2012年 06月 30日
6月29日、東京では首相官邸前を、「大飯原発再稼働反対」の声が埋め尽くしていました。私はIWJがネット配信するいくつもの映像を見ながら夕食後の一仕事。予想された事とはいえ、すごい人出と熱気がパソコンの画面からでも伝わってきます。インタビューする岩上氏もマイクを向けられた一般参加者も、映像からや個人的に知っている政治家も、高揚感が言葉に溢れていました。 それで私はと言うと、前日と変わらない日常。直前まで行きたいと迷っていましたが、ツイッターにやめた結論を書きました。一人の市民からの投稿に岩上氏が「そうそうそう」と反応し、そこから私が感じたものをかぶせています。 一女性のツイート/「デモUSTの視聴数が増えれば増えるほど、見てるだけの人が、運営に文句言いすぎ!!あのさ、PCの前でキーをかたかた打ってないで、いっぺん、現場に来てみ?」 岩上氏RT、ツイート/「そうそうそう」 私の返信ツイート「「そうそうそう」の一言で官邸行きをあきらめました。シングルイッシューに集約する事の強さと危うさ。官邸前の熱気に参加したい気持ちと地方で暮し働く身。揺れていましたが私は自分の現場で活動します。40年前に水俣の現場で学んだ事です」 最初の女性にはたぶん、唐突すぎて私の返信の意味が解らなかっただろうと思います。「??」とだけ記された再返信が送られてきました。「運営に文句言いすぎ」という言葉は、主催者側が継続可能性を重んじ突発的衝突を怖れて参加者に抑制を求めてきたことに対する、一部の参加者から不満が出ている事をさしているのではないかと想像しています。あるいは、再稼働反対以外のメッセージや参加団体が存在の主張を目的とするような発言を抑えていることに対する不満をさしているのかもしれません。 それらの不満に対し、「文句の言いすぎ」という反応は的外れとは言えないと思います。主催者は当初から「シングルイッシューで誰にでも参加できる」行動を呼びかけているので、子供の参加も見られる抗議行動であれば、抑制的になるのは当然でしょう。むしろ後段の「いっぺん、現場に来てみ?」の方に引っかかるものがあります。「現場に来なければわからない」「当事者でなければわからない」という言葉が、どれほど多く語られた事だろう。 この女性にとっての現場から、参加した当事者として発した言葉としては正当な指摘だろうと思います。しかし、現場は、無数にあってそれぞれが自分の現場から何かを表現し、同時に他の現場に対し「好奇心と想像力」を働かせて理解しようとしていると思っています。岩上氏はここでは一市民という立場で「そうそうそう」と相づちを打っているのかもしれませんが、ジャーナリストとしては安易すぎる反応に思われます。 「首相官邸前という現場」を考えると、金曜日の他にもいろいろな抗議行動が行われているようですが、それらを見る事がなかなか出来ません。「シングルイッシューで誰にでも参加できる」事が一つの表現方法であると同様、野田政権の様々な政策に対して抗議する事も重要な行動と思います。東京在住の市民にとってと、地方に暮らすものにとっての、「再稼働と他の政策」の比重には受けとめる感覚に違いがあります。しかし、IWJでは金曜日の報道と他の抗議活動の報道に大きな落差があリます。集まる人数が圧倒的に異なり、金曜日の抗議行動の持つ社会的インパクトの大きさから、報道姿勢に差が出るのは仕方ないかもしれませんが、逆に報道量の差が人数の差を生み出す事も考えるべきでしょう。明らかに金曜日の活動に肩入れしている以上は、運営方法に対する批判やシングルイッシューに対する問題にも、責任をもって検証する事が求められるでしょう。 「大飯原発再稼働反対」に一点集約している間に、消費増税、原子力基本法に「国の安全保障に資する」、最高検田代検事不起訴などなど、野田政権によってつぎつぎと犯罪的な動きが進められました。大飯原発再稼働が政権側の陽動作戦として機能しています。結果的に、官邸前抗議活動が壮大なガス抜きに終った後で気がついいたら、国民の暮しがズタズタにされてしまっていたということになるかもしれません。金曜日の主催者の一部には、昨年春以来その背景に疑問を感じ、その活動が「怒りの発散」を狙っていると感じてきた団体があり、また過去の様々な社会運動と公安・米国との関わりを思い返すと疑問符をつけながら注視していかなければならないと思っています。 29日、東京行きをやめて仕事のあいまに、いつものとおり東北の被災地住民で、町と暮しの復興をめざして個人的に走り回っている同年輩の男性のブログとツイッターを読み、たまたま送られてきたやはり同年輩の被災女性の手紙を読み、27日に地元で行われた鎌仲監督映画上映会とその後の監督を囲んでの集まりを思い返してツイートを書いていました。それぞれに現場があり、それぞれに活動しています。シングルイッシューへの集約には、地方に暮らす者としての違和感があり、さらにその延長上に選挙の投票をと言われると、違和感はもっと強くなります。 シングルイッシューでの選挙というと、やはり小泉郵政選挙を思い出します。熱狂的に支持され、異論を排除し、反対する候補者を落とすために刺客が送り込まれました。イッシューが正しければ許される方法なのか、疑問が残ります。「虫の眼と鳥の眼」という言葉があります。地べたを這い回る虫のように一つの問題一つの視座にこだわり暮しの中から見つめる姿勢と、鳥のように上空から全体像を俯瞰する眼の両方が大切だという事でしょう。 大飯原発の再稼働が政府・官僚・日本の支配構造にとってどれだけの意味があるのか。ここまで書いてきたような懸念が吹き飛ぶ程の大衆的大結集で、たとえ大飯原発がダミーであろうとその背後のシステムが変えられればいいじゃないかと、安富歩氏はIWJ鼎談で抗議行動の直前に語っています。戦術的なレベルでの功罪になると、私は何か言えるところにはいないと感じます。 余裕があれば、プラッと参加するかもしれません。私の世代にとって、デモに参加する事に特段のハードルも恐怖もありません。年のせいで耳が遠いのだろうと言われそうですが、ちょっとうるさすぎて、隣の人と話が出来ないなあという不満があるくらいでしょうか。官邸前では野田首相に抗議するという趣旨から、あっち向きの一方通行表現は仕方ないのでしょう。「怒りのドラムデモ」のように、誰に向って何を伝えたいのか解らず、ただ威嚇しているような表現もあります。
by maystorm-j
| 2012-06-30 10:33
| 社会
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