2012年 07月 21日
3週連続で雨にたたられたせいか、あるいは大飯伊原発では4号機も再稼働した無力感からとは思いたくないが、官邸前の抗議行動の人数ばかりを強調する空気は減っている。シングル・イッシューに結集する限りは、参加したそれぞれの人の思いはいろいろあっても、行動の成果は抗議の内容よりどうしても結集した人数に目が奪われる。と同時に、人数が多いほど参加している自分の正当性が確認できて、安心と満足を得て日常に戻るのでしょう。 持って生まれた性格かもしれませんし、長年一人で仕事をしてきたせいかもしれませんが、私は大勢の人に同調して同じ言葉を言い、同じ動作をするのが苦手です。特に、音楽会で会場全体が陶酔する状態や、激しいリズムでみんなが踊ったりすると、どんどん気持ちがはずれて行きます。集団でトランス状態になれない「ノリの悪い」性格です。集団でなくても、両隣の人が自分と同じ事を言うのを聞いているだけで、ひょっとすると自分が間違っているのではないかと考え始めます。最近は、市民運動や組織に参加する事はあっても、運営側にはならないようにしています。 東京や福島での動きは、抗議行動に限らず、院内集会や講演会、市民学集会など、ネットで配信されるものをできるだけ見るようにしてきました。余裕があれば参加したいと思うものがたくさんあります。地元では、3.11後に降った放射能の問題や、関東圏を中心に各地の汚染焼却灰が民間の最終処分場に埋め立てられている問題など、地域独自の問題が起きています。それぞれいくつもの団体が取り組んでいますが、団体に所属しない住民には行動の予定もほとんど届かず、時おりそれぞれのサイトに事後報告が載るぐらいです。1年4ヶ月の間で、デモが2回あっただけで、市民参加型運動にはほど遠い現状です。 官邸前の抗議行動に人が集まるようになってから、さらに地域の活動から東京へと目が移っているように感じます。年に何回か大結集して政治的にアピールする事自体は必要なことでしょうが、地元での行動以上になるのはどんなものでしょうか。さらに、地元での孤独感が癒される事を求めていくなら、一種の依存症と思います。麻薬に逃避するようなものではないでしょうか。私には、過去からずっと続いてきた、東京が地方から、都会が田舎からものも人も奪い取ってきた延長に見えます。もちろんそれは経済的要因によるものですが、それを許した精神的背景が今も続いているということです。 「再稼働反対」のワンフレーズに対する批判が、回を重ねるごとに出てきて、主催者側もいくらか他の声を許す雰囲気が出ているようです。昨日は「福島をかえせ」というシュプレヒコールが何度か聞かれました。福島から来た人とは思えない、たぶん主催者に近いか、少なくとも都会の人だったと思います。学生の頃から歌いたくなかった「沖縄をかえせ」を思い出します。沖縄返還運動の中で、既成左翼組織がよく歌っていました。 沖縄と本土の歴史的関係を沖縄戦以降に限って考えても、本土人に「沖縄をかえせ」と言う資格などあるのでしょうか。沖縄戦は本土決戦の時間稼ぎ、防潮堤でした。敗戦後、昭和天皇は自分の保身のために沖縄をアメリカにささげ、本土人はその天皇を各地で日の丸の小旗を振って歓迎しました。「本土復帰」といいながら、核付き基地付きで防潮堤の役割はそのまま今も続きます。本土人は抑止力というごまかしに騙されながらも、沖縄の負担を自ら背負う気はありませんし、抑止力を否定して米軍を日本から撤収も縮小もさせようとはしません。6〜7年前だったでしょうか、信州沖縄塾の立ち上げに参加した折り、沖縄から講演者をむかえて集会後の懇親会で、年輩の運営者達の「沖縄をかえせ」の歌声に、いたたまれない恥ずかしさを感じました。 東京で「福島をかえせ」と叫ぶ声を聞くと、私にはそれが「沖縄をかえせ」と重なってしまいます。福島に原発を作ったのは東京電力ですが、その電気で豊かな暮しを享受し、金を払って支えてきたのは東京に象徴される大都市生活者ではないのでしょうか。オール電化の家に住み、快適で便利な暮しを楽しんできたのではないですか。福島をかえせと叫ぶ前に、ごめんなさいではないですか。もちろん、東海地震が先に起きて、浜岡原発が爆発していたら、信州にいる私たちが東京人と同じ立場に置かれているでしょう。でも、信州で「静岡をかえせ」とは言わないような気もします。静岡と信州は横に並んでいます。 3.11の後、すぐに孫正義氏が,被災地の津波をかぶった農地を太陽光発電の大ベルトとする提案をしました。最近は、各地で嫌われている震災瓦礫を使って被災地沿岸に延々と森(緑)の防潮堤を作る提案が出ています。いずれしても、地元の住民がどんな町づくりをしたいのかに先行した、都会人の押しつけです。現地の雇用に資するとか、活性化とか、鎮魂とか、一石二鳥とか、様々なお節介を言いながら、また何かを奪い取って行こうとします。 自然エネルギー発電も東京人のイメージでは、海岸や山に立ち並ぶ風車だったり、過疎化した農村に広がる太陽光パネルだったりします。今でも水力発電で川と水を奪われ、そこから住宅地の上も農地上も我が物顔に走る高圧線が子供に白血病を起こす可能性など考えていないでしょう。それが自然エネルギー発電で増えるわけです。東京で電気が欲しければ、スカイツリーなどという威圧的なものを立てていないで、ビルとマンションの屋上に風車を立てればいいのではないでしょうか。それとも原発と同じように、風車の低周波が危険だから田舎に押し付けようと言うのでしょうか。エネルギーの変換効率が悪い発電方法を輸送コストのかかる田舎に作るより、大消費地で変換効率のよいガスタービン発電や、熱は熱のまま変換せずに使うコージェネを導入すればいいのではないですか。 私には官邸前抗議行動も、沖縄を本土の防潮堤とし続けるメンタリティー、原発を地方に作ってきたメンタリティーの延長上にあると感じます。東京人が自身のよって立つ構造と位置を考え直し、変わらないかぎり、品をかえて田舎から奪い続けるだけでしょう。
by maystorm-j
| 2012-07-21 08:36
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