚染灰埋め立て基準変更の問題点」http://maystormj.exblog.jp/16064731/  4月柳田新市長登場。5月には昨年度説明された新規契約500Bq/kgという汚染灰受け入れ基準を2500に緩和。市議会は撤回陳情全会一致採択。

大政党は崩壊過程で光を放つ星のよう。二つの一枚岩型政党は学閥・上意下達の官僚組織。弱小政党は志を具現する方法を持たない。政治の世界は秩序が崩れたカオスの中で、エネルギーが生まれ光を発するものかもしれない。国民はあらゆる既存の常識を排し、自ら見聞きし考え行動する事が求められている。

大飯原発の再稼働を、政府が決めたようです。

官邸前の行動に行けず、仕事しながら中継映像2つを同時に受信。多くの市民が抗議の声を上げる中、なぜか華々しい行動には出てくる政党も労組も見えない。オスプレイの反対行動に行っているという議員秘書が一人弁明。政党や労組の参加を拒否することはないが、彼らは彼らの都合で動く事を忘れるまい。

官邸前からの中継映像で気になったことをもう二つ。学生が見えない。年寄り、主婦、子連れのお父さん、大学の先生・・・なのに学生の姿が見えない。若い男女は学生かもしれないが、サークルや集団では行動しないのかな? もう一つ「大飯原発」を「おおいい原発」と叫んでいる。あれ?そうだったっけ?

東電に銀行から1兆円以上の融資枠が決るが、その条件(特約条項)に値上げと柏崎刈羽原発の再稼働がある。銀行に先駆けて1兆円投入する政府は、今も一応は菅元首相の「脱原発依存」方針を否定しない。脱原発依存の政府資金と原発再稼働が条件の銀行融資、両方から貰う東電はどちらの方針に従うのか。

6月17日
ブログMaystorm Journal更新「宮脇昭氏の提唱する緑の防潮堤について Twitter MaystormJournal 5月1日〜10日 まとめ」http://maystormj.exblog.jp/16071553/  森の防潮堤計画批判を中心に、小沢裁判控訴問題など。

『2012/06/14「健全な法治国家のために声をあげる市民の会」による告発記者会見&同会代表八木氏のぶら下がりインタビュー』http://iwj.co.jp/wj/open/archives/19879 …検察審査会に提出された捏造捜査報告書に新疑惑。小川元法務大臣の指揮が野田首相につぶされた以上、国会での追及も必要。

長野、新潟、岩手など県民一人当たりの医療費が低い所は持ち家比率が高く家の面積が広く部屋数が多く、長寿という報告。NHKラジオ第2。病人が家で過ごしやすい環境という事だ。狭い仮設にまだ何年も住み、病院や福祉施設も壊れた被災地は今後、個人の医療医負担が増大し、寿命は縮むということか。

津波被災地の町の設計が決まらないうちから、防潮堤の高さを住民に決定させようとしている。急ぐ理由はゼネコンへのばらまきか。浸水区域の再開発。居住するのか高台移転か。農業・水産業か、工場誘致か、観光か、海浜公園か眺望と景観か。土地の利用方法によって、どこまで強固な防潮が必要か異なる。

14日「東京電力原子力事故により被災した子どもをはじめとする住民等の生活を守り支えるための被災者の生活支援等に関する施策の推進関する法律案(子ども被災者支援法案)」参議院東日本大震災復興特別委員会で審議入りhttp://www.ourplanet-tv.org/?q=node/1381  法の成立まで見守り後押しが重要。

6月18日
RT/ Kids' Earth[キッズアース] ‏@kidseearth
「内部被曝を生き抜く」御代田上映会 そして鎌仲監督も来ます!6月27日 10:00-11:20第一回上映11:20-12:00監督のお話13:00-14:20第二回上映14:20-16:00監督との座談会。詳細は→http://teotsunagou39.blog.fc2.com/ ぜひ足をお運びください

ブログMaystorm Journal更新 「原発再稼働、つくられた電力不足、内部被曝と学問 Twitter MaystormJournal 5月11日〜20日まとめ」http://maystormj.exblog.jp/16078429/ 一ヶ月遅れで自分の書いたものを読み直すと、冷や汗タラーッ、時にはフムフム

RT/孫崎 享 ‏@magosaki_ukeru
野田政権4:日本の統治機構が復活したのでないか。それが増税での民主・自民合意本質でないか。野田はその一部。民主党勝利、原発国民意識で、新生日本誕生かと思った私達はどうも間違ったのでないか。確固たる統治機構が又復活してきたのでないか。それを単に官僚支配と言ってしまうと実態を見逃す。

