カテゴリ:社会( 239 )

2017年 03月 11日
明日3/12 14:00~ 講演会「美を創る心」 浅間縄文ミュージアム展示「アフリカンアートと縄文 造形美の根源」
d0164519_20312256.jpg

アフリカンアートに初めて接したのは30年以上前になるでしょうか、大阪の国立民族学博物館の展示でした。造形美の奥にある心性。音と形が共鳴し合うような、きっと現地ではそれに踊りが加わって、混然と心に響いているのではないかと。造形という仕事は、使う人の機能的要求を越える満足感や楽しさ、あるいはそれ以上の鋭い問いかけに近い何かを具現していることがあります。明日は、久しぶりにアフリカンアートと再会です。


[PR]

by maystorm-j | 2017-03-11 20:36 | 社会 | Comments(0)
2017年 02月 09日
2月16日(木)軽井沢史友会イベントのご案内「日本列島人はどこから来たのか/浅間・八ヶ岳地域の様子」 
d0164519_05172952.jpg
久しぶりの投稿です。写真は昨年暮れに見た針状の樹霜。まだ、降雪が根雪になる前で、寒い朝は落葉や石に霜が降りていた頃のことです。この朝は地際の草や石に霜が見られず、10m四方ほどの狭い場所だけ、落葉した木の枝に針状の霜が発達していました。長さは1cmほど。夜明けから朝日に照らされて融けるまでの、短時間の現象です。様々な形態の霜を見てきましたが、この形は初めて見ました。

軽井沢史友会、久しぶりのイベントをご紹介します。会員以外でも参加できます。特に申し込みは必要ありませんが、集合時間に遅れる場合はお電話下さい。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  

史友会2月16日(木) 例会のお知らせ


テーマ: 日本列島人はどこから来たのか /浅間・八ヶ岳地域の様子 


*13:45 エコール御代田(浅間縄文ミュージアム)1階ロビー集合、入館手続き/会員外参加1人500円   国道18号を小諸方面に下り、三ツ谷東交差点左折500m  小諸側からは右折(浅間山の反対側、南へ)

*14:00~ 2階中会議室  堤 隆さんのお話   

*14:45~ ミュージアム見学(解説)

*15:30頃 解散


堤 隆さんは1962年、佐久市生まれ。歴史学博士。浅間縄文ミュージアム主任学芸員。旧石器時代の細石刃文化等を中心に、調査・研究・報告多数。多くの著作の中でも、一般向きに書かれた「ビジュアル版 旧石器時代ガイドブック/新泉社」「列島の考古学/河出書房新社」「共著:佐久の古代史/ほおずき書籍」など、ミュージアムでも購入可能です。人類学・考古学の最新の到達点を交えながら、日本列島に人類がどのようにやってきたのか、さらに我々がいま住んでいる中部日本内陸の当時の様子についても、スライドを交えてお話いただく予定です。私たちの祖先について知る貴重な機会ですので、会員以外にもぜひお誘い合わせてご参加下さい。


堤さんのウェブサイト 「八ヶ岳旧石器通信」 


              担当:寺山光廣 お問い合わせ090-4180-2478



[PR]

by maystorm-j | 2017-02-09 05:31 | 社会 | Comments(0)
2016年 10月 16日
アベノミクスに人はなぜ騙されるのか/経済の土俵で闘う事が必要 その16
昨朝は0.5度まで下がり、中秋と言うより初冬の寒さで、町内でも霜。今年は春以来、変動の大きい気候が続いてきました。先日、町のトレーニング施設で2世代下の歯科技工士と仕事の話になりました。最近は義歯を作る際、柔らかくて硬い?樹脂で歯茎をぎゅーぎゅーと包む型取りをしないそうです。口内の立体映像を撮って(CTのような?)、3Dプリンターのような機器で型を作ったりや、自動的に切削する機械で義歯を作るそうです。そのためのCADとよばれるコンピューターソフトだけでも、300万円もするという話です。CADと言えば、以前から建築設計で使うソフトとしては知っていました。4〜50万円するソフトで、それでも高いと感じていました。設計士だけではなく在来工法の木造建築施工業者(大きな大工さん)にとっても必須のようです。35年前に家を建てた時、設計図をにらみながら柱や梁の材木に墨つけし、鋸とノミでほぞ・ほぞ穴をあけ、軸組の時は寸法が合っているかハラハラドキドキでした。今は建築屋さんの作業場で、自動的に機械がプレカット(切り彫り)するようです。
d0164519_07094017.jpg

ムシ歯が原因ではないのに、義歯が5本ある私は、時代によって製法が替わるのを見てきました。30年以上前の差し歯は一度もトラブルがないまま、今も現役。20年前に作った部分入れ歯は金合金のワイヤで両側の歯に引っ掛けるタイプで、1mm程の細い金属ですが、特殊な焼きを入れてあるのか、バネの力が緩む事なく、最後は樹脂製の歯の部分がすり減って使えなくなりました。作り替えるときに、そのワイヤを扱える技工士はもういないといわれ、今のものは銀色の鋳造品です、横の歯にはぴったり合いますが、締め付けるバネ力はなく、良くはずれるので、折れないかヒヤヒヤしながらペンチで内側に少し曲げたりしています。残念ながら古い時代のものほど、機能的にすぐれ、長持ちもするようです。自分が鍛金の仕事をしているせいかもしれませんが、金属加工の方法としては鋳金や彫金より、鍛造技法がさまざまな金属の特性を活かす加工方法だと思っています。延性や展性などは中学で習います。復元力、熱処理(焼きしめ、焼き鈍し)、加工硬化(鎚ちしめ)などなど、金属の性質変化を利用して加工しますが、鋳造や彫造では均質で変化の少ない物質として金属素材を扱います。

