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2022年 01月 31日
オミクロン株の流行する中で、一年ぶりに書きます。
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まる1年間のご無沙汰になってしまいました。
写真を撮った日は最低気温は氷点下5度で、氷点下10度以下の日が続いた中では、いつもよりかなり温かい。その割には車には霜がべったり。空気の湿度が高かったのだろうか。仕事場の南側一帯だけ30mほどの範囲で、針状の霜が見られた。低い枯れ草や地面にはなく、背丈のある草木に発達している。写真はヤマツツジで、横にガレージがあるので寒風の通り道というわけではない。むしろ、空気の動きがない方が一点に霜が発達するのかもしれない。どんな条件で霜が針状になるのだろうか。
左は針状の霜がタラの木に。鋭い針と見えても、日が当たればすぐに融けて消えるはかない存在。食われてたまるかと生存をかけたタラの木の棘に比べると迫力負けしている。タラの木とて、一本立ちの茎のてっぺんの芽は摘まれて、そこにいくつかの小さな芽が出て、さらに下の方からも脇芽が出て、次の年は枝が増えてむしろ栄える。


「マンボウ」と称する全く根拠も効果もない対策が再登場して、町の施設もいつ再開されることやらの状況です。この対策はただ飲食業や商業・サービス業にダメージを与えるだけで、感染防止の効果がないことは明らかです。感染のほとんどは学校・職場・電車などから家庭に持ち込まれて拡大しています。季節性インフルや風邪と同じパターンですね。

オミクロンの危険性を考えると、重症化や死亡リスクはその時点での感染者の0.1%以下、感染時点から重症化までのタイムラグを2週間ととっても0.2%程度。これはインフルと同程度の数字です。インフルや風邪が引き金になって肺炎や他の持病などで死亡した場合、日本でも多くの国でも死亡原因をインフルや風邪とはせず、統計上は持病や肺炎などに分類されます。COVID-19の統計では陽性者の死亡は事故死は別として、ほぼカウントされているようです。この1ヶ月間の動向を見る限りオミクロン株は「はやり風邪」レベルと考えられ、アジア諸国より感染者数が10倍前後の欧米ではすでに基本方針を「ゼロコロナ」ではなく「ウィズコロナ」に切り替えています。日本だけが世界標準と違う行動をすることはいろいろなところで見られますし、同じにしなければいけないとも思いませんが、異なる対応をするならその根拠と効果の予想を明らかにしなければいけません。現在の政府や厚労省の対応は彼ら自身の保身と利権維持に基づいています。

オミクロン株については今のところいつまでも感染症2類の対応を続けることで重症者に対する対策の集中できず、かえって被害を大きくしていると思われます。まだ統計をきちんと見ていませんが、去年1〜8月の国内超過死亡者はCOVID-19による死亡者の2〜5倍程度増加したようです。COVID-19対策よりオリンピック開催が優先された結果、検査体制も重症リスクのある患者に対する対応も整備されず、多くの救急患者が迅速に病院に収容されずに死亡したのではないかと思います。その中には他の病気で治療を受けられずに死亡した人が大勢いたことが超過死亡者の増加につながったのではないかと思われます。オリンピック期間中に数百人が自宅放置状態で死亡したと言われていますが、その数倍の一般患者も本来受けられる医療からはじき出されて死亡した可能性があります。


多くの国民が、特に冬の間テレビにしがみついていて、一方的な情報を無批判に受け取るばかりです。人々の行動や交流が制限され、在宅時間が増えればなおさらです。NHKが政府におもねった報道であることは、年末に放送したオリンピック記録映画撮影のドキュメンタリー番組でウソとヤラセがバレて大騒ぎになっていることを見ればよくわかるでしょう。民放はスポンサーと電通の顔色を見ながら、ひたすら視聴率の数字が上がるように内容を作っていきます。新聞もその点は同じですが、活字を読むのと違いテレビは立ち止まって考える時間がありません。途中でおかしいなと思っても資料や統計にあたる時間がないままに、一方的に情報が垂れ流されます。情報は自ら何も労することなく一方通行で受け取るものという姿勢ができてしまいます。

