2011年 04月 28日
エネルギー政策変換・・・住民自身の選択を待つこと  4月28日 2011年
原発に依存するエネルギー政策の変換を語る人が増えています。原発をとめたら、「寒い、ひもじい暮らしに戻る」という脅しから解き放されて、自由に考えられるようになってきています。街頭で繰り広げられるデモの映像からは、新しく反原発に集まってきた多くの若い人たちの姿が見られます。一方では以前から原発の危険性を告発してきた団体などが行っている学習会や講演会の映像では、白髪と光る頭皮が目立ちます。別に批判しているわけではありません。往復の交通費と時間を惜しんで、どちらにも行かずにパソコンで見ている私に批判する資格はもちろんありません。どちらの集まりに対しても、ありがたいなあと思っています。

4月4日の記事で紹介しましたが、原発に対する疑念を表明していた孫正義さんが、22日に自由報道協会で記者会見し、私財10億円を使って「自然エネルギー財団」を作る事を表明しました。そのこと自体は、少し前からtwitter などでも語っていた記憶がありますが、その記者会見ではさらに「東日本ソーラーベルト構想」など、財団での研究啓発から一歩進めた話がいろいろでていました。

環境エネルギー研究所の飯田哲也さんの講演もネット・メディアなどで見られるようになりました。「自然エネルギー財団」も「環境エネルギー研究所」も、知らない事が多い私にとって、そこから発信されるものを見たり読んだりすれば、きっといい勉強になるだろうと期待しています。だまされてきたという反省が少しでもあればなおのこと、多様な選択肢を持つための確かな基本情報は必要不可欠と思います。

情報源としての期待の大きさの一方で、はたして自分が望んでいるものは、東北の太平洋海岸に延々と続くソーラーパネルや、一つの県に何1000本も立ち並ぶ風車の景観だろうかという疑問も起きます。私がひねくれているのかもしれませんが、東京のために原発を作るかわりに、安全ではあるがまた何か新しいもものが押し寄せる印象があります。大量に作る事がコストダウンにつながる事は理解できますし、孫さんが起業家として大規模な事業を開発する事も悪いとは思いません。地元住民の選択が保証されること、と言えば簡単に聞こえますが、都会で考えるようには、地域社会で自由に議論したり選択したりはできません。この災害でしきりに言われる「絆」には「縛り」というマイナス面もあります。その事はもちろん田舎に住んでいる私たち側の問題なのですが、自立した「個」という意味では、地域社会は成熟していないのが現状です。

では、田舎はダメな社会なのかというと、都会にはない独自の文化や暮らしや生業が地域ごとにあり、歴史的な景観や保全する価値の高い自然があります。都会の計算で一律に押し進められる事に抵抗を感じる最大の理由です。復興会議とやらで、たんなる復旧ではない新しい都市計画が提案されるのかもしれません。未来都市、未来建築・・・・私の町にも誰が設計したのか知りませんが、明治以来の木造洋風の駅舎にかわって、莫大な税金を使ったコンクリートの近代的駅舎がそびえています。

被災したそれぞれの地域がどのような社会を設計するのか、そのためのエネルギーを含むどのようなインフラを望むのか、急いだり上からおしつけたりは控えた方がいいのではないでしょうか。今はまだ、地域社会が崩壊していて、住民自身が設計に加われない状態です。自治体の長だけが参加しても、これまでの原発を含む都会からの押しつけが、繰り返されるだけです。
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by MAYSTORM-J | 2011-04-28 09:17 | 社会 | Comments(0)


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