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2020年 08月 03日
作業場の火災  日々の営みはたくさんのつながりの中で・・・


この春、久しぶりに再開したこのブログも、6月の初めから2ヶ月近くお休みしていました。6月半ばに仕事の作業小屋が隣からの類焼で丸焼け。後片付けと仕事の再建で一月、まだまだ本調子とは行きませんが、制作を試行錯誤で再開しています。

以下は、仕事の方のブログ7月30日の記事の転載です


今朝3時に起きると、なんだか寒い。最低気温15度台。昨日も16度台で、最高気温は23度。酷暑が続くと地球温暖化と騒ぐマスコミも、こんな時は何も言いません。冷害、日照不足が農業生産に大きく影響しても、農業人口が減り、食物の自給率がここまで下がると、一般の人は関心がないのでしょう。感染対策で経済を破綻させて借金でお金を配る。そんなことが長く続くはずもないし、続ければ国も国民も外国から食料を買う力がなくなるでしょう。外国だって、パンデミックと気候の悪化で食料生産が減る可能性があります。売ってくれるとはかぎりません。食料を買う代わりに相手に売れるものを作っているでしょうか。技術の劣化、生産性の低さ、外国と太刀打ちできるものづくりなんてとっくになくなっています。勤勉で上の言う通り働く労働力を売ることになるのでしょうか。すでに色々なところで、外国企業の下請け化が進んでいるようです。若い人は海外へ出稼ぎに? 井の中の蛙から脱却するにはいいかもしれません。


写真は今朝3時の天気図です。今年は台風の発生がひじょうに少ないことにお気づきでしょうか。春から7月末までに、例年なら5~10個の台風が発生しますが、今年はわずか2個のみ。エルニーニョ? 台風が発生する海域の海水温が低いのでしょう。熱ければ騒ぐマスコミも黙っています。オホーツク海高気圧が南下して、東日本は気温が下がっています。東北では冷たいヤマセが吹き込んでいることでしょう。この半年、売り場からマスクが消えたり、ラーメンやスパゲッティーがあっという間に消えるのを見てきましたが、凶作の予想が発表されたとたん、米も消えるかもしれません。人々がそれぞれの場で営々と続けて来た生産、お互いに供給や流通の緻密な網で支えて来た商業、日々の営みを支えて来たサービス業、それらの総体が経済と呼ばれるものの実体で、安易にお金を配って止めてしまえば、簡単に回復するものではありません。火事で1ヶ月近く制作を止めていましたが、火事の後片付けを手伝ってくれた人、作業場の再建を手伝ってくれた人、再開の記事を喜んでお祝いしてくれる人、再開第1作の写真を見て涙がでるほど嬉しかったというメール、第1作が店頭に出るのを待ってその日に購入してくれた人、そんなたくさんのつながりは、たとえ休業補償が出るとしても仕事をやめてしまえばすべて消えてしまいます。経済より命が大事だと言葉の上だけで言うのは、お金さえ配ればなんでも片がつくとでも思っているような気がします。

以上、転載部分。


8月に入って、梅雨前線が消えて晴れ間見られますが、小笠原気団が強くなって梅雨前線を押し上げたわけではなく、まだ豪快な夏空にはなりません。今朝も気温17度でひんやり。こちらのブログもポツポツとではありますが、続けて行きます。



by maystorm-j | 2020-08-03 08:39 | 社会
2020年 05月 24日
獲得免疫の議論と自然免疫の存在、季節変化について
獲得免疫の議論と自然免疫の存在、季節変化について_d0164519_06113598.jpgCOVID-19のパンデミックが起きて、集団免疫ができると感染はそれ以上広がらないという話をはじめて聞いた人も多いと思います。一つの社会の中で、6割程度の人が感染して抗体を獲得すると、流行は収まるという理論です。これまで、インフルエンザではそのような現象が見られたのかもしれません。残り4割の未感染者がいても、流行が収まるという数量モデルによる解説もできるようですが、モデルが成り立つにはいろいろな条件や仮定が必要なのではないでしょうか。その点について、医学者でも疫学者でもない私には説明できませんが、過去の歴史を俯瞰することで感じる疑問が多くあります。

たとえば、ワクチンのない感染症で人口の6割が免疫を獲得するには、それだけの人が感染しなければなりません。SARSのように、今回のウィルスにごく近縁のウィルス感染症では、集団免疫の形成とは関係なく収束してしまいました。致死率が極めて高い感染症では、集団免疫の獲得という戦略は無謀すぎることもあるでしょう。毎年インフルエンザは発生し、ワクチンを受けた人も一部は感染します。一方ではワクチンを受けず、近年インフルにかかったことがない人でも、インフルの流行年にもかかわらず感染しない人もいます。流行年でも感染割合は人口の1〜2割程度、6割が感染して免疫を獲得する状態に至る前に流行は収束します。

私はこれまでインフルエンザにかかった記憶がありません。1日で治る鼻風邪は毎年一度程度かかりますが、熱が出るような風邪はほぼ5年に1度。インフルにかからないので、ワクチンを接種した記憶もありません。もしかすると、半世紀以上前の中学高校時代に学校で受けたかもしれませんが、中高6年間皆勤でしたのでインフルを発症したことがないのは確かです。周囲の人がインフルの予防接種を受けたと話しているたびに、「インフルエンザにかかったことがありますか?」と聞く習慣があって、2〜3割の人が「かかったことがない」と答えます。年によって異なる型のインフルが流行るので、ワクチンの有効性は限られていますし、軽症で済むけれど完全に防御できるとも限りません。やはり、感染しない体質の人、感染しても症状の出ない体質の人がかなりの割合でいると思われます。

