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2012年 03月 24日
「わたし、子どもをうめるの?」という問い  3月24日 2011年
「わたし、子どもうめるの?」と子どもが聞く。「もう子どもをあきらめます」と若い女性が言う。直接問いかけられた事はありませんが、報道されるその言葉を聞く事はつらいものです。その言葉を反復し、そのまま東電や政府にぶつけてその責任を問うということをしてもいいのだろうか。あるいは、問いかけた子どもや若い女性に自分を同化させて、悲しんだり憤ったりしてもいいのだろうか。

「生んでいいの?」という問いに、もし私が答えなければならないことがあったら、その答えは一つしかない事を解っています。先天性の障害をもつ知人が何人もいます。一つしかない答えを、胸を張って言えるようなつきあいをしてきたのか、そんな社会をつくってきたのか。

40年前、ユージン・スミスさんが撮った胎児性水俣病の若い女性と母親の写真、その母親の「宝子」という言葉に接しました。その写真は水俣病を伝える象徴として多用され、その後ご両親の希望に従い、アイリーン・スミスさんによって封印され、今は見る事ができません。それについては、原田正純さんの記述などを、ネットや本で調べて下さい。答えを求め続けてきた人達の、一つの軌跡を見る事が出来ます。

最初に掲げた子どもの問いについて、知人に一言話した事があり、Twitterにも一度書きました。言葉足らずだった思いがあります。それ以来いつかきちんと書かなければならないと感じながら、結局充分に語りきれません。考え続けなければならないし、他の方々がどう考えるかも聞きたいと思っています。

by maystorm-j | 2012-03-24 05:58 | 社会
2012年 03月 21日
震災瓦礫広域処理は放射能アレルギーの減感作療法/Twitter Maystorm Journal 3月11日〜20日 まとめ
今年は春の訪れが遅く、まだ軒下には1mもの雪が積み上がっています。スギの花粉症も、こちらはありがたいことに発症が遅れていましたが、先週から始まりました。7才の頃から花粉症でしたので、既に55年以上の経歴。柔らかいティッシュなどない時代、新聞紙をもんだり、所々に藁らしきものが混ざるゴワゴワのチリ紙で鼻をかんでいた頃は、鼻の周囲がすりきれて血がにじんでいたものです。ひげをはやせるようになって、すりきれ血だらけからは解放されましたが、以後40年以上自分の素顔を見た事がありません。

花粉症に対しては、症状を抑える薬がいろいろありますが、根本的治療法として減感作療法というものがあります。花粉症は、鼻や口から入った花粉を、体が異物と認識して排除しようとする防衛反応が過剰に起きてしまうアレルギー症状です。その異物(アレルゲン)をうすめて少量ずつ定期的に体内に取り入れて、体が異物と認識しないように慣れさせるのが減感作療法です。

このところ政府は岩手県と宮城県の震災瓦礫を全国に配って焼却・埋め立て処分の推進を強力に進めています。全量では2千3~400万トンと言われる瓦礫のうち、広域処理にまわそうとしているのは3~400万トンのようです。全量の内、どれほどが可燃瓦礫なのかが不明ですが、安全性の高い焼却場の建設を希望する現地の自治体もあるようです。莫大な助成金をつけて運び出すぐらいなら、現地で瓦礫の管理をするからその金を復興資金にまわしてほしいという主張も聞かれます。

瓦礫の広域処理が莫大な利権と化し、それに群がる亡者達がいるようですが、政府の狙いは利権のばらまき以上に、国民のマインド・コントロールにあるのではないでしょうか。核アレルギー・放射能アレルギーという、本来危険な異物に対する防衛反応に対し、うすい放射能を少量ずつ広く散布して、国民のアレルギー反応を減感作する事が目的ではないでしょうか。瓦礫の放射線を測定して安心させ、濃縮された焼却灰も一時しのぎの埋め立てで、線量測定し、放射能に慣れさせるのです。

