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カテゴリ:自然( 33 )

2016年 10月 21日
虫が少ないと思うと、虫にばかり目がいきます。

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この数年、虫が少ないと言い続け、今年もますます少ないと書いてきました。そうなると、どうしても目は虫を追いかけてしまいます。鳥も少なく感じますが、鳥の写真は仕事の片手間でとれるほど甘くはありません。虫は多くが花にやってきますので、見つけやすいこともあります。ノコンギクやシオンはまだ花が残っていますが、もう花粉や蜜はなさそうです。春から咲き続けるコスモスに虫がやってきます。コアオハナムグリが身動きする事もなく花に頭を突っ込んでいるところへ、蝶?蛾?がやってきて横から蜜を吸い始め、反撃されないのをいいことに、上に乗ったり、すっかり被さったりのやりたい放題。ハナムグリの方は我関せずの体。昔、「蝶と蛾を区別するのは日本人だけ」と聞いた事がありますが、それにしては蛾にはmothと言う英語名があります。モスラのもとになった名前でしょう。これだけはっきりした模様なので、調べればすぐに名前が判るだろうと思って、図鑑を見ても該当なし。ネットで何百という画像を見ましたが、それらしきものは見当たりません。バタフライかモスかも判らないようでは、ギブアップです。


それにしても昆虫は種類が多い。人間が死に絶えた後の地球を支配するのは昆虫だと言う人もいます。人間の後で地球は「猿の惑星」になると考えている生物学者はあまりいません。未来の事は判りませんが、現在の地球を支配しているつもりの人間たるや、1種しかいないという情けないありさま。数と力を過信しているようですが、繁栄している動物というならそれはもう昆虫でしょう。他に繁栄を共有する仲間のいない人間は生物の多様性から考えると、いかにも頼りない存在です。人類600万年の歴史の間に、多くの仲間の種が絶滅してきました。ほんの3万年ぐらい前まで、ネアンデルタール人という仲間がいて、種は違っても交雑する可能性がありましたし、現代の我々はネアンデルタール人由来の遺伝子を数%持っていると言われています。そんな貴重な仲間を滅ぼしてしまうなんて、なんともったいないことをしたのでしょう。さまざまな特徴と能力を持つ仲間が多いほど、環境の変化に対応できたかもしれません。それに、競い合う仲間が多いからこそ能力を磨いて、俺が一番と威張れるのです。較べる相手もいないとは、なんてつまらないことをやってしまったものでしょう。単独行は、うっかり方向を間違えると、とんでもないところに行ってしまうことがあります。




by maystorm-j | 2016-10-21 04:54 | 自然
2016年 09月 06日
産卵場所を探すアカハナカミキリ

迷走していた台風10号は。東北地方に上陸した後は一気に駆け抜けていきました。海上を北上したため、大きさも強さも衰えず、風による収穫期の農業被害が懸念されていたのですが、結果は雨による人的被害を多く出してしまいました。農業被害は予想できても対策が難しいことがありますが、人的被害は常に予想外の経過をたどります。「予想外」だったとはいえ「予測不可能」だったとはいいきれないところが悔しいわけで、日頃、様々なシミュレーションをしていれば、予測の範囲は広がり、あらかじめ対策が可能だったかもしれない。残念ながら事後ではあっても、しっかりした検証が必要でしょう。失敗の検証が不充分なのは、日本の歴史で常に感じる精神風土です。異常な体験と、そこで起きる悲劇や美談が注目されて、起きた事柄の構造的把握や原因追及は忘れられてしまいます。

それにしても、極東地域の気圧配置は変です。見慣れない天気図が続いています。作業場の暑さ寒さは我慢できても、台風の風で屋根が飛んでしまったりすれば、どうにもなりません。簡単なシミュレーションですが、嫌な事は想像したくないのが人情。この秋は仕事場の事を考えなければならないと思っています。d0164519_09543998.jpg


昨日5日、作業場の中に飛び込んできて、あちらこちらの木材にとまっていた虫が、カメラを取りに行っている間に外へ。出入り口付近に放置されているカラマツの丸太、いい具合に腐食がすすんでいます。歩き回って穴にもぐったり、適当な産卵場所を探しているのでしょう。一年間の彼女の生涯にとっては、総仕上げのだいじな作業だと思うと、なんとなく真剣さが伝わってきます。


