2016年 09月 19日
アベノミクスに人はなぜ騙されるのか/経済の土俵で闘う事が必要 その12
軽井沢に住んで38年あまりになります。当時は、都市部を除く信州の町に都会の人間が移住して、仕事と子育てをすると言うのはまだまだ珍しい出来事。ペンションブームが起きる最初の時期にあたっていたので、軽井沢で2番めと3番めのペンション起業者家族2組と私が、軽井沢への最初の移住家族と役場で言われました。もちろん、地元銀行など大きな会社や官庁の出先機関などの転勤組家族は以前からいたでしょう。都会に出ていた人がUターンしたケースもたくさんあったと思われます。そのような関係性を背景に持たない移住は珍しかったという事だったようです。子どもの小学校や保育園に行くと、特殊な存在だという事が実感できました。

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軽井沢のように、有史以前から交通の要衝であり、大動脈中山道の大きな宿場3ヶ所、鉄道の時代になってからも信越本線3駅と言うのは、当時の人口1万人あまりの小さな「町」としては別格。外の社会との交流が活発な地域である事を象徴しています。にもかかわらず、あるいはそれ故かもしれませんが、軽井沢に来て感じた事に、街場の家々が小さい。寒い地方にもかかわらず、簡素な作りで小規模な家が道路沿いに立ち並んでいます。東隣の上州群馬では、背の高い屋敷林に囲まれた大きな家が多く見られます。信州でも、他の地域には向井潤吉の絵に見られるような、(さすがにかやぶきは当時も少なくなっていましたが)、貧しくとも人々を大きく包み込むような家、代々受け継がれ家族の歴史を感じる家があります。軽井沢の家はどこか東京で見るマッチ箱のような家、別荘建築も旧軽井沢の一部に見られる旧華族、大政治家や財界人の別荘を除くと、周辺部ではやはり一代限りの夏だけの家という作りでした。旧軽井沢銀座通り以外には、間口が狭く奥行きが裏の通りまで続く伝統的な商家は見られず、表通りに面した壁だけがりっぱで、横も裏もぺかぺか、裏には不要品の山が積まれている安っぽい商店街の造りです。

都会の高度成長経済、めまぐるしいスクラップアンドビルドが、信州の小さな町に持ち込まれた結果、家というものの意味が変わってしまった。多くの人が集い、安息と同時に生業の場として作業し、長く使い続けるものではなく、活発だが入れ替わりの激しい商業や、交通、建築などの外部の仕事に出かける個人労働者と学校に通う年齢の子どもが夜を過ごすという、都会の家と同じ機能になっていた。家庭にとっては最大の富といえる家が、耐久財でも、高機能でもなく、一時的で単機能の消費材になっていた。別荘と同じで、代替わりや家族が移動するたびに、一世代の少ない貯金とローンで建て替えられる消費材としての家。

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富がどうすれば蓄積し、暮しが豊かになるのかを、これまで個人の消費行動が主導する生産という視点を中心に考えてきましたが、ここで個人から小さな集団の消費に視点を移して考える事も出来ます。家という富を集団で共有する事で、家の高品質・高機能・高耐久性が得られるのではないか。集団内の個人や小家族のプライバシーを守りながら、全体としては使い勝手が良く、少しずつ構成員が入れ替わっても長期間維持される家は、最初に充分高度な設計、信頼できてメンテナンスも任せられるオーダー施工、共同管理体制など、小さな集団の公共意識と共助能力につながるでしょう。既存の家の貸借シェアリングは既にかなり見られ、資金を分担する共有も試みられています。都会では車や自転車のシェアもあります。高価格消費材の場合は、共有する事で得られるメリットが大きいかもしれません。

地方財政は逼迫していますし、国レベルでも借金財政から均衡財政へとはたしてソフトランディングできるのか、クラッシュが起きるのか判らない状態ではないでしょうか。暮しを守るためには、民間に高品質で持続性の高い富を蓄積しておく必要がありそうです。官に頼らず、民の間で富の生産、販売、消費、蓄積の流れを作ること。個人、小家族だけではなく、小集団でその富みを共有する方向も有効ではないかと考えてみました。

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by maystorm-j | 2016-09-19 07:39 | 社会 | Comments(0)


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