さらに、私の家系にはリュウマチや膠原病、ほとんどのメンバーが花粉症や食物アレルギーなど、免疫システムに絡んだ病気があります。花粉症は祖父の代から確かで、私も7歳から毎年苦しめられました。歳とってからのこの5年ほど、花粉症が軽くなり、体が枯れてきたのかと逆に心配です。中学生の頃から、免疫が強いタイプだと自覚していましたが、ウィルスならなんでもやっつけてしまうというわけではなく、4〜5年前の正月、ノロウィルスにやられて10日間、閉門蟄居で過ごしたことがあります。その時も、最初の二日ぐらいはゴロゴロしていましたが、その後は読書、後半はいつも通りの引きこもり仕事。今回、多くの人々がStay Homeで仕事をしたり、本を読んだりYouTubeを見たりして過ごしたのを、ちょっと先に経験したようなものです。

集団免疫とかこれから本格的に進む抗体検査は、病原体(異物)が侵入したことで作られる獲得免疫ですが、生物の体内にはもともと存在する自然免疫があります。免疫力は強い人や弱い人がいるようですが、どんな異物に対しても働くわけではなく、花粉症になる人もいればならない人もいます。食物アレルギーでは、反応する食品は人によって細かく分かれます。花粉や食物では、大量に摂取した後で抗体ができてアレルギーが起きることが、私の場合でもいくつかあります。免疫の力も一定ではなく、体調の変化で免疫力も変わるようです。日が短くなって気温が下がる秋から冬にかけては、免疫力も下がるのではないでしょうか。医学では逆に、夏は免疫力が低下すると言われているようですが、私の実感はでは活動しやすく、野菜が豊富な季節の方が体調は良くなります。いくつかの持病があり、10年間にわたって2ヶ月に一度クリニックで検査を受けてきましたが、冬になると検査値が悪くなると言う傾向が見られます。

インフルエンザが冬に集中するのはウィルスの性質と言われ、今回のSARS-CoV-2ウィルスは気温の高い地域でも流行していることから、当初は暖かくなっても収束しないのではないかということが専門家の間で言われていました。しかし、実際は3月の終わり頃から落ち着き、4月に入ると新しい感染者数が減少する地域が増えました。日本も非常事態が宣言される前から減少し始めます。感染から、発症や検査で陽性が判明するまでのタイムラグを考えると、日本ではこれがさらに明確です。どんな対策が有効だったのかは、今後検証が進むでしょう。集団免疫策をとったスェーデンでも、6割の免疫獲得にはまだ遠いのですが、他の西欧諸国同様に、新しい感染者の増加は収まる傾向が見られます。今のところあまり自然免疫についてはあまり論じられていません。人によってバラツキのある自然免疫力ですが、他の生理現象の多くがそうであるように、季節的には日が長くなり気温が上がる春に活性化するのではないかと、直感的ですが思います。気温の上昇とともに食中毒や昔からある感染症が増えるのに対抗しなければなりません。免疫力をメカニカルに解釈する医学の常識とは反するかもしれませんが、比較的自然な季節変化の中で生きてきた1匹の動物としての実感です。ある現象のメカニズムが解明されると、それ以外の部分はその現象とみなされず、現象が意味するものは狭めれられるようです。「自然免疫力」と言わずに、「自然治癒力」と言うべきかもしれません。

中国からの報告で、野外で感染した割合はひじょうに低く、ほとんだが屋内での感染と言われています。日本でも、クラスターとか施設内感染とか、問題になったのは屋内です。屋外では、人の密度も接触回数も少ないでしょうし、ウィルスに対する太陽光の働きも考えられます。はたして、Stay Homeが良かったのか、もしかすると、外に出て体を動かし、自然免疫力を活発にした方が良かったのではないかとも思います。少なくとも、人の少ない公園や山歩きを禁ずるのはいきすぎでしょう。一時的なものかどうかわかりませんが、収束に向かっている現在、どうして減少したのか、何が有効だったのか、何は逆効果だったのかを検証して、今後の再度流行する可能性に備えておくことが必要になります。




by maystorm-j | 2020-05-24 08:19 | 社会
2020年 05月 17日
目標は集団免疫の獲得
目標は集団免疫の獲得_d0164519_05405442.jpg緊急事態宣言が国内多くの地域で解除に向かっています。新規の感染者の動静に変化があれば対策を変更することは当然ですが、具体的にどうなったら、どの程度の変更をするのか、その基準はよくわかりません。今回まだ解除にならない地域ではそれぞれ独自の基準を設けて判断する動きがあります。大きな規制では最初に取られた学校休校措置にしても、全国一律に国が号令しながら、その措置がどれほど有効に働き、どのような弊害をもたらし、その弊害に対してどのような対策を行うのかという具体性は全く見られませんでした。同時に、どのような状態になればその措置を解除するのかという具体的基準も示されていません。政府はCOVID-19に対する大きなビジョンを描くことができず、前半はオリンピックを開催したいということに引っ張られて無策、後半は一転してアメリカの圧力や世界の惨状を伝えるテレビ報道を見た上級・中流国民の恐怖心にのる形で「自粛の強制」。今回は2度目の転換点となりますので、一度その経緯を辿り、対策の内容と結果を検証すべき時期でしょう。

感染症と言ってもいろいろあり、エイズやエボラ出血熱、コレラ、ペスト、マラリア・・・感染の仕方も広がり方も様々です。その中でCOVID-19は「100年に一度の未知の感染症」として恐怖心を煽られていますが、基本的には通称「スペイン風邪」「香港風邪」「ソ連風邪」「鳥インフルエンザ」「SARS」「新型インフルエンザ」など、この100年間に度々あった呼吸器系を攻撃するウィルス感染症の一つ。SARSのように収束の理由がはっきりしないものもありますが、ペストや天然痘と違いこのタイプの感染症の対策目標は集団免疫の獲得にあると思います。病原体の毒性は中程度で、無症候や軽症の感染者も多く、完全な撲滅が困難でなので、最終的には被害を軽減しながら共存するしかないタイプの感染症。SARS-CoV-2というウィルスもそこから逸脱するものではないでしょう。

