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2011年 05月 30日
火事場泥棒を図る復興構想会議の「水産特区」・・・「戦後」から「震災後」? その5  5月30日 2011年
5月10日、宮城県の村井知事が復興構想会議で、漁業権を民間企業に解放する「水産特区」構想を提案しました。asahi.com の記事「漁業権の民間開放提案へ 宮城知事が特区構想をリンクします。
これに対し、翌11日には県漁協の反発が報じられています。『宮城県漁協、漁業権開放に反対決議 「特区構想」に反発』

提案の内容は、津波で壊滅的な被害を受けた沿岸漁業を民間会社に解放し、地元漁民は会社のサラリーマンとなって漁業に従事する。あるいは、復興資金がない地元漁業者にかわって、国が施設や漁船を整備し、漁業を一時的に国有化し、その後株式会社化するというものです。この仕組みはどこかで見たような、既視感があります。農業で進められている「農業生産法人」を思い出しました。農水省は「集落営農」という仕組みを導入しています。

ここで農業問題を論じるつもリはありませんが、津波の後遺症で塩害が残る太平洋岸の水田を、大規模な太陽光発電地帯に、という孫正義さんの構想に対する懸念、「エネルギー政策変換・・・住民自身の選択を待つこと  4月28日」を一ヶ月前に書きました。被災者一人一人の生き方や生業にかかわること、地域社会の有り様を決定するような事を、被災者・被災地が自己決定出来ない現状で、押し付けることは許されない暴挙です。県知事の提案が孫さんの提案よりはるかに卑しいと感じるのは、身銭を切る事なく、漁民の権利(漁業権)と財産(生産環境)を奪うものだからでしょう。国や民間に金を出させて、漁民が先祖代々受け継いできたものを売り飛ばす提案を県がしたという事です。

知事は、漁民が水産・総合商社企業のサラリーマンになる事で安定した収入を得られると言います。もの作りという仕事をまったく理解していない人間の言葉です。漁業に限らず、1次産業の収入は安定しません。自分の技術が劣っているために生産が上がらないのであれば、腕を磨くしかありません。気候や海流、魚の生態の変動などの要因が不漁の原因であれば、必死にそれを観察し学びます。漁民も農民も、私のようなしがない工芸家でも、その点はみんな一緒です。

「サラリーマンが安定している」という発想は、いかにも県知事らしいです。この20年、多くのサラリーマンがリストラされ、若い人は派遣社員、主婦は安いパートで、今や一部の高給取りとワーキングプアに二極化しています。前者の中で公務員が占める割合は大きく、その「勝ち組」の頂点が首相や知事です。知事には水産会社・総合商社のサラリーマンになった漁民の行く末が想像できないでしょう。不漁の年には解雇され、ほかの地域や海外から安い労働力が導入され、目の前の海に小舟を浮かべて晩のおかずを釣る事もかなわなくなる死んだ漁村の光景を想像出来ないでしょう。

被災した漁村に、自ら復興する力が今はないからと言って、これでは「火事場泥棒」に等しいやり口です。まずは被災者の生活を安定させ、自らの生き方と地域社会のありようを、ゆっくり考えられる状態にしてから提案してほしい。

by maystorm-j | 2011-05-30 20:59 | 社会
2011年 05月 29日
自然エネルギー協議会と孫正義・・・「戦後」から「震災後」? その4  5月29日 2011年 
孫正義さんは、4月の始めに私財100億円を被災者救援に投じる事を表明し、原発から自然エネルギーへの転換と10億円をかけてそのための研究機関設立を発表していました。一連の活動は、ソフトバンクとは切り離して、プライベートな活動になると思っていましたが、ここにきて別の展開が見えてきました。25日、26日と続けて2回の記者会見が開かれ、全国の半数を超える府県知事が参加して、「自然エネルギー協議会」http://www.softbank.co.jp/energyjp/の設立にむけて、すでに動き始めている事が明らかになりました。

上記のサイトには、参加自治体の一覧があり、2回の記者会見の全体が動画で見られます。「自然エネルギー協議会」のニュースを検索しますと、すべてが25日以降の報道である事から、根回しを徹底し満を持して発表された事が推測されます。記者会見には多数の知事が参加し、熱意を込めて各自治体で自然エネルギーに積極的に取り組む決意を表明していることを見れば、スケジュールの調整を含めて、それなりの準備があったと思われます。バスに乗り遅れまいとする自治体も今後増えるでしょう。

