2015年 12月 27日
この夏の安保法制反対運動を、「SEALDs賛美の流れ」から考える。
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11月にはいってからは例年より暖かくなりましたが、今月は寒さが行ったり来たり。寒い日が3に対して、温かい日が7ぐらいでしょうか。例年のことですが、年末は鍋作りにとって一番忙しい時期です。その上、1月後半の展示会が決まり、気分的にはお正月どころではないといったところ。ブログも滞りがちです。

13日に行われた信州宮本塾の宮本憲一先生講演会で、質疑の時間にSEALDsの問題点に触れました。国会前の活動で一般に見られる東京周辺の学生グループの他に、女子学生やママさんの会、各地のSEALDsなど、いくつかの少しずつ異なる主張があり、さらに一般からはあまり見えませんが、SEALDs防衛隊と言われる影の部分があることを指摘しました。「しばき隊」とも自称するSEALDs防衛隊ですが、中心メンバーは3.11以前から活動しているグループで、首都圏反原連の中心メンバーとも連携しています。反原連から派生し、おもに「異論排除」活動を実地・ネット上で行ってきました。反原連の官邸前行動がシングル・イッシューをかかげ、多様な課題と行動を排除する理念を推進してきたグループです。これについては賛否両論があるでしょう。


その後、反原連とは別に、在特会などのヘイト運動に対するカウンター行動をかかげ、現地でもネットでも「しばく」活動、強烈な罵倒言辞を執拗に繰り広げて来ました。対象はヘイト運動に限らず、気に入らない異論や批判を述べる人に向けても、汚い言葉で罵倒を繰り返します。SEALDsの集会の周辺で、彼らが異端と判断する人たちを排除する行動は、YouTubeなどでも見られます。ネット上の言辞は、一種の魔女狩りを思わせるものです。


SEALDsは決して自然発生的に湧きおこった学生の運動ではなく、SASPLなど過去の流れがあり、その源流には反原連での小熊英二氏などの考えが影響しています。そのこと自体はそれぞれの考え方でいいのですが、SEALDsはしばき隊との関係を明確にするべきでしょう。


先に述べましたように、SEALDsの運動には多様性があります。一番目立つ奥田氏を中心とした東京のおもに男子学生グループ、周辺の「ママの会」や女子学生グループ、関西や地方のSEALDsなど、それぞれ主張する内容が異なります。「だれの子どもも殺させない」など、多くの人々に熱く届く言葉を発した女性達が一番記憶に残っているのではないでしょうか。その主張を私は「健全な保守」意識と捉えました。戦後70年続いた平和な毎日を守りたいという考え方です。今の幸せを続けたいという、幸せな人々にとってはきわめて健全な感覚でしょう。


この意識は、安定した暮らしにある人々の心に響きます。特に子育てを終えた年輩世代にとって、子どもの世代から子育ての結果を肯定されたと受取られます。しかし、戦後の平和、本土の暮しは沖縄の犠牲の上に続いた虚構ではないのか、という問いかけに応えられるでしょうか。世界各地で起きた戦争に、基地を提供し、経済的利益を享受してきた日本という「平和の半面」を見ていないのではないでしょうか。格差が拡大し、自分の子どもが人間らしい暮しを出来ていないのを見ながら、自分の老後もおぼつかない不安感、無力感を感じている年寄りもたくさんいます。


東京の男子学生中心のグループは、表では運動と政治の方法論のみを語り(立憲政治の破壊や民主主義とは何か、デモの正当性など)、安全保障の内容や戦争・反戦の理念にあえて触れていないと感じます。安保法制の内容と方向性を具体的に検証・解析・批判することは避けていると思いました。その一方で集会の外での彼らの発言は、「新9条」改憲の方向とシンクロしているように見えます。


9条改憲については、宮本塾でも必要と考える方々がいます。「左からの改憲」「新9条改憲」などと言われますが、この問題はいま真剣に考えなければならないでしょう。今のところ私はまだ考えがまとまっていません。少なくとも、SEALDs礼賛のムードに流されて、いつのまにか「改憲」意識が主流になっていたということは避けたいと思います。


安保法制反対運動では、東京に行く時間がなく、地元軽井沢で二つの「9条の会」と宗教者、一部の町会議員や前町長などが進めた活動に参加しました。実体は「総がかり行動」に近い運動形態でした。そこには大学生も高校生もいなかったにもかかわらず、参加者の注目は東京のSEALDsに集中していました。各地の行動も広範な考え方での結集を呼びかけていて、実際は「総がかり」的であったと思いますが、視野が狭い排他的な要素を持つSEALDsの方に意識が流れたと感じています。学生礼賛よりも総がかり行動への集中をはかるべきだったのではないでしょうか。


SEALDsの集会では「民主主義ってなんだ?」「これだ!」の声が渦巻いていました。私の性格ですが、自己讃美を声高に表明する運動や活動家には馴染めません。運動の課題が達成出来たのなら、その後の自己肯定・運動讃美もいいかもしれません。運動の中心に主体的にかかわることが出来なかった私が述べること自体に反発があるかもしれませんが、安保法制反対運動では勝てる局面があったのではないでしょうか。国民意識も反対側の論理や顔ぶれから見ても、なぜ阻止できなかったのか、真摯な反省が必要に思います。



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by maystorm-j | 2015-12-27 08:24 | 社会 | Comments(0)


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