集団免疫が獲得されても、流行すれば被害は大きく、死者も多く出ます。そのために対策は常時行われる必要がありますが、大きく二つの分類するなら、科学・医療による対策と個人・社会による対策があり、前者は専門家、後者は一般人と行政が担います。前者の内容は、検査と治療、そのためのワクチン・特効薬開発、医療設備と医療従事者の整備など。後者は手洗い・うがい・マスクのように個人的対策から、社会的距離・移動制限・ロックダウンまで様々なレベルがあります。前者への予算提供や後者の強制力などの量的決定は、本来国民がどの程度の被害を許容するかの判断から国民の合意によって決められるものと考えます。しかし、個人が自律していない日本の現状では、テレビで恐怖心を煽られた国民がゼロリスクを求めて、専門家に対する過度な期待と社会や個人に対する大きな強制力を求めがちです。

集団免疫状態にどのようにして軟着陸するかが対策のポイントと思いますが、使える手段や技術が少ないと、1918パンデミック(通称スペイン風邪)のように莫大な被害を被るハードランディングになってしまいます。水際作戦やクラスター潰しが困難になり、市中でルート不明の感染が増えた時点で、もはやゼロリスクはありえないのですから、冷静に感染による被害と対策による被害を見比べながら目標へ軟着陸する方法を考えなければならなかったと思いますが、その点では政府と専門家会議の説明と方針に納得できたことが一度もありません。政府・厚労省関連以外の、多くの世界レベルの専門家が、もっと早く検査を増やすように、早く移動制限をかけるようにとアドバイスしていたにも関わらず、政府と厚労省はその声を無視してきました。

緊急事態宣言に至る方針転換がオリンピックへの執着で遅れたことは間違いなく、もっと早ければ救えた命があることも確かでしょう。しかし、遅ればせながら宣言が出されて、自粛とはいえ強烈な経済封鎖が行われたことがよかったのかというと、別の疑問が残ります。検査数が少なく、本当の感染者数がさっぱり判らないのですが、公式に発表されているグラフを見る限り、4月の初めには新規感染者の増加は頂上に達し、以後は減少に転じているように思えます。7日に宣言が発せられなくても、しばらくなだらかな頂上が続いた後に減少したのではないでしょうか。確かに強い自粛によって減少傾向が強まったかもしれませんが、地域的な発生状況に関係なく全国一律で強く経済活動を抑えたことの影響も大きかったと思います。減少に転じる時期については各国で異なりますが、当初否定されていた季節的な影響、気温の上昇に伴って収束するインフルエンザと同じ軌跡をたどる可能性を、次回再検討して見る必要がありそうです。




by maystorm-j | 2020-05-17 08:23 | 社会
2020年 05月 11日
パンデミックとの戦いを「戦争だ」と叫ぶことの愚かしさ  その4
中国の春節が終わった2月、ネットには中国と韓国を貶める記述があふれていました。中国に対してはウィルス製造や散布の陰謀論も見られ、韓国に対しては政権と国民をバカにする者が多数。支援物資を送る自治体や組織がある反面、優越意識丸出しで罵倒するのは個人のネットユーザーだったようです。いつから隣人の不幸を喜ぶ国民になったのでしょうか。「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と書かれて驕りが生じた頃でしょうか。北朝鮮の飢餓が報じられた時、余って処分に困っていた古米を送ればいいという話が、真面目に報道されたこともありました。
パンデミックとの戦いを「戦争だ」と叫ぶことの愚かしさ  その4_d0164519_20142467.jpg
そのうち、中国の流行はおさえられて新規の感染は減少し、韓国も徹底した検査と感染者の追跡と隔離で次第に流行が収まり、世界中からお手本とみられるようになります。今になっても検査が進まない日本は、逆に世界から対策の悪い例として見られ、ネットでは一転して「韓国にできることがなぜ日本でできないのか」と言われるようになっています。この言葉にも「韓国ごときにできることが・・・」という蔑視が含まれているでしょう。では、どうして韓国にできることが日本ではできないのか、その理由を具体的に指摘する論述は意外に少ないようです。

「ものつくり日本」とか「技術立国日本」などと上から言われるようになった頃、それはすでに衰えを自覚していたことの裏返しだったのでしょう。韓国や台湾に追い上げられているからこそ、そんな掛け声が必要だった。そして、すでに多くの分野で、ものつくりの技術は追い抜かれ、去年はコブシを振り上げたけれど、もう喧嘩を買ってももらえず、喧嘩の当事者にされてた企業は顧客を失い丸損です。

国民一人当たりのGDPは韓国に抜かれ、大学卒の初任給も追い越された現在、新しい感染症と戦う技術も意欲も上り調子の国民と、劣化を反省せず掛け声だけの国民では、エネルギーの差を感じます。長い軍事独裁政治が続いた後、多くの犠牲を乗り越えて民主化した韓国民の意識と、政権交代を袋叩きにして葬った日本国民とでは、意識に大きな隔たりがあるのでしょう。

良い悪いを問わずにもう一つ理由を挙げるとすれば、韓国も台湾も中国も戦争ができる国です。パンデミックとの戦いは戦争だと多くの国や政治家や専門家が声を挙げましたが、この三国はそれ以前からほんとうの戦争への臨戦態勢ができています。何十万、何百万という死傷者が出る戦争の可能性にさらされている国です。医師や看護師の動員、医療のロジスティックの態勢が日頃から整えられているのはあたりまえです。日本での自然災害とは桁違いに大きい犠牲者を覚悟して態勢を作っていることでしょう。それがそのまま良いこととは思いませんが、準備も心構えもないままに、上から「戦争だ!」と号令されたのでは、国民はお上が指示する作戦に盲従するか、勝手に敵を探して右往左往するか。しかしすでに3ヶ月が過ぎて、もうそろそろ国民一人一人が自身の考えつくりあげても良いのではないでしょうか。

