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2020年 08月 03日
作業場の火災  日々の営みはたくさんのつながりの中で・・・


この春、久しぶりに再開したこのブログも、6月の初めから2ヶ月近くお休みしていました。6月半ばに仕事の作業小屋が隣からの類焼で丸焼け。後片付けと仕事の再建で一月、まだまだ本調子とは行きませんが、制作を試行錯誤で再開しています。

以下は、仕事の方のブログ7月30日の記事の転載です


今朝3時に起きると、なんだか寒い。最低気温15度台。昨日も16度台で、最高気温は23度。酷暑が続くと地球温暖化と騒ぐマスコミも、こんな時は何も言いません。冷害、日照不足が農業生産に大きく影響しても、農業人口が減り、食物の自給率がここまで下がると、一般の人は関心がないのでしょう。感染対策で経済を破綻させて借金でお金を配る。そんなことが長く続くはずもないし、続ければ国も国民も外国から食料を買う力がなくなるでしょう。外国だって、パンデミックと気候の悪化で食料生産が減る可能性があります。売ってくれるとはかぎりません。食料を買う代わりに相手に売れるものを作っているでしょうか。技術の劣化、生産性の低さ、外国と太刀打ちできるものづくりなんてとっくになくなっています。勤勉で上の言う通り働く労働力を売ることになるのでしょうか。すでに色々なところで、外国企業の下請け化が進んでいるようです。若い人は海外へ出稼ぎに? 井の中の蛙から脱却するにはいいかもしれません。


写真は今朝3時の天気図です。今年は台風の発生がひじょうに少ないことにお気づきでしょうか。春から7月末までに、例年なら5~10個の台風が発生しますが、今年はわずか2個のみ。エルニーニョ? 台風が発生する海域の海水温が低いのでしょう。熱ければ騒ぐマスコミも黙っています。オホーツク海高気圧が南下して、東日本は気温が下がっています。東北では冷たいヤマセが吹き込んでいることでしょう。この半年、売り場からマスクが消えたり、ラーメンやスパゲッティーがあっという間に消えるのを見てきましたが、凶作の予想が発表されたとたん、米も消えるかもしれません。人々がそれぞれの場で営々と続けて来た生産、お互いに供給や流通の緻密な網で支えて来た商業、日々の営みを支えて来たサービス業、それらの総体が経済と呼ばれるものの実体で、安易にお金を配って止めてしまえば、簡単に回復するものではありません。火事で1ヶ月近く制作を止めていましたが、火事の後片付けを手伝ってくれた人、作業場の再建を手伝ってくれた人、再開の記事を喜んでお祝いしてくれる人、再開第1作の写真を見て涙がでるほど嬉しかったというメール、第1作が店頭に出るのを待ってその日に購入してくれた人、そんなたくさんのつながりは、たとえ休業補償が出るとしても仕事をやめてしまえばすべて消えてしまいます。経済より命が大事だと言葉の上だけで言うのは、お金さえ配ればなんでも片がつくとでも思っているような気がします。

以上、転載部分。


8月に入って、梅雨前線が消えて晴れ間見られますが、小笠原気団が強くなって梅雨前線を押し上げたわけではなく、まだ豪快な夏空にはなりません。今朝も気温17度でひんやり。こちらのブログもポツポツとではありますが、続けて行きます。



# by maystorm-j | 2020-08-03 08:39 | 社会
2020年 06月 06日
スウェーデンはノーガード戦法ではない  国民の納得する対策
スウェーデンはノーガード戦法ではない  国民の納得する対策_d0164519_07494009.jpgスウェーデンの対策が日本のマスミディアでは、あたかもノーガード戦法のように報じられることがあるようです。レストランで食事と会話を楽しむ光景が掲載され、感染を進行させて国民の6割が抗体を持つことで流行を収束させる「集団免疫作戦」をとる特異な方針として紹介されます。その結果、周辺諸国にくらべてひじょうに多い死亡者が生じて、国民の一部は恐怖のどん底で民意が分裂しているかのような書き込みがネットでも見られます。その一方で、首都のストックホルムでは抗体獲得率が進み、5月中に集団免疫の状態に達するのではないかとも言われていましたが、政府はもう少し遅れることを認めています。西欧の流行が山を越えてロックダウンが解除されていく現在、今後起きるかもしれない第2波の流行に備える意味でも、スウェーデンの実情がどうなのかを考えてみたいと思います。

周囲の国々といえばノルウェー、フィンランド、デンマーク。スウェーデンの人口が1,000万人を越えるのに対して、他の三国はほぼ半分の500万人です。首都圏への人口集中は多くの国で総人口の約2割ですが、コペンハーゲンは対岸のスウェーデン国内を含めた大きな都市圏を構成しています。石油資源、農林業などの一次産業と、従来からの電気、自動車、兵器などの工業と、スウェーデンではサービス業が増えていますが、この4カ国間でCOVID-19の流行を比較することが無理というほどの違いはなさそうです。ただし、人口規模が他の三国にくらべてスウェーデンが2倍ですので、人口当たりの感染者数や死亡者数で比較しなければなりません。

