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2010年 11月 18日
「もったいない」と「エコ」  11月17日 2010年
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 2週間ほど前の浅間山です。穏やかな秋の山の景色で、山頂からの煙も見えません。長い年月、浅間山の近くに暮らしていると、煙が出ていないのは、かえって不安に感じます。「ガス抜き」という言葉がありますが、火口から適度にエネルギーが放出されている方が安心して見ていられます。以前、夏に噴火したとき、噴火の規模は小さかったのですが、火山とのつきあい方が分からない別荘客が、大勢いっせいに別荘から逃げ帰ってしまいました。別荘の管理を請け負っている人たちの話では、逃げ帰った別荘客から後始末を頼まれて別荘の内部に入ると、食べかけの食事はそのまま、あわてて着替えた服は散らかしたまま、「ポンペイの遺跡」みたいだったそうです。

 昨年の夏の夜、車で用水に落ちた事があります。水量が多く、横倒しになった車の半分が水没、幸い助手席側が下になったので、ずぶぬれになりながら運転席側の窓から脱出しました。せき止められた用水は上流側で水深が1m ほどになり、決壊寸前でしたが無事 JAF に引き上げてもらい、周囲には迷惑をかけずに済みました。エンジンに水が入ってしまい、車は修理不能。5年前に20万で買って、10万キロ以上乗り、トータルでは25万km 達していました。頑丈な車で、私はほとんど無傷でした。この数字を見る限り、よく働いて華々しい最後を遂げたというべきでしょう。翌日から中古車展示場巡りを始めました。

 予算目標は前回同様に設定し探してみましたが、雪や凍結した山道を走る事が多いのと、仕事で荷物を積むこともあり、やや大きめの本格的四輪駆動がターゲットです。簡単に見つかる条件ではないのですが、それにしても5〜60万円まで予算を引き上げても見当たりません。150万円以上のものはかなりあります。中古車販売店の店員さんに聞いてみると、エコカー政策のために買い替えの時 、古い車を廃車にしなければならないためだそうです。はなから新車を買うという意識がなかったため、詳しくは知りませんが、廃車にしないと25万円の補助金がもらえないらしい。いったん廃車にした車を再登録すると、もとの持ち主に補助金の返還請求が行くというのです。ということは、補助金を上乗せした価格でも売れるような、新しい高価格帯の中古車ばかりになっているという事でしょう。結局、きらびやかな展示場を避けて、修理工場でささやかに扱っている安い安い中古車に落ち着きました。

 最新のエコカーに較べると、古い車は「エコではない」から悪い車ということです。もの作りを生業にしている私の感覚では、古い物を直し直し使い続けることが当たり前でした。まだ使えるもの、まだ食べられるものを捨てることは「もったいない」として、悪い事だという意識があります。「エコ」と「もったいない」は対立してしまいます。テレビやエアコンを持っていないので、これもよくわからないのですが、同じ事が起きているのかもしれません。

 では、古い車は本当に「エコではない」のでしょうか? 1970年代から、大気汚染に苦しめられた日本や欧米では、車の排気ガスに制限を課し、たえずクリーンなエンジンの開発を進めてきました。80年頃に較べると、車は増えているのに空気はきれいになっています。今回の「エコ」とは、炭酸ガスの排出量だけを取り上げているのでしょう。燃費を良くする事が、炭酸ガス排出量を減らすという面だけを対象にしています。燃費向上はユーザーにとってありがたい事です。当然、車の買い替え時には燃費を考慮します。中古車を買う時にも、判断の材料にします。無理矢理札束でユーザーに買い替えを勧めなくても、次第に燃費の良い方向へ車全体がシフトして行くでしょう。もちろん、中には燃費などどうでもいいから好みの車をというユーザーもいるでしょうが、その手の人には補助金はあまり効果がないでしょう。