アカハナカミキリ、どこにでもいる見慣れた虫ですが、キーボードに「あかはなかみきり」と打ち込んで変換すると「赤鼻噛み切り」となりました。まるで違うなんだか妖怪の名前かと、どきっ! 君の知られざる正体は?・・なんて事はありませんね。カンタンの声はあいかわらず聞きませんが、夕方コオロギが一匹、この丸太の近くで元気に鳴いていました。昨日の仕事は、オーダーされた酒器制作の続き。いくつも並べて同じ作業を順番にこなしていても、それぞれどことなく表情が違っています。作業の微妙な加減と、その結果生じる表情の違いを検証し記憶しながら仕事を進めていきますが、最終的な出来映えの評価は仕上がってから。特に、展示してからお客様の評価が重要です。全工程を動画で記録すれば、仕上がりの微妙な違いが工程のどこから生じるのか検証できるかもしれませんが、しっさいには作業場に監視カメラを置くような事にはならないでしょう。

d0164519_09553349.jpg台風10号で多くの被災者を出した岩手県岩泉町の行政に対する批難・バッシングがたくさん寄せられているようです。まだ現地が対策に追われている時点での、感情的評価と批難は、災害の軽減にも再発の予防にもつながらないでしょう。批判者はただ、自分の感情の暴発先を探し、正義感を満足させているだけと思われます。災害発生の当初から時系列的な記録と検証の繰り返しは重要ですが、それは現場から少し離れた位置にいる、様々な専門性を有する人達によってなされることではないでしょうか。現場はそのとき最善と思う作業に全力を注ぐ事しかありません。現場ではしばしば、対策作業者自身も被災者である場合が多いでしょう。価値観をともなう評価や今後の対策のあり方は、災害が終息して、多くの事実が明らかになってから考える事です。「喉元過ぎれば・・・」で、時間が経つと記憶が薄れて反省しない、日本人の精神風土にも問題がありそうです。



by maystorm-j | 2016-09-06 09:58 | 自然
2016年 03月 27日
待ち望んでいた早春の草花
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「暑さ寒さも彼岸まで」と言うようですが、昼夜の長さがほぼ一緒、季節の中間日という割には昨朝の気温、氷点下8度。真ん中というより、ほとんど冬です。昼間の長さというものは、太陽のてっぺんがちらっと顔を出した時間から、最後のかけらが見えなくなるまでのようですので、春分の日は昼間の方が長いことになります。日が射している間は温かいのですが、朝夕は寒い。それでも、シジュウカラやヒガラは巣作りを始めているのか、苔をむしったり、元気に鳴き交わしています。2~3週間前は、夜になるとフクロウが鳴いていましたが、もう縄張りが決まって番ができ、卵を抱いているのかもしれません。夜の静けさを破る迫力のある低音は聞かれません。野鳥の写真を撮ろうと思っても、じっと待っているほど暇ではなく、季節感のある写真は草花になってしまいます。木の芽は確実に膨らんできてはいますが、写真ではそれが判りません。気長に待っていれば、そのうち突然コブシの白い花が冬枯れの林に咲き始めるでしょう。

まだ雪も残っています。日当りの良い道端で見つけた野の花2種と庭先のフクジュソウです。やっと咲いたちいさな野の花に敬意を表して、フクジュソウに負けないぐらい大きく引き延ばして並べました。それにしても両側の花の名前に較べると、真ん中の花の気の毒な事。種の形が似ているとはいえ、ほとんど名誉毀損のレベルです。

軽井沢に越して来たころ、標高の高い土地だけに野の花にも道端の花の中にも、名前を知らないものがありました。和名は知っていても、この土地ではどのように呼ばれているのかを知りたいものもあって、近所の人に名前を尋ねることがよくありました。たいていの場合かえってくる答えは「クサ!」。クサには違いないが、その草の名前は?と尋ねても、「クサはクサだに」。雑草には名前なんて要らないとばかり、吐き捨てるように「クサ!」 そのくせ、山菜となるとしっかり名前で呼ばれています。食えるか食えないかで、えらく待遇が違うのです。2週間も前から、まだXXは出ないか、OOは採れないか、うろうろ探しています。寒さと食糧難で厳しい時代を経て来たのでしょうか。春がいかに待ち遠しかったことかが偲ばれます。ちなみに、写真の3種は食べられそうもありません。