COVID-19に関してはいくつもの統計サイトや多くの専門家の意見に直接あたっていますが、代表的な統計サイトを二つ紹介します。
 https://toyokeizai.net/sp/visual/tko/covid19/ こちらは東洋経済社が国内の状況を全国・都道府県別に毎日更新しているもの
 https://web.sapmed.ac.jp/canmol/coronavirus/death.html こちらはジョンズ・ホプキンス大学のまとめた世界各国の人口当たりの感染者と死亡者の推移をおったものです。
情報の信頼性を考えるとき、現場で直接見聞きする一次情報、現場からそれを発信する二次情報、配信された情報を大きなメディアが再配信する三次情報、・・・それを見た一般人が話すウワサ情報まで。もちろんできるだけ一次情報に近づくのが良いのですが一般人にはなかなかそうもいかず、実際は二次情報・三次情報の信ぴょう性を見抜けるリテラシーを養うことが重要です。

一次情報を数量化した統計を読むことは状況を理解するために重要なことですが、その統計が捏造や改竄されていることがあります。例えば、いま国会で問題になっているGDPの嵩上げ。これはアベノミクスがうまくいっているとするために、国土交通省が数字の二重計上などのごまかしを行ってきたことがバレたという話。国土交通省の一つの統計の修正だけで、日本のGDPは安倍政権で実際は下がっていたという可能性もあり、経産省の統計にメスが入ればもっと大きなごまかしがあるかもしれません。アベノミクスが機能していないことは収入が上がらないことや、技術革新(イノベーション)が停滞していること、企業内留保の投資先がないいこと、輸入に依存する物品の価格が上昇していて日本円の購買力が為替レートより実質はかなり低い印象などなど、様々な現象から感じていたことです。国の経済力の一番の指標であるGDP統計が誤魔化されていたということは、経済政策だけではなく福祉・医療など税収に頼る行政の見直しや、金利上昇や株価下落で年金制度の崩壊、国の莫大な借金の利払いができなくなることで財政の崩壊にまで至る可能性のある大問題です。財務省次官の矢野論文の背景が見えてくる気がします。一言でいうなら国の行政は機能しなくなり、国民生活は困窮・破綻すると。こんな暗い話はテレビに登場しませんよね。

話は変わりますが、若い頃に触れた「友を選ばば書を読みて、六分の侠気、四分の熱」というフレーズ、たぶん70歳以上に人ぐらいしかご存知ないでしょうね。皆さん。本を読んでいますか?これを詠った与謝野鉄幹という人間は思想的には嫌いです。短歌の世界での活躍や与謝野晶子の夫として知られていますが、伊藤博文や福沢諭吉などの民族差別や東アジア侵略に連なった人物です。ちなみに福沢諭吉ほど虚像と実像が異なる歴史的人物は珍しく、その顔を見たくないのでできるだけ買い物はカードやpaypay払いにしてきたほど。もっとも彼はその差別主義の本音をきちんと本や新聞に書いていますが、受け取る側が自分が見たい綺麗事の部分だけを取り上げているため、「天は人の上に人をつくらず」な平等主義者、誰にでも学問を勧める啓蒙主義者と勘違いされています。本音は全く逆であることが、その文章の先を読めばすぐわかることなのですが。まあ、昔から都合の良い部分・感動できる部分だけ、笑えるところ・泣けるところだけをつまみ食いして記憶されるのでしょうね。テレビという媒体はそれを助長しています。

こんな話はみなさま読みたくもないかもしれませんが、自分で調べて考えない役人たちは死亡者の一人もいない長野県でも、中央のいう通り「マンボウ」だそうで、体育館などの健康施設が閉鎖され、運動不足解消に仕方なく部屋でエアロバイクを再開しています。

このような状況がいつまで続くのかわかりませんし、自民党にとっては参院選まで、国民が怖い怖いと引きこもっている方が都合良いのでしょう。古代ローマでさえ市民は「パンとサーカス」を与えられて手懐けられていたのでしょうが、サーカス(オリンピック)は終わり、いまやパンは値上がり、食料自給率と円の購買力が低い日本はいずれ食糧難が・・・文芸春秋の矢野財務省次官論文がいっとき騒がれましたが、それ以前から日銀は金融緩和の出口に向き始めていて、表の黒田総裁の言葉と裏の本音の使い分けがあるのではないでしょうか。日本国債の格付け低下、金利上昇が食料も工業原材料も労働力も自給できない国にどんな事態を引き起こすのか。これから国民の多くが窮民化・困民化に向かうのではないでしょうか。立憲民主でも維新でも令和でもファーストでもなく、これからは困民党ではないかと。いまこそ、困民党です。



