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2012年 03月 24日
「わたし、子どもをうめるの?」という問い  3月24日 2011年
「わたし、子どもうめるの?」と子どもが聞く。「もう子どもをあきらめます」と若い女性が言う。直接問いかけられた事はありませんが、報道されるその言葉を聞く事はつらいものです。その言葉を反復し、そのまま東電や政府にぶつけてその責任を問うということをしてもいいのだろうか。あるいは、問いかけた子どもや若い女性に自分を同化させて、悲しんだり憤ったりしてもいいのだろうか。

「生んでいいの?」という問いに、もし私が答えなければならないことがあったら、その答えは一つしかない事を解っています。先天性の障害をもつ知人が何人もいます。一つしかない答えを、胸を張って言えるようなつきあいをしてきたのか、そんな社会をつくってきたのか。

40年前、ユージン・スミスさんが撮った胎児性水俣病の若い女性と母親の写真、その母親の「宝子」という言葉に接しました。その写真は水俣病を伝える象徴として多用され、その後ご両親の希望に従い、アイリーン・スミスさんによって封印され、今は見る事ができません。それについては、原田正純さんの記述などを、ネットや本で調べて下さい。答えを求め続けてきた人達の、一つの軌跡を見る事が出来ます。

最初に掲げた子どもの問いについて、知人に一言話した事があり、Twitterにも一度書きました。言葉足らずだった思いがあります。それ以来いつかきちんと書かなければならないと感じながら、結局充分に語りきれません。考え続けなければならないし、他の方々がどう考えるかも聞きたいと思っています。

by maystorm-j | 2012-03-24 05:58 | 社会


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