自然が豊かな土地に住む人間はおしなべて自然を愛しているにちがいないと思うのは、都会の人間の思い違いです。自然の猛威にさらされる事が少ない都会の人は、自然のありがたさだけを見ている事が出来ます。有り余っている自然、ほっておくと庭も畑も被い尽くす「クサ」。長い冬に耐えた後、農繁期が始まるまでの一瞬の春。都会とは異なる自然のサイクルの中に暮らして、環境に対して実利的になるのも頷けます。


by maystorm-j | 2016-03-27 07:49 | 自然
2015年 11月 02日
南軽井沢で旧黒斑山の崩壊跡を見る/見学会に参加して
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一週間あまり経ちましたが10月25日、南軽井沢地域で群馬大学早川由起夫さんの「明るく楽しい勉強会/南軽井沢を歩いて地形と馳走を見学する」という集いに参加しました。18号碓氷バイパスの南側は、南の山地から続く低い尾根2本と平らな地形で構成されています。浅間山の裾野とは間の湯川で断絶していると思われがちですが、23,000年あまり前に起きた黒斑山の崩壊はひじょうに規模が大きく、南軽井沢を埋め尽くしてから、佐久平駅の南まで一気にかけ下ったとされています。


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浅間山本体の左にある三角のピークの奥に現在残る黒斑山は、ピークの左側の斜面を右に延長した大きな火山で、推定2800mの高さ、山体は今の浅間山より少し左側にずれていたそうです。軽井沢の平らな地形は崩れた山が谷を埋めて、その後軽石や火山灰が降り積もって、さらに土壌も1~2m発達し、現在の状態になったということなのでしょう。軽井沢には千曲川の支流がありますが、標高1000mで中流域ですので、広大な平地や緩い斜面が扇状地や氾濫原と考えるのは無理がありそうです。もちろん、地層の断面を見れば、専門家にはすぐに解ることです。


最初の写真左は、18号バイパス南、鳥井原地区にある「流山」。火砕流と違い、山体崩壊ではところどころに、こんもりした小さな山が出来ます。小豪族の古墳かなと思う規模ですが、立ち上がりの角度は低く、形も様々です。佐久平駅の南側には流山がたくさん見られ、塚原(つかばら)という地名が残り、黒斑山崩壊の土石流は「塚原土石なだれ」と呼ばれています。左は流山によく見られる「赤岩」。大小いろいろですが、ごろんとした岩が赤いのが特徴です。流山も赤岩も古くから信仰の対象になっていることが多く、社や鳥居が建っているのが見られます。通常の噴火で噴石・軽石や灰が積もるのと違い、数分、十数分で麓に達して、逃げるのは困難。起きる確率は低いが、起きたら被害が大きい現象と言うことでした。予測も難しく、既に崩壊した黒斑山に近い高さにまで達している現在の浅間山(前掛山)が崩壊するのは、1万年後かもしれないし明日かもしれないと、覚悟が要ります。大規模な火砕流と較べると、前兆現象がなくても起きる可能性が高いようです。


さて、火山と共に生きるということの「共生原理」。知識と対策でリスクを減らせる現象もあれば、人智の及ばないこともあります。山体崩壊やカルデラ巨大噴火のリスクは、ある程度の確率で起き、その被害もある程度算定できるでしょう。流星が地表に達してそれで死ぬと言うような、想定すること自体があまり意味を持たない現象(あり得ないということではありません)とは異なります。10万年に一度の災害でも、予知できずにそれで死ぬ人が10万人いれば、想定しシミュレーションを行う意味があります。過去の崩壊跡や地形から判断して、そのような場所に住まないという選択もあります。もっと頻繁に起きる火砕流や中規模噴火に対して、科学的リスク評価と社会的要請との間で、行政はマネージメントを行うことになるのでしょう。その中で、さらに個人的なリスクマネージメントは、人それぞれの状況や価値観で異なるということもあります。


d0164519_04283592.jpgと納得したところで、いきなり食い気の話。とりあえず生きている限り食い気とは無縁でいられません。種類と場所にもよりますが、軽井沢のキノコとイノシシはまだ放射能が高いようです。上記の見学会参加者から、ムキタケとナメコをいただきました。軽井沢につく前に他で採ってきたものです。ムキタケはその形状が猛毒のツキヨタケに似ているので、あまりポピュラーなキノコではありません。短い石突きの部分を含むように襞にそって裂いてみると、断面が全体同じ色であることが判ります(左側中央の二つ)。ツキヨタケではそこに暗色の斑があります。念のために、暗いところで見ましたが、光ることはありませんでした。安心して食べると一段と美味しいものです。