協議会の正式な発足は、7月上旬の全国知事会の合わせるようで、現在は準備会ということですが、単に「協議」するという集まりではなく、各地に置ける具体的な「実践」を打ち出しています。実践のしくみを簡単にまとめてみますと
 * ソフトバンクが子会社を作って大型太陽光発電を中心に、発電事業を行う。
 * 自治体は用地確保や制度的な環境整備を行う
事業上のリスクを負わないこの仕組みは、自治体にとってはのりやすいものです。地域独占を続けたい電力会社の壁を突破するためには、新しい発電会社が自治体と手を組む事によって、電力会社との関係が強い中央省庁や国会議員との煩わしい関係に振り回されることを避けて、スピーディーに展開出来るでしょう。

3月11日の午前中に閣議決定された「電気事業者による再生可能エネルギー電気の調達に関する特別措置法案について」が、国会で成立する事や、送配電問題の解決が必要条件で、政府・官庁や電力会社との確執が続く事でしょう。(震災直前に閣議決定された法案では送電を現在の事業者と想定しています) また、海外とくにアメリカから市場開放を求める圧力が、TPP と絡んで表面化すると思われます。

菅首相はフランスで「2020年までに再生可能エネルギーを20%にする」と発表したようです。周囲と協議する事なく、唐突に思いつきで発表されるものは、菅政権の崩壊とともに消えていくのかもしれませんが、国際的な舞台での表明が簡単に保古にされるようなら、国の信用がなくなるでしょう。

by maystorm-j | 2011-05-29 06:19 | 社会
2011年 05月 28日
本命TPP の再登場 / 電気の自由化  「戦後」から「震災後]? その3 5月28日 2011年
10年ほど前、エンロンというアメリカのエネルギーとIT の大企業が、東北にLNG 火力発電所の建設をめざした事がありました。大規模な計画で、原発推進の電力業界に打撃を与える可能性がありましたが、本社の破綻とともに、日本での事業も消滅しました。脱原発運動の一部には、エンロンに期待する事があったようですが、私はその辺りのことについて、あまりしりません。橋本龍太郎・小渕恵三・森喜朗から、規制緩和と新自由主義の本命である小泉純一郎政権誕生という、日本の経済の有り様が大きく変わる時期の事ですが、9.11 事件とその後のイラク戦争の陰に隠れて、小泉・竹中政治の本質が見えにくかったという事もあるでしょう。

以前に、菅首相が思いつきで唐突に新しい方針を言い出す事を書きました。「新指導者待望論・・・「戦後」から「震災後」? その2 5月20日 2011年」
直前まで自分が言ってきた事と違う政見を突然発表する事が、たびたびあります。表情が昔に較べると変わっている事もあって、精神が多少崩壊しているのではないかと推測していたのですが、別の見方も考えられます。唐突に方針が変わるときに、多くの場合背後にアメリカの指示があるのではないかという報道です。福島原発から大量の汚染水を海に放出する決断でも、周囲からの様々な提案を充分に検討されたようには見えず、突然実施されましたが、先日平田オリザ内閣官房参与が「米国の強い要請」と述べ、撤回謝罪させられました。鳩山政権時代に起用され、「言葉」の仕事をしている人ですから、簡単に「失言」と片付けていいものか迷います。浜岡原発の一時停止を突然要請したことでも、浜岡の風下に重要な基地を多く持つ米国が、原発事故による米軍の極東軍事体制への影響を怖れて指示をしたということもいわれています。

菅首相は「発電・送電」の分離を、これもまた唐突に言い出しました。東電救済の基本姿勢との整合性が、よくわかりません。送配電について、国有化に進むのか、自由化なのか、現在の地域独占型の各電力会社の送配電業務を残したまま、NTT の電線のように利用を自由化するのか・・・・これまでの脈絡から遊離して唐突に言い出されたことについては、別の脈絡を考えてみる必要がありそうです。

オバマ政権は「グリーン・ニューディール政策」を経済の大きな柱に据えています。米国内経済の立て直しと貧困層の救済が成功していないオバマ政権にとって、再選を控えて、対外政策とくに対外経済の比重は大きなものでしょう。震災からの復興に加えて、原発事故により日本がエネルギー政策を見直さざるを得ない現在の状況は、グリーン・ニューディールを掲げるアメリカにとって、大きな商機です。

昨年唐突に「TPP 参加」を言い出していた菅首相が、震災後ふたたびTPP を言い出し、今回のオバマ会談で9月の訪米招待という形で政権の延命を期待され、フランスではしゃいでいることと思われます。菅首相は、アメリカの指示に従い、アメリカに認知された時に、他の政治家のように本音を隠して見た目だけでも渋面をつくることが出来ないようです。TPP に包括される24の部門に、「電気・通信の解放」があります。