岩上安身さんによる「2012/06/16 河合弘之弁護士インタビュー」http://iwj.co.jp/wj/open/archives/20068 … 原子力村と言っている電力業界、経産省、学者、マスコミの外で、はるかに莫大な金の流れに身を置くゼネコン、商社、機械・金属会社の存在。提起された今後の戦略には議論の余地が。

6月19日
ブログMaystorm Journal更新「核アレルギー払拭の行方・ベーシックインカムについて / Twitter MaystormJournal 5月21日〜31日まとめ」http://maystormj.exblog.jp/1 6085155/ベーシック・インカムについて、経済学に弱いので、実体験から考えます

RT/岩上安身 ‏@iwakamiyasumi
不当なまでの国会の軽視は、国会を国権の最高機関と定めた憲法の軽視であり、 民主主義の形骸化であり、つまるところ国民の軽視・蔑視である。官僚の暴走、とどまるところを知らず。おもねるだけの内閣、この事態をとぼけ顏で等閑視するメディア、イケイケと進軍ラッパを吹き鳴らす米倉経団連。

RT/岩上安身 ‏@iwakamiyasumi
自民は、自公民三党の修正協議で合意に至った消費税増税法案の採決を強く求めている。採決がおこなわれない場合、不信任と問責決議案を提出の方針。しかし、この法案の今国会での審議可能な時間は数時間程度。それで採決するって、どれほど国会軽視なんだか。http://bit.ly/Pg5P6c

白石草さんが学生と共に都民へアンケート調査。一号機の炉心熔融の時期を問う質問に「事故直後」という正解は3分の1。「5月6月、分からない」が多数。知識が欠落し印象で動く人々。インターネットだけでは、この溝が埋められない。街頭演説や紙媒体の古典的コミュニケーションも必要なのではないか

6月20日
民主党執行部・自民・公明の三者で密室合意したからと、議論を打ち切る。国会は全国民の代表が全国民に見える形で全国民にかかわる法制度を決定する場。一部が密会談合した結論を採決するだけの場ではない。大政翼賛政治の再来。議員一人一人の動向を注視。無差別の議員・政治家軽蔑は翼賛派を利する。

ドンキホーテの決断力。野田政権は自己陶酔型ナルシスト集団らしい。丸見えのドンキホーテには周囲にその滑稽さを笑う大衆がいた。今は、マスコミにゆがめられ、密室の中が見えない。笑い飛ばす余裕が大衆になく、喝采を贈って憂さ晴らしをすることも。ドンキホーテのゼンマイをうしろで巻くアメリカ。

民主党に投票してこなかった私には本来、民主党内の内紛は関係がないのだが、今回ばかりはその前に3党の合議があり、国会議決の形骸化という議会制民主主義崩壊の問題が。党内紛争が国民の権利と生活に直結する以上、見過ごす事は出来ない。民主党に投票した人は、その議員の言動に責任を持ち注視を。

良い子の仮面をかなぐり捨ても突っ走る野田政権のエネルギーはどこから湧くのか。マスコミは仮面の下にある本当の顔を報じない安心感は見える。しかし後ろでネジ巻くアメリカも一枚岩ではない。この路線では不利益を被る部分も経済界にある。戦争へと動き出したら止められなかった軍国政治の再来か。

岩上安身さんが九州の山里の訪ねて「2012/06/10 藤田祐幸氏インタビューhttp://iwj.co.jp/wj/member/archives/4616 …」何点か異論もあるが、静かにゆっくりと聞く歴史的経緯や科学的解釈には、重要な指摘が多い。IWJ会員になってぜひご覧下さい。知り学び、考え議論する必要を痛感します。

昔のこと、理科の教員免許をとった。多くの親達が「数学も理科も大人になったら役に立たない」と言い、子供達は歴史の流れを知らないまま年代を暗記させられた。いま、知識も伝えたい考えも議論の必要も感じないまま、小学生から英会話。ケーキやファッションやAKB、趣味やお天気の話ばかりの会話。
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by maystorm-j | 2012-07-22 05:52 | Twitter M.Journal | Comments(0)
2012年 07月 21日
東京人のメンタリティー・・官邸前抗議行動に見る  7月21日 2012年
3週連続で雨にたたられたせいか、あるいは大飯伊原発では4号機も再稼働した無力感からとは思いたくないが、官邸前の抗議行動の人数ばかりを強調する空気は減っている。シングル・イッシューに結集する限りは、参加したそれぞれの人の思いはいろいろあっても、行動の成果は抗議の内容よりどうしても結集した人数に目が奪われる。と同時に、人数が多いほど参加している自分の正当性が確認できて、安心と満足を得て日常に戻るのでしょう。