感染症との戦いは、敵味方に別れる戦争にはなりません。「心を一つに」、「一丸となって」と言われても、感染した人は周囲からいきなり、自分に病気をうつす「敵」として見られてしまいます。感染していなくても流行している地域から来た人は「敵」と見られて排除が起きています。ウィルスを敵として戦っているはずが、感染した人が敵にされます。「大切な人を守るために戦う」と言いながらも、実際は弱い立場の人が犠牲になるのが戦争です。COVID-19では高齢者や病気を持っている人に犠牲が集中しています。国内での死亡者のかなりの割合が病院内や施設内に集中的に起きています。全面戦争の掛け声より、リスクの高い人々、医療施設、福祉施設、ライフラインや物流などを重点的に防衛する戦い方を考えた方が良いのではないでしょうか。


by maystorm-j | 2020-05-11 21:51 | 社会
2020年 05月 04日
パンデミックとの戦いを「戦争だ」と叫ぶことの愚かさ  その2
COVID-19 との戦いは戦争なのか? パンデミックと戦争とは質的にも量的にも異なることを前の記事に書きました。政治家や専門家たちは、自分の行動を正当化し利権を温存し予算を得るためといこともあるでしょう。「戦争だ!」・・・総力戦だ!国民一丸となって戦え!勝つまで我慢だ!と上から言われる一般人はどうすれば良いのか。我慢しろと言われても先立つものがなければ耐えられません。心を一つにして、では何と戦うのか? 敵ウィルスは目に見えません。もしかして手についているならば消毒したり洗えば良いが、そんな行為で戦争を戦っていると言えるのか? 町中消毒して回ることなんて、一般人にはできません。マスクにフェイスガード、レインコートの重装備で街に出ても、デパートも飲食店も文化施設もすでにしまっていれば、どこでどう戦えというのか?パンデミックとの戦いを「戦争だ」と叫ぶことの愚かさ  その2_d0164519_08080092.jpg

戦うべき敵と場所がないとなると、真面目で言われた通りにしたい人々は敵を探しまわり、見つからなければ敵を作り出す。お上に逆らわない人々は、自分たちの中や下々の人の中に敵を探し出して攻撃する。マスクをしていない人、パチンコする人、県外から車で来る人、公園で遊ぶ子供、戦争中だというのに楽しそうにしている人は全て、敵に通じる不届きな輩に見えてしまう。戦前の自警団や国防夫人会、中世の魔女狩りがゾンビのごとく生き返ります。

自分はこんなに犠牲を払って我慢して戦っているのに、戦列に加わらずお金をもらう貧困者は非国民に見えてしまう。運悪く感染した人は我慢しなかったから感染し、敵に寝返ったスパイ、隔離して自分の周囲から消せ・・・戦争する国民の内部では、総力戦の呼びかけとは裏腹に分断と差別が起きます。敵か味方か、白か黒かのラベル貼り。

現状を精査せずに黒か白かと分けることは、COVID-19の本質を見失うことになります。感染するとどれぐらいのリスクがあるのか、リスクはどこに集中するのか。死亡するリスクが高齢者と基礎疾患を持つ人々に大きいことは、かなり早い時点で解っていました。死亡者の多い地域では、早い段階で医療崩壊が起きていて、重症者に十分な医療を施せないために死亡者が集中するという悪循環が起きていること。その原因は院内感染が大きく、現在日本での死亡者の多くは院内感染によること。全面戦争ではなく、リスクが高いところで集中的に戦うことが重要です。老人施設や福祉施設、家庭内の高齢者への対処、医療施設への十分な人的物的支援と専門的指導。重症者、軽症者、その他の一般患者、それぞれへの分離した対応。最初に戦争だと言い出して恐怖心を煽り、きめ細かな対策ではなく社会全体を凝固させてしまうような戦争にした政治家と専門家の責任は大きい。もし、最近の抗体検査の結果が正しく、実際の感染者数が公式発表の10〜100倍で、致死率はインフルエンザのせいぜい数倍程度だとわかり、悪夢から冷めた時に戦争を反省するぐらいなら、今こそこの3ヶ月を振り返り、感情を排して冷静に検証することです。


by maystorm-j | 2020-05-04 08:22 | 社会
2020年 05月 03日
パンデミックとの戦いを「戦争だ」と叫ぶことの愚かしさ
パンデミックとの戦いを「戦争だ」と叫ぶことの愚かしさ_d0164519_05161776.jpgCOVID-19が武漢を中心に拡大していたころ、ヨーロッパ諸国は楽観的な見通しを語っていましたが、イラン、イタリア、スペインと流行が進み死者が増えるに連れて、西ヨーロッパの首脳や研究者を中心に「パンデミックとの戦いは戦争である」という言辞が聞かれるようになりました。あたかもこれこそが「第三次世界大戦」だという論調です。「総力戦」「国民一丸となって」「制圧するまでは我慢」・・・基本的人権や私権の制限が当たり前のように声高に語られています。本当に今回のパンデミックは世界大戦なのでしょうか。

1918パンデミック(通称スペインかぜ)では、諸説ありますが、5000万人死亡した言われています。同じ時期にあった第一次世界大戦の死者は民間人を含めて1,600万人ですので、確かに世界大戦より多くの死亡者を出しています。このクラスのパンデミックは歴史上何回もありますが、1918パンデミックを最後に、その後は1957アジアかぜの100万人が最大で、1968香港かぜの75万人。SARSやMARSなど致死率の高さで恐れられましたが、死者の数はとても少なく、通常の季節性インフルで毎シーズン50〜100万人死亡しますので、恐怖心と実態がかけ離れてしまっているように思います。

