2012年 06月 12日
一ヶ月以上のブランクになってしまいました。今は梅雨空になりましたが、春の訪れが遅かった後もどこかいつもの年とは違う季節の流れを感じながら、本業に追われていました。異常気象と言うほどのはっきりした数字が何かの指標に見られるわけではありませんが、花々の咲く順序が狂っていたり、夏鳥のさえずりが遅れたり、田舎の暮らしではいろいろ感じることがあります。自然は日々歳々、違う顔を見せます。 ツツジが終わりに近づき林にはヤマフジの薄紫、道ばたにはニセアカシアの白い花が甘い香りを漂わせています。自然をどのように受け止めるか、人それぞれです。里山の斜面を紫に彩るフジの花を美しく感じ、鳴きながら飛ぶホトトギスの声を歌に詠む人もあれば、フジの蔓にからめとられ、枯れ倒される木々を見て山が荒れていると感じる人、ホトトギスの托乱という習性をずるいと思う人もいます。ニセアカシアは外来種で、比較的荒れ地でも生育出来て、天敵が少ないのでしょうが、ほっておくとそれまであった在来種に勝ってどんどん増えて行きます。行政が主導して伐採しようとすると、良質の蜂蜜が大量にとれるため、養蜂業者からの思わぬ反対に遭います。 人里の自然は利害関係者の考え、法や制度、観光や市民運動、、、様々な思惑のなかで、管理して行かなければなりませんが、これがそんなに簡単な事ではありません。土地の所有者が好きなようにしてよいとも言えないし、これこそが本来の自然のあるべき姿と自然愛好家や研究者が決めつける事もできません。里の身近な自然といっても、わからないことだらけなのです。人目に触れて知られている部分はそれほど多くなく、通りがかった家の玄関先から何か視線を感じて、挨拶しようかと振り向いたらカモシカがじっと見つめていたり、道路わきのU字溝から覗いていたのがアナグマだったり、頭上近くを後ろから静かに羽ばたきながら追い越して行ったのがフクロウだったり、未知の経験はいくらでもあります。まして、土の中でどんな営みが続いているのか、ミミズや昆虫、菌類、バクテリア、モグラやネズミ、ほとんど何も解ってはいません。生き物は土から生まれ土に帰ると言いながら、実はわからない事ばかり。 巨大な津波がやってきて、そこに住んでいた人々の何代にもわたって馴染んできた身近な自然が根こそぎ流された跡を4月に見て来ました。瓦礫もあらかた仮置き場に移され、市街地や田畑だったところが裸地となって延々と広がっていました。東北ではバッケとよぶフキノトウの季節で、植物の芽生えには早かったせいかと思っていましたが、津波の跡地にはいると色数が極端に減ってしまいます。うすい黄土色から灰色の世界が広がります。土がないのです。家も木々も看板も、暮らしの色、何かを主張する色のあるものが無くなり、それらが生まれてその上にあり続けた土がない。地面と土は違う、あたりまえのことですが、なくしてみて気づく迂闊さ。 日本の自然を支えてきた土壌の豊かさ、生産性の高さはこれまでなんども書いてきました。風土という言葉がありますが、日本の気候はひじょうに変化に富み、豊かな降水量と寒い季節でも恵まれた日射量が生物活動を支え、その結果土壌が発達し、それがさらに多様な生き物を生み出しています。私たちが国内で純然たる荒れ地を見る事は意外と少ない。川が氾濫しても、山間部ではその面積はそれほど大きくはなく、氾濫が広がる低地では上流部から土が運ばれてきます。下流に発達した都市部では氾濫原を見る事もありません。 火山噴火による火砕流ぐらいでしょうか。私はいま標高1000m、なんども繰り返された火砕流や降下噴出物の上で暮らしていますが、日本の気候はその火砕流をも数十〜百年で緑豊かな大地に変えてしまいます。さらに4~500m上ると荒涼とした荒れ地が広がっています。もともと人々が暮らし、様々な生産活動が営まれてきた海岸部の平地が荒涼たる広がりに一変し、その光景が延々と繰り返される。道が高台に上がるとそこはたぶん以前と何ら変わらないが、平地に下りるたびに一変する光景。火山山麓に暮らす私にとっては、似ているようで逆の繰り返しです。 田畑の復旧のために、山から土をもってくる計画もあるようです。飛んできた植物の種と水と砂礫からゆっくりと土が形成され、その土の中で様々な生き物が営みを繰り返し、地上部での動植物・人間の生命を支えるようになって行く事を待っている余裕が、人間にはありません。津波の跡地を覆う黄土色〜灰色の層の下には、年月をかければ豊かな土壌に変わって行く可能性のある地層が残っているかもしれませんが、それを待っている事ができるのでしょうか。瀬戸際の追い込まれている日本の農業、海外に流出して行く工業。そこに円高の波、追い打ちをかけるTPPの恐怖。荒れ地を再生する力が残っているのでしょうか。 人の命、家、商店街、工場、港、多くのものを津波は持って行ってしまいました。土が残り沃野が広がっていれば、人々はそこに再生の夢を描きやすいのかもしれません。何かとっかかりのない光景が広がり、豊かな緑が残る高台と一年前まで暮らしていた場所との間で、身の置き所に大きな戸惑いを感じていることと思われます。
by maystorm-j
| 2012-06-12 05:53
| 社会
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