目にする多くの統計が、国別の感染者や死者の合計ですが、私が毎日見ている「国別の人口あたりの感染者数と死者数」のグラフがあります。それで見ると確かに周辺3国に比べると、スウェーデンの感染者も死者も多い。低い順にフィンランド、ノルウェー、デンマークでスウェーデンはフィンランドの約3倍、デンマークの1.8倍。世界のトップクラスですが、アメリカ、ベルギー、スペイン、イギリス、イタリアなど、スウェーデンより多い国もあります。都市のロックダウンをしなかったからといって、飛び抜けて感染が拡大しているとは言えないでしょう。人口当たりの死者数も同じような状況ですが、下降気味の横ばいで明確な減少とも言えず微妙なところです。スウェーデン政府はロックダウンを行う権限を議会から与えられていて、医療崩壊が起きるようであればいつでもロックダウンをできることになっています。毎日の記者会見で医療の余裕が公表されていて、国民は政府の方針に納得しているようです。日本のマスミディアの取材は最初から物語や絵を設定して、それに合う事象を取り上げますので、できれば現地でどう報道されているのかに当たらなければなりません。スウェーデンに移住したエンジニアが現地の暮らしを以前からYouTubeにアップしていて、この2ヶ月ほどは丁寧に政府の対策や感染の状況、日常の暮らしをリポートしています。代表的な動画を一つ紹介しますが、時間のある方は「スウェーデン移住チャンネル」から前後の動画をご覧ください。直近の世論調査では、政府とその対策に対する国民の支持は増えていて、移民難民を差別する極右政党は逆に支持を減らしています。国政選挙の投票率は85%と高く、政府はいくつかの政党の連立で、協力政党もあり、政府が民意を反映しているという点でも他の西欧諸国やアメリカ、日本とはかなり違います。延命治療が少なく、国民の死生観の違いもあるようです。ただし、直近の動画では、政府の支持率が下がり、方針も修正される可能性があり、今後も注目が必要です。

政府は「集団免疫作戦」をとるとは言っていないようです。経済にも人権にも配慮しながら、感染拡大を遅らせてカーブをなだらかににして、医療崩壊を避けるとしています。これまでの死者の多くが高齢者施設に集中していて、現在はその対策が強化されています。感染者と死者の増加カーブも、他の西欧諸国同様、なだらかな台地状のカーブになり、拡大は収まってきています。5月初めまでの抗体獲得率は5〜6%らしく、スペインでも5%と、当初考えられていたより低く、6月初めでは20%ぐらいだろうと推定されています。東京でもさらに低く、武漢でも現在見つかる無症状感染者が少ないことから見ても、このウィルスの感染力は意外に低いのかもしれません。非感染者をロックダウンや自粛で閉じ込めるよりは、ハイリスクの人々や医療従事者、流通、インフラや生活必需品産業従事者を対象とする対策が望ましいのではないでしょうか。最近の統計を見ていると、当初は否定された季節性、冬に流行し夏に減るということも否定できない気がします。日本人の民度が高いとか、真面目で清潔好きの生活習慣とか、まったく根拠もなく諸外国のデータとも一致しない嘘に安住せず、合理的な対策を立てておく必要があります。






# by maystorm-j | 2020-06-06 07:50
2020年 05月 29日
「日本すごい」の怖さ  静かに落ち着いてリアリズムに戻りましょう
軽井沢と言うと、いかにも金持ちと文化人に溢れる町と思われそうですが、所詮は信州の片隅の田舎町です。土日祭日は国道やスーパーの駐車場に高級外車がたくさん見られますが、町民の多くは軽自動車・軽トラ。目立つ車には乗りたがりません。本屋はガラガラどころか、しばらく前は数年のあいだ本屋のない町でした。15km先の隣町まで行かないと本が買えない。注文しても二週間かかることが多く、ほとんどネットで買うことになります。最近は、東京に出かけても電車内で本を読んでいる人は1割ぐらいしかいませんが、もともと電車通勤が少ない田舎ではほとんどの人は本を読みません。狭いゲージの中で与えられる人工飼料だけで育つブロイラーのように、テレビから決まった餌を与えられています。街を歩かない。自分から情報を探し求めることが少ないし、多様な人々や社会に接して刺激を受けることをむしろ避けて、周囲と同じであることで安心します。

「日本すごい」の怖さ  静かに落ち着いてリアリズムに戻りましょう_d0164519_08265953.jpg日本中の田舎はどこも似たり寄ったりでしょう。目立つことをせずに、テレビの言うことに従い、自分は「フツー」であると信じ、フツーでない人を無視します。世の中がフツーに動いている間は、フツーでない人をわざわざ叩くような目立つことはしませんが、世間が騒がしくなると群れからはみ出さないように同調する焦りにかられるようです。恐怖心や嫌悪感が表に出てきて、同調圧力を強化するのですが、恐怖や嫌悪の対象を冷静に見定めることはなく、群れの中心へと頭を揃えて、恐怖や嫌悪の対象を後ろ足で外に蹴り出そうと、それもおたがいに隣に合わせて。噂が伝わるのもとても早いです。「隣は何する人ぞ?」の都会と違い、テレビが「国民一丸となって」「力を合わせて」などと言い出した時の恐ろしさは、田舎ではひしひしと感じられます。

こんな精神風土の中、COVID-19が静まりつつある状況で、首相もマスメディアも巷の井戸端会議でも、「日本人の衛生習慣が感染拡大を抑えた」「真面目な国民性が自粛をささえた」・・・「日本すばらしい」「奇跡の国ニッポン」のうような賛辞が溢れています。安倍首相の対策は人気がないようですので、そのうち「神風が吹いた」ということになるかもしれません。感染が少なかったのは、ほんとうに日本だけの現象なのでしょうか。最初の流行地中国では武漢・湖北省の感染爆発が報じられましたが、人口あたりの感染者数(感染率)を見ると、中国は日本より低く、さらにベトナムや台湾はまさに奇跡的な低さ。どこの国民が一番真面目か、なんて測定しようがないことに原因を求めても、いずれ手前味噌の議論になるでしょう。数年前の映像を中心に、中国・台湾の食を紹介するテレビ番組を100本以上YouTubeで見ましたが、食習慣や衛生習慣は地方様々。様々な生活を営んでいる東アジアですが、いくつかの例外もありながら、今回の感染症には強いようです。

