2011年 04月 14日
飯舘村のこれから・・・「計画的避難」と再生  4月14日 2011年
昨日4月13日、衆議院第2議院会館で「2011/4/13 原発震災から子どもたちを守れ! ~専門家・市民による独立放射能汚染調査報告と要請~」が、飯舘村後方支援チーム、福島老朽原発を考える会、国際環境NGO FoE Japanの三者の主催で開かれました。飯舘村の現状とこれからとりうる方向性など、かなり突っ込んだ報告がありました。2時間近い中継映像原子力資料情報室で見られます。

飯舘村はご存知のとおり、「屋内退避」を指示された30km圏の外にあり、230平方キロに6,000人あまりが住み、「飯舘牛」を特産品としています。3月28,29日には、京大原始炉実験所の今中哲二さん等、研究者5人による放射線量率の測定が行われ、原発から距離があるにもかかわらず、強い汚染が確認されています。上記の集会の共同主催者である「飯舘村後方支援チーム」が、原発事故以前から村作りについて、行政や住民との絆があったこともあり、放射能汚染に対する研究者の測定報告を受け止め、地域社会が「自己判断・自己決定」する能力を保っていると思われます。突然の「避難指示」で散り散りになってしまった20km 以内と違い、汚染が強いにもかかわらず、政府が無意味な同心円で指示を出した事が幸いしたとも言えますが、そのぶん住民には被曝が累積してしまったとも言えます。

「計画避難」ということで、村は現在きびしい判断を迫られています。汚染は一様ではなく風が南東から北西に吹いて汚染が進んだと思われるため、南部と北部では汚染度に大きな違いがあります。まとまって避難できるのか、生活・仕事、特産の「飯舘牛」をどう残すのか。高い汚染地域はすぐには戻れないのはあきらかで、村の外に分村を作るのか、汚染の低い地域を中心に再生を図るのか。様々な選択をこれから下していかなければならないのです。農地・農産物の汚染だけが現在問題になっていますが、村全体では里山がしめる割合が大きく、集会の報告では森林土壌の汚染が今後どのように流出してくるのかも問題になっています。

私が仕事場を借りている軽井沢町大日向というところは、50kmほど南にあった大日向村から戦前、中国に開拓団としてわたった人々が、敗戦でもとの村に戻れず、軽井沢の浅間南麓に新しく開拓で入って作った集落です。60年以上たった現在でも、自然発生的に発達した地域社会とは違う自治意識がいくらか残っています。中国侵略にともなう開拓団の「分村」の他には、明治維新後に東北など幕府側についた藩から北海道などにまとまって開拓にはいった分村の歴史もあります。

村の住民・行政が今後どのような選択・行動をとるのか、村を良く知る支援グループや研究者がどう支えていくのか、さらにその外にいる私たちがどのようにかかわっていくのか、飯舘村のこれからは原発災害からの再生のモデルになる可能性があります。

(最初に紹介しました報告集会の映像は、最後まで重要な問題が語られています。時間のある時にご覧いただければと思います)
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by MAYSTORM-J | 2011-04-14 06:15 | 社会 | Comments(0)


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