2011年 04月 15日
封じられる自由 その8・・・なかば強制される義援金  4月15日 2011年
国会は、参議院で「国際支援に感謝する決議」を、全員一致で可決したが、衆議院では自民党の対決姿勢で見送られたという。一瞬、野党側が多数の参議院で見送られたのかと、記事を読み直したが、参議院は可決、衆議院は見送りで間違いはありませんでした。国会というところは、よくわからないところです。感謝の決議に、「海外の皆様からたくさんの義援金をいただきましたが、まだ一銭も配っていません」と付記するべきだと思います。

日本は太平洋にある日付変更線に近いので、3月11日の午後に起きた惨事は、その日のうちに世界中が知る事になったでしょう。海外から素早く多くの義援金が寄せられたにちがいありません。いっときでも早くと思って寄付を集めた事でしょう。1ヶ月以上が過ぎた今日でも、まだ10万人を越える人々が避難生活を送っています。食事の質や着替えの不足など、お金で改善出来ることはたくさんあります。自分たちが集めて送ったお金が、被災者にまったく届いていない事を、海外では報道されているのでしょうか。被災者の中から、自殺する人が出ているのではないかと、心配する声が聞こえるようになりました。

先週末の事ですが、町内会の役員が義援金集めにまわって来ました。10軒ぐらいの班単位で行われますから、お互い顔見知りです。お金を入れる箱と、横罫のある紙とボールペンを持って・・・これは歳末助け合いの赤い羽募金と同じスタイルです。お金を手渡しする前に、紙に名前と金額を自分で書くのも、同じです。紙の最上段に最初に書く人が、高額の金額を書くと、その後何人かは「上へならえ」で高額の寄付をすることになります。途中から低い金額を書くのは、ちょっと勇気がいります。勇気のある人が自分より前にいないと、困る人も当然います。

このブログでは、すばやく現地に行って被災者の支援にあたっているいくつかの団体を紹介しました。カンパを送ると、領収書を送ってくれます。中には、活動報告の印刷物が送られてくるところもあって、あまりにも小額のカンパが恥ずかしくなることもあります。都会では一軒ごとにまわるような義援金集めはやっていないのかもしれません。私が30年余り住んできた軽井沢というところは、夏になると「東京都軽井沢町」だと威張っている人がいます。都会から来た人に「市役所はどこですか?」と何度かきかれました。そのたびに「町役場は」と言い返します。人口2万人足らずの田舎町と高級?リゾートが、住民の意識の中でも混在しています。

マスメディアから、「絆」を賞賛する、あるいは強制するような論調が聞こえます。宮台真司さんが、「絆のコスト」という話をしていました。絆にはコストがかかる、絆を強調する人は、そのためのコストを払う覚悟がありますか?ということです。非常時には絆が人を助ける事があります。しかし、普段は煩わしい事もたくさんあります。絆に助けられたり、そのコストを払ったりするのは、お互いに顔の見える小さな地域社会の中でのことです。町の役場か社協か赤十字か、誰が「言い出しっぺ」か判らないまま、地域社会の外から(上から)コストを強制されると、それは違うのではないかと感じます。

なかば強要された義援金でも、いつかは何かの役に立つかもしれないと思いながらも、被災地には一銭も届かないまま、今夜も体調を崩して死んでいく人や、自殺を考えている人がいるのではないかという想像、あたらない事を願っています。
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by MAYSTORM-J | 2011-04-15 23:10 | 社会 | Comments(0)


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