感染拡大の初期から、BCG接種と感染には負の相関が見られると、医学界以外から指摘されていました。出身民族の遺伝的資質との関係を示唆するものもありました。最近では、風邪やインフルのコロナウィルスの仲間で、無症状かごく軽い症状のまま近年東アジアに流行したコロナウィルスによってすでに抗体を持っている可能性や、そのウィルスの突然変異で今回のパンデミックが起きたと想像するものもあります。話は外れますが、医学会では今も何の疑いもなく「人種」という言葉をつかい、「人種の違い」による感染リスクや重症化リスクの差を説明しようとする研究者が多く見られます。医療従事者やその家族を差別しないようにと声明が出ていて、全くその通りなのですが、医学が差別を生んできた過去の歴史に対する反省が弱いのも事実です。感染の収束は「日本人がすばらしい」からと言うのは、広く周囲の現実を見ず、他国に対する間違った優越意識により差別を助長するものです。

メカニズムの解明はワクチンや治療薬の開発には不可欠のものです。しかし一方で、メカニズムは不明でも患者の全体の状態を改善する漢方(中医)も効果が認められています。社会的現象としてのパンデミックであれば、社会全体を俯瞰して、様々な研究や議論が社会全体で起きている現象をどれだけ整合的に説明しうるか、メカニズムの合理性以前にマクロな視座からの検証が重要です。偏ったメンバーの専門家会議や批判力のないマスメディアには、全体の風景が見えていないようです。まして、対策による社会への影響など、医学者が医学者の立場で論じる問題ではなく、もし論じるなら一市民の立場にもどって話していただきたい。議事録さえ作らない専門家会議によって、国民の生活が支配され、その脅しで末端の市民社会では同調圧力が強くかけられる恐怖。今こそ・・・いえいえ、社会がどう騒ごうと現実をクールに見ることに徹しませんか?


# by maystorm-j | 2020-05-29 08:27
2020年 05月 24日
獲得免疫の議論と自然免疫の存在、季節変化について
獲得免疫の議論と自然免疫の存在、季節変化について_d0164519_06113598.jpgCOVID-19のパンデミックが起きて、集団免疫ができると感染はそれ以上広がらないという話をはじめて聞いた人も多いと思います。一つの社会の中で、6割程度の人が感染して抗体を獲得すると、流行は収まるという理論です。これまで、インフルエンザではそのような現象が見られたのかもしれません。残り4割の未感染者がいても、流行が収まるという数量モデルによる解説もできるようですが、モデルが成り立つにはいろいろな条件や仮定が必要なのではないでしょうか。その点について、医学者でも疫学者でもない私には説明できませんが、過去の歴史を俯瞰することで感じる疑問が多くあります。

たとえば、ワクチンのない感染症で人口の6割が免疫を獲得するには、それだけの人が感染しなければなりません。SARSのように、今回のウィルスにごく近縁のウィルス感染症では、集団免疫の形成とは関係なく収束してしまいました。致死率が極めて高い感染症では、集団免疫の獲得という戦略は無謀すぎることもあるでしょう。毎年インフルエンザは発生し、ワクチンを受けた人も一部は感染します。一方ではワクチンを受けず、近年インフルにかかったことがない人でも、インフルの流行年にもかかわらず感染しない人もいます。流行年でも感染割合は人口の1〜2割程度、6割が感染して免疫を獲得する状態に至る前に流行は収束します。

私はこれまでインフルエンザにかかった記憶がありません。1日で治る鼻風邪は毎年一度程度かかりますが、熱が出るような風邪はほぼ5年に1度。インフルにかからないので、ワクチンを接種した記憶もありません。もしかすると、半世紀以上前の中学高校時代に学校で受けたかもしれませんが、中高6年間皆勤でしたのでインフルを発症したことがないのは確かです。周囲の人がインフルの予防接種を受けたと話しているたびに、「インフルエンザにかかったことがありますか?」と聞く習慣があって、2〜3割の人が「かかったことがない」と答えます。年によって異なる型のインフルが流行るので、ワクチンの有効性は限られていますし、軽症で済むけれど完全に防御できるとも限りません。やはり、感染しない体質の人、感染しても症状の出ない体質の人がかなりの割合でいると思われます。

さらに、私の家系にはリュウマチや膠原病、ほとんどのメンバーが花粉症や食物アレルギーなど、免疫システムに絡んだ病気があります。花粉症は祖父の代から確かで、私も7歳から毎年苦しめられました。歳とってからのこの5年ほど、花粉症が軽くなり、体が枯れてきたのかと逆に心配です。中学生の頃から、免疫が強いタイプだと自覚していましたが、ウィルスならなんでもやっつけてしまうというわけではなく、4〜5年前の正月、ノロウィルスにやられて10日間、閉門蟄居で過ごしたことがあります。その時も、最初の二日ぐらいはゴロゴロしていましたが、その後は読書、後半はいつも通りの引きこもり仕事。今回、多くの人々がStay Homeで仕事をしたり、本を読んだりYouTubeを見たりして過ごしたのを、ちょっと先に経験したようなものです。