エネルギー政策見直し・自然エネルギー・発送電分離・電気通信の自由化・TPP という脈絡の中で、現在進行している状況を見ると、すでに始まっている新しい「戦場」が浮かび上がってくるのではないでしょうか。原発の状態を好転する事もできず、たくさんの被ばく住民と地域社会が切り捨てられていく中、「自然エネルギー」側のはしゃぎ様に少し違和感を感じます。特に孫正義さんの動きは、企業人として当然の選択であり、人間としても敬意に値するだけに、熱狂する事なく冷静に見続ける必要がありそうです。

by maystorm-j | 2011-05-28 06:05 | 社会
2011年 05月 27日
福島第一原発の現状・・・錯綜する情報・判断・行動  5月27日 2011年
昨日夕方、ラジオから聞き慣れた声が流れていました。NHK 第一「夕方ニュース」に小出裕章さんが電話で話していました。インターネットや活字媒体を中心に、情報を受け取っている私にとっては、なんの違和感もなかったのですが、考えてみれば反原発側の論客はほとんどマスメディアに取り上げられてこなかった歴史があります。テレビではどうなのでしょうか? 持っていないのでわかりませんが、民放では、あまり視聴率の高くない時間帯で取り上げられていたと思います。5月24日の記事「5/23参議院行政監視委員会に4名の参考人/その意見と質疑」に紹介しましたが、国会に呼ばれたことの副次的効果かもしれません。

このところ東電や政府から原発の状態やデータ、地震発生以後の経過に関して様々な新しい発表とこれまでの報告の訂正が出ています。政府・東電の発表を鵜呑みにして、事故を過小評価してきたマスメディアの解説に対し、視聴者側からの抗議が高まっていることも考えられます。IAEA の事故調査、首相のG8 出席、事故調査委員会立ち上げにむけて等、外から追及される前に、隠してきた事を整理しておきたいという判断もあるのでしょうか。「海水注入」をめぐるドタバタにいたっては、現場と東電本社・官邸との連絡や調整が出来ていないのか、対策の記録がまるでないのか、あるいは耳目をそこに集中させて他の重要な問題を隠したいのか。馬鹿げたやり取りと並行して、福島では汚染の中で対策がとられないまま、子ども達は学校で被ばくを強要され続けています。

23日国会の参考人意見発表は時間も短く、東電の新しい報告や訂正から間がなかったこと、行政監視委員会ということで原発に対する議員の側の理解も怪しかったなどのことから、小出さんのその後の見解を聞いてみたいと思います。以前にも紹介しましたが、「小出裕章 (京大助教) 非公式まとめ」http://hiroakikoide.wordpress.com/というサイトがあります。通常、このブログには誰が(どの団体が)書いているのかわからないサイトは直接のリンクは避けて、内容が重要と思われる場合もその内容に限定して紹介しています。上記のサイトは誰がまとまているのかわかりませんが、内容はすべて小出さんが直接書いたり語った事ですので、そのままリンクして紹介しています。ひじょうに便利でありがたいサイトで毎日見ています。

昨日26日には、「5月26日 ものを言う気がなくなった 小出裕章 (MBS)」というちょっとショッキングな表題で、ラジオ毎日(MBS) の電話インタビューが紹介されています。この録音を聞く前に、「5月25日 循環冷却の効果に疑問 小出裕章 (MBS)」を先に聞いていただく、つながりがいいと思います。特に録音を書き起こした文章は、5月25日の方から読んで下さい

一号炉については、東電から水位計の数値が訂正され、圧力容器内には水がなく、核燃料メルトダウンと格納容器の穴の存在が発表されました。しかし、それでは燃料がどこにどのような状態で残っているのか、いまだ推測の域をでません。まだこれから、圧力容器や格納容器の底に溜まっている水に融けた燃料が落ちる事があれば、水蒸気爆発の可能性があるのでしょうが、小出さんの推測ではすでに格納容器の底を融かして、下のコンクリートに達している可能性が指摘されています。その場合は、さらに下で、地下水に触れるようになるという方向に進むのでしょうが、地下水の汚染は起きても、水蒸気爆発の可能性は少なくなったという話です。

あるいは、格納容器から下に抜け落ちて爆発の可能性が減った事で、東電・政府は安心して(ぬけぬけと)訂正発表をしたのかもしれません。とすれば逆に2・3号炉はまだ爆発の可能性があるから、状態を隠しているという事も考えられます。1号炉から空中に大量の放射能が放出される可能性が減った代わりに、海の汚染は今後きびしくなることと、核燃料を冷却して沈静化するという作業はさらに困難になったと言う事でしょう。