現地で処理・管理出来る程度の量の瓦礫に大金を投じて拡散する狙いが、放射能アレルギーに対する減感作療法だと考える理由は、2県の瓦礫の背後に桁違いの汚染物が控えているからです。福島県内の瓦礫、3県と北関東の農地山林に降った放射能の総量は、広域処理する予定の瓦礫放射能の何千何万倍になるのか見当がつかないぐらい桁数が違うでしょう。それが既に、ほんの一部分の除染目的ではぎ取った表土ですら置き場に窮しています。今後、農地の表土、山林の落葉、製材廃棄物(樹皮や枝に放射能が高い)、廃棄農水産物、下水汚泥、汚染建築物、浚渫土砂・・・様々な形で出てきます。さらにその後、福島第一原発6基と浜岡、その他寿命が来た原発の廃炉・解体作業で多量の汚染物が出てきます。

その膨大な汚染物をどこででも処理し、どこにでも埋め立てするためには、住民の放射能アレルギーを早急に払拭する必要があると政府は感じているのでしょう。瓦礫の広域処理はそのための減感作療法だと思われます。

Twitter Maystorm Journal 3月11日〜20日 まとめ
3月11日
佐久の反原発集会600人以上、行進には500人以上が参加。昨年6月の倍近い。サウンド・デモとは違う静かな表現。震災1年という日、組織的に抑制したのか、個人個人の判断か。良かった。集会中も行進中も多くの人と話ができたし、終った後の語り合いも小さな子供がたくさん、ゆっくり話が聞けた。

3月12日
子供が「私、子どもを生めるの?」と聞く。聞かれた大人はつらい。子供が放射能に脅える社会にしてしまった。先天性の障がいを持つ多くの知人を思い浮かべる。私自身も健常者と言われると違和感がある。福祉か自立支援かベーシックインカムか・・・生まれてくる全ての子供を社会の仲間として迎えよう。

3月13日
公務員問題1/許認可権を土産の天下りによる支配、国税を利権にかえて財界と癒着し、地方政治をも支配する官僚組織。官僚による政治支配の打破を目指していたはずが、いつの間にか公務員たたきにすり替えられ、増税の隠れ蓑に使われている。格差を拡大し国民年金さえ払えない若年層を生み出した責任。

公務員問題2/一般公務員の給与は確かに高い一方、現場のきつい仕事は多くの臨時職員や受託業社員が低賃金で、さらに無給のボランティアが支える。階層構造を変えなければサービスの質は上がらない。増税と人員削減がセットでは、納税者は踏んだり蹴ったりである。上意下達と超多忙で教師は思考崩壊。

公務員問題3/確定申告の時期は毎年、公務員が鬼に見える。同じ年代の公務員は、私の3倍の年収、私の10年分の退職金、現役で働く私より多い年金で楽隠居。公務員は高い税金を払っているというが、その計算をする職員も税金で雇う。零細自営業者は経理や申告作業で1週間分以上の収入を犠牲にする。

公務員問題4/日本の公務員比率は高くない。現場は人手不足の上、権限がない。現場を知らない上級職員が、机に向って判子を押す。縦割り構造のために現場では連携がとれない。役所の構造を変えないで、公務員たたきをするなら、サービスの現場は崩壊し、権力支配のみが拡大する。維新の会はその方向。

今朝早くからNHKラジオで「瓦礫受け入れ」と何度聞いた事か。その背景は野田内閣の強要と金のばらまき、自民党へのすり寄り。絆が押しつけられ、反対するものは非国民という空気が作られていく。世論調査を使って世論操作するNHKの常套手法。多数派であることで安心する国民性が議論を封殺する。

3月14日
瓦礫の広域処理問題で、あまり議論されていないのが焼却後の灰の埋立て。長野県では民間業者が埋立てを請負っていた関係で、その問題が先行した。最終処分場の問題は原子力推進側の最弱点の一つ。低レベルなら、いい加減な施設でどこにでも埋めてよいという社会的合意の形成が政府の真意ではないのか。

瓦礫にも山林にも均等に放射能が降下したとするなら、今後数十年間汚染された焼却灰や下水汚泥が各地で出るだろう。除染作業で出る汚染土壌は増え続け、浚渫で海川湖沼から汚染堆積物も出るだろう。現在行き場が定まらない膨大な汚染物を、各地でゴミや産廃処分場に埋立てる事が政府の狙いではないか。

不思議なイントネーションで「潜在自然植生」と彼が唱えると、企業や行政が食いついてくる。その光景を40年間不快な思いで見て来た。自然は、あれとこれとを植えれば正しい森が出来るというほど単純ではない。微地形・微気象、土壌と母材、海からの距離、微生物・昆虫・大動物との関係。複雑で多様。

3月15日
政府が瓦礫の広域処理を進める目的の一つに、核物質に対する危険意識を消し去る事がありそうだ。焼却しても安全、埋めても安全。今度は海岸で帯状に積上げ森と防潮堤を作れば安全という。トイレと浄化槽が作れないから、うすめて一緒に仲良く暮らせという事か。うすめれば食べても安全?吸っても安全?