鍛造技法は機械化・量産化しにくく、すでに滅びかけている技術です。熔融・凝固を利用する鋳造は、素材の無駄が少なく、同じものを量産も出来ますが、逆に一つ一つ異なる形状を作るには、一つ一つ型を作らなければなりません。義歯では、型を3Dプリンターで作るのでしょう。映像データから切削する工法は一つ一つ異なる形状に直接対応できますが、機械投資がかなり高そうです。

機械化、自動化は人件費と作業時間を短縮します。製品の精度も高いのでしょうが、逆に素材が不均質で変化するものでは精度が下がりそうです。制作時点では客の状態や希望に忠実な対応が出来そうですが、客の経年変化や環境変化に柔軟に対応するのは難しそうです。CAD/CAMという技術システムはまだ発展途上でしょうから、今すぐに評価を定めることは出来ませんが、すでに長い年月が経つ大量生産品を例に、メリット・デメリットを比較するのも良いでしょう。例えば、量産システムの先駆けである「T型フォード」、70年間基本構造を変えず各国で類似品が生産され続けている「MK-47」(カラシニコフ銃)などの典型例で考えると解ることがありそうです。



[PR]

by maystorm-j | 2016-10-16 07:21 | 社会 | Comments(0)
2016年 10月 10日
アベノミクスに人はなぜ騙されるのか/経済の土俵で闘う事が必要 その15
前回は消費の例として「生活家電」と「車」について、かなり最低限に近いイニシアルコストとランニングコストを、私の場合を例に取り上げました。その中でもまだ、多少の選択域があることを見ました。車については私の場合、生活と仕事での使用区分が難しいですが、生活でだけならさらにコストを下げても選択域はけっこうありそう。家電をゼロにはしにくいでしょうが、車はもたないという選択もあります。子どもの頃から、自分の支出について帳面を付けていて、中学生の頃には家の家計簿や確定申告にも少しかかわっていました。といっても、給与の他に多少の収入がある程度の家計で、それほど複雑なものではありません。学生時代から、手内職並みの工芸制作を始めて、確定申告の時期になるとたまった領収書から費目ごとの経費を計算する作業を、これまで40年以上続けてきました。
d0164519_19185707.jpg
子どもの頃は、当時家計に占める食費の割合「エンゲル係数」という数字が貧困の度合いを示すものとして、注目されていました。50%以下にというのが目標で、私の家はちょうどその辺りでしたが、1960年を過ぎたあたりから、食べ盛りにもかかわらず、ぐんぐんエンゲル係数が下がっていくのを実感していました。生活家電が増えていきますが、「三種の神器」とよばれたような新しい製品は、ボーナス時のように特別余裕がある時の買いもので、日常的には教育費や公共料金などの増加が大きかった気がします。教育費と言うのは将来に対する投資。公共料金、税や社会保険費など、暮しが豊かになった実感がない支出も次第に増えます。その時代、車や大きな家電製品、現代的な家をもつのはボーナスの額が大きいサラリーマン家庭で、日銭稼ぎの職人や零細企業、農家などとの間で、富の蓄積に大きな差が見られました。

大工業地帯で大量生産が進み、大都市に人口が集中するにつれて、それまで地方とあまり違わない「職住接近」が崩れ、通勤ラッシュが起き公共交通機関の役割が増大します。暮しと仕事は切り離され、仕事の世界では労使ともに数字で成長(進化?)が表され、暮し(支出)の部分では水光熱、教育、医療、社会保障、多くの部分を公共が担い、お金を払っているにもかかわらず、消費者としての自覚と考慮・選択がなくなっていきます。この部分は好みが反影せず、住居費を含めて、強いられた支出です。消費者としての主体性がなくなっていき、考えない市民が作られていく過程に、巧妙なテレビコマーシャルが浸透し、XXブームとよばれた爆発的なヒット商品が登場します。インスタントラーメンを筆頭に、誰でも買える価格のものが巷にあふれ、同じものを食べ、同じ服を着て、同じ遊びをする国民性が作られていきます。

1950年代後半、爆発的に受け入れられた商品、例えば電気洗濯機、冷蔵庫、炊飯器は、煩雑で長時間の家事から解放を目指すものでした。紙媒体で知るこれらの新製品は、購入を決意するまでに考える時間がたっぷりありました。コストパーフォーマンスを熟慮しなければ買えない価格です。テレビ時代に入ると、欲望の多様性を許さず、流行があらかじめ作られて(ファッション業界では2年先の流行色を決めると言われた)、欲望は統一純化されて考える間もなく即断即行。お客様は神様、消費者は王様から、生産側とテレビに支配される奴隷の身に転落です。大量生産・大量消費市場は消費者の主体性や多様性のみならず、消費願望の偶然性やゆらぎを嫌います。来年のファッションは黄色と決めてあるのに、たまたまアイドルが着た赤い服がテレビで人気をさらい、皆が赤い服に殺到するなんて事になると莫大な投資が無駄になります。