集団免疫とかこれから本格的に進む抗体検査は、病原体(異物)が侵入したことで作られる獲得免疫ですが、生物の体内にはもともと存在する自然免疫があります。免疫力は強い人や弱い人がいるようですが、どんな異物に対しても働くわけではなく、花粉症になる人もいればならない人もいます。食物アレルギーでは、反応する食品は人によって細かく分かれます。花粉や食物では、大量に摂取した後で抗体ができてアレルギーが起きることが、私の場合でもいくつかあります。免疫の力も一定ではなく、体調の変化で免疫力も変わるようです。日が短くなって気温が下がる秋から冬にかけては、免疫力も下がるのではないでしょうか。医学では逆に、夏は免疫力が低下すると言われているようですが、私の実感はでは活動しやすく、野菜が豊富な季節の方が体調は良くなります。いくつかの持病があり、10年間にわたって2ヶ月に一度クリニックで検査を受けてきましたが、冬になると検査値が悪くなると言う傾向が見られます。

インフルエンザが冬に集中するのはウィルスの性質と言われ、今回のSARS-CoV-2ウィルスは気温の高い地域でも流行していることから、当初は暖かくなっても収束しないのではないかということが専門家の間で言われていました。しかし、実際は3月の終わり頃から落ち着き、4月に入ると新しい感染者数が減少する地域が増えました。日本も非常事態が宣言される前から減少し始めます。感染から、発症や検査で陽性が判明するまでのタイムラグを考えると、日本ではこれがさらに明確です。どんな対策が有効だったのかは、今後検証が進むでしょう。集団免疫策をとったスェーデンでも、6割の免疫獲得にはまだ遠いのですが、他の西欧諸国同様に、新しい感染者の増加は収まる傾向が見られます。今のところあまり自然免疫についてはあまり論じられていません。人によってバラツキのある自然免疫力ですが、他の生理現象の多くがそうであるように、季節的には日が長くなり気温が上がる春に活性化するのではないかと、直感的ですが思います。気温の上昇とともに食中毒や昔からある感染症が増えるのに対抗しなければなりません。免疫力をメカニカルに解釈する医学の常識とは反するかもしれませんが、比較的自然な季節変化の中で生きてきた1匹の動物としての実感です。ある現象のメカニズムが解明されると、それ以外の部分はその現象とみなされず、現象が意味するものは狭めれられるようです。「自然免疫力」と言わずに、「自然治癒力」と言うべきかもしれません。

中国からの報告で、野外で感染した割合はひじょうに低く、ほとんだが屋内での感染と言われています。日本でも、クラスターとか施設内感染とか、問題になったのは屋内です。屋外では、人の密度も接触回数も少ないでしょうし、ウィルスに対する太陽光の働きも考えられます。はたして、Stay Homeが良かったのか、もしかすると、外に出て体を動かし、自然免疫力を活発にした方が良かったのではないかとも思います。少なくとも、人の少ない公園や山歩きを禁ずるのはいきすぎでしょう。一時的なものかどうかわかりませんが、収束に向かっている現在、どうして減少したのか、何が有効だったのか、何は逆効果だったのかを検証して、今後の再度流行する可能性に備えておくことが必要になります。




# by maystorm-j | 2020-05-24 08:19 | 社会
2020年 05月 17日
目標は集団免疫の獲得
目標は集団免疫の獲得_d0164519_05405442.jpg緊急事態宣言が国内多くの地域で解除に向かっています。新規の感染者の動静に変化があれば対策を変更することは当然ですが、具体的にどうなったら、どの程度の変更をするのか、その基準はよくわかりません。今回まだ解除にならない地域ではそれぞれ独自の基準を設けて判断する動きがあります。大きな規制では最初に取られた学校休校措置にしても、全国一律に国が号令しながら、その措置がどれほど有効に働き、どのような弊害をもたらし、その弊害に対してどのような対策を行うのかという具体性は全く見られませんでした。同時に、どのような状態になればその措置を解除するのかという具体的基準も示されていません。政府はCOVID-19に対する大きなビジョンを描くことができず、前半はオリンピックを開催したいということに引っ張られて無策、後半は一転してアメリカの圧力や世界の惨状を伝えるテレビ報道を見た上級・中流国民の恐怖心にのる形で「自粛の強制」。今回は2度目の転換点となりますので、一度その経緯を辿り、対策の内容と結果を検証すべき時期でしょう。

感染症と言ってもいろいろあり、エイズやエボラ出血熱、コレラ、ペスト、マラリア・・・感染の仕方も広がり方も様々です。その中でCOVID-19は「100年に一度の未知の感染症」として恐怖心を煽られていますが、基本的には通称「スペイン風邪」「香港風邪」「ソ連風邪」「鳥インフルエンザ」「SARS」「新型インフルエンザ」など、この100年間に度々あった呼吸器系を攻撃するウィルス感染症の一つ。SARSのように収束の理由がはっきりしないものもありますが、ペストや天然痘と違いこのタイプの感染症の対策目標は集団免疫の獲得にあると思います。病原体の毒性は中程度で、無症候や軽症の感染者も多く、完全な撲滅が困難でなので、最終的には被害を軽減しながら共存するしかないタイプの感染症。SARS-CoV-2というウィルスもそこから逸脱するものではないでしょう。

集団免疫が獲得されても、流行すれば被害は大きく、死者も多く出ます。そのために対策は常時行われる必要がありますが、大きく二つの分類するなら、科学・医療による対策と個人・社会による対策があり、前者は専門家、後者は一般人と行政が担います。前者の内容は、検査と治療、そのためのワクチン・特効薬開発、医療設備と医療従事者の整備など。後者は手洗い・うがい・マスクのように個人的対策から、社会的距離・移動制限・ロックダウンまで様々なレベルがあります。前者への予算提供や後者の強制力などの量的決定は、本来国民がどの程度の被害を許容するかの判断から国民の合意によって決められるものと考えます。しかし、個人が自律していない日本の現状では、テレビで恐怖心を煽られた国民がゼロリスクを求めて、専門家に対する過度な期待と社会や個人に対する大きな強制力を求めがちです。