3月16日
ブログMaystorm Journal更新「自ら情報を受け取り、言葉を紡ごう Twitter Maystorm Journal 3月1日〜11日 まとめ」http://maystormj.exblog.jp/15580545/ 今の状況の中では、敗戦後のように「大本営発表にだまされた」という言い訳は知性の崩壊だ

学校の授業で柔道をやるという。中学生の頃部活で柔道を始めた時、3ヶ月間は受け身練習だけ。自分の新しい柔道着のかわりに先輩のお古。その間ずっと受け身で腕は血だらけ、柔道着は洗っても茶色に変色。いい加減な部員だったが、以後半世紀近く骨折は未経験。負け方を身につけなければ格闘技は危険。

3月17日
被災地支援で瓦礫受け入れに賛成する人達でも、運ばれてくる瓦礫や焼却灰に、直接触れる事も、目にする事もほとんどないだろう。支援した気分だけ。400万トンの瓦礫は国民一人当たり30kg。全国民に宅配で配給し、庭に埋めるか、100年管理しろと言われたらどうする?送料2000億円で済む

3月19日
昨日追分で9条の会主催の色平哲郎さんTPP講演会。TPPに意識がある人達の中でも、その情報量や理解に大きな溝を感じる。原発問題より大きな格差。ブログ更新「再び後悔する前に、情報と理解の格差を埋めよう」http://maystormj.exblog.jp/15594066/ネットユーザー側から溝を埋める努力必要。

瓦礫の拡散は核アレルギーに対する減感作療法と言える。岩手・宮城の瓦礫放射能は、全山林・農地・市街地に降った放射能に較べると何桁も少ない。政府は国中まんべんなく配って、国民を放射能に慣れさせたい。どこにでも埋められる事にしたい。今後出る膨大な汚染物や廃炉作業廃棄物の捨て場のために。

3月20日
チェルノブイリでは汚染された家々を壊して埋めた。宮城・岩手の瓦礫汚染度はずっと低い。しかし、それを焼却すれば放射能は灰で数十倍に濃縮され、管理が必要。政府の狙いはその汚染灰を各地のゴミ・産廃処分場に無防備に埋める事。瓦礫の次に送り込まれるのは農地山林の汚染物、廃炉から出る汚染物。

福島周辺に限らず、関東全域はかなりの放射能汚染。今後、水や風と共に移動し、人間の活動によっても移動し、食物連鎖でも移動・濃縮され、思わぬ所で思わぬ形で危険が生じる。うすめて拡散すれば、かえって危険を認知出来なくなる。各地域ごとに汚染の状況に即した処分方法・管理方法の確立を要する。

by maystorm-j | 2012-03-21 07:37
2012年 03月 19日
再び後悔する前に、情報と理解の格差を埋めよう  3月19日 2011年
昨日3月18日、軽井沢町追分で地元9条の会が開いたTPP問題の講演会に参加しました。講演者は佐久総合病院の色平哲郎さん。地区の公民館という小さな会場に、小さな子供さんとその親世代が何組か、他はほとんどが祖父母世代が集まりました。3月11日の脱原発集会と行進に参加した人が多かったと思います。

TPPという言葉が一昨年、菅首相から出た時に、既にその事を知っていた人はほとんどいませんでした。昨年の始め頃から,これはなんだか変だぞ、という感じを持ちつつも、その内容がマスコミでは報道される事がなく、いくつかの雑誌で拾い読みする程度。たまたま「信州宮本塾」が震災以前からTPP問題の講演会を4月2日に予定していたので、震災・原発情報とあわせてネットでTPP関連の記述を拾っていました。

