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2016年 10月 10日
アベノミクスに人はなぜ騙されるのか/経済の土俵で闘う事が必要 その15
前回は消費の例として「生活家電」と「車」について、かなり最低限に近いイニシアルコストとランニングコストを、私の場合を例に取り上げました。その中でもまだ、多少の選択域があることを見ました。車については私の場合、生活と仕事での使用区分が難しいですが、生活でだけならさらにコストを下げても選択域はけっこうありそう。家電をゼロにはしにくいでしょうが、車はもたないという選択もあります。子どもの頃から、自分の支出について帳面を付けていて、中学生の頃には家の家計簿や確定申告にも少しかかわっていました。といっても、給与の他に多少の収入がある程度の家計で、それほど複雑なものではありません。学生時代から、手内職並みの工芸制作を始めて、確定申告の時期になるとたまった領収書から費目ごとの経費を計算する作業を、これまで40年以上続けてきました。
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子どもの頃は、当時家計に占める食費の割合「エンゲル係数」という数字が貧困の度合いを示すものとして、注目されていました。50%以下にというのが目標で、私の家はちょうどその辺りでしたが、1960年を過ぎたあたりから、食べ盛りにもかかわらず、ぐんぐんエンゲル係数が下がっていくのを実感していました。生活家電が増えていきますが、「三種の神器」とよばれたような新しい製品は、ボーナス時のように特別余裕がある時の買いもので、日常的には教育費や公共料金などの増加が大きかった気がします。教育費と言うのは将来に対する投資。公共料金、税や社会保険費など、暮しが豊かになった実感がない支出も次第に増えます。その時代、車や大きな家電製品、現代的な家をもつのはボーナスの額が大きいサラリーマン家庭で、日銭稼ぎの職人や零細企業、農家などとの間で、富の蓄積に大きな差が見られました。

大工業地帯で大量生産が進み、大都市に人口が集中するにつれて、それまで地方とあまり違わない「職住接近」が崩れ、通勤ラッシュが起き公共交通機関の役割が増大します。暮しと仕事は切り離され、仕事の世界では労使ともに数字で成長(進化?)が表され、暮し(支出)の部分では水光熱、教育、医療、社会保障、多くの部分を公共が担い、お金を払っているにもかかわらず、消費者としての自覚と考慮・選択がなくなっていきます。この部分は好みが反影せず、住居費を含めて、強いられた支出です。消費者としての主体性がなくなっていき、考えない市民が作られていく過程に、巧妙なテレビコマーシャルが浸透し、XXブームとよばれた爆発的なヒット商品が登場します。インスタントラーメンを筆頭に、誰でも買える価格のものが巷にあふれ、同じものを食べ、同じ服を着て、同じ遊びをする国民性が作られていきます。

1950年代後半、爆発的に受け入れられた商品、例えば電気洗濯機、冷蔵庫、炊飯器は、煩雑で長時間の家事から解放を目指すものでした。紙媒体で知るこれらの新製品は、購入を決意するまでに考える時間がたっぷりありました。コストパーフォーマンスを熟慮しなければ買えない価格です。テレビ時代に入ると、欲望の多様性を許さず、流行があらかじめ作られて(ファッション業界では2年先の流行色を決めると言われた)、欲望は統一純化されて考える間もなく即断即行。お客様は神様、消費者は王様から、生産側とテレビに支配される奴隷の身に転落です。大量生産・大量消費市場は消費者の主体性や多様性のみならず、消費願望の偶然性やゆらぎを嫌います。来年のファッションは黄色と決めてあるのに、たまたまアイドルが着た赤い服がテレビで人気をさらい、皆が赤い服に殺到するなんて事になると莫大な投資が無駄になります。

公告業界のガリバーで、マスメディアを牛耳っている電通の「鬼十則」 「戦略十訓」をご存知の方も多いでしょう。消費者を奴隷化する意思と戦術が、明確かつ公然と宣言されています。消費者の復権とは、すなわち奴隷解放運動だということです。


by maystorm-j | 2016-10-10 19:29 | 社会


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