戦争では「敵を殺す」「敵国を破壊する」ことが奨励され、自国あるいは自国の支配者の存亡、自国民が生き残るためには敵味方双方の人権が無視され、軍事力維持のために私権が制限されて通常の生活ができなくなります。病気との戦いを同じように語って良いのでしょうか。むしろ、通常の生活を維持するため、人権を保護するために病気と戦うのではないでしょうか。人を殺す戦いと人を守る戦いは全く別物です。無差別虐殺、空襲、原爆の悲惨さと病気で死ぬことを同一視する鈍感さ。死亡する人を極力減らすのが病気との戦いの目的ですが、そこには敵も味方もありません。病気との戦いに負けるのを避けたいとは言え、勝ち残るためにそのリスクを他者に転嫁し極端な私権の制限を課すことには倫理的なためらいがあります。その結果、病気以外で死亡する人が増えます。病気で死亡する可能性の低い人々の暮らしをどこまで破壊して良いのか、悔しい現実ですが政治はリスクの大きさを比較しながら、冷徹な判断をしなければならない。そしてその判断で起きる結果に責任を持たなければなりません。

専門家がその専門領域を越えて、私権の制限を大きな声で語ることは許されることではないと考えます。それは手続きを踏んで確立された政治の役割です。「総力戦」のラッパを吹きながら、現実には格差がさらに拡大し、被害が弱者に転嫁される対策を進めてはならず、まして「自粛」の「強要」で生じる被害の保障をせず、結果に責任を取らない日本の政治のありようだけは過去の戦争と相似するものです。

西ヨーロッパで一斉に強権的な対策が展開される中で、スェーデンのみが緩い規制で日常生活を維持しながら集団免疫の獲得を目指す対応を今も展開しています。スェーデンの人口は約1,000万人。5月3日、公式の感染者数は22,082人、死者数は2,669人で致死率12%。周辺諸国の2〜3倍の致死率で、国内の専門家からも批判が出ています。何もしなければにほんで42万人が死亡すると述べた「8割おじさん」こと西浦氏のモデルでは、スェーデンですでに4万人の死者が出ているはずではありませんか?社会的距離を保つなどの緩い対策は行われいますので、2万人ぐらいでしょうか。何れにしても現実はモデルを裏切っています。 どのような調査の結果かわかりませんが、スェーデン政府はすでに抗体を持つ人が人口の4分の1ほどに達していると述べています。仮に全人口の25%である250万人が感染しているとするなら、本当の致死率は0.1%になります。最近、世界各地で実際の感染率を調べる試みが進んでいます。そこで報告される数字は1〜30%の間でまちまちですが、例えばスタンフォード大学がシリコンバレーで行なった調査では2.5〜4.2%がすでに感染していて、公式発表の50〜80倍。致死率はその結果0.2%に下がるとしています。多くの調査の正確さについて私には判断できませんので、最新の報告をご自身で見て判断していただくしかありません。スェーデンの死者数はすでにインフルを越えているかもしれませんが、大きな犠牲を伴う強権的な対策を無前提的には正当化できないことを示していると思います。もちろん、殺さなければ殺されるという「戦争」ではないことを確信しています。





by maystorm-j | 2020-05-03 08:06 | 社会
2020年 04月 30日
COVID-19 感染者・死亡者の実態  超過死亡
COVID-19 感染者・死亡者の実態  超過死亡_d0164519_05171553.jpg疫病や環境汚染が起きた時、その初期段階ではなかなか実情が把握できず、対策は大きく取ることが必要でしょう。しかし、調査が進み全体像が判明するに連れて、地域によって必要とされる対策の質と量を絞り込んでいくことになります。過小な対策では被害を抑えられませんし、逆に過大な対策をすれば、その対策によって生じる被害が大きくなります。疫病の場合は、その流行の地域ごとの進展具合によっても対策の仕方が変わっていくでしょう。それまでに行われた対策と感染数や死亡数との相関から、病原体の毒性を算定することも必要です。流行速度の速いCOVID-19では、日々更新される最新の実情を知ることが、対策策定の前提です。

最新の実情を知るために、毎日の感染者数と死亡者数の推移を見ています。見やすい国内統計としては、東洋経済社のサイト「新型コロナウィルス 国内感染状況」 を利用しています。新規感染者数の推移を見ると、今月(4月)の15日ごろから頂点に達して、その後ゆっくり下がっています。新規死亡者数は4月26日を頂点に下がり始めています。検査数は今月中旬以降横這い状態です。多くの専門家やWHO、諸外国から指摘されているとおり、日本では検査が限定されています。検査数を増やせば感染者数も増えるでしょう。4月29日現在の累計感染者数は13,695人とされていますので、ざっと国民1万人に1人強。約0.01%の感染率となります。実際の国内感染者数がどれぐらいなのか、感染の可能性が強い人に偏らないランダムな検査をした場合、どれぐらいの感染者が発見されるのでしょうか。

発症の有無にかかわらず、すでにウィルスSARS-CoV-2に感染した人の割合を調べた報告が、諸外国からいくつか出ています。国内でも一定の集団で行われた検査がいくつか報告されています。その値はまちまちで1%ということもあれば、30%ということもあります。検査方法の改良にともなって、今後信頼できる数字の報告が増えていくでしょう。現在はあくまでも推測でしょうが、多くの専門家が日本の検査体制で発見される感染者の、実際は10倍〜100倍の感染者がいるのではないかと述べています。