昨日の講演会の様子から察すると、TPP問題に対する情報と理解の格差は、原発問題よりはるかに大きいと思われました。色平さんが紹介する内容は、ネットではリアルタイムで流れていたのですが、TPP推進一色だったマスメディアでは、ほとんど知らされてこなかったのでしょう。一昨日ブログに、原発問題で政府やマスメディアが本当の事を言っていないと気づきながらも、インターネットに取り組まないのは知的怠慢だと書きましたが、考えてみればそれをネットで書いてもネットをやらない人には届きません。

自分の息子を戦争に送り出して失った親達、教え子を戦争に駆り立てていった先生達は、今はほとんど亡くなられたり、発言する事が少なくなりました。戦争中の統制された報道から正しい情報と理解を得られず、若者を死地に追いやった後悔の言葉を聞くことは、20年前に較べるとめっきり減りました。今また5年後10年後に、放射能は安全だ、TPPは開国だと「お上」に騙された事を後悔する事になるのでしょうか。

昔「国破れて山河あり」と言われましたが、原発・放射能はその山河すら失う事を明らかにし、TPPはそこに育まれたゆたかな社会を失う事を予見させています。原発事故から一年が経ち、広がっていく情報と理解の格差をどう埋めるのか。その溝に気づいている側からしか、溝を埋められない事は確かです。

by maystorm-j | 2012-03-19 05:33 | 社会
2012年 03月 16日
自ら情報を受け取り、言葉を紡ごう  Twitter Maystorm Journal 3月1日〜11日 まとめ
阪神大震災から1年間、どんな事を考えていたのか、あまり記憶がありません。当時はまだパソコン・インターネットを始めておらず、かといって日記や文章をかく事もなかったので、記録もありません。子供の教育費がかかる時で、金属工芸などという絶滅危惧職では、公務員の2〜3倍の労働時間。手を動かしていればいい時間が多いので、いろいろ考えていたと思うのですが、文章にしないと論理が展開せずに、感情ばかりがめぐっていたのでしょう。

それから何年かが経ち、アナログ人間を自称していたのが、このままではアナクロ人間になりそうで、遅まきながらもパソコンを始めました。MacがOS 9になっていた時代で、パソコンの黎明期から始めていた人に較べればはるかに操作しやすく、教室に通うこともなく、マニュアル本を読むことで使えるようになっていました。

阪神大震災の時は、マスコミが流す情報とインターネットに流れる情報との間にどれほどの差があったのか、私には判りません。ボランティア活動などの細かい情報はネットに多く流れていたとも思いますが、量的な差はあっても、情報の質にはあまり違いがなかったのではないでしょうか。当時、新聞・テレビ・ラジオにかじりついていて、政府や当局の発表に、責任逃れや焦燥感を感じる事はあっても、嘘・ごまかし・隠蔽を嗅ぎ取って怒る事はあまりなかったと思います。

阪神の際は地域が狭く、都会であったため、周囲からの出入りが容易で、親戚・友人・ボランティアがむしろ現場が混乱するほど短時間で現地に入り、実情を隠しようもなかったでしょう。しかし、一番の違いはやはり原発事故という、大事故は起きないという想定で対応マニュアルが無く、国策を根底的に揺るがしかねないことが、今回の震災で起きた事です。

マスメディアは、イラク戦争で見られたように、危険な現場には契約したフリージャーナリストや現地のジャーナリストの取材を買い取るだけで、政府や米軍が認めないと自らは現地に行かないという姿勢でいました。今回も、米国は80km圏から自国民を退避させていますが、マスメディア各社もすばやく記者を50km圏から退避させました。

本当に危険であれば、記者も人間ですから現地に残れとは言えませんが、逃げた一方で「ただちに健康に影響はありません」という政府の発表を垂れ流し、さらに学者を動員しそれを補強するコメントを加え、住民を現地の縛り付ける報道をしました。その時点で、国民はマスメディアの嘘を見抜けたはずで、以後自ら情報を探し,受け取る方法を講じなかったとすれば、国民の側の知的怠慢と言われても仕方ありません。

今でも、政府もマスコミも本当の事を言っていないと感じている国民が多いのですが、それにもかかわらず小学生にでも出来るパソコン・インターネットに取り組まないのは、国民的怠慢と言うべきでしょう。敗戦後、多くの国民は「大本営発表にだまされた」と言いましたが、戦争中でもだまされなかった人は大勢いて、多くの人が検挙・投獄されていました。当時に較べれば、今はまだ命がけでなくても自ら情報を受け取る事が出来ます。