集団免疫状態にどのようにして軟着陸するかが対策のポイントと思いますが、使える手段や技術が少ないと、1918パンデミック(通称スペイン風邪)のように莫大な被害を被るハードランディングになってしまいます。水際作戦やクラスター潰しが困難になり、市中でルート不明の感染が増えた時点で、もはやゼロリスクはありえないのですから、冷静に感染による被害と対策による被害を見比べながら目標へ軟着陸する方法を考えなければならなかったと思いますが、その点では政府と専門家会議の説明と方針に納得できたことが一度もありません。政府・厚労省関連以外の、多くの世界レベルの専門家が、もっと早く検査を増やすように、早く移動制限をかけるようにとアドバイスしていたにも関わらず、政府と厚労省はその声を無視してきました。

緊急事態宣言に至る方針転換がオリンピックへの執着で遅れたことは間違いなく、もっと早ければ救えた命があることも確かでしょう。しかし、遅ればせながら宣言が出されて、自粛とはいえ強烈な経済封鎖が行われたことがよかったのかというと、別の疑問が残ります。検査数が少なく、本当の感染者数がさっぱり判らないのですが、公式に発表されているグラフを見る限り、4月の初めには新規感染者の増加は頂上に達し、以後は減少に転じているように思えます。7日に宣言が発せられなくても、しばらくなだらかな頂上が続いた後に減少したのではないでしょうか。確かに強い自粛によって減少傾向が強まったかもしれませんが、地域的な発生状況に関係なく全国一律で強く経済活動を抑えたことの影響も大きかったと思います。減少に転じる時期については各国で異なりますが、当初否定されていた季節的な影響、気温の上昇に伴って収束するインフルエンザと同じ軌跡をたどる可能性を、次回再検討して見る必要がありそうです。




# by maystorm-j | 2020-05-17 08:23 | 社会
2020年 05月 11日
パンデミックとの戦いを「戦争だ」と叫ぶことの愚かしさ  その4
中国の春節が終わった2月、ネットには中国と韓国を貶める記述があふれていました。中国に対してはウィルス製造や散布の陰謀論も見られ、韓国に対しては政権と国民をバカにする者が多数。支援物資を送る自治体や組織がある反面、優越意識丸出しで罵倒するのは個人のネットユーザーだったようです。いつから隣人の不幸を喜ぶ国民になったのでしょうか。「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と書かれて驕りが生じた頃でしょうか。北朝鮮の飢餓が報じられた時、余って処分に困っていた古米を送ればいいという話が、真面目に報道されたこともありました。
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そのうち、中国の流行はおさえられて新規の感染は減少し、韓国も徹底した検査と感染者の追跡と隔離で次第に流行が収まり、世界中からお手本とみられるようになります。今になっても検査が進まない日本は、逆に世界から対策の悪い例として見られ、ネットでは一転して「韓国にできることがなぜ日本でできないのか」と言われるようになっています。この言葉にも「韓国ごときにできることが・・・」という蔑視が含まれているでしょう。では、どうして韓国にできることが日本ではできないのか、その理由を具体的に指摘する論述は意外に少ないようです。

「ものつくり日本」とか「技術立国日本」などと上から言われるようになった頃、それはすでに衰えを自覚していたことの裏返しだったのでしょう。韓国や台湾に追い上げられているからこそ、そんな掛け声が必要だった。そして、すでに多くの分野で、ものつくりの技術は追い抜かれ、去年はコブシを振り上げたけれど、もう喧嘩を買ってももらえず、喧嘩の当事者にされてた企業は顧客を失い丸損です。

国民一人当たりのGDPは韓国に抜かれ、大学卒の初任給も追い越された現在、新しい感染症と戦う技術も意欲も上り調子の国民と、劣化を反省せず掛け声だけの国民では、エネルギーの差を感じます。長い軍事独裁政治が続いた後、多くの犠牲を乗り越えて民主化した韓国民の意識と、政権交代を袋叩きにして葬った日本国民とでは、意識に大きな隔たりがあるのでしょう。

良い悪いを問わずにもう一つ理由を挙げるとすれば、韓国も台湾も中国も戦争ができる国です。パンデミックとの戦いは戦争だと多くの国や政治家や専門家が声を挙げましたが、この三国はそれ以前からほんとうの戦争への臨戦態勢ができています。何十万、何百万という死傷者が出る戦争の可能性にさらされている国です。医師や看護師の動員、医療のロジスティックの態勢が日頃から整えられているのはあたりまえです。日本での自然災害とは桁違いに大きい犠牲者を覚悟して態勢を作っていることでしょう。それがそのまま良いこととは思いませんが、準備も心構えもないままに、上から「戦争だ!」と号令されたのでは、国民はお上が指示する作戦に盲従するか、勝手に敵を探して右往左往するか。しかしすでに3ヶ月が過ぎて、もうそろそろ国民一人一人が自身の考えつくりあげても良いのではないでしょうか。

感染症との戦いは、敵味方に別れる戦争にはなりません。「心を一つに」、「一丸となって」と言われても、感染した人は周囲からいきなり、自分に病気をうつす「敵」として見られてしまいます。感染していなくても流行している地域から来た人は「敵」と見られて排除が起きています。ウィルスを敵として戦っているはずが、感染した人が敵にされます。「大切な人を守るために戦う」と言いながらも、実際は弱い立場の人が犠牲になるのが戦争です。COVID-19では高齢者や病気を持っている人に犠牲が集中しています。国内での死亡者のかなりの割合が病院内や施設内に集中的に起きています。全面戦争の掛け声より、リスクの高い人々、医療施設、福祉施設、ライフラインや物流などを重点的に防衛する戦い方を考えた方が良いのではないでしょうか。