その一方で、実際の死亡者数はどれぐらいいるのでしょうか。原因不明の死亡者の中に、死後検査したら感染が見つかったという報告がありました。通常のインフルで死亡した場合でも、インフルによる死亡とされずにその他の持病の悪化などでの死亡とされることが多く、インフルの影響で死亡した人の総数を見るために「超過死亡」という概念があります。端折った言い方になりますが、一定の期間内に普段なら死ぬだろうと思われる数と、実際に死んだ数の差が、その感染症で余分に死んだ人の数と見るのです。その超過死亡数の報告がヨーロッパでは、多い国で公式に発表されているCOVID-19の死亡者数と同等程度、多くは20%とか50%とかで、スェーデンのようにマイナスの例もあります。

国立感染症研究所の4月27日報告「2019/20シーズン21大都市インフルエンザ・肺炎死亡報告書」
これを見ると、今シーズンはスタート時点で高めだったインフルがその後も横ばいで、今年の2月ごろから減少、4月中旬には流行が収束しているように見えます。それでもその間、毎週400人前後の死亡者数ですので、COVID-19よりは1桁多いことがわかります。新しい感染症にはまだベースラインがありませんので、厳密な意味での超過死亡数を算定できないかもしれません。直感的にですが、実際の死亡者数が公式に発表されている数より桁違いに多いとは思われません。公式発表の死亡者数が減少傾向にある現在、それとは逆に実際の死亡者数がどんどん増えているとも想像できません。実数を示してはいないとしても、傾向は表していると思われます。

感染者・死亡者数の低い地方と、高い都会に同じ対策を被せるのには無理があります。超過死亡が多いところと少ないところの差がなぜ起きるのか。都市封鎖を行わずに流行を制御できている韓国やスェーデンなどのやり方を学ぶ必要もありそうです。専門家会議が「医療こそが人の命を守る」と自負するのはいいのですが、その医療を支えているのは社会であり経済であり、生産と流通であることを忘れてはいけないでしょう。医療を支える後方の基盤を破壊しては長期的対策は成り立ちません。






by maystorm-j | 2020-04-30 08:36 | 社会
2020年 04月 27日
身近な話題から感染の実態を考える。 リスクの比較ができない現状。
身近な話題から感染の実態を考える。 リスクの比較ができない現状。_d0164519_12301398.jpg
1月下旬の8日間、毎日銀座のデパートで売り場に立ち、大勢の中国人観光客と接していました。すでに、武漢の様子は報道されていて、様々なマスクを眺めながら売り場でも話題にしていました。途中から店員さんもマスク着用が許されましたが、マスクの予防効果は期待できず、まだ自分自身が感染している可能性は少なかったので、私は特に着用しませんでした。当時、来客の感染割合はまだまだ低いと思っていましたが、無症候感染が多いことから、私の想定よりも感染者はいたのかもしれません。しかし、10日後の再度同じデパートに出かけた時も、店員さんの中から感染者がでたということはなかったようです。

春節の休暇中、中国から大勢の人が銀座や新宿、京都・奈良などの観光地、さらに各地のスキー場を訪れています。中国からの日本人帰国者やクルーズ船では水際対策が展開されましたが、その前に入った感染者や水際対策の不備を考えると、とても有効なブロックが行われたとは思えません。その後のクラスター潰しでも、満員電車は放置され、病院は感染源となり、ライブハウスや屋形船など、感染拡大防止が有効に行われたとはとても思えない状態でした。テレワークの推奨も、その実現は限られた会社のみです。

私の住む軽井沢も、中国人には人気の場所です。冬は寒いため、夏や秋の国慶節ほどは来ませんが、春節の時期に広大なアウトレットショッピング街や駅前スキー場、レストラン、ホテルやスーパーなどで聞こえてくる会話はほとんど中国語です。4月の初めに聞いた話ですが、接客業関係者の間で2月に変な風邪にかかったという話が出ていて、だるくいつまでもぐずぐず治らない、今まで経験がないタイプの風邪だというのです。東京の開業医の間でも、同じような風邪の患者が増えたという話もあります。いずれも、きちんとした調査や検査に基づく話ではないので、それがCOVID-19だという確証はありません。現在まで、公式には軽井沢で感染報告はありません。長野県では感染66名で死亡は0。同じような条件にある北海道では感染601名で死亡25名。軽井沢はせいぜい4km四方ぐらいの狭いところにスキー場を含むほとんどの観光施設が集中していますので、外来者の密度はかなり高い場所です。現在も東京などの都会から別荘へ避難・疎開している人が数多くいます。専門家会議の西浦氏が脅しているように重症化する割合が高いのであれば、とっくに感染者が多く発見されているはずです。

最近多くの専門家から、実際に感染している人の数は公式に報告されている数の10倍、あるいはもっと多数いるのではないかという話が出ています。海外で特定の地域や集団をスクリーニング検査すると、高いところでは30%もの感染割合が報告されます。日本でもある病院の一般入院者で6%という報告がありました。すでに人知れず多くの感染者がいるということで怖がられていますが、私はむしろそうだとすると重症化率や致死率は見かけより一桁下がって、ウィルスの脅威は言われているより低いということだと考えます。院内感染を防いで医療の健全な機能維持を計る、軽症者が重症化しないような施設と観察体制を整える、福祉施設や老人の感染を防ぐなど、重点的な対策を進める事が重要で、社会全体を凍結するような過重な対策はかえって犠牲を大きくするかもしれません。

