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2020年 05月 06日
パンデミックとの戦いを「戦争だ」と叫ぶことの愚かしさ  その3
パンデミックとの戦いを「戦争だ」と叫ぶことの愚かしさ  その3_d0164519_13204609.jpgCOVID-19が武漢を中心に急激に拡大していた頃、欧米諸国では「また中国か」と、対岸の火事を見る雰囲気がありました。イラン、イタリア、スペインに飛び火して、当初は「集団免疫」戦略をとろうとしたイギリスも、医療崩壊に伴って急激に増える死亡者に驚き、都市社会の凍結・ロックダウンによる封じ込めに方針を変更し,スェーデンを除く西欧は同様な措置で足並みが揃います。ヨーロッパはそれまでのEU・シェンゲン条約体制を180度転換し、国境封鎖、強権的管理と自国民保護の一国主義をとります。ドイツ・フランスはイタリアの救援要請を無視し、東欧諸国は顧みられることもなく、それぞれの首脳は自国民に「戦争への覚悟と参加」を呼びかけ、現金給付による生活保障を約束。第二次世界大戦後に積み上げてきた「一つのヨーロッパ」の死を告げるの鐘を聞く思いです。

日本はどうなのでしょうか? やはりこちらでも「戦争だ」という呼びかけが聞こえてきます。ここではいっときCOVID-19から離れて、この国の「戦争」について考えてみます。狭い列島内で2,000年以上、大小様々な「戦争」の歴史があります。比較的平和が続いたのは平安時代と江戸時代。学校で習う日本史は絶え間なく、何年にOOがXXと戦って滅ぼした、の連続です。明治以後は海外に戦いの場を広げます。ヨーロッパの歴史観に立つとわからないかもしれませんが、12世紀末、平安時代の終わり頃からこの国は大きく形を変えていったように思えます。宗教改革、金融や商業改革が起き、社会は流動化し、「戦さ」に参加する人数がずいぶん増えている気がします。人口の割に、動員された兵員が多く、彼らをどうやって養っていたのでしょうか? 戦さの報酬を与えることができたのでしょうか?

統一国家が定まる直前、最後の大戦争は中大兄皇子が起こした「白村江の戦い」ですが、これは極めて無計画で無秩序な戦争で、大敗北とともに一つの時代の終わりを告げるものでした。その弟、大海人皇子=天武帝と持統帝が起こした戦争は逆に、計画性と兵站の確かさが想像できます。戦後の国家形成を視野に入れた、日本では稀な戦争の形かもしれません。その後の大きな戦争(内乱)、南北朝、応仁の乱、戦国時代、どれも計画性に乏しく、無秩序で、兵站は略奪に頼っています。無報酬で農兵を動員し、勝てば略奪放題を許し、人を捕らえて奴隷として売っています。歴史は勝者によって書かれますので、その内実は反省されることなく、戦勝と評価されます。

天武・持統帝に並ぶのは秀吉・家康でしょうか。この時も国家の形が作り変えられ、長期の平和が続きます。明治維新はどうでしょうか。戦争という面では、無計画、無秩序な略奪戦だったように思えます。国の形も当初は単なる復古。むしろ幕府側に国の変革を目指した確かな目と計画を持った人材が多くいたようです。新政府は「戦争=略奪」という意識のまま、台湾、朝鮮、中国、東南アジアへと、ほんの70年の間に戦争を広げていきます。その結果、諸外国で日本軍は膨大な数の一般人を殺し、富と食料を略奪し、最後は自軍兵士の半数を超える命を病気と飢餓で失います。

その歴史を検証することも反省することもなく、今また「戦争だ」という号令が響き、「心を一つに」という言葉が発せられ、「勝つまで我慢」が強要されています。最前線の医療現場では、あいも変わらず無計画に働かされ、ロジスティックがないまま、持てる力を発揮できないでいます。国民の健康を支え、最前線に十分な人的・物的補給をするために不可欠な社会的・経済的基盤を凍結してしまい、長期的戦闘能力をなくすような対策が取られています。どうも日本人というのは、ほんのわずかな歴史的例外を除くと、合理的に戦争を遂行できない性格の集団なのではないかと感じています。無計画な短期決戦が長引いて、得るものより失うものが大きい戦争をやってきたようです。もうそろそろ、私たちは戦争がへたな国だと自覚した方が良さそうです。


by maystorm-j | 2020-05-06 13:22


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