# by maystorm-j | 2020-05-11 21:51 | 社会
2020年 05月 06日
パンデミックとの戦いを「戦争だ」と叫ぶことの愚かしさ  その3
パンデミックとの戦いを「戦争だ」と叫ぶことの愚かしさ  その3_d0164519_13204609.jpgCOVID-19が武漢を中心に急激に拡大していた頃、欧米諸国では「また中国か」と、対岸の火事を見る雰囲気がありました。イラン、イタリア、スペインに飛び火して、当初は「集団免疫」戦略をとろうとしたイギリスも、医療崩壊に伴って急激に増える死亡者に驚き、都市社会の凍結・ロックダウンによる封じ込めに方針を変更し,スェーデンを除く西欧は同様な措置で足並みが揃います。ヨーロッパはそれまでのEU・シェンゲン条約体制を180度転換し、国境封鎖、強権的管理と自国民保護の一国主義をとります。ドイツ・フランスはイタリアの救援要請を無視し、東欧諸国は顧みられることもなく、それぞれの首脳は自国民に「戦争への覚悟と参加」を呼びかけ、現金給付による生活保障を約束。第二次世界大戦後に積み上げてきた「一つのヨーロッパ」の死を告げるの鐘を聞く思いです。

日本はどうなのでしょうか? やはりこちらでも「戦争だ」という呼びかけが聞こえてきます。ここではいっときCOVID-19から離れて、この国の「戦争」について考えてみます。狭い列島内で2,000年以上、大小様々な「戦争」の歴史があります。比較的平和が続いたのは平安時代と江戸時代。学校で習う日本史は絶え間なく、何年にOOがXXと戦って滅ぼした、の連続です。明治以後は海外に戦いの場を広げます。ヨーロッパの歴史観に立つとわからないかもしれませんが、12世紀末、平安時代の終わり頃からこの国は大きく形を変えていったように思えます。宗教改革、金融や商業改革が起き、社会は流動化し、「戦さ」に参加する人数がずいぶん増えている気がします。人口の割に、動員された兵員が多く、彼らをどうやって養っていたのでしょうか? 戦さの報酬を与えることができたのでしょうか?

統一国家が定まる直前、最後の大戦争は中大兄皇子が起こした「白村江の戦い」ですが、これは極めて無計画で無秩序な戦争で、大敗北とともに一つの時代の終わりを告げるものでした。その弟、大海人皇子=天武帝と持統帝が起こした戦争は逆に、計画性と兵站の確かさが想像できます。戦後の国家形成を視野に入れた、日本では稀な戦争の形かもしれません。その後の大きな戦争(内乱)、南北朝、応仁の乱、戦国時代、どれも計画性に乏しく、無秩序で、兵站は略奪に頼っています。無報酬で農兵を動員し、勝てば略奪放題を許し、人を捕らえて奴隷として売っています。歴史は勝者によって書かれますので、その内実は反省されることなく、戦勝と評価されます。

天武・持統帝に並ぶのは秀吉・家康でしょうか。この時も国家の形が作り変えられ、長期の平和が続きます。明治維新はどうでしょうか。戦争という面では、無計画、無秩序な略奪戦だったように思えます。国の形も当初は単なる復古。むしろ幕府側に国の変革を目指した確かな目と計画を持った人材が多くいたようです。新政府は「戦争=略奪」という意識のまま、台湾、朝鮮、中国、東南アジアへと、ほんの70年の間に戦争を広げていきます。その結果、諸外国で日本軍は膨大な数の一般人を殺し、富と食料を略奪し、最後は自軍兵士の半数を超える命を病気と飢餓で失います。

その歴史を検証することも反省することもなく、今また「戦争だ」という号令が響き、「心を一つに」という言葉が発せられ、「勝つまで我慢」が強要されています。最前線の医療現場では、あいも変わらず無計画に働かされ、ロジスティックがないまま、持てる力を発揮できないでいます。国民の健康を支え、最前線に十分な人的・物的補給をするために不可欠な社会的・経済的基盤を凍結してしまい、長期的戦闘能力をなくすような対策が取られています。どうも日本人というのは、ほんのわずかな歴史的例外を除くと、合理的に戦争を遂行できない性格の集団なのではないかと感じています。無計画な短期決戦が長引いて、得るものより失うものが大きい戦争をやってきたようです。もうそろそろ、私たちは戦争がへたな国だと自覚した方が良さそうです。


# by maystorm-j | 2020-05-06 13:22
2020年 05月 04日
パンデミックとの戦いを「戦争だ」と叫ぶことの愚かさ  その2
COVID-19 との戦いは戦争なのか? パンデミックと戦争とは質的にも量的にも異なることを前の記事に書きました。政治家や専門家たちは、自分の行動を正当化し利権を温存し予算を得るためといこともあるでしょう。「戦争だ!」・・・総力戦だ!国民一丸となって戦え!勝つまで我慢だ!と上から言われる一般人はどうすれば良いのか。我慢しろと言われても先立つものがなければ耐えられません。心を一つにして、では何と戦うのか? 敵ウィルスは目に見えません。もしかして手についているならば消毒したり洗えば良いが、そんな行為で戦争を戦っていると言えるのか? 町中消毒して回ることなんて、一般人にはできません。マスクにフェイスガード、レインコートの重装備で街に出ても、デパートも飲食店も文化施設もすでにしまっていれば、どこでどう戦えというのか?パンデミックとの戦いを「戦争だ」と叫ぶことの愚かさ  その2_d0164519_08080092.jpg