原発の作業現場への報道管制が続いています。現場取材や作業員へのインタビューはできず、陣頭指揮にあたっている吉田所長から直接の説明はありません。何重かのフィルターにかけられた情報が公開されるわけですが、それにしては東電・保安院(経産省)・安全委員会(文科省)・官邸などの発表が食い違います。今回問題になっている海水注入については、官邸・保安院・東電本社の言い分が錯綜したあげく、首相がG8 に出かけていタイミングで、吉田所長が自分の判断で注入を中断しなかった事が発表されました。国民を代表するべき国会でさんざん論争になった後から、「実は・・」というところに現場(あるいは本社)の独善性を感じます。タンカーの使用に限らず、これまで様々な状況解釈や提案が外部から出ていて、後になるとその中に多くの有意義な指摘が含まれていたことに気付きます。現場・東電本社・保安院・安全委員会・官邸のそれぞれの間で情報共有と議論が徹底されておらず、それぞれが都合の良い情報を取り上げ、独善的に判断・行動していたと思われます。

追記
海水注入を中断しなかったという報道では、その根拠が吉田所長の記憶をもとにした証言であり、文書の記録や計測値による裏付けはないようです。何が事実なのか、注入開始に関する現場からのFAX以外には文書での裏付けはないという事です。事故調査に関しては、政府ではなく国会主導で行われる事が望まれます。

追記2 「文科省大臣会見」 福島県 学校等で年間1ミリシーベルトをめざす
本日27日、文科省大臣記者会見で、福島県内の学校等の全てに積算線量計を配布し、年間1ミリシーベルトをめざす、という内容の見解が発表されました。文科省のホームページにはまだアップされていませんので、IWJ ( Web Iwakami ) のサイトの2011/05/27 文部科学省大臣会見」映像配布資料をご覧下さい。

by maystorm-j | 2011-05-27 05:57 | 社会
2011年 05月 25日
汚染された食材・・・有機農業の苦悩  5月25日 2011年
週に2回ほど、7時すぎに閉店間際のスーパーで買い物をします。夕食が遅くなるのは体にとってあまりいいことではないのですが、仕事を中断したくないのと、閉店間際の安売りを狙う結果、遅い時間になります。いっとき、他の産地の野菜に較べると、かなり安くなっていた茨城県産や埼玉県産のものが、今はあまり変わらない値段で売られています。葉もの野菜、大根、キュウリなどが中心です。

信州の寒冷地に住んでいるため、農協の直売所で地元の野菜が出回るのはもう少し後になります。行きつけのスーパーでは以前から福島県産のものを買った記憶はありません。たぶん、果樹・牧畜・酪農など信州とは競合するものが多く、もともとあまり入荷していなかったのではないかと思います。「風評被害防止」のためとか「被害農家支援」のためと言って原発周辺の生産物を特別に売るという事もなく、といって産地を隠すわけではなく、以前と変わらない売り場の光景がこの3月11日以降も続いていました。原発で水素爆発があった直後に、従業員の駐車場がスーパーから離れた場所にあり、若い女性従業員が多いので来客用の駐車場を使わせてはとメールを送ったら、配慮しますという丁寧な返事がありました。

学校給食のように食べる側が選べない場合は、たとえ国が決めた基準値以下であっても、汚染された素材は使うべきではないと思います。その理由は、子どもの感受性が高い事、外部被ばくや様々な経路からの内部被ばくを足した総被ばく量で考えなければならない事とその総量には個人差が大きい事、またそれらのベースには一定の値以下なら安全という線引きが出来ないという基本があります。

総量の問題という事は、逆にある食材が多少汚染されていても、それまでの被ばく量が少ない人では危険が少ないということになります。年輩者も危険が少ないということです。産地が明示されていて、できれば汚染の度合いが基準値以下であっても、いくつかのランク分けで表示されていれば、あとは消費者の判断にまかせる事も可能です。国が定めた基準値があまり根拠のないもので,諸外国の基準とかけ離れているものもありますので、含まれる放射能の絶対量で表示される事が理想です。これまでの被ばく量が東京より低いと思われる信州にいて、60才を過ぎている私は、いままでどおりに茨城県産や埼玉県産の野菜「も」買っています。葉ものについては、よく洗うとか水にさらしておくという事はしています。「風評被害防止」支援というキャンペーンで、誰彼かまわず汚染地のものをまとめて売るというのは、後で売った本人もその行為を後悔する事になると思いますので、それにはのりません。

ものの売り買いについては、基本的に買う側に選択権があるのが望ましいと思います。買う側は値段と品質と必要度など、それぞれの事情で選択します。品質については、誰にでもわかるように表示されていなければ、選択できません。特に食品の汚染は農薬の場合でも放射能の場合でも、見た目では判断出来ませんし、色も匂いも味もありません。そういえば、黒澤明の映画で、放射能が目に見えるように色をつけてしまうというのがあったようです。もの作りは、買い手に選択権があることで、鍛えられます。品質の向上に努力したり、買いやすい値段に挑戦していきます。「お情け頂戴」で売るのも、反対に「高級ブランド」に頼るのも,「お上」のお墨付きで売るのも、私は好きではありません。