by maystorm-j | 2015-11-02 05:12 | 自然
2015年 10月 22日
移ろいゆく自然,野生との距離感

d0164519_05505588.jpg先週15日に2度を切って霜が降りましたが、その後は7~9度の温かい朝が続いています。一度低温を経ると紅葉は確実に進むらしく、どんどん色を増しています。右はイロハカエデ。左上は落ちていたナナカマドの実。左下はイロハカエデの種です。カエデは冷気のあたり具合で紅葉の進み方が木ごと枝ごとに異なります。高い部分だけ紅葉して下の方の枝は緑という街路樹もたくさんあります。今年は急激に冷え込んで、葉の科学的変化が整わないうちに霜が当たったせいか、茶色く枯れた枝も多く見られます。


しかし、このようなばらつきの中にこそ、自然の微妙な変化が感じ取れるので、着実に一様にのっぺりと紅葉するドウダンツツジなどは、風情が乏しいとも言えます。確かに見事な赤で申し分ない美しさですが、人間の感覚は勝手なものです。みんな一斉に赤いのも、一点の汚れも混じらない純白も、私はどちらも苦手ですが、植物にとってはそんな評価は無縁。今日もそれぞれに移ろいゆくでしょう。


以下、信州宮本塾のメーリングリストに書いたものを転載します。


d0164519_05443082.jpgこれまで、野生動物対策や野生動物に対する餌やりの問題を通じて、野生の尊厳についてお話ししました。とても言葉にしにくいことでもあり、「自然を愛する気持ち」と「農業被害をどうする」という「明快」な両側の視点から、不快に感じられた方もいらっしゃると思います。


私が東信地域の野鳥の会支部で活動していた30年あまり前、星野道夫という写真家の存在を知りました。当時アニマという動物雑誌があって、劇的な瞬間や感動的な「絵」を発表する写真家が多く、そこに何かあざとさをも感じていました。その頃、星野道夫は極北のクマや人々の暮しに向き合い、野生との距離を気遣いながら、移り行く自然と悠久の命の連続に対する畏敬を感じさせる写真を発表し始めました。子育ての時期だったこともあって、福音館書店から世に出された星野道夫の写真と文章の多くに接することが出来ました。


その後43歳の時、彼はある動物番組の撮影で訪れたカムチャッカでヒグマに食われて死にます。餌付けされて習性が変わっていたクマだったと言われています。「星野道夫がなぜ?」という疑問は、いろいろな視点から考えなければならない問題として、当時から今も野生動物にかかわる人々の間に続いています。



by maystorm-j | 2015-10-22 06:02 | 自然
2015年 10月 01日
観察と解析が科学の役割。教訓やいいお話を期待する危険。
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宮本塾メーリングリストで配信されたチンパンジーの権力闘争に関するおもしろい記事について、私なりのコメントを寄せました。元の記事がないと解りにくいかとも思いますが、私の部分だけ転載します。
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今朝(30日)の軽井沢は3度。だからと言って、「地球温暖化」は間違っていると言う気はありません。ただ、梅雨明けの猛暑期に温暖化だと騒いでいた人達が、今は沈黙しているなあと眺めています。都合の良い現象、教訓的に使えるものを取り上げるのは科学とは別の世界ですね。


科学には観察と解析があるだけだと思っています。いいお話しも深いお話もありません。ご紹介いただいたチンパンジーの行動は、ある特定の集団で、ある特定の時期に、ある特定の個性を持った個体群が行った行動の観察事例であって、もちろんとなりの集団で同様なことが起きるわけではありませんね。特にこのような行動は、集団が分裂可能な状況にあるかないかや、周囲に対抗的な別集団が存在するかどうかで、かなり異なるでしょう。


チンパンジーはもちろん人間の祖先ではありません。DNAが95%以上共通するとはいえ、共通の祖先から分化して500万年間の間、独自の進化をとげた種です。「根っこのところは変わらない」という見方には賛同できませんし、チンパンジー社会で起きた特定の出来事が人間社会のどこかに似ているという見方はむしろ危険です。探せばネズミだって人間と較べられるような行動をしますし、ネコにいたっては、自分もネコの仲間だと錯覚している人間がたくさんいます。人間社会の解析は、人間社会を観察することが科学でしょう。DNAに支配され易い体型や栄養摂取でも、時代と環境によってどんどん変化します。まして、社会的行動は状況によってコロコロ変わるでしょう。