戦うべき敵と場所がないとなると、真面目で言われた通りにしたい人々は敵を探しまわり、見つからなければ敵を作り出す。お上に逆らわない人々は、自分たちの中や下々の人の中に敵を探し出して攻撃する。マスクをしていない人、パチンコする人、県外から車で来る人、公園で遊ぶ子供、戦争中だというのに楽しそうにしている人は全て、敵に通じる不届きな輩に見えてしまう。戦前の自警団や国防夫人会、中世の魔女狩りがゾンビのごとく生き返ります。

自分はこんなに犠牲を払って我慢して戦っているのに、戦列に加わらずお金をもらう貧困者は非国民に見えてしまう。運悪く感染した人は我慢しなかったから感染し、敵に寝返ったスパイ、隔離して自分の周囲から消せ・・・戦争する国民の内部では、総力戦の呼びかけとは裏腹に分断と差別が起きます。敵か味方か、白か黒かのラベル貼り。

現状を精査せずに黒か白かと分けることは、COVID-19の本質を見失うことになります。感染するとどれぐらいのリスクがあるのか、リスクはどこに集中するのか。死亡するリスクが高齢者と基礎疾患を持つ人々に大きいことは、かなり早い時点で解っていました。死亡者の多い地域では、早い段階で医療崩壊が起きていて、重症者に十分な医療を施せないために死亡者が集中するという悪循環が起きていること。その原因は院内感染が大きく、現在日本での死亡者の多くは院内感染によること。全面戦争ではなく、リスクが高いところで集中的に戦うことが重要です。老人施設や福祉施設、家庭内の高齢者への対処、医療施設への十分な人的物的支援と専門的指導。重症者、軽症者、その他の一般患者、それぞれへの分離した対応。最初に戦争だと言い出して恐怖心を煽り、きめ細かな対策ではなく社会全体を凝固させてしまうような戦争にした政治家と専門家の責任は大きい。もし、最近の抗体検査の結果が正しく、実際の感染者数が公式発表の10〜100倍で、致死率はインフルエンザのせいぜい数倍程度だとわかり、悪夢から冷めた時に戦争を反省するぐらいなら、今こそこの3ヶ月を振り返り、感情を排して冷静に検証することです。


# by maystorm-j | 2020-05-04 08:22 | 社会
2020年 05月 03日
パンデミックとの戦いを「戦争だ」と叫ぶことの愚かしさ
パンデミックとの戦いを「戦争だ」と叫ぶことの愚かしさ_d0164519_05161776.jpgCOVID-19が武漢を中心に拡大していたころ、ヨーロッパ諸国は楽観的な見通しを語っていましたが、イラン、イタリア、スペインと流行が進み死者が増えるに連れて、西ヨーロッパの首脳や研究者を中心に「パンデミックとの戦いは戦争である」という言辞が聞かれるようになりました。あたかもこれこそが「第三次世界大戦」だという論調です。「総力戦」「国民一丸となって」「制圧するまでは我慢」・・・基本的人権や私権の制限が当たり前のように声高に語られています。本当に今回のパンデミックは世界大戦なのでしょうか。

1918パンデミック(通称スペインかぜ)では、諸説ありますが、5000万人死亡した言われています。同じ時期にあった第一次世界大戦の死者は民間人を含めて1,600万人ですので、確かに世界大戦より多くの死亡者を出しています。このクラスのパンデミックは歴史上何回もありますが、1918パンデミックを最後に、その後は1957アジアかぜの100万人が最大で、1968香港かぜの75万人。SARSやMARSなど致死率の高さで恐れられましたが、死者の数はとても少なく、通常の季節性インフルで毎シーズン50〜100万人死亡しますので、恐怖心と実態がかけ離れてしまっているように思います。

戦争では「敵を殺す」「敵国を破壊する」ことが奨励され、自国あるいは自国の支配者の存亡、自国民が生き残るためには敵味方双方の人権が無視され、軍事力維持のために私権が制限されて通常の生活ができなくなります。病気との戦いを同じように語って良いのでしょうか。むしろ、通常の生活を維持するため、人権を保護するために病気と戦うのではないでしょうか。人を殺す戦いと人を守る戦いは全く別物です。無差別虐殺、空襲、原爆の悲惨さと病気で死ぬことを同一視する鈍感さ。死亡する人を極力減らすのが病気との戦いの目的ですが、そこには敵も味方もありません。病気との戦いに負けるのを避けたいとは言え、勝ち残るためにそのリスクを他者に転嫁し極端な私権の制限を課すことには倫理的なためらいがあります。その結果、病気以外で死亡する人が増えます。病気で死亡する可能性の低い人々の暮らしをどこまで破壊して良いのか、悔しい現実ですが政治はリスクの大きさを比較しながら、冷徹な判断をしなければならない。そしてその判断で起きる結果に責任を持たなければなりません。

専門家がその専門領域を越えて、私権の制限を大きな声で語ることは許されることではないと考えます。それは手続きを踏んで確立された政治の役割です。「総力戦」のラッパを吹きながら、現実には格差がさらに拡大し、被害が弱者に転嫁される対策を進めてはならず、まして「自粛」の「強要」で生じる被害の保障をせず、結果に責任を取らない日本の政治のありようだけは過去の戦争と相似するものです。