農薬問題に取り組み、安全な食材の提供を行ってきた有機農業生産者が、放射能汚染にどう取り組んでいるのか、気にかかっていました。東関東を中心に古くから取り組んでいた「大地を守る会」のサイトhttp://www.daichi.or.jp/を時々見てきました。4月6日には、「放射性物質にかかわる農畜水産物の今後の取り扱いと自主測定体制の強化について」という基本姿勢が書かれています。その後2回改訂されています。4月27日に改訂「食品の放射能汚染につきまして」では、外部機関に測定を委嘱するだけでなく、装置を導入し自主測定を強化することと、流通可否の判断には、現時点では国の基準を使わざるを得ない「苦渋」が述べられています。今後、基準については見直しの可能性もあり、かなり徹底した測定が行われているように思われます。

「大地を守る会の自主測定結果の報告」で、個々の食材について流通の可否は細かく示されていますが、測定値そのものが表示されているわけではありません。先に述べたように、放射能の感受性やそれまでの累積は個人差の大きいものですから、消費者がそれぞれで判断出来るように測定値を表示するのが望ましいし、外部からの無責任な声援ですが、この会に集まっている生産者・消費者なら、その困難なハードルを越えていけるのではないでしょうか。「大地を守る会」だから安全、「有機」だから安全というところから消費者も一歩学んで、安全は相対的なものであり、気になった時には判断するためのデータが開示されていて、それぞれの事情で選択出来る方向をと思います。

それにしても、この生産者・消費者双方にとってのきわめて困難な状況は、どちらにも責任があるわけではなく、ひとえに原発事故を起こした東電と原発政策を進めてきた国にあるのです。長く実績を積んできた「大地を守る会」の基本姿勢を紹介しましたが、各地に散らばる組織化されていない有機農業生産者は、生産物の品質に対する誇りが強いだけに、この状況の中で困り抜いている事が考えられます。
これまでは、ヨウ素やセシウムの測定でしたが、今後は魚介類などに他の核種の汚染も問題になってくる事もあるでしょう。

by maystorm-j | 2011-05-25 07:52 | 暮らし
2011年 05月 24日
5/23参議院行政監視委員会に4名の参考人/その意見と質疑  5月24日 2011年
5月23日、参議院行政監視委員会の議事映像を参議院のサイトから紹介します。

昨日5/23、参議院の行政監視委員会に、小出裕章さん、後藤政志さん、石橋克彦さん、孫正義さんの4名が呼ばれ、それぞれ15分間ほどの意見発表と、その後2時間ほどの質疑が行われました。全体で3時間余の長丁場で、このブログを読んでいただいている方々にとって、4人の参考人の意見についてはこれまで様々な機会に聞いてこられたと思います。前半4人それぞれの意見発表の部分は復習になりますが、その中では孫さんが「電田プロジェクト」」という提案をしています。休耕田の一部(例として2割で試算)に撤去可能な形で太陽光パネルを置いて、原子力発電の代えていこうということです。

今後、農業のあり方がTPP への対応とからんでどうなるのか、TPP には反対で日本の農業を再興させていく必要を感じている私としては気になる事もありますが、太平洋岸の「ソーラーベルト構想」よりは一歩、小規模分散型になった提案です。このプロジェクトは必然的に送電・配電システムの変換を要すると思われますので、他の多様な発電をも推進していく事につながるものと思われます。

孫さんからは質疑の中でもう1点、スマートメーターの導入が提案されています。自然エネルギーへの転換では、電力消費のピーク対策が必要なことが言われてきました。大規模に電気を貯める技術は現在、揚水発電に頼っていますが、この方法はコストがひじょうにかかります。余った電力で水をダムに持ち上げる際にエネルギーロスが大きく、さらにその水を落として電気に換える際にもエネルギーロスが大きく出ます、電気を貯めるのは、消費者サイドで小規模に行う方が技術的にもコスト的にも有利という提案です。工場では、電気が余る時間帯や季節に集中的に生産を行い、部品や製品の形で貯めておくという話でした。家庭では蓄熱ということになるのでしょう。そのためには、電気料金を季節や時間帯によって大幅に差をつけて、経済的利害をもとに消費者側でピークをならすように誘導するという内容だと思います。

