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2014年 09月 30日
自然保護運動の移り変わりと背景
いつも、冒頭に写真を入れていますが、今回はちょっと殺風景です。青い文字でリンクさせている過去の記事には、動画など画像がいろいろありますので、お楽しみいただければと思います。


私の住む軽井沢では今年、夏が短く9月中旬には早朝3度まで下がり、既に紅葉が進んでいます。森は豊かな実りの季節を迎えますが、ドングリやヤマグリの豊凶が野生動物に影響する季節でもあります。ちょっと古い記事ですが、サルの群れが別荘地に植えられたハマナスの実に群がる様子が動画で見られますので、ご紹介します。

ハマナスの生け垣はけっして多くは見られませんが、市街地周辺部にはイチイやヤマボウシ、サクラなど多くの実をつける木が植えられていて、サルやクマを誘っています。開けた住宅地や農地でも、連続した森から200mぐらいの範囲は、大型野生動物の行動圏と思われます。前の記事「野生動物に餌をやる事について」では動物愛護の問題点を書きました。餌付けの問題は、個人的に家庭や別荘で行われる小規模なものから、ハクチョウやツルに見られるような、時には行政や地域社会ぐるみの大規模なものまで、いろいろありました。都会から地方へ組織的に餌やりに訪れる団体もありますし、ドングリを植える運動などもあります。(「クマとドングリ 11月5日 2010年」

組織的な餌やりの中には、観光客の誘致を狙ったものもありますが、多くの場合は「善意」で始められ、そのために自分の行動を検証することなく、批判に対して感情的な対応が見られ、議論にならないケースは多々あります。歴史的に見ると、1960年代前後の高度成長・乱開発による環境の悪化に対する、自然保護運動の流れが背景にあると感じます。明治から昭和の敗戦まで、富国強兵策の陰で大型野生動物は大量に狩られ、中にはいくつかの種が絶滅します。地方の山間部で起きたことで、都会の人々や政治は無関心でしたが、戦後の高度成長にともない、公害の発生など都会の人にも環境問題という形で意識されるようになります。生活に余裕ができた都会の人々は、旅行や登山、リゾートなどに目を向け始めます。高校卒業間近の頃に出版された「沈黙の春」は衝撃的でした。

環境庁ができ、尾瀬の保護運動などいくつかの自然保護運動が成功していくのが70年代。野鳥の会に象徴される自然愛護団体が全国的にさかんになります。しかし、海の埋立てなど、干潟の生態系破壊が進み、反対運動が活発になる中、いくつかの大きな組織はそれに背を向けて、小さな愛護運動へと転換していきます。地元で干拓事業に反対していた人達の多くは、野鳥の会本部に失望し、独立した運動を展開し始めました。大きな組織の裏に、XX不動産のような大規模開発業者がついている事に気づく人もいました。

例えば、野鳥の会では当時、「バード・サンクチュアリ」が提唱されます。大規模開発で破壊されるうちの一部を「聖域」として残そうという運動です。生態系の保全を考えると、多様な生物の関係性が維持されるために、それなりの広域が保全される必要がありますが、視点を小さな鳥に絞っていますので、愛好家が都合よく楽しめる程度の問題にすり替えられてしまいます。地域総体の環境問題ではなく、好ましい小さなひな形として残す自然です。都会の人が訪れて一日楽しむのには、それでいいのかも知れません。

さらにその後、野鳥の会は「窓あけ」運動を展開します。「窓をあけたらキミがいる」という本を大量に普及させ、「ミニサンクチュアリ」の提唱です。大規模開発の免罪符としてのサンクチュアリさえも出来ずに、家庭で小さな庭やベランダにエサ台や水浴び場を作って、窓から野鳥を楽しみましょうという運動です。大きな自然、力強い野生を捨て去り、環境から切りとった小さな好みの動物を愛玩するだけの運動になってしまいます。

自然を愛する心を養う教育効果を謳いますが、愛玩という姿勢からは自然の仕組み、無数の生き物の関係で作られる生態系への理解は進みません。このような方向に進んだ一方で、政治、行政、経済活動による自然破壊に目を向ける運動もいくつかあり、グリーンピースは別格としても、日本自然保護協会やWWF JAPAN のように、大きな視点をもつ団体もあります。辺野古基地建設問題や上関原発建設問題に自然保護の側からかかわっています。時には「お上」と対決しなければならない運動は、「心優しい善意」の人達からは敬遠されますが、自然のありようや自然と人間の関係を考えるなら、避けて通ることは出来ないと考えます。




by maystorm-j | 2014-09-30 06:12 | 自然


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