公告業界のガリバーで、マスメディアを牛耳っている電通の「鬼十則」 「戦略十訓」をご存知の方も多いでしょう。消費者を奴隷化する意思と戦術が、明確かつ公然と宣言されています。消費者の復権とは、すなわち奴隷解放運動だということです。

[PR]

by maystorm-j | 2016-10-10 19:29 | 社会 | Comments(0)
2016年 10月 07日
アベノミクスに人はなぜ騙されるのか/経済の土俵で闘う事が必要 その14
今月16日に信州宮本塾で行う学習会にむけて同塾のメンバー達と調整を行う中で、これまでもたびたび具体的な意見交換をしてきたお一人から、次のようなコメントをいただきました。『大量生産・大量消費モデルではない生産様式への反省・提案と受け止めていますが、生活家電と車は例外のようですね』d0164519_07542984.jpg

このコメントから出発する議論は学習会当日の展開を楽しみにしています。生活家電と車の「生産」について私は詳しくないのですが、ここでは私個人の消費行動についてのみ、この問題を考える上での一つの例として、データをまとめてみたいと思います。

60代後半の暮しぶりとしては、現役で仕事を続けていること、職住が同じ場所で、睡眠時間を除く一日あたり18時間の内訳を年間でならすと、約10時間は仕事関連、2時間の生活家事、2時間の社会活動、3時間の読書運動等、その他1時間という感じですので、かなり偏った生き方と言えるでしょうか。趣味・娯楽・外食・交際にあまり時間を使っていません。その中で、使用している家電製品をリストアップしてみます。(もっぱら仕事で使用しているものは除きます)


冷凍冷蔵庫 130L    おおよその価格 ¥30,000  使用年数 15年以上
洗濯機                  ¥25,000       15年以上
ステレオラジオ              ¥30,000       15年以上
CDラジオ                ¥15,000        10年
電子レンジ                ¥10,000        15年以上
オーブントースター            ¥ 3,000        3年
灯油ファンヒーター 2台      合計 ¥20,000        15年以上
電気ヒーター 2台         合計 ¥ 4,000        10/4年
加湿器                  ¥ 5,000        4年
掃除機 2台            合計 ¥15,000        8/2年
アイロン                 ¥ 3,000        15年以上
湯沸かしポット              ¥ 3,000        8年
電気コンロ                ¥ 3,000        8年
扇風機                  ¥ 3,000        10/6年
電気スタンド 3台         合計 ¥ 3,000        15〜5年
  その他、室内照明、風呂釜、換気扇は借家備えつけ
     総計                  ¥172,000
平均耐用年数10年として、備え付け品を含めても一年当たりのイニシャルコスト¥20,000 程度でしょう。

一方、車については仕事と私用の区別はつきません。信州に移住して40年近く、一度だけ子どもが10〜18歳の10年間、新車を購入した事があります。子どもの友達も乗せる関係で責任が伴います。8人乗りのワンボックス4WD、¥1,700,000でした。修理費年間¥30,000として、車両費用が年間¥200,000。それ以外は、ほぼ5年ごとに中古車(いずれも4WDで仕事の関係で積載空間の大きいもの)を、¥200,000〜¥500,000で。中古車の場合は修理費が年¥5〜70,000 かかっていると思いますので、車両費用としては年に¥150,000程度だと思います。同じ程度の車を新車で10年使用した場合の、半分以下です。車の年間コストはその他に車検費用、保険代、税金、燃料費等で、中古の場合は車両費用の1.5〜2倍ぐらいになるでしょう。年間の車代40万円とすると、公共交通機関とタクシーを使った場合より多少高くなりますが、田舎の場合は「時間を買っている」と考えることになります。車は「移動の自由」度が高く、精神的ストレスに大きな差が出ます。生活様式によっては、もう少し費用は下がるでしょう。家電の方はほぼ最低限のコストで、同居人数によってもかなり違っd0164519_07524850.jpgてきます。ちなみに、電気代は仕事使用分を含めて、夏期月額¥7,000、冬期¥13,000です。生活家電ではイニシァルコストよりランニングコストの方が高く、車では新車ならほぼ同額程度でしょうか。

この夏、たまたま縁があって軽井沢に移住してきた「1%」組老夫婦の引っ越しにつきあいました。車なし、駅近くの豪華マンション。生活家電の購入の際、ヤマダ電機に案内して「爆買い」200万円。新居には以前からのものが100〜200万円程。私のイニシャルコストの10倍以上ですが、それでもその夫婦が車を買うとしたらその倍はかかるでしょう。消費者として考えるなら、生活家電は選択の幅が大きい、個性に合わせた選択が可能なジャンルと言えそうです。


[PR]

by maystorm-j | 2016-10-07 08:08 | 社会 | Comments(0)
2016年 10月 01日
10月16日(日) 信州宮本塾学習会 「アベノミクス批判の向こう側に、どんな経済社会を構想するのか~ベーシックインカム論を題材に」