金と時間の余裕がある年輩者たちが、自ら情報を受け取り、意見を表明しないのは怠慢です。「お上」の発表に疑念を感じながらも、その言うとおりに若い世代を縛り付けるなら、それは知的退廃です。文章を書くという作業は20年前まで、専門の職業人か趣味人のする事でした。戦前、ほとんどの国民は小学校を出ると就職した時代に較べて、今はその倍の年月、教育を受けています。寿命も延びています。自らすすんで情報を受け取り、取捨選択し、自身の言葉を紡ぎ出さないなら、この国では知性の崩壊が始まるでしょう。

Twitter Maystorm Journal 3月1日〜11日 まとめ
3月3日
焼香だけではすまない葬式が2週続く。どちらも仏式。お寺との関係は参列者それぞれだが、地域社会の結びつきは強い。IWJで二本松市の真行寺をめぐる人々の「百人百話」。見えない放射能にどう向き合うか、悩み、迷い、後悔する言葉に、寺の関係者として地域社会で生きる事のリアリティーが溢れる。

3月4日
放射能の危険から子供を守ろうとする若い親達の足を引っ張る年輩世代を見るのは悲しい。仕事のしがらみもなく、年金で自由に暮らせるのに、なぜ変わる事を拒む。新しい知識や情報をなぜ避ける。小学生でも扱える最新のパソコンを買う余裕と、豊かな人生経験があるのに、なぜ若い世代の健康を考えない

山林に降った放射能のかなりは、土に浸透せずまだ落葉にあるようだ。分解が進み、ミミズ等の土壌動物に濃縮蓄積、ミミズを多食するイノシシでさらに濃縮する可能性。昨日軽井沢で「浅間山麓の自然」セミナー。シカが生態系に与える破壊的影響が論じられたが、放射能問題は出ず。自然=美の意識が強い。

少子化を憂う政治が、なぜ収入の割に支出が多い子育て世代に厳しい消費税増税なのか。余裕がある高所得者の税率アップが筋。若い世代の労働力・収入力を高めなければ、福祉は崩壊する。子供に放射能を強要し、非正規労働者を切り捨て、豊かな老後幻想にしがみつく老醜。年寄りこそ今、学び変化せねば。

3月6日
震災瓦礫につく放射能は、瓦礫発生以後に降下したもの。面積では山林の方が圧倒的に多い。針葉樹林ではまだかなり枝葉に残り広葉樹林は落葉に多いだろう。春になって乾燥すると風で舞う可能性。花見も行楽も運動会も要注意。除染済みの校庭・園庭にも新たに飛来降下する。山菜採りもひかえ資源復活を。

阿武隈高地にはイノシシ多、シカとクマも棲息。落葉層からミミズに蓄積した放射能はミミズを多食するイノシシでさらに濃縮するだろう。しかし野生動物にとっては、放射能の健康リスクに較べて、人間のリスクが桁違いに大きい。人のいない阿武隈で増殖する可能性。無理な山林除染よりその費用で補償を。

もとから山林に点在する田畑は野生動物にとって餌の宝庫。人がいなくなれば、大規模の農地も村落も同様。繁殖力の高いイノシシとシカは爆発的に増える可能性。様々な実験場を含む自然公園化など、汚染された山林の扱いを議論する事が必要。除染より拡散防止が課題。河川には途中に放射能沈殿ダムも。

3月7日
昨年春は自粛と通知があった45年前のクラス同窓会案内メールがきた。一流ホテルのフランス料理店。長野新幹線ができる前に一度だけ参加したことがある。階段を昇りつつある人達の元気な話が飛び交う中、そこにいる事を後悔しながら飲んでいた。その元気な人達も今退職の年齢。どんな思いだろうか。


45年前クラスはストに参加。大学のあり方を問うが、稚拙な論理と稚拙な運動は成果もなく崩れ、問いかけだけが残った。それから10年大学に残るが、能力も環境も意欲も不足、研究者の道をあきらめた。96年、県内で河川工事中の作業員が土石流で多数死亡。学科の学者が予測不可能な事故と鑑定した。