もう一つ気になることとして、この3ヶ月間の感染拡大カーブが見えないことです。WHOの方針に反し、海外からの批判を無視して検査を限定して来たために、感染者数のグラフが全く信頼できません。これから感染爆発が起きるのか、あるいは死亡者の増加が緩いカーブを描いているのとパラレルに感染者数の拡大も緩いのか。他の国に見られるようになだらか頂上に近づいているのか、さっぱり判りません。気温の上昇とともに感染力が低減するのか、東アジア型のウィルスで毒性が低いのか。この点は、遺伝子検査、近年急速に進んだ次世代シークエンサーを活用すれば各地のウィルスのタイプがすぐに判明するはずですが、専門家会議には遺伝子解析の専門家はいないようです。信頼できる数字を解析して、起きている現象に整合性の高い説明を引き出して必要十分な対策に資することが疫学の仕事だとするなら、出発点の数字が信頼できないのでは、その後の説明も信頼できません。「8割おじさん」と呼ばれて根拠の薄弱な脅しを振りまいている専門家など、見るに耐えない存在です。経済活動、教育、福祉の凍結によって起きる重大なリスクとCOVID-19のリスクを冷静に比較して、納得のいく合理的な対策を選択する事ができません。5月6日まで現在の対策を維持することは仕方ないとしても、その間に冷静な解析と対策の見直しをしないと、どれだけの人が暮らしを壊され、職を失い、将来の可能性を奪われ、果ては命を落とすことになるのか、厚労省の利権の片棒を担ぐハーメルンの笛吹きたちの本質を見抜いていくことです。

福島原発事故の後で読んだ「はじめて学ぶ やさしい疫学 〜疫学への招待〜」 日本疫学会監修 南江堂 には、最初に疫学の定義として「明確に規定された人間集団の中で出現する健康関連のいろいろな事象の頻度と分布およびそれらに影響を与える要因を明らかにして、健康関連の諸問題に対する有効な対策樹立に役立てるための科学」とされています。最初に取り組むのは事象の頻度と分布を明らかにすることです。諸外国に比べて二桁低い検査数で、発生頻度も分布も不明確なままいきなり予想をチラつかせて対策に言及するのは、とてもまともな科学とは言えず、チンピラの脅しとカルトの教祖のように見えます。


by maystorm-j | 2020-04-27 22:14 | 社会
2020年 04月 24日
リスクの大きさとリスク管理 その1
リスクの大きさとリスク管理 その1_d0164519_08080283.jpg昨日早朝は氷点下5度。今朝も−3度に下がっています。今年は暖冬気味でしたが、3月になってから雪の日も多く、春は足踏み。地球は温暖化している、だから自分のいるところも暑いに違いない、そしてそれに合致する現象ばかりが目立って見える・・・これは科学とは逆の思考法です。

1月下旬以来、COVID-19について様々な情報や意見を読み聞きしてきました。福島原発事故の後、少しだけですが疫学とリスク学を学び、素人なりに思ったことは、大きなリスクが起きた時にはその質だけにとらわれず、量的視点・確率を考えること。疫学については、これまで学んできた生態学の感覚から、一定の環境内で時間の経過とともに変化する多種の生物の相互関係を、非常にシンプルにして人間と病原生物の2者の関係と見ればいい、なんて勝手に思っています。自分の立ち位置をある程度定めると、逆に頭は柔軟に多様で上質な情報と意見を選択でき、頭ガチガチ足フラフラという状態を避けられます。今回の流行を怖いと感じるかどうかの調査では日本人は世界のトップクラス。怖い怖いと騒いでいる反面、実際の行動を見ると警戒はゆるく合理性に欠けているようです。

この3ヶ月間のメディアや専門家の議論で気になるのは、リスクの大きさを総体として説明できていないのではないかということ。感染力の強さ、重症化する可能性、致死率など、リスクのそれぞれの要素は説明されていますが、現在全人口のどれぐらいが感染し、そのうちのどれぐらいが死ぬのか、リスクの質にそれが起きる確率をかけないと、リスク全体の大きさが判りません。それは、流行が終わった後にしか分らないというなら、リスクの大きさにつりあった対策を立てることができなくなります。不釣り合いな小さい対策では被害の拡大を防ぐことができませんし、逆に不釣り合いな大きな対策では、対策によって生じる他のリスクや被害の方が目的の被害軽減より大きなってしまうことがあります。特に後者の場合、対策によって被害を受ける人は、もとのリスクの当事者ではない第3者のことがあり、その人にとっては自分に何も責任がないのに人為的に被害を受けることになります。経済や教育、福祉など社会活動全般にわたる自粛や規制など権利を抑制する対策が、リスクの大きさにつりあっているのかどうか。そうだとしてもその抑制によって生じる他の被害を軽減する対策がとられているのかどうかという問題です。

1月下旬、私は毎日銀座で多くの中国人観光客に接しながら、武漢で起きているこの流行はインフルエンザの3〜10倍のリスク、規模については1918パンデミック(通称スペイン風邪)のような流行を想定するべきかなと考えました。直感的なもので、もちろん正確な数量情報に基づいて推測ではありません。1918パンデミックは現在のインフルの100倍に被害をもたらしましたが、当時は第一次世界大戦で医療が十分に機能しなかったこと、その医療や衛生環境も現在とは格段の差があることなどから、病気の危険性は同等でも今回の被害は一桁低いのでは、という大雑把な予想です。現在のインフルより被害が大きくなるのは、当初から言われていた、新しいウィルスのために誰も抗体を持たず、ワクチンも特効薬もないことから、感染拡大が速く、重症化する確率も高いということからです。これは、素人の大雑把な予想ですが、それから3ヶ月経ち、実際はどうなのでしょうか?