これまで13回にわたって書いてきました「アベノミクスに人はなぜ騙されるのか/経済の土俵で闘う事が必要」を、他2名からの話題提供とともに討論のたたき台として、信州宮本塾において学習会を開催します。


10月16日 日曜日 午後 6時半~8時45分ぐらいまで 

佐久平交流センター 第一会議室 (佐久平駅徒歩2分)  参加費 ¥500

テーマ  「アベノミクス批判の向こう側に、どんな経済社会を構想するのか~ベーシックインカム論を題材に」   話題提供 寺山、田中、井上


充実した議論展開となるよう、あらかじめ私からの問題提起をまとめてみました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「アベノミクスに人はなぜ騙されるのか/経済の土俵で闘う事が必要」というテーマで、私は自分のブログ(http://maystormj.exblog.jp/) に7月23日から連載してきました。(9/24現在13回まで)


安倍政治の具体的な個々の問題に対して、世論は反対の傾向を示しながらも、選挙の度に安倍政権が勝つ事の原因を、反対勢力が充分にオルタナティブを示せていないという点から考えました。特に、経済の土俵において、広い意味でのアベノミクス=新自由主義経済側は生産から分配までの一貫した流れを呈示し、その中で競争の勝者になる事を呼びかけています。一方、反対する側は分配の不平等を指摘する事に集中し、日本の経済が停滞する中でどのような生産をすれば良いのか、どのように働き、暮らしたら良いのかを示せていません。限定された局面での具体的な生産の試みはいろいろ見られますが、経済全体を見渡すような主張にはまとまっていません。象徴的な表現では鳩山政権が提唱した「コンクリートから人へ」というのがあります。道路も空港も港もはたしてこれ以上の利用は期待できるのか、地方の大規模工業団地は工場の海外移転で機能低下。使用需要の無いインフラ投資は、消費を無視した生産が暴走する経済でしょう。にもかかわらず、アベノミクスはヘリコプターマネー、財政投融資へと進む勢いです。


これまでに宮本塾で財政についてお話を何度かうかがう機会がありました。その後、経済についての学習を続けたいと思いながら、なかなかかなわず今日に至っています。基本的な理解が不十分なままですので、足下の仕事と暮らしを見る「虫の目」に較べて、地域・国・世界の経済を大きく捉える「鳥の目」が弱い事を痛感しています。例えば、国は1,000兆円の借金を抱えている問題も、この先財政の破綻があるのか。おもに国際金融を分析する側と国家財政を分析する側では、180度異なる議論が見られます。「狐の葉っぱ」がどんどんばらまかれて、いつの間にか借金は減っているようなお話も聞かれます。政府に金を貸しているのが国民の側と考えると、国民の財産がいつの間にか葉っぱにすり替わっていくのでしょうか。私には解らないことだらけです。


アベノミクス・新自由主義経済は、生産側が主導する経済と考えますが、いつからそうなったのでしょうか。経済の仕組みは以前、需要が供給を産む、消費の動向に合わせて生産されると考えていました。そのベクトルがあるから消費者運動が存在し、消費者を害する生産者に対して不買運動がありました。いつの間に生産と消費の関係が逆転したのでしょうか。テレビの広告で絶え間なく刷り込まれる意識操作によってでしょうか。低価格の画一的量産品が溢れたためでしょうか。格差が深刻になる以前にそれは起きたと思います。消費が生産を主導する経済へとまずは発想から転換したらいかがでしょうか。それがもともとの姿であるなら、決して無理な転換ではないと考えます。食物連鎖の上位にいる人間は本来消費者であるという事を出発点に考えても良いのではないでしょうか。生産側の都合でものを買わされることから、消費者の都合で生産させる仕組みへの回帰です。


コストダウン、低価格量産量販は商品の差別化をというかけ声とはうらはらに、生産者・消費者双方を画一化させているように思います。もともと消費者の暮らしと意識は多様で個性的ですので、必要とするものも多様です。消費が生産を主導するなら、生産もまた多様で個性的になる可能性があります。しかし現状では、消費者の購買力は低下するばかり。可処分所得は減少し、消費に対する予算制約の縛りはどんどんきつくなっています。福祉のあり方も、今後全人口の1/3~1/2を占める経済弱者、障がい者、高齢者を、多様で個性的な自律した消費者として扱いません。ベーシックインカムがその予算制約に余裕を持たせて、多様で個性的な消費者の復権から、多様で個性的かつ高利潤の生産へとつながらないものかと考えました。


以前、宮本塾で生業についての学習会を2度行いました。木工家のケースでは、生産側に経済的な余裕がないために制作に専念できず、アルバイトに時間を取られていること。力量があるにもかかわらず納得がいく制作が出来ない。野菜農家では、高品質な生産のためには低賃金の労働力と中間マージンの少ない流通が必要な事など、生産者側でも所得の制約が高品質な生産へのハードルになっている事が見られました。生産側にとっても多様で個性的な生産にベーシックインカムは貢献するのではないでしょうか。安い労働力と部品生産を求めて動く大企業に対して、中小零細企業の復権につながるかもしれません。