# by maystorm-j | 2022-01-31 05:28 | 社会
2021年 02月 18日
黄昏の銀座
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丸一年ぶりの展示会。東京銀座三越です。月曜日は30分早く会場を出て、銀座通りをゆっくり見ていました。黄昏の銀座。なんだか歌の文句のようですが、黄昏時というより、黄昏てしまった銀座という感じで、人通りは去年の10分の1です。往復の新幹線も乗車率は15%程度。デパートの中は、視界に入る来客は数人。チョコレート売り場も日曜日で閉まり、閑散としていて、ローラースケートでもしたい気分。売上は去年の3分の1ですが、腐るものではないので作ったものはいずれはけるでしょう。同じフロワーの他の出品者も例年の半減という状態。去年の同じ時期に展示したときは中国からのお客さんが最後の賑わいで、売上の8割が外国人。今回は日本のお客様ばかりでした。来店者はぐんと年齢が下がっています。購買力のある年配者が外出を控えているせいでしょう。

売り場でも株価3万円が話題で、店員さんと話していいるとバブルという指摘が出ますが、30年前に比べてバブル感は全く感じられません。株価3万円で銀座はがらがら。バブルで踊った中産階級そのものがなくなってしまったのか、元気に踊った人々が高齢化してしまったのか。GDPはマイナスで所得も土地も物価も上がらず、株価のみが官製相場で上昇、ってこの後どうなるんでしょうか。売り場にいると周囲はみんな年下の世代で、つくづく我々高齢者は彼らに申し訳ないことをしてきたんだと実感します。デパートの売り場も、経団連の言う請負型・業務委託型を先取りするように、直営からフロワーを小さな中間業者に請け負わせることが進んでいるようです。リスクを取らない経営なのでしょうが、それは小さな業者や生産者にリスクを付け替えているだけ。お客様は買いたいものを探すのに、あちこちに分散したメーカーの売り場を歩き回らなければなず、例えばグラスを買いたいと思っても、グラス売り場ではなくグラスを扱っている各テナントや作家の展示会場を見て回ることになります。洋服などかさばるものは各メーカーが持つデパートの限られたスペースは小さく、贔屓のメーカー直営店に行った方が品揃えが豊富でオーダーも早く届くことになるでしょう。縮小・貧弱化の負のスパリラルにはまっているようです。


# by maystorm-j | 2021-02-18 09:10 | 社会
2021年 02月 09日
脱成長というスローガンの脱力感
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写真は名も知らないただの枯れ草ですが、雪を背景に長い枯葉が意外と力強い。

日本経済の成長が止ってからすでに30年。その間に他の国々でも、様々な経済のクライシスが起きましたが経済成長は止まらず、今やOECD諸国の中で国民一人当たりのGDPや賃金は下がる一方で、すでにお隣の韓国に抜かれています。所得は伸びない反面で、消費税を考慮するとむしろ30年前より低く、その上に若い世代に付けを回す借金ばかりが膨大な額に増えてしまいました。そんな状態しか知らない40歳前の人々が国民の半数。その上の現役世代は、とりあえず現状にしがみついて働くしかなく、さらにリタイア世代の多くは退職金と年金で逃げきれると思っているようです。わずかばかりの危機意識を持っていた左派・リベラルの人々も30年間の無力・無展望の果てに、現状を肯定する逃げ場を探して、MMTだの脱成長だのと言い始めています。

脱成長と言うとすぐに「江戸時代の暮らし」「縄文時代の暮らし」に戻るなんて嫌だと言う反応が、新自由主義経済の勝ち組国民から返ってきます。夢の世界ディズニーランドより、一泊二日で江戸時代や縄文時代を体験できるテーマパークがあれば面白そうですが、もちろんそこが日本の目標点ではないでしょう。去年の春頃、アーミッシュの暮らしぶりをたまたま研究に行って数ヶ月帰ってこれなくなった安富歩さんが連続で現地レポートしているのを聞きました。社会が大きく変化する時、モノやサービスの質的変換、生産システムの変換を必要とする時に、脱成長というスローガンは内容に対するイマジネーションにつながらず、ウケが悪い気がします。社会を変えていこうという意思も脱力しそうです。長年煩わされたアレルギーも、年齢とともに異物に対する反応が鈍くなりました。60過ぎて次第に花粉症が軽くなりましたが、それって免疫力が低下しているんじゃないかと心配。くしゃみしていても元気な方がいいなあ、というのは命に別状がない程度のアレルギーだからかもしれません。