持って生まれた性格かもしれませんし、長年一人で仕事をしてきたせいかもしれませんが、私は大勢の人に同調して同じ言葉を言い、同じ動作をするのが苦手です。特に、音楽会で会場全体が陶酔する状態や、激しいリズムでみんなが踊ったりすると、どんどん気持ちがはずれて行きます。集団でトランス状態になれない「ノリの悪い」性格です。集団でなくても、両隣の人が自分と同じ事を言うのを聞いているだけで、ひょっとすると自分が間違っているのではないかと考え始めます。最近は、市民運動や組織に参加する事はあっても、運営側にはならないようにしています。

東京や福島での動きは、抗議行動に限らず、院内集会や講演会、市民学集会など、ネットで配信されるものをできるだけ見るようにしてきました。余裕があれば参加したいと思うものがたくさんあります。地元では、3.11後に降った放射能の問題や、関東圏を中心に各地の汚染焼却灰が民間の最終処分場に埋め立てられている問題など、地域独自の問題が起きています。それぞれいくつもの団体が取り組んでいますが、団体に所属しない住民には行動の予定もほとんど届かず、時おりそれぞれのサイトに事後報告が載るぐらいです。1年4ヶ月の間で、デモが2回あっただけで、市民参加型運動にはほど遠い現状です。

官邸前の抗議行動に人が集まるようになってから、さらに地域の活動から東京へと目が移っているように感じます。年に何回か大結集して政治的にアピールする事自体は必要なことでしょうが、地元での行動以上になるのはどんなものでしょうか。さらに、地元での孤独感が癒される事を求めていくなら、一種の依存症と思います。麻薬に逃避するようなものではないでしょうか。私には、過去からずっと続いてきた、東京が地方から、都会が田舎からものも人も奪い取ってきた延長に見えます。もちろんそれは経済的要因によるものですが、それを許した精神的背景が今も続いているということです。

「再稼働反対」のワンフレーズに対する批判が、回を重ねるごとに出てきて、主催者側もいくらか他の声を許す雰囲気が出ているようです。昨日は「福島をかえせ」というシュプレヒコールが何度か聞かれました。福島から来た人とは思えない、たぶん主催者に近いか、少なくとも都会の人だったと思います。学生の頃から歌いたくなかった「沖縄をかえせ」を思い出します。沖縄返還運動の中で、既成左翼組織がよく歌っていました。


沖縄と本土の歴史的関係を沖縄戦以降に限って考えても、本土人に「沖縄をかえせ」と言う資格などあるのでしょうか。沖縄戦は本土決戦の時間稼ぎ、防潮堤でした。敗戦後、昭和天皇は自分の保身のために沖縄をアメリカにささげ、本土人はその天皇を各地で日の丸の小旗を振って歓迎しました。「本土復帰」といいながら、核付き基地付きで防潮堤の役割はそのまま今も続きます。本土人は抑止力というごまかしに騙されながらも、沖縄の負担を自ら背負う気はありませんし、抑止力を否定して米軍を日本から撤収も縮小もさせようとはしません。6〜7年前だったでしょうか、信州沖縄塾の立ち上げに参加した折り、沖縄から講演者をむかえて集会後の懇親会で、年輩の運営者達の「沖縄をかえせ」の歌声に、いたたまれない恥ずかしさを感じました。

東京で「福島をかえせ」と叫ぶ声を聞くと、私にはそれが「沖縄をかえせ」と重なってしまいます。福島に原発を作ったのは東京電力ですが、その電気で豊かな暮しを享受し、金を払って支えてきたのは東京に象徴される大都市生活者ではないのでしょうか。オール電化の家に住み、快適で便利な暮しを楽しんできたのではないですか。福島をかえせと叫ぶ前に、ごめんなさいではないですか。もちろん、東海地震が先に起きて、浜岡原発が爆発していたら、信州にいる私たちが東京人と同じ立場に置かれているでしょう。でも、信州で「静岡をかえせ」とは言わないような気もします。静岡と信州は横に並んでいます。

3.11の後、すぐに孫正義氏が,被災地の津波をかぶった農地を太陽光発電の大ベルトとする提案をしました。最近は、各地で嫌われている震災瓦礫を使って被災地沿岸に延々と森(緑)の防潮堤を作る提案が出ています。いずれしても、地元の住民がどんな町づくりをしたいのかに先行した、都会人の押しつけです。現地の雇用に資するとか、活性化とか、鎮魂とか、一石二鳥とか、様々なお節介を言いながら、また何かを奪い取って行こうとします。