多様で個性的な消費者が経済の主役となるならば、複数のアイデンティテーが許容されて差別が減少する社会、競争原理による生命の価値の格差=社会的ダーウィニズムからの脱却につながる事も考えられます。逆に、アイデンティティーの純化、生命の格差意識がアベノミクス・新自由主義経済を産み出しているとも言えるでしょう。


以上のような仮説を、仕事や暮らしの様々な視点から考えて書き連ねてきました。消費の復権からミドルクラスの再生と格差・差別の解消をという希望が背景にあります。ベーシックインカムの原理的理解や技術的可能性については何も述べていません。井上さん田中さんに期待するところです。一方向からのみの雑駁な論述で、本来は自分で裏返して検証すべきところ、学習会の叩き台とする問題提起という事でご容赦下さい。多くの批判と議論があるでしょうし、他のお二人の担当者の発表にも出来るだけ時間をとりたいと思いますので、私のブログは事前にざっと目をとおしていただければと思います。ブログという媒体の性質上、新しい記事が一番上に記載されますので、7月23日の「アベ・・・・その1」から順番にさかのぼってご覧ください。参加予定の方でインターネットが出来ない場合は、1週間前までにご住所をお知らせいただければ、プリントして郵送いたします。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


私からはこんな流れで問題提起としたいと思います。話題があちこちの飛び、解りにくい文章で申し訳ありません。塾会員以外の参加も歓迎します。


[PR]

by maystorm-j | 2016-10-01 06:19 | 社会 | Comments(0)
2016年 09月 24日
アベノミクスに人はなぜ騙されるのか/経済の土俵で闘う事が必要 その13
d0164519_08324991.jpg岩手県の沿岸部で、年輩の農業者による農産物を中心に産直販売所を経営する人と、ツイッター上で議論を展開しました。きっかけは、みなさん、都市から地方へ動き出しませんか?不便は、都会では手に入れられない「豊かさ」がある。もう地方でも情報は都市と同じ。』と言う呼びかけに対して、私から返信を送って始まりました。先方の書いた内容を勝手に転載するわけにはいきませんので、話の流れが解るていどの要旨(『 』内)を入れながら、私の発言を転載します。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

流入人口が多い軽井沢でも、田舎の豊かさを楽しんでいるのはリタイア組の年寄り新住民。10年で体力が続かなくなる。(流入する)若い人は都会と変わらない飲食とサービス業に集中し、特色のある製造業は衰退。働き盛り世代(35〜50歳)は、子どもの教育環境が不安。ネット人口は少なく、本屋は一軒もない。

『自然が豊かで教育環境はいいはずですが』

50年前と違い、今は大学進学が50%。二人都会の大学へ出すと、毎年500万かかる。都会と地方の所得格差を考えると、かなりきつい。親は自分の理想を求めて地方へ行っても、子どもには子どもの生き方があり、親を肯定するとは限らない。自然の豊かさは年とって判る事が多いかな。

そのまま都会にいれば(大学に)行けたのにと子どもは思う。無理をしても、こどもには(社会人になる時に)有利なスタートを切らせたいと思う親。(実情は)奨学金数百万円の借金を背負って社会人に。(働き盛り世代では)単身赴任が無難な選択。地方は生産の場より販売市場と見られがち。

『奨学金や苦学は自信につながる』

非正規雇用化が進む若い世代の就職事情では、300万円の奨学金返済はきつい。地方の工場は海外へ、地域商業から大規模流通企業の販売市場化。暮しを主導する役場も、経済を主導する地方銀行も学歴社会という構造を変えないと、新しい経済モデルが見えてこない気がします。

『起業してお金はなくとも幸せな人生。幸せの形の多様化』

都会から地方への移住。(退職金と年金のある)リタイア世代は身軽。若い世代も仕事があれば比較的自由。30代後半〜50は、都会での暮らしを続けていれ不要な苦労を、自分の幸せを求める事で子どもにかけてしまう事を躊躇する。30で信州に移住し、たくさんの起業を見てきました。


地元の人が起業する場合、周囲の関係に支えられる。それでもリスクは大きく、多数の成功例も悲惨な失敗例も見てきた。都会から移住して起業する場合、ゆとりのある高齢者は半分遊びで、若い人は儲からなくても体力で乗り切る。失敗しても転身可能。壮年期の移住起業は容易でない。


2年前の文章なので、その後変わった事もありますが、時間がありましたらご参考まで。 
http://maystormj.exblog.jp/21001859/


『信州は、いまの東北に起きていることをもう経験?』


(信州というよりは)軽井沢では人口の何倍もの購買力があるため、経済活動の様々な要素が極端に先鋭化して短時間に現れる。「幸せの形も多様化」は重要なポイント。「最大多数の最大幸福」から「多様な個人の最適幸福」へ意識を変えて、画一的大量生産大量消費から、個性的消費が主導する生産販売へ転換。


(現在の)商品経済では価値観の画一化が進む。しかし消費人口の少ない地方で、(商店に)あらかじめ多様な商品選択を用意するのは困難。多様な消費の側が最適な生産を促す、オーダー生産を含む回路が望まれる。生産販売消費を見渡せる位置にいる方々の考えを聞きたいです。