脱成長という言葉が受け入れられるのは比較的高齢世代ではないでしょうか。現状維持の逃げ切りができそうな世代。その下の世代は上を見ながら、自分たちの老後はあんなわけにはいかないだろうとうすうす感じています。すでに大企業でも始まっていますが、終身雇用の正社員制が崩れていけば痛切に感じるようになるでしょう。バブル崩壊後の日本しか知らないさらに若い子育て世代はもう諦めているのか、運が良ければ親の資産で少しはいい思いができるのか。逃げ切り世代の年寄りは、子供に援助できれば気分がいい。こんな社会を残していく無念さ、申し訳なさを感じることなく、テレビ見て呆けています。しかし、脱成長では増える年寄りを何人の働き手で支えなければならなくなるのか。絶望的な数字が見えています。肩の力を脱力するのはいいのですが、足腰まで力が抜けてしまっては日本社会が維持できません。クオリティー・オブ・ライフという視点から、どんな形の成長が可能なのか。菅政権がサッチャー主義をとることが見えてきた今、いろいろな意識や仕組みが日本と異なる北欧特にスウェーデンと比較して考えようと思っています。



# by maystorm-j | 2021-02-09 08:21 | 社会
2021年 01月 30日
散りそこなったイロハカエデの紅葉に雪

散りそこなったイロハカエデの紅葉に雪_d0164519_08133881.jpg
この冬は寒い。たしかにダラダラといつも寒い。最低気温が氷点下10度前後の日が3~4日続いては、ちょっと暖か目のー5度の日が2~3日あって、また寒くなります。昨日から寒いサイクルに入っていますが、しかし大寒波襲来と騒がれるような、氷点下15度以下になったことはありません。正月前後にあることが多い、凍結している地面の上に水が溜まるような真冬の土砂降り雨もありません。


日本海側では1日で積雪1mという大雪がありましたが、内陸の軽井沢ではまだ雪かきは1度だけ。しかし、小雪が舞うことが多く、気温も上がらないので今も10cm程度の根雪状態です。その根雪が気温や湿度の急激な変化を和らげているようにも感じます。GoToキャンペーンとかいう後先を考えない政策で全国にばら撒かれたウィルスが、今年に入って長野県でも多数の感染者を発生させましたが、それも今は少し収まっています。極端な気象現象を恐れるのと同じように、人為による極端な動きには意図していない副作用が起きるようです。意図してはいなかったが、専門家ならずともその副作用が起きるという想定は一般の人にも明らかでした。無力であるがゆえに見えることも、力を持つ立場では見えないことがあります。


写真は、散らずに枝に残る紅葉したカエデに雪が積もっています。イロハカエデの葉は、緑から黄色そして赤くなって散るもの、緑が濃くなって赤く変わり散るもの、赤の後で茶色に枯れて散るもの、注意してみていると様々なサイクルがあるようです。このように、赤くなったまま散らないということも稀にあり、はてどうしたんだろうか?いきなりの寒さでフリーズドライ状態で動きが止まってしまたのかもしれません。



# by maystorm-j | 2021-01-30 08:14 | 自然
2021年 01月 28日
デタラメですが賑やかな冬の寄せ植え
デタラメですが賑やかな冬の寄せ植え_d0164519_04592051.jpg霜が降りる前に室内に避難させた鉢植えですが、もともとそこに植えられていたのはピーマンとパセリ。茎とわずかな葉だけのこの2種だけではいかにも寂しい。道端にこぼれ種から芽を出していた季節外れのナスターシャムを足しておきましたが、やっと一つ花を咲かせました。本来の開花期からは半年のズレ。暮れに、ホームセンターで売れ残り、枯れる寸前で値引きされていた西洋サクラソウ3株と新しいパセリを1株足して、なんだか訳のわからない寄せ植えの鉢になりました。


写真では上部が写っていませんが、中央で背丈の高いピーマンはすでに3年目で、このまま生きながらえていくと、草から木になるかもしれませんが、毎年背丈が伸びることもないのでただの古ぼけた草のままかも。パセリというのは食材としては、わざわざ店で買うほどのことはありませんが、ちょっとつまんでスープや肉にかけたりと、室内にあれば便利なものです。冬の方が香りが強い。



# by maystorm-j | 2021-01-28 05:00 | 暮らし