 昨日のラジオ番組に、ロシアで日本車の修理をしている人が登場しました。世界各地で日本の中古車が、修理しながら使われているようです。日本ではエコカーと認められない中古車が、他所では以前のものに較べると性能がよく、クリーンで、燃費が良いと認められて使われているかもしれません。炭酸ガス増加は地球全体の問題です。質の良い中古車を提供することは、地球規模では「エコ」である可能性があります。エコポイント、補助金政策は、国内的には特定の業界を潤すだけ、国際的には日本の炭酸ガス排出量を減らしたという点数稼ぎにすぎないのではという気がします。

 
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by maystorm-j | 2010-11-18 08:37 | 暮らし | Comments(0)
2010年 11月 11日
猛暑のせい?・・・パンツのゴム  11月6日 2010年
d0164519_5324194.jpg 10月中に初雪が降って、連日マイナス2~3度、霜がフロントガラスにビッチリ張り付いている朝がやってきました。山の実りや紅葉も終盤に向かっています。写真の赤い実はチョウセンゴミシ。寒さとともに、深い透明感のある赤に変わって行きます。細いつるに小さな花を付けるので、モクレン科ということに違和感を感じますが、実を食べると甘酸っぱさの中に独特の薬っぽさがあり、コブシやシキミの仲間である事に納得します。よく熟した実を砂糖や焼酎につけて、喉の薬にします。

 突然変な話ですが、夏の終り頃から手持ちのパンツの半分ほどで、いっせいにゴムがのびてだらしない有様になってしまいました。まるで海の中の昆布の縁のような状態です。買った時期もまちまちですし、メーカーもいろいろです。生地は傷んでいないのでそれほど古いものではありません。ゴムが痛む場合、硬くなって引っ張るとメリメリっとのびたままになることもありますが、今回はどれも柔らかいままのびています。d0164519_5573746.jpg

 週1回の洗濯ですむように、10枚以上持っていますが、そのうち6枚ほどが同じ時期に同じ症状を見せるというのは、偶然とは思えません。その原因として思いつくのがこの夏の猛暑です。ゴムをのばす伝染性の病原体でもあれば別ですが、まあ環境の異常な変化によって起きたと考えるのは着想としては自然な事でしょう。そうですね、「夏の異常な猛暑のせいでパンツのゴムがいっせいにのびてしまった」と言えばセンセーショナルで、マスコミ受けするのは間違いありません。なんとなく科学的な説明のように思われます。

 しかし、これで本当に科学的な報告としていいのでしょうか。この現象がどれほど広範に起きているのか、確かめていません。みなさんのパンツはいかがですか? 他でも同じ現象が見られたとすれば、その発生数(割合)と発生した場所の気温との関係を調べる必要がありそうです。そこまで考えた段階で、私が標高1000m 近い高冷地に住んでいることを思い出しました。いかに例年より暑かったとはいえ、関東地方の低地の通常の夏の暑さより2度以上低いでしょう。33度以上になる地域では、毎年夏の終わりになると、パンツがいっせいにビロビロ〜ンとなるなんて話は聞いた事がありません。

 さて最近、クマが活発に人里に出て来るにつれて、夏の猛暑の影響でドングリが不作と言うマスコミの論調が見られます。しかし、気温の高さとドングリの量の関係を示す報告を、今のところマスコミで見いだした事はありません。もちろん、今後の調査で実証されるかもしれませんが、それまでは多くの調査で明らかになっているドングリやブナの豊凶の波と考えるのがよさそうです。まして、夏の猛暑は大気中の炭酸ガス増加の結果であり、炭酸ガスが増えたのは人間の責任であり、だから人間がクマを救うためにドングリを山に運ぶべきであるとする議論の流れには、さらに何段かの思い込みの連続があります。