『高級品ではなく小さな農業が基本の商売。壊れた町で人がどう動くかを考える』


一人で細々続けてきた私の仕事は(農家の産直)より小さい。製品単価は高いが、上流階級には売れません。軽井沢ではほとんど売れない。客層は上が5%。中の上が15%、中の中50%、中の下25%、下が5%。かなり無理をして買っていただいている。(その客の)期待に応えられているか常に気がかり。


小規模自営業が「安かろう悪かろう」を製造・販売していては、大規模量産量販資本に太刀打ちできるはずがない。客は(価格が)高いなりの満足が持続するか、それぞれの幸せを感じられるか。個性的で高い消費の期待に応えられるのが小規模自営の強み。そのためには、スキルアップとシステム構築。


『JAの規格にあった製品を大量生産して大規模にやることは収入に繋がりますが・・・隙間の生産物や行事食、大量に生産できないものにもマーケットが』


隙間製品も行事食も狙いは正解だと思う。他にないものなら、2倍の値段を付けてはどうだろうか。農家には倍の価格でも満足するものを作る楽しさとプレッシャー。販売者にはしっかりとした情報伝達、製品説明、客の反応のフィードバックが求められる。私は一人で両方、四苦八苦の連続。


『値段を高くはできないです。ばあちゃんの作ったものを自分は作らないけれども食べたいと言うなんともいいがたい想いが産直を後押し』


今日、農協の直売店へ。スーパーより安いではなく、質の良さを期待。産直=安価では、産直店間で負のスパイラルに。農産物はもともと季節や天候で数倍の値動きがあたりまえ。安くないと売れないというのは思い込みでは。とりあえず必要な安いものと、高いが他にはない高品質の併存?


『産直では値段を決めるのは生産者、そこの意識が変わっていかないと難しいです』


エキサイティングな議論につきあってくださり、ありがとうございました。思いを言葉に紡ぎだせる人は本当に少ないです。四国の「葉っぱビジネス」が話題になった事がありました。生産者の一人の意識が変わると流れが変わるかも。


『葉っぱビジネスには開業時に注目。農家に本やDVDを紹介した』

『産直が生産者を作り出せて、生産者が売り手の意見を聞いて協力してくれる事で活性化』

d0164519_08301570.jpg

以下は、東北の同じ市内に住む年配男性(産直のお客)がツイッター上に書いた『産直は新鮮でなければだめ』という主張に対する私の返信です。


魚も野菜も、高品質高仕入れ価の品を、常時多品目揃えるのはリスクが大きい。せっかく産直は生産者・消費者双方の顔が見えるのだから、販売者を介して、「明日、AさんのXXとBさんのOOが欲しい。倍の値段で買うから最高のものを」と(消費者側から)オーダーしたらどうなるだろうか?


オーダー制作の場合、お客様の期待する以上のものを作らねばという意識が強い。展示販売品と同じ価格ではきついが、具体的希望をかなえるため、新しいデザインや機能、技術の開発につながるケースも多い。倍の値段になるなら、期待を大きく越える可能性。消費が牽引する生産


遠野の道の駅には行った。小諸の西にある「雷電くるみの里」と同じタイプ。高速のSAにも時々このタイプ。客は旅行者がほとんど。産直の生産を引っ張るのは、余裕がある地元消費者の具体的要求ではないか。退職組、学校・保育園の先生や病院・役場職員などが牽引役に。


(勤め人に帰宅時間と産直の営業時間が合わないて言う点について) 退職組はOK。勤め人はオーダーを入れて、帰りに受取る。遅い場合はロッカーに。土日もある。やりかたはいろいろ。その手間に見合う高付加価値商品が提供できるかが問題。地域の中流消費者を狙うこと。野菜宅配農家・業者はそれをこなしている。送料がかからない分、有利。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

以上、切り貼りの構成で解りにくかったかもしれません。予告なしで、いきなりの議論に適確な応答をくださいました産直経営のHさん、ありがとうございました。


[PR]

by maystorm-j | 2016-09-24 08:39 | 社会 | Comments(0)
2016年 09月 22日
G7交通大臣会合の軽井沢誘致は誰のため

d0164519_14245943.jpg前線が列島から少し南下して、大陸から高気圧が移動してきたせいでしょうか。気温が12度台まで下がるようになり、連日の雨が重なって9月としては寒い日が続いています。お盆あけからほとんど残暑と言うほどの暑さはなく、例年より活発な秋雨前線が張り付いています。今年の秋は暑いと気象庁が発表し、地球温暖化を言いたいテレビのお天気おねえさんはそのとおりにおしゃべりしているようです。今年は面倒になり、朝顔の種は苗床で作らず、去年のこぼれ種が発芽するのにまかせていました。春に芽生えたものは成長できず、梅雨に入って発芽したものが、細々と今ごろ地際で小さな花をつけています。


