2014年 08月 13日
田舎の社会はコネで動く/研究者は成果を現場に還元しない
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初めてクジャクチョウを見たのは19歳の頃。3月下旬の浅間山に登り、厳冬期とさほど変わらない低温の中、テントと避難小屋で各1泊。下山途中、雪がなくなって春の陽射しが道路の表面を温めていたそこに、冬眠あけのクジャクチョウが翅を広げて暖をとっていました。数時間前の雪と氷の世界から無事戻った事を実感させる華やかな美しさです。翅を閉じると土か樹皮かと思う焦げ茶色の地味な姿でマイナス30度にも下がる冬をくぐり抜けて春を迎え、目覚めて翅を広げる瞬間はどれほどに劇的な時間だろうかと想像します。

30歳で信州に移住し、それから何度この蝶に出会った事か。高原ではけっして珍しい蝶ではありません。「19の春」のときめきはとっくに失っていますが、蝶は色あせることなく今も舞っています。翅の美しさを誇示しながら、ヒラヒラと舞うものに対して、その裏を見通すひねくれた人間観を身につけてしまったのかもしれません。生物が進化の過程でこのような模様をまとうには、何万年か、どれだけ多くの世代交替を経ているのでしょうか。それに較べると、裏と表の著しい違いを巧みに使い分けて、世間をヒラヒラ飛び回る人間性は、一代限りで身につけられるものでしょう。

地方でありながらも極端に浮き沈みの激しい町に住んでいるため、表の美しさを誇示しながらヒラヒラ舞っている人や商売をたくさん見ています。観光客や別荘客は、裏が見えるほど地域にかかわりませんし、むしろ表がすぐに色あせる美しさであってもそれを求めていきます。常住していても、仕事や町内会や学校のPTAなど地域社会と細かい接触がないリタイア世代新住民には見えにくい事がたくさんあります。県外の、特に大都市からやってくる人や商売は、華やかな翅がちょっと色あせて来たかなと思う間もなく、すっと消えていきます。華やかに舞っている地元の人や商売が、ひとたび色あせ始めると、上手に撤退できないケースが多く、暗い裏が見えてしまいます。

地元から始めて次第に拡大していく商売も中にはありますが、テレビや雑誌などで華々しく紹介される事を好まないようです。メディアに煽られて起きる需要のはかなさを知っているのでしょう。タレントまがいに登場する経営者は、必死に裏の暗さを隠しているようにも見えます。持続性のない需要に応じるためのシステムを維持するために、ますます翅を大きくしてヒラヒラ舞うことになります。

田舎では地域の商売のほとんどが世襲されます。軽井沢のように超有名な町でも、中学校は一つしかなく、同級生や同窓生という関係がもつ力は都会と全く異なります。親戚関係も濃密です。地域の人間関係の中では、実力以上の商売が出来る時期があります。取引先の多くと仕事以外の部分の関係があり、いっとき「コネ」で商売が順調に展開します。その関係性は、年とともに風化したり、都会から参入する実力の高い資本に凌駕されたり、何よりもコネで成り立った商売はスキルアップを目指すことなく、宴会接待で関係性を維持しようとします。取引先は逆にコネを利用して、納入価格の引き下げを望みます。

町役場もその構成員はほとんどが同窓生ですので、コネの世界です。指定業者とか納入業者とか、時には一過性のイベントや地産地消運動などでも、スキルや品質とは別の要因が働きます。そんな地域社会の中で、身の程をわきまえて安住している分には安泰なのでしょうが、新規事業や事業拡大をその関係性を利用して図ると、パイの取り合いが生じます。強固に見えたコネも、年とともに風化し、敗北後の軟着陸に失敗すると悲惨な結末を迎えることになります。裏側の事情は、秘めやかなうわさ話として、地元民の間でささやかれます。

以前、地域の問題を調査に来た研究者に、なぜ成功例の陰にその10倍存在する失敗例を見ないのかと質問した事があります。失敗例の中にこそ、地元で暮し働く上で学ばなければならない沢山の具体的な要素が含まれています。しかし、外から来た研究者にはそれが見えないのでしょう。たぶん、見ようと言う意識もなく、成功例をまとめてどこかに発表してり、どこかで提言するのでしょう。地域全体が破綻状態にならないかぎり、失敗の報告は調査地から嫌がられる事もあります。研究者を案内したり、調査に参加しても、調査報告や卒論・修論などの成果物が送られて来た事は一度もありません。その点はメディアの方がまだましで、掲載紙や録音が送られてくることもあります。「現場を見ろ」という研究者の声はよく聞きますが、「現場に成果を還元しろ」という言葉は聞きません。調査対象は研究者にとって消費するもののようです。


追記  東北の被災地に行く研究者も同様です。現地で活発に活動し発言している人の所へは、多くの研究者が訪れるのでしょうが、訪問調査後の関係が持続する例は少ないようです。現場から離れた途端に、現場は調査対象「物」であって、研究報告する学界という自分の世界の外になってしまうということです。



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by maystorm-j | 2014-08-13 07:21 | 社会 | Comments(0)


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