災害、疫病、環境汚染など、リスクの発生初期においては、リスクの大きさを正確には算定できません。その段階で想定できる最悪のシナリオにそった対策をとることが求めらます。次第にリスクの大きさが解ってくるにつれて、それに見合った質と量の対策に絞り込んでいきます。どうも、日本ではこの3ヶ月間、大きな流れとして最初は極めて楽観的で放置、後からバタバタとし始めますが、その間に十分な検討も準備もできていないので、バタバタの対策は責任逃れの「自粛」中心。クルーズ船内の感染という格好のモデル実験でおかした失敗を、そのまま都市部の感染拡大と対策で繰り返しているように思います。

1月〜3月、武漢で次々と人が死んでいく報道、その後もイラン、イタリア、スペインと同じような状況が起き、SARS-COV-2(COVID-19の病原ウィルス名)は極めて毒性の強いウィルスなのではないかと考えられたのは当然でしょう。しかし、中国での致死率(感染数あたりの死亡数)は、武漢とそれ以外の各地では大きく異なることが判ってきます。死者の多い世界各地では、武漢同様に医療崩壊が起きて、重症者に十分な医療が施せない状況で死者が激増していることが見えてきます。感染者全てを病院にという方針が変えられ、軽症者はそれに見合った施設に隔離し、病院のパンクを防いで重症者を治療することになります。軽症者向けの施設という点でも、日本は出遅れています。

致死率の違いがウィルスの毒性ではなく、対処した医療体制の側にあるとするなら、低い方の致死率がSARS-COV-2というウィルスの実体ということになります。インフルより一桁高い程度の危険性という大雑把な捉え方は、あながち間違いではないと言えるでしょう。ここでは、感染者数と死者数を公式な発表通りとして考えています。死者数のカウントはインフルでも言われていますが、インフルの影響で他の病気が悪化して死んだ場合、死因を他の病気でカウントするかインフルで死亡とするかで、数倍の違いが出てきます。COVID-19でも同様でしょうが、注目度の高さから考えると、桁違いの差が生じるとは考えにくいでしょう。

一方で、感染者数というのは、検査数で大きく変わってきます。多くの国々がWHOの方針、まずは「検査検査検査」にそって検査数をどんどん増やしている中で、日本だけは2桁少ない検査数で、厚労省が検査を抑制してきました。感染者数の実態が分からなければ、致死率は見かけだけの数字で、そこからリスクの大きさを判断することができません。合理的な対策も立てられません。長くなりましたので、検査と致死率について次回考えていきたいと思います。





by maystorm-j | 2020-04-24 08:08 | 社会
2020年 04月 16日
ブログ復活  「パンデイックの歴史と人の移動」

。COVID-19の発生以来、あちらこちらに書き散らしてきましたが、大きく世界が変わる時こそ、じっくりと腰を据えて移りゆく様を眺め、記録しておきたいと思います。


下記は、軽井沢史友会通信4月号に投稿したものです。

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パンデミックの歴史と人の移動

1月下旬の8日間、銀座のデパートで展示販売があり、春節のお休みに旅行する多くの中国人観光客と売り場で接する機会がありました。すでに武漢での流行と医療崩壊が報じられていましたので、前年に比べて人は少なく、多くはマスク着用。店員のマスク着用が許されて、観光客のカラフルなマスクと店員の白一色が好対照です。毎日ネットで武漢の様子を確認しながら周囲の人たちとは、「免疫がなく治療薬もないので通常のインフルエンザより3〜10倍ぐらいの健康被害が出そう」「流行はスペイン風邪を想定するといいのではないか」としていました。発祥がアメリカなどということから、今は「スペイン風邪」という呼び名は専門的には使われておらず、1918 パンデミックと呼ぶ方がよいでしょう。武漢といえば中学で教わった李白や孟浩然の詩「故人西辞黄鶴楼 煙花三月揚州下の舞台です古くから続く内陸の中心的都市で、辛亥革命もここで起き今は人口 1,000 万人以上(都市圏としては3,000万人)外国企業も多く内陸における工業と物流の中心都市です。

   

ブログ復活  「パンデイックの歴史と人の移動」_d0164519_08460354.jpg写真 Wikipedia より マスクをする1918パンデミック当時の少女たち


100 年前のパンデミックには諸説ありますが人口約20億人のうち5億人が感染し、5,0000 万人程度が死亡したと言われています。1918 年当時より衛生環境は改善され、肺炎に対する治療法も進んでいるなら一桁少ないかもしれません。通常の季節性インフルエンザでも世界ではざっくりの数字ですが500 万人が重症化 50 万人が死亡しますCOVID-19 はそれより一桁多くなるかもしれません。


パンデミックの歴史は、人の交流拡大の歴史と重なります。14世紀ヨーロッパのペストは、モンゴル帝国の拡大にともない東西交流が増加したことで拡散したと言われています。ヨーロッパ域内でもその後、経済活動が活発になり流行が繰り返されます。コロンブス以降アメリカ大陸との交流で、天然痘や梅毒が行き来し、大きな流行が起きます。この時期、国や地域によってはパンデミックによる死亡が人口の半数を超えて、80%の死者などという記録が残されています。

1918 パンデミックか COVID-19 をひじょうに大雑把に類推すると、感染者 10%が重症化し、さらにその10%が死亡する(致死 1%)とみられます。この数字は、ウィルスの特徴によるというより、医療体制が機能するかどうかによって変わりそうです。世界的流行の仕組みは中世と変わらず、人の大きな移動のようです。1918 年は第一次世界大戦のさなかで、参戦するために招集し 400 万人のアメリカ兵が国内の訓練キャンプで大量に感染し、そのままヨーロッパ戦線で拡大させたものです。敵味方双方が報道管制で隠していたため、中立国のスペインでの流行ばかりが報道され「スペイン風邪」という汚名を着せられてしまいました。COVID-19 の感染拡大は武漢から諸外国への観光客の移動によることが多く、さらに双方の経済や教育の交流もあります。

 このあと、パンデミックと社会・経済の大きな変動の関係を探る予定でしたが、すみません次の機会に書きたいと思います。




by maystorm-j | 2020-04-16 08:27 | 社会