今朝は明け方まで降っていた雨が1時間だけやんで、6時から町内の清掃。べたべたの濡れ落葉を掃いても、さほどきれいにはならず、これから落葉期に向って、無駄な苦労です。週末にG7交通大臣会議があるので、きれいにしておきたいのは分かりますが、こんな町外れまで会議に集まった人が来るとも思われません。町ぐるみで歓迎という格好にしたいのでしょうが、役場周辺の一部の人以外は関心もありません。会場はタクシーも不要な駅隣のプリンスホテルですから、旧軽井沢にさえ人が流れることはないでしょう。まして、人口の多い中軽井沢周辺、南側の農業地帯やJRで2駅離れた追分地区など、何の恩恵もなく、交通規制・交通渋滞で迷惑するだけ。誘致のために町の予算を使い、町民、役場職員や警察官の労力を供出し、利益はホテルとせいぜいその手前に広がる同じグループのショッピングモールに落ちるだけ。町民はちらっとテレビに映る我が町に、ちょっぴり自尊心をくすぐられるかもしれません。町長は内外のお偉方に歓迎の挨拶かなんか述べて、自分も偉くなった気分になれるかもしれません。今時、5月のサミット本番の結果を振り返るまでもなく、G7が世界の平和や人々の幸福に貢献する会合だと思っている人はあまりいないでしょう。軽井沢は昔から西武資本・プリンスホテルの企業城下町です。新幹線軽井沢駅に接する南側の広大な土地を一つのグループ企業が所有しています。今回もお殿様に貴重な町税と労役を吸い上げらることに。


西武グループの中核でプリンスホテルを保有するコクド(国土計画)は1920年の操業以来、一度も法人税を払った事がないと言われています。


[PR]

by maystorm-j | 2016-09-22 14:32 | 社会 | Comments(0)
2016年 09月 19日
アベノミクスに人はなぜ騙されるのか/経済の土俵で闘う事が必要 その12
軽井沢に住んで38年あまりになります。当時は、都市部を除く信州の町に都会の人間が移住して、仕事と子育てをすると言うのはまだまだ珍しい出来事。ペンションブームが起きる最初の時期にあたっていたので、軽井沢で2番めと3番めのペンション起業者家族2組と私が、軽井沢への最初の移住家族と役場で言われました。もちろん、地元銀行など大きな会社や官庁の出先機関などの転勤組家族は以前からいたでしょう。都会に出ていた人がUターンしたケースもたくさんあったと思われます。そのような関係性を背景に持たない移住は珍しかったという事だったようです。子どもの小学校や保育園に行くと、特殊な存在だという事が実感できました。

d0164519_07252873.jpg
軽井沢のように、有史以前から交通の要衝であり、大動脈中山道の大きな宿場3ヶ所、鉄道の時代になってからも信越本線3駅と言うのは、当時の人口1万人あまりの小さな「町」としては別格。外の社会との交流が活発な地域である事を象徴しています。にもかかわらず、あるいはそれ故かもしれませんが、軽井沢に来て感じた事に、街場の家々が小さい。寒い地方にもかかわらず、簡素な作りで小規模な家が道路沿いに立ち並んでいます。東隣の上州群馬では、背の高い屋敷林に囲まれた大きな家が多く見られます。信州でも、他の地域には向井潤吉の絵に見られるような、(さすがにかやぶきは当時も少なくなっていましたが)、貧しくとも人々を大きく包み込むような家、代々受け継がれ家族の歴史を感じる家があります。軽井沢の家はどこか東京で見るマッチ箱のような家、別荘建築も旧軽井沢の一部に見られる旧華族、大政治家や財界人の別荘を除くと、周辺部ではやはり一代限りの夏だけの家という作りでした。旧軽井沢銀座通り以外には、間口が狭く奥行きが裏の通りまで続く伝統的な商家は見られず、表通りに面した壁だけがりっぱで、横も裏もぺかぺか、裏には不要品の山が積まれている安っぽい商店街の造りです。

都会の高度成長経済、めまぐるしいスクラップアンドビルドが、信州の小さな町に持ち込まれた結果、家というものの意味が変わってしまった。多くの人が集い、安息と同時に生業の場として作業し、長く使い続けるものではなく、活発だが入れ替わりの激しい商業や、交通、建築などの外部の仕事に出かける個人労働者と学校に通う年齢の子どもが夜を過ごすという、都会の家と同じ機能になっていた。家庭にとっては最大の富といえる家が、耐久財でも、高機能でもなく、一時的で単機能の消費材になっていた。別荘と同じで、代替わりや家族が移動するたびに、一世代の少ない貯金とローンで建て替えられる消費材としての家。

d0164519_07255774.jpg
富がどうすれば蓄積し、暮しが豊かになるのかを、これまで個人の消費行動が主導する生産という視点を中心に考えてきましたが、ここで個人から小さな集団の消費に視点を移して考える事も出来ます。家という富を集団で共有する事で、家の高品質・高機能・高耐久性が得られるのではないか。集団内の個人や小家族のプライバシーを守りながら、全体としては使い勝手が良く、少しずつ構成員が入れ替わっても長期間維持される家は、最初に充分高度な設計、信頼できてメンテナンスも任せられるオーダー施工、共同管理体制など、小さな集団の公共意識と共助能力につながるでしょう。既存の家の貸借シェアリングは既にかなり見られ、資金を分担する共有も試みられています。都会では車や自転車のシェアもあります。高価格消費材の場合は、共有する事で得られるメリットが大きいかもしれません。

