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2010年 08月 23日
野生動物を誘うもの  8月13日 2010年


 花びらはバラより薄く、鮮やかなピンクの花を咲かせるハマナスは、自生地の他にも時々植えられているのを見かけます。親指と人差し指で輪を作ったぐらいの大きさのオレンジ色の実をつけます。生で食べるほどには美味しくありませんが、ジャムにすることはあるようです。d0164519_21151089.jpg

 クワの実が終って、今年はクマヤナギがあまり多くはなく、ハシバミは不作、そろそろ畑の被害が大きくなりそうな微妙な時期に、生け垣に仕立てられたハマナスの実に群がって食べていました。ヤマボウシやオオヤマザクラ、ソメイヨシノ、イチイの実のように、農作物ではないため野生動物が食べても人が怒らない餌がかなりあります。これらは人が観賞用に植えるのですが、餌としてみればかなりの量になるものばかりです。里にあるため、周囲には家庭菜園があったり、ユリやチューリップ、ブルーベリーやスグリの仲間、木いちごの仲間など、食べられたくないものも多くあります。

 軽井沢は寒すぎるのですが、ちょっと標高の低い隣町までは柿の木がたくさんあって、今は干し柿を作る人もいないため、たくさん実った赤い実はサルを誘っています。軽井沢では畑の隅に捨てたカボチャの種からつるがしげり、勝手にたくさんの実がついています。出荷する予定ではないらしく、畑の持ち主はサルがカボチャを抱えて走っていても追い払いません。

 野生動物対策では、人里にたくさんあって、動物が食べても誰も怒らない餌の存在が、動物を里に誘導しているという事で問題になっています。ボランティアによる、放置された柿やゆずの収穫が始まっていますが、過疎化や老齢化で、集落の人だけでは処理できなくなっているわけです。軽井沢のように人口がわずかずつですが増えているところでも、サルの被害のように直接身に降り掛かる災難に対し、集落の人間だけでは対処できないほど、地域社会の力が弱くなっています。まして、山村のいたるところにある「限界集落」では、残った年寄りの生き甲斐である畑仕事ができなくなってきました。軽井沢でもサルの遊動域にあたる地域では、この5年ほどで家庭菜園の面積が半減していると感じています。自然のなかで自然の恵みを受けてきた山間地の集落に、最後のとどめを刺すのがイノシシ、シカ、サルなどの自然の動物達ということになりそうです。

by maystorm-j | 2010-08-23 13:07 | 自然
2010年 08月 10日
死刑執行は実験?  8月10日 2010年
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 強い陽射しを浴びて、ネムの花が咲き続けています。今年は早くに咲き始めたので、花期が長いように感じます。マメ科ということですが、花の形がマメの仲間とは違うので、別のグループに分離する考え方もあるようです。花の間を忙しく飛び回っているのは、ミヤマカラスアゲハでしょうか? 人によって分類が変えられる植物もあれば、緑のイモムシから自力で変身する蝶もいます。

 先月末、二人の死刑囚が処刑されました。報道された直後に感じた事は、文章としてまとまらないまま10日あまりが過ぎてしまいました。池田香代子さんのブログ7月30日8月2日にストレートな慨嘆と解析が載っています。ボヤッと考えていた私が書くより鋭く問題点をついていますので、ご覧ください。

 自然科学の手法に、「仮説を立てる」→「実験や調査をする」→「検証する」→「法則や理論となる」というプロセスがあります。最後の「法則や理論」は永久不滅なものではなく、新しい現象や事実の前では再び「仮説」であり、このプロセスを繰り返す事になります。仮説を立てるには、過去の法則や理論では説明できない事実や現象を拾って行きます。「死刑は犯罪を抑止する」「死刑は遺族を癒す」「死刑を廃止しても犯罪は増えない」「報復は癒しになるとは限らない」・・・さまざまな現象や事実がこれまでありました。国内の過去の事例や外国の制度・事例など、調査し検証する事はたくさんあります。今回の処刑に際して法務大臣の言った事は、調査ではなくいきなり実験をしたということのようです。

 野生動物対策に関わっていると、人間による動物の死は常に身近にあります。「狩猟」「有害駆除」「個体数調整」「交通事故」・・・前の二つは古くから人間の歴史とともにあって、後の二つは最近のものです。ニホンザルの場合、過去には実験動物として取引されるという事がありました。現在は、野生動物による実験を規制する方向へ進み、実験動物の福祉という考え方も進んでいます。対策の指針を立てる行政や研究者と対策を実行する現場では、人間が野生動物の命を奪う事に対する検証は、充分とは言えないまでも継続して行われ、少しずつ深化しています。しかし、地域社会の中での検証と議論は少なく、野生動物による被害者感情と対策担当者との軋轢が現場で度々起きます。

 被害を起こす野生動物を見る人間の反応は、「ワーかわいい〜!」「キャーこわい!」「クソー憎たらしい!」までさまざまです。
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 上の2枚の写真はオス・メス・アカンボウのニホンザルです。左は「極悪非道なサル」右は「反省謝罪するサル」という訳ではありません。たまたま1分ぐらいの時間差で二つのポーズが写せたというだけです。見る人によって、あるいは見た場面によって受ける印象が違って来ることはいくらでもあります。犯罪は成文化された法に基づいてのみ裁かれることが基本だと思います。「残虐」に見えるとか、「改悛の情」が見られないなどということで判断しようと思うなら、拘置所に1年ぐらい未決囚として一緒に入って、つきあってみないと判らないだろうなという気がします。(拘置所には雑居房はないかもしれません) まして、えん罪や犯行時に精神障害があった場合など、「改悛」を求める事自体に無理があります。

 最近は、「遺族の感情」や「社会的影響の大きさ」などが、刑罰を重くするバネになっています。これは言い換えれば「報復」と「見せしめ」です。遺族のいない人の命は軽いということでしょうか? 中高生がホームレスの人を襲ったり殺したりする事件が何度もありました。人知れず行われて発覚しない犯罪や、マスコミが取り上げない犯罪などは社会的影響が大きくなりません。行政による犯罪などは、現行の社会的な権力やシステムに乗っかって行われるために、犯罪犠牲者である個人の方が悪く見えることがあります。この国の現状、次第にマイノリティーの存在そのものが邪悪に見られるような社会・・・私は息苦しく感じますが・・



  

 

by maystorm-j | 2010-08-10 22:54 | 社会