チンパンジーの社会はある部分かなり戦闘的です。メスも含めて「子殺し」が行われ、集団間の戦争に近い形の、意図的殺人(殺猿)が行われます。しかし、それが人間社会との共通性のように捉えることは危険です。チンパンジーより形態や知能が人間に近いかもしれないボノボの生態が明らかにされる過程で、このような類推や示唆が無意味なことを感じました。ボノボは個体間の軋轢や緊張を、同性間でも性的な接触で和らげて、調整する社会性があります。ひじょうに近縁の2種でも、社会行動に大きな違いが見られます。


「ボスザル」という問題も、むしろ観察する人間側のゆがみが反影しています。私が猿対策にかかわり始めた10年ぐらい前のことですが、役場の担当者も猟友会も被害農民も、当たり前のように何も疑うことなく「ボスザルが・・」「人間ぐらい大きなボスがあ・・」と言っていました。軽井沢の群れを観察する限り、ボスザルなんてどこにも見当たりませんでした。一見リーダー風に装って威張っている大き目のオスザルも、群れをリードしているわけではありませんでした。威張って先頭を歩いて行っても、メスザル達は気が向かないと誰もついては行かず、オスザルはしばらく経ってからへたれた様子でメスの群れが進んだ方向に引き返します。もちろん、野生の状態で餌を独占することも配分することもできません。


「ボスザル」「階級的順位」「同心円型社会構造」などという見方は、京大霊長類研究所の一部ボス教授が称えたもので、その強い政治力のため、間違っていることが判っていてもなかなか批判・修正されませんでした。餌付け群れの観察方法自体に大きな間違いがありました。そのボス先生は今でも政治力とともに、「いいお話をする」研究者として童話界などでは人気があり、「ボスザル」問題では完全に自由な発言がしにくい様子が見られます。


野生動物を餌付けして、その行動と生態を変化させることには、研究目的でもひじょうに慎重である必要があります。まして、愛玩目的で餌付けすることはひかえるべきです。野生の尊厳、生命の連続と相互の関係に対する畏敬の念をもたない、自己の欲望で野生と接することが流行っています。研究者が野生動物対策に従事し命を奪うことに、多くの現役世代の研究者はそのような状況にいたった敗北感と痛みをもっていることを今も感じます。


というわけで科学に「いい話し」を期待すると、割烹着を着たカワイイおねえさんに騙されるはめになります。

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by maystorm-j | 2015-10-01 06:49 | 自然
2015年 08月 29日
迷子になったオオフタオビドロバチのエサ運び
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作業場の木台(硬い木の大きな丸太)にやってきた蜂がいます。しばらく前から金床をぶっ立てる大きな丸太にやってきて、、もとから空いていた穴の中に入って行くのが見られました。金床を立てる台ですので、上で鍋をガンガンたたいたり、しょっちゅう向きを変えたりしています。上で作業している間も、足下をうろうろ飛び回っていますが、刺しそうにもないのでほおっておきました。そんなところで子育てでもないだろうから、そのうちいなくなるだろうと思いきや、今度は何かぶらさげて飛んでいます。

停まったところを見ると、緑色の小さないも虫。蜂の体長とほぼ同じ大きさのものを運んでいます。穴が判らなくなったらしく、1時間以上ウロウロと探しまわっているので写真に。2cmもない小さな蜂ですので、カメラを近づけて撮影ですが、通常私は液晶画面ではなくファインダーを覗いて写します。刺さないだろうと思っても、顔面を近づけるのはちょっと度胸が必要です。ぶら下げて飛んでいる構図は、残念ながら失敗。マクロレンズではないので、この程度のアップが精一杯です。

その後、昼食時に作業場を離れ、戻った時にはいませんでした。図鑑で調べると「オオフタオビドロバチ」のようです。トックリバチの仲間らしく、泥をこねて産室を作り、生きたいも虫を幼虫のエサにする蜂です。