危険を予想し作業員を引上げた請負業者もある中、残った作業員の内14名が土石流で死亡。国交省と県は天災と言う。裁判で遺族は、発注者である行政の責任を問うが敗北。大学は何一つ変わらなかった。昨秋スト当時の仲間の名前をネットで見つけた。放医研・放影研OBとして各地で講演しているようだ。

11日には佐久平駅横の公園で脱原発集会と行進の予定。参加するつもりだが、今回は特に違和感がある。集会にはアトラクション、行進は楽器が持ち込まれるようだ。震災で一瞬のうちに失われた多くの命の無念を思い、これ以上政府と東電が命を奪うことを許さない決意を、集会と行進で静かに表明したい。

この一年、原発事故で何人の命が奪われたのか。行政も東電もなぜか、その命の数さえも数えない。病院や施設から避難する途中で失った命。自力で避難出来ず餓死した命。瓦礫に下で救いを求めながら、救助者も避難せざるを得なかった無念。苛酷な事故処理作業で倒れた命。不要な計画停電が奪った命。

避難所の暮らしや転々と移動する事に耐えられなかった多くの命。震災で一瞬に奪われた命との間に、その重さにはなんらの差はない。しかし、原発が奪った命には私たちにも責任があるゆえに、東電と政府には法的責任、賠償責任、あらゆる責任を問わねばならない。これ以上の命を奪う事を許さない決意を。

3月8日
私は人の気持ちを読み取るのが苦手だ。自身の喜怒哀楽の感情も淡い。信仰心もない。それでも、3月11日に、笛太鼓でにぎやかに行進する気持ちになれない。この日、全国各地でどれだけ多くの人が失われた命を思い起こし、悲しむだろうか。参加する予定のにぎやかなパレードが報道されない事を願う。

3月9日
今朝も雪が降り始めた。内陸の高地・軽井沢では、3〜4月にドカ雪が良く降る。ナタネ梅雨と呼ばれる太平洋側の前線や低気圧の影響。ナタネにはたくさんの品種があり、春先に蕾のついた菜を食べる。繁殖力と交雑力の強い遺伝子組み換えナタネが各地に侵入している。キャベツ,白菜にも交雑の可能性。

生物多様性の保全を環境省や生物学界は重要視している。特に、外来種が在来種を駆逐し、生態系を破壊、単純化することを危惧している。しかし遺伝子組み換え生物については口が重い。アブラナ科の野菜や大豆など、豊かな地域特産品種が交雑で失われる。政府、経団連、米国はTPPでGM作物導入推進。

OurPlanet-TVに2本の海外ドキュメンタリーが紹介されている。http://www.ourplanet-tv.org/?q=node/1325 BBCらしい丁寧な取材で被災した子供達を追ったもの。PBSは原発事故の最初の1週間を伝える。日本のメディアはこの映像を伝えたのか。テレビを持っている人は較べて欲しい。

日本のフリージャーナリスト達は事故現場の映像を伝えたくてどれだけ苦労して来たか。PBSはいかにしてこの映像を手に入れたのか。英語のナレーションからは理解できず。現場の作業員・自衛隊・消防の証言。これらの映像は日本で流れたのか。原災本部の議事録も録画も録音もないとは信じられない。

3月11日
佐久の反原発集会600人以上、行進には500人以上が参加。昨年6月の倍近い。サウンド・デモとは違う静かな表現。震災1年という日、組織的に抑制したのか、個人個人の判断か。良かった。集会中も行進中も多くの人と話ができたし、終った後の語り合いも小さな子供がたくさん、ゆっくり話が聞けた。

by maystorm-j | 2012-03-16 07:48 | Twitter M.Journal
2012年 03月 09日
Twitter Maystorm Journal 2月21日〜29日から  2012年3月9日 
3月は卒業・進学、年度末、スギ花粉・・他の月とは異なる事も多い。昨年3月11日は、確定申告を提出してホッと一息、帰り道、運動不足の解消をとテニスコートに立ち寄ったところへ地震が来た。開けた場所だったためか、恐怖心はなかった。その後起きることを予想できなかった。

Twitter Maystorm Journal 2012年2月21日〜29日 まとめ

2月21日
ブログMaystorm Journal更新「再度、瓦礫の焼却と焼却灰の管理について」http://maystormj.exblog.jp/15463790/自治体の住民説明会は国のレクチャーを機械的反復。「焼却灰埋立て後に被せた土がセシウムを吸着するから安全」テストもしない稚拙な安全神話。なぜ福島の瓦礫は除外。

