2016年 08月 21日
アベノミクスに人はなぜ騙されるのか/経済の土俵で闘う事が必要 その5
お盆の15、16日、仕事場の隣、公民館の駐車場で盆踊り大会がありました。隣組の役員ということで、焼き鳥の係に。前日から解凍した焼き鳥が、大型の食卓上に30cmの高d0164519_04070265.jpgさで積まれ、盆踊り開始の3時間前から焼き始めます。中国製。焼きぐしに刺した状態で一度茹でるか蒸すか、火を通して冷凍輸入。盆踊りの混雑を予想してあらかじめ一度焼いておきます。大会が始まる7時から終る9時まで、もう一度味をつけて焼き直し。いくら熱々でも、3回も焼けば美味しいわけはありません。それを2本100円で売るのですから、もとの価格はいくらなんでしょうか。炭で焼けば美味しくなるというものではありません。ブロイラーの胸肉はしょせんバサバサしています。1500本だか3000本だか焼き続けて、煙で喉はガラガラ。2日後に会った人達からは、隣でドナルドダックがしゃべっていると言われる始末で、4日経っても回復しません。

しばらく戯れていたモンシロチョウとスジグロシロチョウは、勘違いに気づいて分かれて行きました。この集落は、戦後満州から引き上げて開拓に入った人達によって作られました。当初は極貧の厳しい暮しで、盆暮れ正月、支援する教会のクリスマスは、子どもに限らず大人にとっても指折り数える楽しみだったに違いありません。軽井沢の歓楽街のような華やかさはありませんが、いまは落ち着いた山里のたたずまいとなっています。生前はさぞご苦労したであろうご先祖様を迎える年に一度の時に、きっと薬づけの美味しくない焼き鳥をその子孫の子供達に食べさせるのか、まったく理解できません。集落の外れにある国際高校から100人ほど、外国の少年少女も「ボン・ダンス・パーティー」に参加しています。日本人は、「ハレの日」にこんなものを食べているのかと、恥ずかしいばかり。

軽井沢の夏、多くのリタイア組はグルメ気取りで飲食店を徘徊しています。金と暇のある人相手の商売ですから、美味しさ以上に価格は上がる。彼らには江戸時代のご隠居の節度はない。それでも何軒かの蕎麦屋は、まあ価格以上の味と雰囲気を提供していますが、ヨーロッパ風の店には近づかない事にしています。美味しいものは、これから文化を創る若い世代に回した方が良い。社会全体を豊かにするために、彼らの感覚を洗練させ、その再生産力に期待しよう。後期現役世代はバーベキューが好きです。ガツガツ喰らいガブガブ飲む雰囲気に馴染めず、私は出来るだけ逃げ回ってきました。ビールは一缶飲めば充分、後はただの発泡液体。齢とったら、たまのハレの日に「一点豪華」がいい。

生産モデルを変更しないまま、お金をジャブジャブ刷って価格を上げようとしても、結局は低コスト・低品質・低価格・低満足の「負のスパイラル」から抜け出られず、安物を求めてアジア・アフリカから輸入し、国内生産は落ち込むでしょう。アベノミクスや新自由主義を批判する側が、分配の不平等ばかりを述べて、新しい生産モデルを提示しないのは、明らかに怠慢です。反対できればいいと思っているようです。人民=プロレタリアートが安く買えればいいとする発想を捨てて、高品質・高価格・高耐久性・高満足の生産と消費に移行し、蓄積を増やすモデルが必要です。たぶん、それを裏から支えるのがベーシック・インカムではないかと思います。 (続く)



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by maystorm-j | 2016-08-21 05:12 | 社会 | Comments(0)


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