今回紹介しました映像は長いものですが、参考人や質問者の顔は時々ちらっと見るだけで十分ですから、ラジオのBGM 代わりに聞いていただけるといいと思います。

by maystorm-j | 2011-05-24 07:15 | 社会
2011年 05月 23日
竹田の子守唄・・・テレビから消えた歌  5月23日 2011年
1970年前後からの数年は、私にとっては20代前半とほぼ重なります。普通なら10代後半から引き続いて、学校で教わるもの以外の音楽や美術を強く受け取る時期なのでしょうが、私にとっては「空白域」のように、ほとんど今に残るものがありません。あまりテレビやラジオを見聞きしていなかったのかもしれません。竹田の子守唄という静かに流れるような曲を、どんな歌手が歌っていたのか、まったく記憶がありません。1オクターブにおさまる短いメロディーだけがいつの間にかしみ込んでいて、ハーモニカを持つと何となく出てきます。

後年、たぶん20年近くが経ってからですが、この歌が曲集に載っているのを見て歌詞を知ってからも長い間、島原や五木の子守唄と同じジャンルの歌と思い続けてきました。昨日は、東京に用があって車で出かけましたが、帰途の単調な夜の高速を走りながら、この歌が浮かんでいました。気になって、帰ってから何人かの歌手によるものを聞き直しました。下に紹介するものは、誰が歌っているのかわかりませんが、フォークソングとして世に出る前の、元の唄も聞く事が出来ます。



なぜ、テレビで聞かれなくなったのかが気になる方は、YouTube で他のものにもいくつかあたって下さい。



by maystorm-j | 2011-05-23 06:57 | 遊び
2011年 05月 21日
隠されている「内部被ばく」  5月21日 2011年
福島県内の学校利用に関して、文科省が年間20ミリシーベルトという基準を設定したことが問題になっています。今も現地の保護者達、市民、政府外の専門家などがその基準に異議を申し立てています。文科省は20ミリシーベルト以内におさまるかどうかを算出するのに際して、体内被ばくは体外被ばくの2% と計算しています。この数字を意外に低いと感じる方が多いと思いますが、2% というのはグラウンドに土から吸い込む放射性物質による内部被ばく量であって、食べ物や水、原発の爆発直後に多かったと思われる空気中からの取り込みは含まれないようです。土からの吸い込みを含めて、内部被ばくの度合いは、3月中の居場所や生活習慣・食習慣などによる個人差が大きいと思いますので、実際に測定してそのばらつきから、今後どれぐらいの被ばくが許容されるのかを考える必要があるでしょう。

4月20日の記事「加害と被害の関係 その2・・・避難者へのスクリーニングと除染」で、汚染地域から移動する人の健康のために、スクリーニングや除染を受けられるようにすること。福島からの避難者を差別したり排除することは許されませんが、差別を怖れてスクリーニングをしないというのは、差別意識の変革にならないし、被害を低く見せる事につながると書きました。ここで問題にしていたのは、体や衣服に着いてくる放射性物質で、手持ちのカウンターを使って屋外で測定しています。放射性物質を着けたままですと、本人も被ばくしますし、吸い込めば体内に入りますし、生活空間に持ち込むことで周囲の人も被ばくする可能性があるわけです。

「屋内退避」という措置はもともと2〜3日の短期間を想定して設けられたもののようですが、長期間屋内退避地域に指定された南相馬市などでは、トラック輸送が来なくなり、生活物資や医療品など様々な物流がとまってしまい、ひじょうに困窮したという事がありました。避難しようにも、バスやタクシーが入域をことわるケースも多かったと言われています。それらの報道に対しては、私自身が行けるわけでもないのに、何か書く事がためらわれていました。民間の運転手にむけて、「安全」という根拠も見つかりませんでした。除染を要する基準が甘く変えられたこともあってか、その後スクリーニングについての報道が無くなりました。

5月16日、衆議院予算委員会でみんなの党・柿沢未途議員が「福島県内に立ち寄った他の原発職員の被ばく」について質問しています。衆議院の映像をご覧いただいてもいいのですが、ここには柿沢議員のブログ5月17日の記事http://ameblo.jp/tesio/entry-10894102309.htmlをリンクさせておきます。ホールボディーカウンターによる測定で、1500cpmを越えた人が4766件、10000cpmを越えたのが1193件」という数字しか答弁されていませんので、さらに詳しい解析が望まれます。柿沢議員の質問は、4月15日に国会質疑(会議録の内閣委員会4月15日分の最後の方)で充分な答弁がなされなかった事を受けて、1ヶ月後に再度追及したものと思われます。柿沢議員のブログ4月16日記事http://ameblo.jp/tesio/day-20110416.html参照。

ホールボディーカウンター(WBC) と呼ばれものは、スクリーニングで使われる手持ちのものとは違い、外部からの放射線を遮る室内で、体内から出る放射線(ガンマ線)を全身測定する装置です。福島第一原発で働く作業員の体内被ばくを測定する事が急務なのですが、現地にある4台のカウンターは、周囲の放射線量が大きすぎて使えないとか、作業員がいわき市まで出向いて測定しているとかの報道があり、作業員全体の1割程度しか測定出来ていないと言われています。