地方財政は逼迫していますし、国レベルでも借金財政から均衡財政へとはたしてソフトランディングできるのか、クラッシュが起きるのか判らない状態ではないでしょうか。暮しを守るためには、民間に高品質で持続性の高い富を蓄積しておく必要がありそうです。官に頼らず、民の間で富の生産、販売、消費、蓄積の流れを作ること。個人、小家族だけではなく、小集団でその富みを共有する方向も有効ではないかと考えてみました。

[PR]

by maystorm-j | 2016-09-19 07:39 | 社会 | Comments(0)
2016年 09月 07日
アベノミクスに人はなぜ騙されるのか/経済の土俵で闘う事が必要 その10
隣の家の道端に咲くムクゲ。純白の花を選びました。韓国では無窮花(ムグンファ)とよばれ、国の花とされています。日本人にとってのサクラより、この花に対して韓国人はさらに深い陰影をともなう思いを持っているのではないかと想像します。「象徴」から感じる思いや問いかけは、それが無言であることで、より深い思考と感情を促すでしょう。
d0164519_04345407.jpg

先日、地元の護憲団体の学習会に参加しました。めずらしく、自由討論の時間が充分にあって、議論のきっかけとなるよう、いくつかの問題を提起。最初に、「原発、TPP、安保法制などの個々の問題では世論調査は反対が過半数を示すにもかかわらず、なぜ選挙のたびに負けるのか。何が足りないのか反省する必要」を述べました。「これは間違っている」という反対は出来ても、積極的に「こんな社会にしよう」という提案が弱いのではないか。特に経済の問題では、分配の不公平を述べていても、富の生産に対するビジョンがない。左翼リベラル系では、資本主義はすでに限界であり、経済は成長しない事があたりまえのように語られる。しかしこの20年の間、先進諸国の中で経済成長が止まっているのは日本だけで、ほとんどの国はGDPが2倍以上になっている。日本だけが異常な状態と見るべきではないのか。新自由主義経済によって、自然環境、生活環境、労働環境すべてが破壊され尽くす前に、異なる経済を我々は提起しなければならない。

もう一つ、SEALDsや市民連合が野党共闘を促し、一人区では一定の成果をあげたが、全体を見るならとても勝ったと言える結果ではないこと。最初の問題に対する参加者の反応はありませんでしたが、この問題では「若い人達が初めて声を挙げ、野党共闘につながった」とする肯定的な反応が主流でした。私は「声を挙げる」と「語る」事の違いを述べました。上に向って、政治家や政党に向けて共闘と野党統一候補を要求する圧力にはなりましたが、同じ仲間達、横に向って語りかける言葉をもっていなかった。SEALDsの集会で延々と続く「民主主義ってなんだ・・・これだ」というコール。デモや集会がなされる事が民主主義であるという主張、そのデモや集会の目的は「民主主義を取り戻す」である。運動の目的と方法が同じところをぐるぐる回っていたに過ぎず、これでは何も語っていない。星の王子さまに出てくる「酒飲みの悲しみ」を裏返しただけです。

世論調査が安保法制反対過半数、安倍政権支持の低落を示した昨年夏、マスメディアは急にSEALDsを肯定的に取り上げ始めた。国会での論戦や内外での憲法論議から、街頭での若者の活動に注目が移されます。本当に若者が一斉に声を挙げたのでしょうか。マスメディアや政党による意識操作を感じていました。SEALDsの実体はせいぜい1,000人程度。学内の多くの学生の共感を得ていた様子はなく、まして自己を賛美するエリート意識丸出しの彼らに、非正規雇用でワーキングプアにある同世代の人達が賛同していたとも見えませんでした。SEALDsの行動では、先頭の若者と学者集団の後に続くのは、ほとんどが年輩者だったのではないでしょうか。同世代をリードする運動ではなく、年寄りのアイドルにすぎませんでした。

60年安保、68年全共闘運動以来、初めて学生が立ち上がったともてはやされました。60年安保の記録や、その後に経験した学生の運動を振り返ると、大学ではクラスや学科で活発な討論があり、多数のセクト(党派)系学生にまじって、多くの無党派学生も活動し、積極的に学生大会や討論会に参加、学内いたるところでアジ演説が(辻説法)見られました。講義が始まる直前の教室では、学生に向って数分間語りかけながらビラ(チラシ)が配られていました。街頭に出て活動する学生の背後には、それぞれ何人もの学内活動家がいて、その背後にはさらにそれぞれ「シンパ」とよばれる賛同者や議論に参加する活性化した一般学生が多く存在しました。横の語り合いから運動がつくられていたのです。そこでは、上から与えられた言葉に頼る党派系学生より、無党派で個人として運動する学生の方が、自分なりの状況解析と自身の言葉を磨くことの重要性を感じていました。

SEALDsの運動は、同じ若い世代に届ける言葉をもっていなかった。選挙の投票結果がそれを冷徹に示しています。人に未来を示し動くエネルギーを生む言葉のないまま、便宜的に数合わせを目指した野党共闘路線が、選択肢の多い都市部や比例区では支持されず、選挙の終了とともに崩壊するのは当然です。「民主主義は数だ」という考えから、「民主主義は言葉だ」という考えに転換しなければならない事を感じます。


[PR]

by maystorm-j | 2016-09-07 06:48 | 社会 | Comments(0)