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2012年 07月 25日
人は一人では生きられない・・・かな?  7月25日 2012年
動物である以上、食物連鎖の中でなにがしかの他の生き物を喰らい、己の命をつないでいく。多くの植物のように、炭酸ガスと水と光で栄養を自作できない。昔々ある時にオスメスができ、それ以来多少なりとも自分と異なる異性とめぐりあって子孫をつくる。自分と違う存在を受け入れたり、違う存在から気に入られなければならないという面倒な事になってしまった。そんな、生物学の目から見れば、「人は一人では生きられない」という言葉は疑いもなく受け入れられそうな気がしてきます。

「みんな違ってみんないい」なんて標語をつぶやいても、まわりと違う人は孤立する。ほんとうに孤立して困るのは、病気や怪我、災害、そしてお金がない時なのですが、「人は一人では生きられない」と言われ続けていると、ふだん普通に生きていても不安になります。ご丁寧に、「人という字は、1人と1人が寄りかかり合っている状態です」なんて解説されると、寄りかかる相手がいない人はますます不安にかられるのではないでしょうか。どこから見ても人間としか見えないのに、人間らしく生きていないかのように思わされてしまいます。「絆がだいじ」なんてメディアで連呼されると、もう大音量で不安狂想曲が頭の中に鳴り響いてきます。

子どもの自殺にたいし、有名人が「君は一人じゃない。何でも話しなさい、ボクがついている」なんてメディアに登場します。そうか、やっぱり一人でいちゃあいけないんだ。それにしては近所のおばあさん達はご亭主が先立った後、のびのびと暮らしている。仕事に失敗したお父さん達の自殺も多いですね。友達がいないと人間は死ぬのでしょうか。だからお前は所詮その程度の人間なのだ、と言われれば沈黙するしかありませんが、これまで親友と呼んだり呼ばれたりする存在をもったことがありません。そんなんじゃあダメだといわれても、とりあえずこの齢まで生きてきてしまいましたし、いまさらジタバタして親友づくりでもないでしょう。老後のひまな暮しには入れそうもありませんしね。

いじめが問題になっていますが、少数者の味方という意識もあまりありません。私自身がたぶん少数者なのでしょう。水と油を混ぜてよく振ると、とりあえずモヤモヤと混ざり合います。その時に乳化剤が入っているとマヨネーズみたいに混ざった状態で安定しますが、そうでなければ静かになるにつれて油は油同士でくっつき、次第に大きな塊になって、最後は水の上にべったり蓋をしたように乗っかって2層に分かれます。水がほんの少しだと、振り回されて油の中を行き来し、そのうちに底で小さな粒になってウロウロしています。だからどうということではなく、少数者ってまあそんなものかな、というだけのことです。

少数者だって、とりあえず生きてりゃいいさ、と。一人では生きられない、なんて言われるのは脅されているようなもの、いや言われても何の足しにもならないかな。孤立することが怖いのは、「個立」していないからじゃないかと負け惜しみをつぶやいた事もあります。孤立して、いじめられているなら、どうせ我が身一つ、逃げりゃあいいとも思う。学校から家から地域から、逃げたっていいに決まっている。卑怯でもなんでもないのだが、今の世の中逃げ場がないのかな。監視カメラだらけの中、みんな背番号つけられてますます逃げにくくなって行きますね。それでも、ありもしないあの世へ逃げる前にどこか逃げ場を見つけられそうです。

子どもの数が少なくなって、一人のこどもに大人の目がフタオヤ・ヨンジジババの6人がかり。小さいときから押し入れに隠れたって見つかってしまう。一日中かまわれてモノを与えられて、一人遊びする間もない。好奇心と想像力に溢れた秘密の隠れ場所をつくれなくなってしまいました。学校は塀に囲われて裏山に逃げられない。ちょっと違う動作をするとお友達の相互監視レーダーに引っかかってしまいます。何たって、小学校に入学するかしないかといううちから、こんな歌を歌わされているんですものね。





子どもの世代の歌で、私が子どもの頃はなかったためか、頭の中ではこの二つの歌がごっちゃに混ざって、一年生になったら友達が百人できて、みんなでクシャミする歌だと思っていました。
友達いない恐怖・・・高校野球の季節。そしてオリンピック。

by maystorm-j | 2012-07-25 08:11 | 暮らし


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