自然エネルギー発電も東京人のイメージでは、海岸や山に立ち並ぶ風車だったり、過疎化した農村に広がる太陽光パネルだったりします。今でも水力発電で川と水を奪われ、そこから住宅地の上も農地上も我が物顔に走る高圧線が子供に白血病を起こす可能性など考えていないでしょう。それが自然エネルギー発電で増えるわけです。東京で電気が欲しければ、スカイツリーなどという威圧的なものを立てていないで、ビルとマンションの屋上に風車を立てればいいのではないでしょうか。それとも原発と同じように、風車の低周波が危険だから田舎に押し付けようと言うのでしょうか。エネルギーの変換効率が悪い発電方法を輸送コストのかかる田舎に作るより、大消費地で変換効率のよいガスタービン発電や、熱は熱のまま変換せずに使うコージェネを導入すればいいのではないですか。

私には官邸前抗議行動も、沖縄を本土の防潮堤とし続けるメンタリティー、原発を地方に作ってきたメンタリティーの延長上にあると感じます。東京人が自身のよって立つ構造と位置を考え直し、変わらないかぎり、品をかえて田舎から奪い続けるだけでしょう。
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by maystorm-j | 2012-07-21 08:36 | Comments(0)
2012年 07月 09日
尾崎紀世彦 I Really Don't Want to Know / Twitter MaystormJournal 6月11日〜15日まとめ


5月の末に、尾崎紀世彦さんは亡くなった。マスメディアに縁が薄い暮しをしているので、最近までしらなかった。ファンでもなかったし、大ヒットした頃は特に好きでもなく、もみあげだけが印象に残っていた。カントリーソングも歌っていた事はなぜか知っていました。You Tube で聞ける数少ない尾崎さんのカントリーソングの一つががこの歌です。

ほとんどの人は菅原洋一さんの「知りたくないの」でご存知と思います。もと歌がある事は、プレスリーの歌で知っていました。( http://youtu.be/bTYw6IJoI_Q 他たくさんあります)

どうして日本版「知りたくないの」は甘い女の歌になってしまったのでしょうか。もともとはぶっきらぼうで不器用な男の歌だったのではないのでしょうか。それを菅原洋一さんがおんな言葉で歌った事で、ひどくややこしくなってしまいました。当時の日本男児には歌の内容が許せなかったのかなと思います。いいかげん日本の男も男児を卒業して強くならなければ、いつまでもアメリカに負け続けるよと、こちらの頭もこんがらかりそうです。


Twitter MaystormJournal 6月11日〜15日 まとめ
今回は量が多いので5日分だけまとめます。この間に、原田正純さんと日隅一雄さんが亡くなられました。お二人とも「知る」という事の意味を深く問い続け、行動してきました。

6月11日
ラジオから毒にも薬にもならないハッピートーク。自殺しきれず死刑になろうと無差別殺人のニュース。ハッピートークに戻って、また駅で人身事故(自殺?)の速報。また何事もなかったようにハッピートーク。遺族感情と見せしめで死刑が増え、死刑になりたくて殺人が増える。それにしても放送人は強い。

議員給料は3000万弱。事務次官より低い。歳費等は活動費。それに見合う仕事をしていない議員を選んだのは我々国民の責任。国会の力を弱めたら喜ぶのは政府と官僚達。@karuizawaleaf 国会議員にそんなに出す必要あるのかな。それに見合う働きしてる人いるのかな。無駄遣いだと思う。

6月12日
RT 木野龍逸 (Ryuichi KINO) ‏@kinoryuichi
医師の原田正純さん死去 水俣病研究し半世紀余 http://fb.me/1XS4fhBUn

一ヶ月以上の間が空いてしまいました。ブログ更新「自然の移り変わり、津波による激変」http://maystormj.exblog.jp/16035413/  失われた土壌。土は生き物、人の営みを支えてきた。それが失われて、もとの暮らしと高台との間で、人は身の置き所に戸惑っているのではないか。

RT 木野龍逸 (Ryuichi KINO) ‏@kinoryuichi
2012年6月12日午後8時28分、日隅さん( @yamebun )永眠。

記者会見場の壁際に立ち、懸命に食い下がる日隅さんの映像をネットの動画で見て、最初は何が起きているのか理解出来なかった。得体の知れない衝撃の中から、一人ででも立ち向かえる可能性、インターネットがマスコミ報道を越えて伝える力を持つ可能性、たくさんの可能性を小さな体全体で示していた。

6月13日
民自公が修正協議と称して談合を繰り返している。連立与党間や野党間での協議ならわかるが、与野党が大きい所だけで談合すると、少数党の存在どころか国会での議論も意味が無くなる。多数決原理は全ての主権者に公開された場で少数者代表とも議論をたたかわした上で議決するから少数者にも強制できる。