毎日jp 5月21日「東日本大震災:内部被ばく4700件 県外原発で働く福島出身作業員」http://mainichi.jp/select/jiken/news/20110521ddm041040107000c.html

これらの経緯をみると、福島行きをことわったトラックやタクシーの運転手、放射能に汚染された食品を拒否する人など、自分の健康を自分で守ろうとする人を、「風評被害」という名の下に非難することがいかに危険かがわかります。国民の間で利害が対立する背景には、実際には測定されているにもかかわらず、それを公表しない政府の責任(あるいは責任回避)があります。あらゆるデータが公表されないかぎり、「安全」の検証もあり得ないし、「エネルギー政策」の議論も成り立ちません。

追記
水俣病に対する補償が行われる以前、チッソ水俣工場からの廃液中に含まれる水銀に汚染された魚が売れなくなり、漁民が獲った魚を工場前にぶちまけて、工場に買い取れと要求したことがあります。いま注目されているお茶の葉、当初から問題になっていた野菜、これから明らかになる可能性がある海産物、いずれの場合も汚染源である東電福島原発に責任があります。仕事に誇りを持つ生産者であれば、基準値以下であれ危険が存在するものを売ったことを、後になって後悔するでしょう。内部被ばくの測定が住民、特にこどもに対して行われていません。今後、これまで政府が言っていた「安全」な状態ではない事が判明したり、5年後10年後の子どもの癌や白血病が増えることがあったら、生産者・販売者はいたたまれない気持ちになるのではないでしょうか。
お茶の汚染について、茶葉ではなく飲む状態で計測するべきだと主張しているようですが、お茶の入れ方は様々です。最近のはやりですが、電動ミルで茶葉を粉にして、抹茶のように飲んだり、ふりかけにする人もいます。公害問題の教訓ですが、汚染物質は発生場所に近いところほど回収しやすいのです。流通で拡散したり、加工に廻ってからでは、検査や回収にかかるコストが大きくなりますし、流通費用、梱包費用、加工で使われる他の材料など、無駄な廃棄が出ます。
汚染の責任をとるのは東電であり、消費者にリスクを押し付けてはいけません。

by maystorm-j | 2011-05-21 07:42 | 社会
2011年 05月 20日
新指導者待望論・・・「戦後」から「震災後」?  その2  5月20日 2011年
政治指導者に対して、「言っている事とやっている事がちがうじゃないか」という批判を聞く事はよくあります。菅首相の場合は、「原発推進を堅持」と「エネルギー政策見直し」、「東電救済」と「発送電分離」など、言っている事自体に矛盾があり、やっている事はどうも見えにくい。「メルトダウン」に限らず、昨日言ったことと今日言う事が違うわけです。浜岡原発停止の発表は、海江田経産大臣の判断を、政権内部で検討することもなく、いきなり自分の要請という形で発表したものと思われます。菅氏にとって、「熟慮に熟慮を重ね」という言葉は「思いつきを唐突に」という意味のようです。停止の可能性や停止後の諸対策について、中部電力と協議した様子はありません。

世の中が「戦後」から「震災後」へと変わったという見方には、戦後民主主義体制ではこの「国難」は乗り切れないという意識が含まれています。菅首相のもとで「挙国一致」を唱えていた人からも、菅首相のやってきた事をきちんと解析することなく、新しい指導者のもとでの「挙国一致」を待望する「気分」が出ています。この2ヶ月の間に、何人かの具体的な名前が新しい指導者として巷では挙げられています。

震災以前から挙げられていた小沢一郎氏については、いまもその腕力にすがろうという人たちがいます。小沢氏を政権から排除した菅・岡田・前原氏らのやり口は、村木さんをえん罪に貶めた大阪地検特捜部よりも卑劣で、その検証を徹底的に行うことが必要です。野党との軋轢も起こるでしょうから、「挙国一致」指導者とは対極にいる人でしょう。震災直前に沈みそうな泥船から逃げ出した前原氏は、アメリカの押しで菅首相崩壊後を狙っているようですが、国民からの新指導者待望とは異なる「裏」の力学が働くというべきでしょう。