なかなかユニークな生態が書かれています。穴の中は子どもに食べさせる家畜の小屋というわけです。手の混んだ作業をするための、だいじな獲物をぶら下げて迷子になっていたとは気の毒なことですが、私もそこで仕事をしないわけにはいきません。「朝顔に つるべとられて もらい水」という余裕はなく、うまくエサを運び入れて産卵したとしても、、はたして振動と騒音の住環境で子どもが無事育つことか。案ずるより産むが易しとはいきそうもありません。いや、産んだ後が安くないのは、どこも同じ世のならいでしょうか。


by maystorm-j | 2015-08-29 06:13 | 自然
2015年 07月 20日
火山噴火に見る「リスク評価」と「リスク管理」
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写真は6月20日の浅間山です。噴煙は西南西に流れているようです。現在も噴火警戒レベル2とされて、火口からおおよそ2kmが立ち入り禁止になっています。
前の記事で書いた火山のリスクについて、もう少し掘り下げて考えます。

気象庁による噴火警戒レベルについて、2007年の法改正の問題と、現実に起きている不具合について、火山学者の間では批判が起きています。

 群馬大学/早川氏  https://twitter.com/HayakawaYukio

 静岡大学/小山氏  https://twitter.com/usa_hakase

 鹿児島大学/井村氏  https://twitter.com/tigers_1964

のツイッターを読むと(フォローするより直接上記サイトのタイムラインで読む方がおすすめ)、その辺の事情を具体的に論じています。


「噴火警戒レベル」というと、一般の人は科学的なリスク評価に基づくものと思いがちです。浅間山では過去おおくの死者の上に、観測の積み重ねと地元自治体との協議の長い歴史があり、科学的なリスク評価と地元の事情を加味したリスク管理がかなり整合的に設定されています。山小屋、観光施設等の配置を見れば、リスクを無視した開発が行われなかったことが見られます。箱根ではそこが混乱しています。浅間と違い、箱根には気象庁の観測の歴史はなく、気象庁には専門の火山学者はいないようです。


今回の噴火では、箱根の警戒レベルの方が一段高い3です。にも関わらず、立ち入り禁止は箱根の方が小さいのは、それ以上広げると住民を避難させ、公共施設や商業施設を閉鎖しなければならないという事情によるものと思われます。禁止区域のすぐ外側では、あたかも危険がないかのごとくに行政は発信していますが、区域が科学的に設定されたものではなく、レベル2の浅間なみに広げると、「居住区域に重大な・・・」のレベル4または5にする必要があります。行政上の配慮で区域を設定しているにもかかわらず、区域の外側では(科学的に)危険がないから、箱根を応援してくださいと観光客の来訪を呼びかけています。科学を装いながら、正常性バイアス心理を助長する、リスクコミュニケーションですね。リスク評価(科学)ではなく、気象庁がリスク管理に踏み込んでいます。


リスク管理は、リスク/ベネフィットを災害が起きる具体的な場所で考える必要があります。リスクは災害という形で現実に起きるまでなかなか目に見えにくいものですが、ベネフィットは「目の前の人参」のようにぶら下がっていて、しかも「人参も馬も」行政、商業、農業、個人の暮らしなど様々な当事者と内容があります。災害が起きるまでは、ベネフィットの方が圧倒的に現実感を持ってしまうでしょう。命の大切さは、実際に失われるまで気づかないとい問題があります。


観察・観測、リスク評価、リスク比較、さらに予測・予想不可能性を含む科学の部分は独立した議論とベネフィットに流されない情報発信が基本だと私は思います。その点、現在の気象庁の態度は、一般に誤解を生む危険なものと考えます。自治体が気象庁や他の研究者の意見を参考にしながら、地元の災害対策能力や住民の状況などを加味して、災害対策をたてるのが筋だと思います。それには、日頃から行政と住民と科学が協議を重ねている事が必要ですが、箱根では野放図な開発を許してきた結果が、整合性のとれない現状をもたらしたと思います。


リスク/ベネフィットの問題は、福島の「帰還問題」に凝縮されて現れています。様々な当事者の間で、議論が噛み合ないまま混乱が進んでいます。観察体制もでたらめ、リスク評価は整理されないままそれぞれが都合良く解釈しています。その結果、科学の領域を無視したマネージメントが上からは強制され、下からは科学に基づかない見てみない振りと同調圧力、逆にリスク比較を拒否する「恐怖」が発言されます。




by maystorm-j | 2015-07-20 06:19 | 自然
2015年 07月 18日
浅間山 追分火砕流の上にいます
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久しぶりのブログ記事です。本業と本読みに追われ、考える事や書きたい事がたくさんあっても、世の中の動きが速すぎてタイミングを失してきました。とりあえず、ちょっと寝ぼけた話題ですが。