政権批判勢力であるはずの野党の一部が与党と結託して多数派を作り、国会外で重要な方針や法制度を決めると、国会の議決は形だけのものになる。議会制民主主義の否定。戦中の大政翼賛会政治の再来。主権者に選ばれた少数意見代表を除外、事実上除名するに等しい策動。議員の除名は選んだ有権者の権利。

民主主義は叡智と時間とエネルギーを要すると、主権者は覚悟するべきではないか。危機感をあおり強い権力の必要性を主張する政治に対し、冷静な観察と理解、時間をかけて議論しよう。災害時の危機に対応が遅れる原因は、民主主義にではなく地域の声を聞き臨機応変に動ける行政をつぶした市町村合併に。

橋下・維新の会の原発再稼働対応に一喜一憂したり、国政に進出するかを占ったりする前に、その行政の本質をきちんと見極める事が必要。OurPlanet-TV大阪市「こどもの家」を守れ!〜橋下行革プランで危機http://www.ourplanet-tv.org/?q=node/1372 激動の時こそ目を看はり腰据えて考えよう。


法務大臣の交替に際して話題になった指揮権の問題。我々は造船疑獄と呼ばれた歴史を誤って教えられていたのかもしれない。http://videonews.com 小川前法相発言を機に指揮権のあり方の再考をhttp://www.videonews.com/news-commentar …戦後史の多面的見直しが現在の理解につながる。

RT 神保哲生 ‏@tjimbo
「政府や企業に情報公開を迫ることが、民主主義を強くする。」日隅さんの言葉です。RT 日隅一雄氏追悼番組「東電・政府は何を隠そうとしたのか」ゲスト:日隅一雄氏(弁護士・NPJ編集長)の無料放送を開始しました。http://ow.ly/bxFF5

6月14日
国民に被曝環境を強制し原発再稼働。消費増税、TPP、辺野古移設、小沢抹殺。野田政権・官僚・米国は同時多発的に突破しすれば国民を分断支配出来ると踏んだ。抵抗する国民と議員を脅すほど逆に大きな共闘の渦が起きている事は彼らの誤算ではないか。個々の問題の底に共通するものが見えてしまった。

ブログMaystorm Journal 更新「津波で生じた瓦礫の広域処理問題/Twitter MaystormJournal 4月21日〜30日 まとめ」http://maystormj.exblog.jp/16055659/  陸前高田市で再生をめざして精力的に作業を続ける方からの指摘を受けて。

6月15日
老朽原子炉圧力容器の脆性破壊は想像しにくいだろう。金属がガラスのように脆くなって壊れる。金属工芸を仕事としてきたが、真鍮という金属には打ち延ばしたり変形出来るタイプと融かして鋳造に使うものがある。後者はかなり熱しても鎚で打つと割れてくだける。古い圧力容器は100度以下でこの状態。

古い圧力容器が脆性破壊する可能性は、地震で緊急停止後に急激に冷却しなければならなくなった時に危険なだけではない。通常の点検で運転停止し冷却した状態でも壊れやすい状態になるということ。今後再稼働しようがしまいが、老朽原発の処分には多額の経費、人員、危険がともなう。原子力から撤退を。

原発を続けるという事は、今後発電出来ない老朽化した危険で膨大な施設が増えること。処理出来ない莫大な廃棄物が増えること。事故時に限らず環境汚染が進むこと。核兵器の材料が増え続けること。次世代への負の遺産がどんどん増えるのに、電気そのものは原発であれ他の発電方法であれ何ら変わらない。

食品の放射能汚染数値がネットに流布する。東北では自慢の物産を売って復興にと強い希望。私は無責任な第3者ゆえに、むしろ客観的にその産品の危険が推測出来る。他者から被災地の希望を打ち砕くような警告は言いにくい。結果、彼らの努力が水泡に帰す。無念だろう。時には彼らを偽装犯罪に追いやる。

海産物のように昨年より今年、汚染が進むものは予想が難しいが、陸上の農産物や山菜キノコなどは、昨年の数値からある程度予測できて、対策もとれたはず。昨年、暫定基準値以下の数字を公表せず、測定の検出限界を高くした事が、今年の対策を不可能にした。それが被災地や農民の希望と努力を打ち砕く。
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by maystorm-j | 2012-07-09 07:05 | Twitter M.Journal | Comments(0)
2012年 07月 08日
何かが違う?官邸前抗議行動/紅衛兵を思い返す  7月8日 2012年
「再稼働反対」というワン(シングル)イッシューに集約することの強さと危うさを考えてきました。(前回は「6月29日、官邸前抗議行動について・・・あるツイートをめぐって考える」)危うさについて述べている人がほとんどいませんので、何かせっかくの盛り上がりに一人で水をかけているような気が自分でもします。私が危うさを感じるもとには、若い頃に中国であった文化大革命と紅衛兵の残像があるからということもあります。