今はちょっと下火になっていますが、孫正義首相待望論もありました。企業人としての姿勢は、震災以前から他の IT 企業と較べて納得出来ることが多く、利用してきましたが、それは宅配業界の中ではヤマト運輸を選んできたのと同じような相対的選択であって、政治的指導者として待望するという事との間には大きな距離があります。クロネコヤマトのやってきたことは、企業としてすごいなと思いますが、ヤマト運輸の社長を首相にという人はいません。孫氏が自然エネルギーへ進出しようという姿勢は企業人としては当然の選択で、研究や量産効果で自然エネルギーのコストが下がる事は期待しています。「エネルギー政策変換・・・住民自身の選択を待つこと  4月28日」の中で、「ソーラーベルト構想」に対する懸念と地方・地域住民自身による社会設計を待つ事を書きました。震災復興については、地域住民の選択が重要であるという気持ちには変わりがありません。一方、政治家ではない孫さんからは、エネルギー政策以外の諸政策は今のところ発信されていません。

最近話題に上るのが、河野太郎首相論です。自民党内にあって、長年原発政策を批判してきたことが注目されています。以前から河野氏のサイトやブログを時々読んでいましたが、原発問題以外はむしろ疑問の多い政策提起と感じていました。特に、農業政策とTPP の推進については、まったく納得出来ないものです。前原氏同様、アメリカとの関係も気になります。原発問題についての講演を、ネットでいくつか聞きましたが、福島瑞穂氏に較べて特に新しいこともなく、むしろ原発やその事故が生活とどうかかわるのかという部分はほとんど述べられていません。核燃料サイクルという部分だけに批判が偏っていると思います。日本の原子力政策が、オイルショックから始まったというような解説がありましたが、これはそれよりずっと以前、1955年ごろアメリカ主導で導入された歴史的事実を隠すものです。穿った見方をするなら、原発導入に果たした当時の経済企画庁長官で祖父の河野一郎氏の役割を隠す意図ではないでしょうか。Wikipedia 「日本原子力発電」をご参照ください。

原発問題で受けのいい事を言っているからというだけで、政治的指導者として待望するという行為は、国民全てが政治に関わりその結果に責任を持つという、民主主義の根本を捨てることにつながります。強い指導力よりむしろ、地方・地域の選択・設計に多くを委ねるというゆるくて広い視野を中央にはもって欲しいと思います。

by maystorm-j | 2011-05-20 05:55 | 社会
2011年 05月 18日
「戦後」から「震災後」に変わるのか?  その1  5月19日 2011年
2011年3月11日をもって「戦後」は終わり、「震災後」が始まるという言葉を何人からか聞きました。言い方は違っても、ここから新しい日本が始まるというような、希望や決意が振りまかれている。金ではなく絆に支えられる社会。原発ではなく自然エネルギーに支えられる社会。「日本は強い」「日本は一つ」という連呼は論外としても、心優しい人々が語る人間愛溢れる未来像。若い世代は多いに語ってほしい。描いてほしい。

反原発のうねりの中に、大きな断層の存在を感じます。かたや、自然エネルギーの大きな可能性を語る飯田哲也さんや田中優さんの輝き。時代の先端を走っているという自信に満ちた言葉と笑顔。そして断層の反対側には、私を含む一世代上の、悔悟と苦渋そして疑念。原発という負の遺産に向き合う作業から見えるそれを作ってきた社会。戦後は終ったのだろうか。戦前の始まりではないのか。阪神大震災の後、復興の陰に見落としているものがないだろうか。イルミネーションの灯りとボランティア団体の輝きの裏に、孤独と乾きがなかったのか。長田町の人たちはどこへ行ったのだろうか。今回の震災で亡くなった人よりも多くの人が毎年、自ら命を絶つ社会。

先週末、発足から参加してきた「信州沖縄塾」の学習会があって、予想されていた事ですが、「沖縄に集中する基地問題と過疎地域に作られる原発の共通性」「札束で売られる社会・・・補助金、交付金」というような言葉を聞きました。その捉え方は間違っていないでしょう。水俣と原発、差別と原発、薬害と原発・・・共通するものを見いだす事は容易ですが・・・そのように整理して理解することをためらわせるものがあります。何かをまた見落としてしまわないか。たぶん、もっと生身の人間にかかわる部分で、福島という名前、飯館、南相馬・・・それぞれに名前のある土地でおきる問題。金で支えられる社会を忌避しながらも、これから始まる、金に頼らざるを得ない、あるいは金で仕分けられる過程。

東電を売り飛ばそうが解体しようが、充分な賠償がなされなければならない。しかし、これからあきらかになっていくさまざまな利害の亀裂のはてに、はたしてそれができるのだろうか。原発建設でばらまかれた札束も、賠償の札束も、同じように人を食いつぶしはしないだろうか。

水俣病を語る多くの著作の中に、いわば「鬼っ子」である「下下戦記」(吉田司)という本があります。これから福島でおきる事を予感せよ、という意味で紹介するのではありません。過去に見落としてきたものは何だったのか、私にとってはそのために読んだ本です。

話がとりとめなくなりました。また続きを書きます。

by maystorm-j | 2011-05-18 22:53 | 社会