いつも仕事場から見るぼやけた浅間山の写真ばかりですので、5kmほど西に車を走らせました。小噴火以来、ショボショボと噴煙が出ていますが、この日は台風のせいか風が強く、西風が上昇する浅間山の上には雲が湧きます。噴煙はほとんど見えません。浅間山頂の左が剣ヶ峰、右手前の小さな山が石尊山。900年前にその間を大規模な火砕流が流れ落ちて、厚さ8mほどの噴出物で裾野を埋め尽くしました。この写真を撮った場所はその「追分火砕流」のど真ん中。千年単位で一度の確率で起きる災害でしょうが、周期性はありませんので、この瞬間に起きても不思議ではありません。たぶん、その規模の災害が起きる前には連続した噴火などの前兆があるでしょう・・・と「希望」しています。仕事場の位置は、追分火砕流の東端上ですので、安心はできません。


のろのろ台風のせいでしょうか、梅雨前線は消えています。北海道にかかっている前線を梅雨前線とよんでいいのか判りません。大陸から流れてくる移動性低気圧なのでしょう。先週まで12度の朝がありました。早起きの人は今年の夏は寒いといいます。お寝坊さんは暑いと言っています。台風が通過したあと、どんな天気図になるのでしょうか。扇風機をガンガン回しながら仕事三昧。朝飯前の僅かな時間だけ、人間に戻っています。若い頃から、山は見るものではなく、歩くものと決めてきましたが、近年少々怪しくなってきました。ネットで見る最近の登山靴はカラフルだなあ、なんて思うだけの情けない状態が続いています。




by maystorm-j | 2015-07-18 06:58 | 自然
2014年 11月 17日
「弱肉強食と適者生存」?
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2週間ぶりにブログの更新です。11月に入って、気温は上がったり下がったり。今朝はマイナス4度前後で、夏の名残りの草花は終った感じがします。写真は数日前のものです。ミニトマトの花は、株全体がほとんど枯れて実る可能性は無くても、先端の方で何とか咲き続けていました。コスモスも、周囲の大きな株はみんな枯れて種をつけていますが、根本ので遅れた小さな株が、やっと2cmもない花を咲かせていました。色づいたカラマツ林に立つ枯れ木は、たぶん雷が落ちたのでしょう。隣にはその影響か、下枝が枯れ上がりてっぺんだけになったカラマツが生き残っています。左の木の方がちょっと高くて、雷の直撃を受けたのでしょう。大きく育って損してしまいました。

小さなコスモスはどうしてしぶとく生き残っていたのでしょうか? 上に常緑樹があって、霜を防いでいたから? そのぶん日当りが悪く、成長は遅かったでしょう。成長がゆっくりだった反面、凍結を防ぐ成分濃度が高くなったのでしょうか? あるいは、ほんの少しだけ遺伝形質の差があるのかもしれません。不適当な環境に適応する遺伝子を持っているとすると、「耐寒性のミニコスモス」ができるかも、なんて想像します。

「弱肉強食・適者生存」というダーウィニズムが当たり前のようになっていますが、強者であるはずの大型動物を見ていると、どことなくもろく、はかなさや無常感を感じさせます。生態系内では人間と競うせいかもしれませんが、多くの大型動物が絶滅を危惧されています。生きづらそうに見えます。捕食される側が繁栄していないと、彼らは生き残れません。自分の体重を増やすためには、すくなくともその10倍の餌を食べないと成長できないようです。

その上に食べられる側には、食べられる事によって大きな利益があるようです。植物ならタネが広く散布されたり、動植物ともに弱い形質を持った個体が淘汰されることで種の健全性が保たれることもあります。生態系のバランスが崩れると、捕食されて絶滅する種も出ますが、通常はバランスの揺り戻しが働きます。生物多様性が高いほどバランスをとる働き強く、ぶれの振幅を狭め、早く安定するようです。

寒さに強い小さなコスモスに進化するかどうかは、まああまり期待しないとしても、厳しい環境で生き残っているものの中から、新しい変化が固定されることがあるでしょう。恐竜時代には、地中に隠れ住んでいた哺乳類が環境の変化に耐えて、恐竜の絶滅後に繁栄したおかげで、今日の私たちがいます。目先の利益につながる生き物だけを選別して増やすより、何の役に立つのか判らない、どうしてこんなところで生きていられるの、と不思議に思うような生き物がたくさんいる方が、大きな可能性を秘めていると感じます。





by maystorm-j | 2014-11-17 08:03 | 自然