首相官邸前の抗議行動が叫ぶ「再稼働反対」には私も全く同感ですので、本質的なところでその行動を文革と紅衛兵になぞらえようとは思いません。活動の表現など表面的な部分の相似性を見ているだけです。文革は私が高校生の頃から始まっていますが、本格的に報道されるようになったのは大学に入ってからでした。

クラスには毛沢東主義を標榜する党派の学生もいて、毛沢東語録という小さな赤い冊子を見せられた覚えはありますが、中身の記憶は全くありません。テレビ映像には紅衛兵の大集団が毛語録を掲げて、政治家や学者を糾弾するところが繰り返し映し出されていました。大学生だったので、紅衛兵からは糾弾される側ですが、大学闘争や水俣で学者達がとった態度に大きな疑問を持っていたので、知識階級を地方の生産現場に「下放し再教育」せよという主張にも共感はありました。もちろん、10代の紅衛兵達は、中国共産党内の権力争いで動員されているという背景に全く無知だったわけではなかったので、その評価については「是々非々」などと達観していたというより、ああでもないこうでもないと議論が揺れていた状態でした。

組織とか党派に馴染めない性格のため、一斉に同じ方を向いて、同じ事を叫ぶのが苦手なのは、当時も今の変わりありません。「ノリの悪い」性格です。こんな事を言っていられるのは、切羽詰まっていない、切実さが足りないのかもしれません。しかし、官邸前に集まっている人達がほんとうに切羽詰まっているのかというといかがでしょうか。

紅衛兵はたぶんその生活のかなりの部分を文化大革命に捧げていたのではなかったかと思い返します。官邸前の行動は週一回数時間です。参加者の多くは都会暮らしで、一部の活動家以外ほとんどの生活時間は反原発とは異なるモチーフで過ごしているのは当然です。官邸前の数時間だけワン・イッシューで行動しても、ふだんは会社で営業したり、食事のしたくや孫子の世話をしているかもしれません。他では反TPPや反差別やエコロジーで活動しているかもしれません。参加者全てがワン・イッシューに固まっていると考えるのは間違いで、その点では紅衛兵とは違うでしょう。

それでも危うさは、官邸前で発散されるエネルギーが大きくなればなるほど、集まる人数が増えてその数を誇るようになるほどに、強まります。声をそろえて叫ぶことのガス抜き効果、一点に意識を集中することで見逃す諸問題、シンクロする事で得られる安心から相対視や検証の放棄・・・実際に他の課題に関する映像や文章へのアクセスが減り、ツイッター等での記述も減っているような気がします。金曜日の夜に、他の企画や集会を持つ事さえためらわれる現象が起きます。

地域で活動すると、日常生活と切り離された都会の一点で叫ぶのとは全く違う軋轢にさらされます。機動隊の圧力などとは強さも質も異なる、逃げ場のない圧迫があります。福島ではそれが極点に達しつつあり、周辺の汚染された地域でも強い抑圧があります。官邸前の行動では闘う相手が政府首脳、その周辺でも相手は東電や官僚たちで、日常生活に戻れば接する事もない人達です。

地域で活動するときの相手は、30年来の知り合いである町長であったり、しょっちゅう現場で顔を合わせる役場の職員であったり、子供の担任教師や同級生の親が務めるPTAであったりします。公園で汚染のホットスポットを探せば、花を植えている隣のおばあちゃんが会ったりします。そのような日常の関係性から抜け出して、官邸前に行く事の意味を考えないわけにはいきません。象徴的な行動として2ヶ月に一度ぐらい、大きなデモに参加するのとはちょっとちがうのではないでしょうか。

ツイッターに流れる参加人数を誇る記述やマスメディアが報じない事への怒りなどを読んでいると、何か違う方向へ曲げられていっているように思います。私の住む所では、ほとんどの人が地方新聞しか読まないので、新聞が報道しないと怒るより、いかにして人に伝えていくのか、始めからマスメディアに大きな可能性があると思ったことはありません。参加人数の急増を誇り、国民の多数が再稼働に反対しているという主張とは裏腹に、地域では無関心とお上の言う通りに信じている(ということにしておくのが無難と思う)多くの人々の壁の前に立ち尽しています。