2月22日
昨夜から福一原発映像 http://www.ustream.tv/channel/iwakamiyasumi編集なしの5時間程を見始める。ながら見で、入浴中も。今朝も続く。前回の公開は記者クラブのみ。今回もIWJとニコ動2社のみ参加許可。人がいない町をバスで向う途中、居眠り記者が映る。彼らは「死の町」と言った大臣を糾弾した。

すれ違う車はあるが、道ばたの店にも人家にも人はいない。多くの車が放置。田圃は枯れ草に覆われ、土が見えない。明るい陽射しの田園風景だが、都会暮らしの人にはその違和感が解らしれないないかも。福一に近づくと急激に放射線量の桁が上がる。前回は外国メディア1社のみが短時間の映像一般に提供。

2月23日
福島第一原発現地映像を見終わって、行き帰りの道路沿いの光景が心に残る。枯れた雑草が増えているものの、家々はそのまま、おかれた車も点在するが、人影も洗濯物も見当たらない。そこに暮らしていた人々はどんな気持ちで映像を見るのか。すぐにも戻りたい気持ちと、見えない放射能の間で悩むだろう。

事故原発に近づくにつれて確実に線量は上がるが、風景は変化しない。カラスも鳴いている。小さな機械が判定する数字だけで、自分の暮らしと将来を考えなければならない難しさ。数字が低くても東日本に住む人々はその困難を共有し、西日本に住む人々は、54基の原発とともに明日の我が身と想像すべき。

想像するという行為。その力を養うはずの算数・数学を日本国民は軽視してきた。数字が表す意味。数字と数字の関係。現状を理解し将来を予測する訓練が数学なのでは。点取り競争の中で、数学は暗記ものになっている。暗記という作業は、ことの意味も関係性も問わない。過去から未来への流れも見えない。

2月24日
隣組の葬式手伝いの合間にKid'Earth学習会に少しだけ参加。以前から知っている講師なので残念。家で葬式を出す場合、近隣は2〜3日がかり。斎場でもそれなりの負担。都会の人は「絆」を賞賛するが、その負担を負う覚悟を疑う。人知れぬ餓死や野宿者の追い立てこそ、都会人が今考える事では。

2月26日
もの作りにとって、不良品は生産者の責任。工程や技術を見直す。人作りではなぜ子供の責任?まして子供は均質な素材ではない。個性もあれば環境も異なる。進級に一定の学力水準を求める前に、教育する側に問題が。人間を落ちこぼす責任と仕組み。教職が忙しすぎて、子供にも自身にも向き合えていない。

義務教育で落第者を作れと言う首長がいる。その首長の塾に勝ち組たらんと政治家や志望者が集まる。学校では安定した正教員の身分を餌に、教育者はロボット工作機械と化す。子供を落ちこぼし、汚染給食を食べさせ、汚染環境に縛り付ける。首長・教委・校長・教師へと上意下達の仕組みが強化されていく。

2月29日
水俣病で新しい判決。初めて患者に会ったのは40数年前。因果関係の証明がいかに難しいか。被害を予防し被害者を救済するはずの行政が、被害を隠し被害者を切り捨て、裁判では被害者と敵対。行政で働く人々の働きがいって、なんだろう。農林水産業者は子や孫が見ている。もの作りでは作った物が語る

同年代の多くがリタイアする年齢に。長年行政で働き住民に喜ばれる仕事をしてきた人もいる一方で、もの作りには縁の薄い安定収入・出世・退職金・天下り・年金が自分の仕事を正当化し、住民が託した税金を住民のために使わない事に鈍感になる。豊かな老後で朽ちる精神、一方で死後も救済されない患者。

サービス業はお客様の満足で成り立つ。行政もそのはずだが、しばしば人間を切り捨てる。人間のための真っ当な企業活動なら、行政のサービスもいいが、なぜ今も昔も殺人企業の側につくのか。18才になったばかりで2人殺した青年に死刑確定。被害者感情を重視という。被害者がたくさんなら切り捨てか。

by maystorm-j | 2012-03-09 05:27 | Twitter M.Journal