西ヨーロッパで一斉に強権的な対策が展開される中で、スェーデンのみが緩い規制で日常生活を維持しながら集団免疫の獲得を目指す対応を今も展開しています。スェーデンの人口は約1,000万人。5月3日、公式の感染者数は22,082人、死者数は2,669人で致死率12%。周辺諸国の2〜3倍の致死率で、国内の専門家からも批判が出ています。何もしなければにほんで42万人が死亡すると述べた「8割おじさん」こと西浦氏のモデルでは、スェーデンですでに4万人の死者が出ているはずではありませんか?社会的距離を保つなどの緩い対策は行われいますので、2万人ぐらいでしょうか。何れにしても現実はモデルを裏切っています。 どのような調査の結果かわかりませんが、スェーデン政府はすでに抗体を持つ人が人口の4分の1ほどに達していると述べています。仮に全人口の25%である250万人が感染しているとするなら、本当の致死率は0.1%になります。最近、世界各地で実際の感染率を調べる試みが進んでいます。そこで報告される数字は1〜30%の間でまちまちですが、例えばスタンフォード大学がシリコンバレーで行なった調査では2.5〜4.2%がすでに感染していて、公式発表の50〜80倍。致死率はその結果0.2%に下がるとしています。多くの調査の正確さについて私には判断できませんので、最新の報告をご自身で見て判断していただくしかありません。スェーデンの死者数はすでにインフルを越えているかもしれませんが、大きな犠牲を伴う強権的な対策を無前提的には正当化できないことを示していると思います。もちろん、殺さなければ殺されるという「戦争」ではないことを確信しています。





# by maystorm-j | 2020-05-03 08:06 | 社会
2020年 04月 30日
COVID-19 感染者・死亡者の実態  超過死亡
COVID-19 感染者・死亡者の実態  超過死亡_d0164519_05171553.jpg疫病や環境汚染が起きた時、その初期段階ではなかなか実情が把握できず、対策は大きく取ることが必要でしょう。しかし、調査が進み全体像が判明するに連れて、地域によって必要とされる対策の質と量を絞り込んでいくことになります。過小な対策では被害を抑えられませんし、逆に過大な対策をすれば、その対策によって生じる被害が大きくなります。疫病の場合は、その流行の地域ごとの進展具合によっても対策の仕方が変わっていくでしょう。それまでに行われた対策と感染数や死亡数との相関から、病原体の毒性を算定することも必要です。流行速度の速いCOVID-19では、日々更新される最新の実情を知ることが、対策策定の前提です。

最新の実情を知るために、毎日の感染者数と死亡者数の推移を見ています。見やすい国内統計としては、東洋経済社のサイト「新型コロナウィルス 国内感染状況」 を利用しています。新規感染者数の推移を見ると、今月(4月)の15日ごろから頂点に達して、その後ゆっくり下がっています。新規死亡者数は4月26日を頂点に下がり始めています。検査数は今月中旬以降横這い状態です。多くの専門家やWHO、諸外国から指摘されているとおり、日本では検査が限定されています。検査数を増やせば感染者数も増えるでしょう。4月29日現在の累計感染者数は13,695人とされていますので、ざっと国民1万人に1人強。約0.01%の感染率となります。実際の国内感染者数がどれぐらいなのか、感染の可能性が強い人に偏らないランダムな検査をした場合、どれぐらいの感染者が発見されるのでしょうか。

発症の有無にかかわらず、すでにウィルスSARS-CoV-2に感染した人の割合を調べた報告が、諸外国からいくつか出ています。国内でも一定の集団で行われた検査がいくつか報告されています。その値はまちまちで1%ということもあれば、30%ということもあります。検査方法の改良にともなって、今後信頼できる数字の報告が増えていくでしょう。現在はあくまでも推測でしょうが、多くの専門家が日本の検査体制で発見される感染者の、実際は10倍〜100倍の感染者がいるのではないかと述べています。

その一方で、実際の死亡者数はどれぐらいいるのでしょうか。原因不明の死亡者の中に、死後検査したら感染が見つかったという報告がありました。通常のインフルで死亡した場合でも、インフルによる死亡とされずにその他の持病の悪化などでの死亡とされることが多く、インフルの影響で死亡した人の総数を見るために「超過死亡」という概念があります。端折った言い方になりますが、一定の期間内に普段なら死ぬだろうと思われる数と、実際に死んだ数の差が、その感染症で余分に死んだ人の数と見るのです。その超過死亡数の報告がヨーロッパでは、多い国で公式に発表されているCOVID-19の死亡者数と同等程度、多くは20%とか50%とかで、スェーデンのようにマイナスの例もあります。

国立感染症研究所の4月27日報告「2019/20シーズン21大都市インフルエンザ・肺炎死亡報告書」
これを見ると、今シーズンはスタート時点で高めだったインフルがその後も横ばいで、今年の2月ごろから減少、4月中旬には流行が収束しているように見えます。それでもその間、毎週400人前後の死亡者数ですので、COVID-19よりは1桁多いことがわかります。新しい感染症にはまだベースラインがありませんので、厳密な意味での超過死亡数を算定できないかもしれません。直感的にですが、実際の死亡者数が公式に発表されている数より桁違いに多いとは思われません。公式発表の死亡者数が減少傾向にある現在、それとは逆に実際の死亡者数がどんどん増えているとも想像できません。実数を示してはいないとしても、傾向は表していると思われます。

感染者・死亡者数の低い地方と、高い都会に同じ対策を被せるのには無理があります。超過死亡が多いところと少ないところの差がなぜ起きるのか。都市封鎖を行わずに流行を制御できている韓国やスェーデンなどのやり方を学ぶ必要もありそうです。専門家会議が「医療こそが人の命を守る」と自負するのはいいのですが、その医療を支えているのは社会であり経済であり、生産と流通であることを忘れてはいけないでしょう。医療を支える後方の基盤を破壊しては長期的対策は成り立ちません。






# by maystorm-j | 2020-04-30 08:36 | 社会