2016年 08月 23日
アベノミクスに人はなぜ騙されるのか/経済の土俵で闘う事が必要 その6
一昨日、追分で知り合いが主催した学習会の参加しました。喉の痛みと咳き込みでぼっとした頭だったため、一日間違えて予定の演題は既に前日終了していて、その日は「量子力学の世界観」。体調不良の身には重たい内容です。良くある括りですが、西洋は一神教、東洋は多神教、日本の仏教も多神教、神道も万物が神であるとされていると、語られます。神道についてみると、縄文から続くアニミズムと卑弥呼以降古墳時代から律令国家成立にかけて組み立てられた天皇中心の祖先崇拝はまったく異なるものではないかと思っています。天照大神が西洋の神と同じ位置づけと言うのではなく、「万世一系」神話に補強された天皇の系譜が一神教的存在なのではないでしょうか。自然神とはまったく異なる神の存在です。唯一神としての「天皇」に従って営まれるマツリゴトと、マツロワヌ人々の征服が繰りかえされます。本地垂迹説による仏教からの補強もあって、その後の日本は中央集権官僚制でも地方分権武士制でも、決定的な世界観の分裂が防がれたのではないでしょうか。
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話がそれましたが、その後の歓談の場でベージック・インカムについて提起してみました。B.I.の話をすると必ず起きる反応が「ナマケモノが増える」という懸念。実際はやってみなければ判らないのですが、生活保護受給者に対する「ナマケモノ・バッシング」に憤る良心派の人々も、全員に一定額の支給をと言うB.I.に対しては「ナマケモノ」問題を持ち出します。困窮者や障害者に対する給付は、結局特別に気の毒な人への救済策と考えていることになるでしょう。これでは、もらう側は肩身の狭い思いから抜けられません。話は簡単で、全員がもらえば解決します。保護費の捕捉率の低さを気にする事もなくなりますし、窓口で嫌な思いをする「水際作戦」もなくなります。生活基礎資金ですから、介護費用や医療費、特別な生活用具などは別に支給すれば、その金でパチンコしているのではないかと下司の勘ぐりもなくなります。

さて、ナマケモノをどうするか。何時の世もどんな社会にもナマケモノは存在すると割り切る事です。私の周囲のもいろいろいます。おだてたり、なだめすかして働かせてみても続きません。その面倒を見ていると、こちらが足を引っ張られますので、ほっておくのがいいでしょう。せっせと働いているように見える働き蟻の中にも、一定の割合でナマケモノが存在すると言う研究が話題になりました。
ナマケモノはスペアとして必要だという主張です。しかも、個性ではなく、集団の一定の割合が自動的に怠けるらしい。働き者ばかり、あるいはナマケモノばかりの集団に再構成しても、一定の割合が怠ける。もちろん、複雑な社会構造と多層的な他人の眼にさらされる人間社会にそのまま当てはめられものではありませんが、試してみる価値はありそうです。役場に行くと2〜3割の良く働く人と、まあまあ給料分は働いていそうな人、そして一定の割合のナマケモノ。ナマケモノばかりの部署を作ったらどうなるでしょうか。住民の命にかかわらない行政の分野で試してみたい気がします。

もう一つ、B.I.の話をすると必ず出る反論が財源問題です。たとえば月5万円を1億3,000万人に配ると年間 ¥50,000x130,000,000x12=¥78,000,000,000,000
78兆円ですね。これについては、また別の稿で書いてみたいと思います。



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by maystorm-j | 2016-08-23 08:47 | 社会 | Comments(0)


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