官邸前の抗議行動に参加する事で、地方の閉塞的な状況に風穴が空くのでしょうか? 
意識の方向をねじ曲げ、エネルギーの発散とガス抜きを、3.11以前からねらって活動してきたのではないかと感じていたグループが、官邸前行動の主催者を演じている事に懸念を感じてきました。
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by maystorm-j | 2012-07-08 09:16 | 社会 | Comments(0)
2012年 07月 02日
大飯原発前「再稼働反対」行動の検証  7月2日 2012年
大飯原発が再稼働され、57日間続いた原発全停止状態は終りました。原発の電気だけを拒否する事も出来ません。逆に原発の電気だけを買うこともできないので、再稼働を支持した人にしても、特段のありがたみがあるわけではないでしょう。事故によって引き起こされた被害を実感している人以外は、生活感覚の乏しい選択を突きつけられたのかもしれません。

首相官邸前の抗議行動について、シングル(ワン)イッシューに集約する事の問題点を、前に書きました。昨日7月1日大飯原発前で行われた再稼働反対行動について考えてみます。現場の映像はIWJのサイトで見る事が出来ます。

大飯原発の現地で、再稼働の日に行われた行動ですから、再稼働反対のシングル・イッシューになるのは当然で、ほぼ終始「再稼働反対」のシュプレヒコールがたくさんのドラムの音を背景につづけられました。官邸前が多くの団体の連携によって招集・運営されていたのに対し、現地に集まった400人前後の人々は,個人、家族、小グループで三々五々集まってきたようです。ただし、最後に解散する際の様子から考えると、何らかの運営グループが事前に存在したか、あるいは自然発生したかという事は考えられます。明るいうちは子連れの参加もかなりあって、警備する機動隊との衝突に巻き込まれないかと心配するツイートが多く見られました。ドラムに合わせて踊っている若いコアグループとの間に、特に断絶があるようには見えませんでした。

何度か、機動隊側が横隊編成のまま押してきたり、サイドを一時突破した事はあり、緊張する場面がありました。その度に、抗議する側は機動隊に背を向けて両手を高く挙げ、暴力行動を行わない意思表示をしながら、押し返していました。その接触を「機動隊による暴力的弾圧」と表したツイートがありましたが、私には機動隊側も実力行使を予定していないように見えました。

映像で全部が見られたわけではありませんが、機動隊の規模も装備も、実力排除や大量拘束を狙ったものではなかったと思われます。警官の顔を一人一人映像で見ていると、最強の実力部隊員ではなく、学徒動員を思わせる冷静な部隊編成の印象がありました。もちろん、放水車や催涙弾どころか、警棒さえ使う事を想定していなかったように見えました。基本的にはただブロックする事だけが目的だったと思われます。

抗議側も、最初から「再稼働阻止」ではなく「反対」であって、構内乱入・実力阻止などはこれっぽっちも考えていない態勢・服装ですので、双方に抑制がきいていたと思われます。むしろ有形無形の意思疎通があったと考える方が自然です。関電と政府側は封鎖された道路を強硬突破して事を荒立てるより、当初から船で入構を考えていたのでしょうし、抗議側も再稼働を実力で阻止できない事は重々承知しているわけですから、あえて傷つく方針をとらなかったのは当然でしょう。これを馴れ合いと非難する事は不当で、示威的、象徴的行動であったということです。

しかし、象徴的行動としてあの表現形態で良かったのかというと、はてな?という感じが残ります。延々と20時間近く(あるいはもっと長く)映像が全世界に流れたのですが、その間のどこを切り取ってもほとんど同じドラムと踊りの繰り返しです。時おり押し合いがあり、短時間のインタビューもありましたが、全体としてははたして誰に何が伝えられたのでしょうか。やむにやまれない気持ちで遠路駆けつけた人々の心からの言葉こそ聞きたかったと思います。

多くのサウンド・デモの映像をこれまでも見ましたが、演奏し踊っている人の陶酔感ばかりで、伝わってくるものが乏しく、参加者同士のコミュニケーションもままならないように思います。政治課題に暮しの側からどう向き合い、どう変えていこうとするのか、大切なことが見えてきません。ただただ「俺たちは怒っている」という感情の発露だけにしか見えないのが、もったいないと感じます。
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by maystorm-j | 2012-07-02 21:26 | 社会 | Comments(0)
2012年 07月 01日
自然の変化と人間の不適応・・・放射能汚染、野生動物被害、外来植物に見る 7月1日 2012年
昨日は夕方、町の施設で軽く運動。と言っても、動かない自転車をこいだりする寂しい運動で、電線がつながれたクリップを耳たぶにつけて心拍数を測りながら、汗がたらたら。発電機にでもつながっていて、お茶の一杯でも沸いたら運動のしがいがあるというものだが、ただただ黙々と手足を動かすだけです。それぐらいなら外を走った方が良さそうなものですが、利用料300円で、運動後にサウナ付きの大浴場に入れるので、週2回ほど通っています。役場仕事らしく土曜日は5時に終了なので、帰って仕事の続きを、という事で風呂上がりにビールの一杯とはなりません。