 のびたパンツを前にして、捨てるべきか、仕事で布巾に使うか、スカートの女性と違いずぼんを履いているので、とりあえず落ちる事はないからそのまま履き続けるか迷っています。半世紀も前のことですが、「俺はムショ帰りで仕事がないんだ。これを買ってくれ」と言って、ゴムひもを売って回る人たちがいました。ヘアピンにゴムひもをはさんで、パンツの上端の袋縫いになっているトンネルの中を、シコシコと通して直したものですね。今は、生地がしっかりしていても、のびたゴムを直して使う事ができません。「パンツをはいたサル」のくだらない悩みです。
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by maystorm-j | 2010-11-11 08:32 | 暮らし | Comments(0)
2010年 11月 05日
クマとドングリ  11月5日 2010年
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 11月13日(土)、松本の信州大学で予定されているシンポジウムを紹介します。そのころ、松本はきっと紅葉のさかりです。内容がいくらか専門的になりますが、野生動物に関わってきた研究者は、たえず現場の人たちと接しているので、表現が難解で一般の人には理解できないということはないと思います。

 本州と北海道ではクマが里に出て、被害や捕獲の報道が増えています。冬眠にそなえてこの時期、大量のドングリやクリを食べるのですが、今年は不作で餌不足のため里に下りてきていると伝えられています。その正確な解析は冬になってクマの活動がおさまってから、各地の対策関係者や研究者の報告を待ちたいと思いますが、報道される数字を見る限り、昨年よりもかなり多くなりそうです。しかし、この十数年の間では、数年ごとに増減の波があり、いまのところ今年が、十数年に一度というような特別な状態ではなさそうです。

 多くの動植物は食べたり食べられたりの関係の中でバランスを保ちながら生きていますが、常に一定の状態ではありえません。気象条件も変化しますし、環境も変化しますので、絶えずぶれやゆらぎが生じます。ゆらぎの原因は外的な条件の変化だけではありません。生命は絶えず数を増やし、生息域を広げようとたくさんの子孫やコピーを作ります。生まれた生命の多くは捕食者に利用され、別の生命の存続に使われますが、食べる側の増減は、食べられる側の増減に遅れて起きますので、そのずれがゆらぎの原因になることもあります。食べられる側にとって、弱い個体が淘汰されることは、その種を健全に更新し、時には進化と呼ばれる変化を促す事にもなります。復元力を越えるゆらぎは、生態系を新たなステージに変えたり、時には種の絶滅に及ぶでしょう。

 このところ、都会の人がクマの餌にと言って、ドングリやクリを山に撒くのが見られます。組織的に呼びかけている団体もあります。私の住むところでも、何年か前に別荘地内に置かれた大量のドングリと栽培クリを見た事があります。たぶんほとんどが野ネズミかカケスの餌になって、数匹のネズミが増えることに貢献することでしょう。都会から高い交通費をかけて運んだドングリが、イノシシ1頭の1回の朝食に消えるかもしれません。しかし、食べ残しがあれば、春になって芽を出し、本来そこにはないはずの遺伝子をもった木に育つかもしれません。ドングリやクリの実には、多くの虫や菌がいて、新天地で増えるかもしれません。ごく稀なことでしょうが、「運良く」人間の匂いがついているドングリやクリにありついたクマは、人間の匂いを怖がらず、里に下りてくるかもしれません。

 クマの将来を憂いている都会の心優しい方々は、ぜひインターネットの一つのサイトに偏らず、時間をかけてさまざまな情報にアクセスしてください。現場からの声はけっして一つではありません。被害の嘆き、殺せという憤慨から、なんとか軋轢を減らそうという努力や、絶滅の可能性がある地域での保護の願いにいたるまで、どれもがクマと人間の関わりの一面を語っています。現場では、被害農家・猟友会・行政・研究者・民間団体や個人が、それぞれの意見の違いを持ちながらも連携し、クマと人間のより良い関係を模索しています。出来る事をやろうという優しい思いを否定するものではありませんが、思い込みからの一面的なアプローチはちょっと待ってください。全体を静かに見渡して、その中での位置づけを考えながら何が出来るのか、行動の影響や結果を多面的に予想しながら、そして何よりも現場のさまざまな人々と話し合いながら、一歩一歩進んでいただきたいと思います。

 最後に、最近読んだ研究報を一つ紹介します。
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by maystorm-j | 2010-11-05 09:06 | 自然 | Comments(0)