風呂は男女別(当たり前か?)ですので、男湯の方しかわかりませんが、ほとんどおしゃべりをする事なく、しかめっ面したままで湯船につかっています。鼻歌歌ってもうるさいと怒られそうな空気。女湯はきっと騒々しいだろうと思いながらも、無粋な公共施設ですので、昔の銭湯のようにしきり壁が途中までしかなく天井に反射したざわめきが聞こえる事もありません。しかしトレーニングの方は中年以上の女性が多く、花盛りをちょっと過ぎて話盛りのご年齢。脈拍160で必死に息吸い足を回転しながらお話に付合うのは、なかなかの修行になります。

人のうわさ話が話題になる事は少なく、たいていは食べ物や無難な花や山菜、キノコの話。コゴミは放射能に気をつけてね、キノコは危ないよ、傾斜地の家庭菜園では水が溜まりやすい場所は花でも植えてね、とかとか間の手を入れるのですが、特にいやがられもせず、右から左にスルーしているらしく、翌週になるとまた山菜を食べた話で盛り上がっています。秋のキノコ談義も今から想像がつきます。

小学校の集まりで給食の放射能が怖いというと、ヒステリー扱いされるという話をよく聞きますが、年輩者がほとんどのせいか、排除される事もないかわりに、話を聞いて暮らし方を変える事もなさそうです。「原発をどう思いますか?」と聞けば、きっと多くの人は「いや〜ね」と言いそうですが、目の前に放射能が多少あっても、すぐに暮しぶりを変える事は期待できません。

これを書いている途中、朝の6時頃に外から数発の破裂音が聞こえました。近くにクマが出ているなと思い、バイクで出かけ、町の委託で追い払いをしていたNPOのメンバーとちょっと立ち話。集落から100mほどのところを横切っていったばかりだったようです。通ったところの草が踏まれていたので、頻繁に使われているルートです。人家の近くで花火音で追い払いが行われたのですが、日曜日のせいか誰も起き出してくる様子はありませんでした。野生動物の被害が出る地域ではここ数年、やっと電気柵が普及してきています。その前の5年ぐらいの間、加害動物を全部殺せ、もうこりごりだ畑なんかやめる、電気柵なんて金と手間がかかるから嫌だ、様々な反応があって、少しずつ対策が普及していきました。

放射能汚染の問題も、5年もすれば少しずつ冷静に事実を受け止めて、対策を考えるようになるでしょう。野生動物に作物を食われてその年は損失を出しても、来年対策を講じてまた種を蒔く事ができます。放射能の困るところは、一度体内に入れるとなかなか出て行ってくれない核種があったり、出て行くまでの間に周囲の細胞の遺伝子を変化させて、かなり経ってから癌などが発生することです。また種蒔きゃあいいか、というわけにはいきません。

一昨年は存在しなかった放射能がそこら中の自然に今は存在する。自然の変化のスピ−ドに人間の変化が追いつかないことはよくあります。昨日のトレーニング中にも、外でウォーキングしていたグループが、カナムグラの葉を摘んできて、オオブタクサではないのかと話していました。オオブタクサは近年急激に増えてきた外来植物で、花粉症の原因になります。役場には3年前から春の小さいうちに抜くように広報で指導してくれと話していますが、前例がないこと(外来種だから当然ですが)はやりたがりません。昨日話に加わった職員の一人は、お盆すぎからクシャミが出るので、家のまわりのオオブタクサを刈り取ったら、花粉を浴びてもっと症状がひどくなったとぼやいていました。人間が変わるのには5年はかかるとすれば、再来年あたりには役場が広報で抜き取りを呼びかけ始めて、さらに5年ぐらい経つとみんなが春には一斉に抜き取り作業を始めるかもしれません。きっと、その頃にはまた別の外来植物が猛威を振るっていることでしょう。

一筋の道とか生き様とか、不変の生き方が賞賛される事が多く、豹変、気まぐれ、その日その日の出来心で暮しを変える人は信用されないようです。自然は悠久不変で、こせこせと利に走る人間のようにはころころ変わらないと思われがちですが、生態系と人間社会を俯瞰すると、どうも人間の保守性、環境の変化に対する不適応の方が目立ちます。
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by maystorm-j | 2012-07-01 08:21 | 社会 | Comments(0)